転生したら庶子だった件
―――輪廻転生。
てっきり宗教上での考え方の一つ、あるいはラノベやネット小説の中だけの話だと思っていた。どこか遠くで起こっている他人の物語。それを自分も経験する事になるとは。
頬杖を突きながらぼんやりと窓の向こうを眺めていると、ロシア帽を被って馬車に乗った狼の獣人たちが見え、ここが異世界なのだという事を見せつけられる。
正直、異世界に転生したというのが未だに信じられない。ベッドで眠って目を覚ます度に、もしかしたらあれが単なる夢だったのではないか、目覚めたら東京のアパートの一室なのではないかと少し期待してしまうのだが、何度目を覚ましても、それを7年続けても、ここが異世界であることに変わりはなかった。
ここは『ノヴォシア帝国』。
中世や近世のヨーロッパ―――特にロシアやウクライナ、ポーランドなどの東欧―――を思わせる世界、その中でも広大な版図を誇るノヴォシア帝国の貴族の子として、俺は生まれ変わった。
窓から離れ、鏡の前へ。豪華な黄金の装飾で縁取られた鏡の向こうに姿を現したのは、やけに小ぢんまりとした中性的な少年だった。
髪は闇のように黒く、しかし前髪だけは対照的に真っ白だ。まるで暗闇に差し込んだ光のような……いや、白髪じゃないよ? 弱冠7歳で白髪とかじゃないからねコレ。
特徴的なのは、その頭髪の中から伸びる”耳”だった。
決して大きくはなく、丸みを帯びた動物の耳……そう、ケモミミだ。ケモミミが生えている。
「獣人の世界、か」
この異世界には、普通の人間というのは存在しないらしい。
彼らに代わって文明を謳歌しているのは、人間と獣の遺伝子を併せ持つ種族―――獣人たちだ。前世の世界の漫画とかアニメだと脇役扱いだった彼らが、この異世界では支配者として君臨しているらしい。
それはこの世界に生まれ変わった俺も例外では無いようで、こうしてしっかりと獣人として転生していた。
しかしこれ……アレだよね、東京でも見たわ。
「……ハクビシンだよねコレ」
そう、ハクビシンの獣人として転生したらしいのよ、俺。
獣人って聞いたらさ、あれじゃん。狼とかライオンとか虎とか、そういう強そうだったりカッコいいのを想像するじゃん? なにゆえ害獣なの? お前コレ地方だと農作物荒らすわ鳴き声うるさいわで迷惑だし、都会でも屋根裏に住み着いたりして大変な事になるからね? 可愛いけど害獣だからねハクビシンは。
あのさ、魔王様。
な ん で ハ ク ビ シ ン な の ?
しかもご丁寧に長い尻尾があるし、手のひらにはピンクの肉球まである。
コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえ、聞き慣れたメイドの声がした。
『失礼します、ミカエル様』
「ああ、どうぞ」
ガチャ、と扉を開けて姿を現したのは、白いフリルのついたメイド服に身を包んだ、黒髪の獣人のメイドだった。俺と同じく前髪だけは真っ白で、同じハクビシンの獣人だという事が分かる。
「ミカエル様、おやつをお持ちしました」
「ありがとう、レギーナ」
彼女は屋敷で雇われているメイドのレギーナ。俺に優しくしてくれる数少ないメイドの1人だ。
今の俺の名前は『ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』。リガロフ家という没落貴族の5人目の子という立場なんだが、その……色々と事情があって、冷遇されている。
持ってきたトレイの上に乗っていたクッキーの皿を差し出すレギーナ。彼女からそれを受け取り、ぎこちないけれども笑みを浮かべる。
「ミカエル様、お勉強の方はどうです?」
「うん、頑張ってるよ。最近は歴史を勉強してる」
「まあ、素晴らしいですわ。偉大なる帝国の歴史を知る事は良い事です」
歴史に手を付けたのは、この世界がどういう世界かという事を知るのに役立つからだ。情報収集という目的があったので熱心に取り組んだわけだが、周りから見れば歴史の勉強に熱心な子供にしか見えないらしい。
元々、この世界には人間がいた。原始人から進化を繰り返し、文明を発展させてきた人類はある日、魔術や錬金術を駆使し、遺伝子操作を行って獣人を生み出した、とされている。
労働力として獣人を作り出したのか、それとも奴隷にするためか、理由は定かではない。
けれども人類の栄華はおよそ120年前、唐突に終わりを迎えた。
人間に隷属する獣人たちだけを遺し、唐突に人間だけが姿を消したというのだ。その原因は現代においても明らかとなっておらず、世界規模の大災厄が起こっただとか、人間同士の戦争で滅んだなど諸説ある。
ちなみに部屋にある歴史書には”神が愚かな人間を滅ぼした”と記載されており、別の歴史書に変えようか真面目に悩んでいる。今欲しいのは限りなく正確な情報なのだ。陰謀論じみた情報はノイズでしかない。
「本当に偉いですわ、ミカエル様」
「本当?」
「ええ。家庭教師をつけてもらえなくても、ご自身で努力する大切さを知っていますもの」
ほんの少し、レギーナは悲しそうに言った。
俺―――ミカエルには、4人の兄姉が居る。
彼らには専属の家庭教師や剣術の師範がついている。父上が選び、雇ってきた人たちだ。幼少の頃から良質な教育を受けた姉上や兄上たちは既に頭角を現しているようで、将来は騎士団への入団や法務省への就職、首都に居るような大貴族との婚姻が約束されているらしい。
もうエリートのレールに乗ったというわけだ。
さて、そんな兄姉たちの末っ子として生まれたミカエル君であるが……他の兄姉たちとは異なり、専属の家庭教師も剣術の師範もいない。
食事の時間になって広間に行っても自分の分だけ食事が用意されておらず、没落したとはいえ貴族に相応しい立派な服も買ってもらえない。だから食事はレギーナが部屋まで持ってきてくれるし、服だってレギーナが買ってきてくれたものや、兄上たちのお下がりで何とかしている。
窓の外を見た。
雪がちらほらと降り始めた寒空の下、訓練用の剣がぶつかり合う音が響き渡る。屋敷の中庭では長女”アナスタシア”と長男”ジノヴィ”の剣術の訓練が行われていて、ライオンの獣人として生まれた兄姉たちが鎬を削り合っていた。
そう、兄姉は―――父上と母上は、ライオンの獣人。
それで末っ子として生まれた俺は、ハクビシンの獣人。
これが何を意味するか、察しの良い人は分かってくれると思う。
突然変異、というわけではない。
というのも、基本的に獣人の子供がどの動物の獣人として生まれてくるかというのは、両親の遺伝に左右されるからだ。
兄上や姉上たちは分かる。両親がライオンの獣人だから、美しい金髪を持つ百獣の王、その獣人として生まれた。
では、何故俺だけはハクビシンの獣人として―――卑しい害獣の獣人として生まれたのか?
理由は単純明快。俺、ミカエルは父上と”誰か”の間に生まれた庶子だからだ。
ちらり、とレギーナの顔を見上げた。このリガロフ家で雇われているメイドのうち、ハクビシンの獣人であるのはレギーナだけ。いや、俺が生まれる前にもハクビシンのメイドが居た可能性はあるが……今のところ、もしかして俺の本当の母親はレギーナなのではないか、と考えている。
そうでなければ庶子として、忌み子として冷遇されている俺にここまで優しくしてくれる理由がない。
まあ、今のところ確証はないので何とも言えないが……随分とあれだな、魔王様。家族からの愛情もクソも無い環境に転生させてくれたもんだな、ええ?
形式上は両親となっている家族に、そして姉弟にまで疎まれ、冷遇されながら7年も過ごしてくれば性格もひねくれてくるというもの。とはいえ中身は一応社会人だったのでそれなりに受け流しているが、心の奥底にどす黒い何かが沈殿していくのが分かる。
レギーナがこうやって接してくれなければ、どうなっていた事か。
こんな待遇なので、もちろん家督の継承権はない。というか家族から”居ない者”として扱われているからそんなん当たり前なのだが。
なのでやる事と言えば部屋で歴史書とかを読み漁ったり、独学で魔術の理論―――なんかこの世界の魔術は宗教が関係しているらしい―――を勉強したり、こっそり窓から屋敷を抜け出してスラムへ遊びに行ったりしている。
特に後者のおかげで、屋根の上を走り回ったり塀を飛び越えたりするのはお手の物だ。元々ハクビシンがそういうのを得意とする動物だからなのかもしれないが、この調子でいけばパルクールも習得できるかもしれない。
さて、今日は何をするか……レギーナ以外に話し相手も居ないし、もう少し歴史書を読んだりして時間を潰すか。
冷遇されているのはアレだが、裏を返せば貴族によくあるしがらみに捕らわれない、自由な生き方ができるという事だ。冷遇上等、こっちは時間がたっぷりあるんだ。せいぜい今のうちに知識と技術を身に着け、こんな屋敷出て行ってやるさ。
それに、俺には魔王様から貰った”能力”もあるからな……。
大書庫の本棚から魔術の教本を引っ張り出し、台の上から降りて自室へと向かう。
いくら自称”魔王”から例の能力―――現代兵器を自由に生産する能力を貰ったとはいえ、それに頼りっきりというのも問題だ。万一その能力が機能しなくなったり、能力に頼らない戦いを強いられた場合に打つ手が無くなる。
それに―――他人から与えられた借り物の力でイキるというのも、個人的に性に合わない。やるなら努力して勝ち取った力でイキり散らしたいものだ。
というわけで、こういう地道な努力は怠らない。今の自分の身体に見合ったトレーニングを続けて基礎体力の向上に努めているし、魔術の基礎知識や理論についても勉強している。
大書庫の扉を閉め、階段を上り始めたその時だった。
「お、卑しい害獣のご登場か」
「……」
偉そうに腕を組み、やけに豪華な装飾で飾り立てられた服に身を包んだ金髪の少年が、階段の踊り場からこっちを見下ろしていた。剣術の訓練にこれから向かうところなのか、腰にはこれまた随分と立派な、黄金のロングソードを下げている。
子供用のサイズだから何と言うか威厳がないし、あんなにこってりと装飾されてたら実用性にも支障をきたしそうなのだが……まあ、威張り散らしたいならそうすれば良いのではないだろうか。
「兄上」
「お前みたいな害獣の弟なんて居ないよ」
ライオンの獣人―――リガロフ家の次男、マカール・ステファノヴィッチ・リガロフは突き放すように言った。
「これはこれは、失礼いたしました。相変わらず態度の大きさだけは冴え渡ってますね」
「なに? お前、卑しいハクビシンの分際でこの俺に―――」
「これから剣術の訓練でしょう? 卑しい害獣と口論したいなら受けて立ちますが、そんなことで時間を潰して師範のお顔に泥を塗ってもよろしいので?」
「ぐっ……」
相変わらず、兄上は時間にルーズだ。
長男のジノヴィや長女のアナスタシアは時間厳守を徹底しているが、次男のマカールはそうでもない。まあ、俺よりも色々と恵まれているという点は認めるが、親の七光りに頼っているところが少々目立つ。
ウチは没落してるんですよ、兄上。祖先は救国の英雄だと聞いていますが。
「ほら、行くならどうぞ」
「……調子に乗るな、害獣が」
負け惜しみを吐き捨てた兄を鼻で笑い、魔術の教本を抱えて階段を上る。
足音が遠ざかっていったのを見計らい、今ではすっかり口にする事の無くなった言語―――かつての母語、日本語でそっと吐き捨てる。
「死ねやクソが」
おっといかん、ついつい汚い言葉が。
今の俺は貴族なのだ。没落したとはいえ、それなりに言動には気を付けなければ。
自室へ戻り、絨毯の上に座り込んで教本を開く。
この世界の魔術は、宗教と親密な関係にある。世界各地には様々な属性を司る神や精霊、英霊を信仰する教会が存在しており、そこで洗礼を受ける事によって、その神々が司る属性の力を行使する事ができるのだという。
例えば、炎を司る神を崇める教会で洗礼を受ければ炎属性の魔術が使えるようになる、といった具合だ。これには更に生まれ持った各属性への適性や信仰心も影響してくるようで、装備でも多少は補う事が出来るらしい。
このように信仰心が重要になるので、原則として無神論者は魔術を使う事が出来ない。
「宗教、か」
前世の世界に居た頃にはあまり関心がなかったが……こっちの世界では無関係ではいられないようだ。
力をつけるためにも、今のうちに知識を学んでおこう。そしてもう少し成長したら、レギーナにでもお願いして教会に連れて行ってもらうとしよう。
どうせ、両親に頼んでも相手にされないだろうから。