鋼鉄の巨人、前へ
ベラシアは、日本と比べると湿度が低い。
空気も乾燥気味で、だから日本の夏と比較するとかなーり過ごしやすい場所だ。
とはいえ何も対策せずにいれば当然暑い。それが歩兵戦闘車の兵員室で、しかもすぐ右隣にパワーパックが収まっているならば猶更だ。
エアコンの目の前で快適そうに過ごしながら、作戦開始前に持ち込んだ漫画を読むルカ。もっふもふの髪の毛が、エアコンから送られてくる冷たい風に揺れている。
BTMP-84の兵員室に、俺たちは初めて乗り込んだ。
戦車の車体を拡張、兵員室を追加して歩兵戦闘車とするなど前代未聞だ(一応、ウクライナの試作車両に同様の発想で開発された”BMT-72”がある)。確かに頑丈な戦車と歩兵を乗車させられる運搬能力が組み合わされればより柔軟な運用ができる兵器にはなりそうだが、しかし強引な組み合わせは必ずどこかにしわ寄せがいくものである。
BTMP-84の兵員室に乗せられる人員は本来5名。けれども人数の少ない血盟旅団では、そんなに乗せる事は想定していない。というか、操縦要員3人に加えて兵員室にメンバーを5人も乗せてしまったら、その合計8人を戦えるメンバーと仮定すると、列車にノンナ1人を残す事になってしまう。
さすがにそれは拙いという事で、鹵獲したこのBTMP-84は徹底的な改修が加えられ、”血盟旅団仕様”と呼ぶべき代物に仕上がっている。
歩兵5名を乗せられる兵員室は構造が見直され、居住性が改善されている。エアコンに加えて簡易ベッド、食料保管ボックスと武器の入った簡易ロッカーも設置され、おまけに紅茶沸かし器まで設置された。これで長時間の作戦行動でも快適に過ごす事が出来るが、その代わり兵員室に乗れるのは2名までとなっている。
というか、紅茶沸かし器に備え付けの茶葉まで用意されていて、紅茶原理主義者であるパヴェルからの凄まじい圧力を感じるのは気のせいだろうか。コーヒー派ミカエル君はガクブルである。
《間もなく作戦展開地域。降車用意》
スピーカーからパヴェルの声が聞こえ、反射的にAK-19に手を伸ばす。
ルカも読んでいた漫画に栞を挟み、AK-102を掴んだ。安全装置を解除しセレクターレバーを最下段のセミオートに入れ、コッキングレバーを引いて薬室へ初弾を装填。いつでも発砲できる状態にする。
《初弾装填、弾種榴弾》
《了解、弾種榴弾》
エンジンの音に混じって、自動装填装置の駆動音と金属音が聞こえてきた。
ウクライナやロシアの戦車は、砲弾を床に円形に敷き詰める方式を採用している。その中から装填したい砲弾を選択すると、砲弾と装薬が装填されていく構造となっている。
まあ、この方式のせいで湾岸戦争では被弾した戦車の砲弾が誘爆する事例が多発して、砲塔が吹っ飛ばされる羽目になったのだそうだ。西側の戦車兵には『びっくり箱』なんて揶揄されたのだとか。
そろそろかな、と思っていると、パヴェルの号令が聞こえてきた。
《撃て!》
ドムンッ、と重々しい砲声が兵員室の中にまで聞こえてきた。この手の爆音になれている俺はともかく、まだ不慣れなルカがびくりと身体を震わせる。
今の一撃で俺たちの仕事まで全部持って行かれてなきゃいいけど。
《降車開始》
「了解」
行くぞ、とアイコンタクトでルカに訴え、兵員室のハッチを解放した。BTMP-84の車体後部にあるハッチが解放され、ゆっくりと後方に流れていく草原と、地平線の彼方の原生林が見えてくる。
躊躇なく降車、銃を構えながら前方を睨んだ。
さっきの榴弾―――多目的対戦車榴弾による砲撃は、かなりの効果を上げたらしい。
前方の廃村からは濛々と黒煙が上がっていた。どうやら砲弾は、廃村の真ん中にある教会に直撃したようで、黒煙の中へと崩れ落ちていく尖塔がここからでもよく見えた。
土砂降りのように降り注ぐ瓦礫に押し潰され、廃村を根城としていた魔物たちが次々に瓦礫の中へと消えていく。
前進しながら機銃を射かけるBTMP-84。主砲同軸の機銃は主に弾薬の規格を統一するため、日本製の74式車載機関銃に換装されている。だから使用弾薬は7.62×54R弾ではなく、7.62×51mmNATO弾だ。
車長用のハッチから身を乗り出したパヴェルが、防盾と一緒に備え付けられたブローニングM2重機関銃を掴んで制圧射撃を開始。砲手用ハッチの前方に搭載されている小型の銃塔も起動し、内蔵されている74式車載機関銃を用いた射撃が始まる。
あの銃塔、車内から遠隔操作できる優れもので、パヴェル曰くロシアの装甲車『MT-LB』の銃塔を改造したものなのだそうだ。
しかも遠隔操作を担当するのは砲手……ではなく、まさかの操縦手。『運転するだけじゃつまらないだろうから』というとんでもない理由で追加されたものらしいが、操縦手は車両の運転に専念して然るべきではないだろうか。アレか、手が空いたら撃ってねという軽いノリなのか。
軍隊と違って物量を用意できないから、1つの兵器に色々と詰め込んだり火力マシマシにする理由は何となく分かる気がするが……まあいいか、強いし。
ともあれ、7.62mm機銃×2、12.7mm機銃×1の制圧射撃は凄まじく、砲撃を受けた廃村を根城としていたゴブリンたちが次々に地飛沫を発して倒れていった。7.62mm弾に撃たれて肉を抉られるならばまだ良い方で、12.7mm弾に被弾した奴はとにかく悲惨だった。まるで手榴弾でも飲み込んだかのように破裂してバラバラになってしまうのである。
BTMP-84の後ろに隠れ、じりじりと進撃する鬼戦車BTMP-84(※戦車じゃありません)と共に進撃する俺とルカ。やがて廃村がすぐ近くに迫ってきたところで、機銃掃射がぴたりと止まった。
俺たちの出番だ。
「いくぞ」
「う、うん」
俺にしっかりついて来い、とルカの肩を軽く叩き、BTMP-84の影を飛び出した。ハッチから身を乗り出していたパヴェルが親指を立てて見送ってくれたので、俺も彼に親指を立ててから廃村へと突入する。
さて、今回のお仕事はミリアンスク郊外にある廃村の制圧だ。気が付いたらゴブリンが住み着いて、近隣の農村が被害にあうようになったらしい。
人里離れたところに生息するゴブリンならばまだいいが、人里近くに巣を作ったゴブリンはこれ以上ないほどの害悪だ。肉食で人を食うし、女性を見つけると繁殖のために巣に連れて帰る。そこから先はここでは言えないのでご想像にお任せするが……まあ、多分その想像で正解だと思う。
壊れかけの柵を飛び越え、廃屋の壁に背をついて呼吸を整えた。遅れてやってきたルカと合流し、物陰から廃村の中を覗き込む。
最初の砲撃と機銃掃射がかなり効いたらしく、村の中は瓦礫と死体の山だった。
肉の焦げる臭いに血の臭い。井戸の近くには砲撃で火傷を負ったと思われるゴブリンがいて、大やけどを負った左半身をこっちに晒しながら、身体を引き摺るように井戸の方へと向かっていく。
せめて水を飲もうとしているのだろう。
そいつに向かって、AK-19を撃った。
リューポルド社のドットサイト『LCO』の向こうで、ゴブリンの側頭部に風穴が開いた。人間の頭よりもずっと小さく華奢な頭蓋骨が砕け、命を刈り取られたゴブリンが、そのまま井戸の中へ転落していく。
それを合図に、ルカを連れて廃屋の影を飛び出した。そのまま広間目掛けて突っ込み、建物の中から這い出てくるゴブリンたちを続けざまに撃つ。コッキングレバーが前後し、5.56mm弾の薬莢が飛び出す度に、レティクルの向こうではゴブリンたちが死んでいった。
負けじとルカも射撃を開始。石の棍棒を片手に突っ込んでくるゴブリンを狙うけれど、相手がジグザグに走ってくるせいで狙いが定まらないらしい。それでも実力か、あるいは単なる幸運か、ゴブリンの肩口に5.56mm弾をぶち当てたルカは、そのまま怯んだゴブリンを追撃。胸板、腹、そして眉間に次々に命中させ、討伐に成功する。
ルカ単独での初戦果だった。
二度目の実戦ともなれば、初陣に比べて落ち着きもするだろう。魔物が姿を現す度にテンパっていたルカは、今ではまだ慌て気味ではあるけれど落ち着いた印象を受ける。
市街戦の様相を呈してきたところで、ふと背筋に冷たい感触が走った。
以前、パヴェルがこんな事を言っていた。『死神に魅入られた者は、時折”戦場の声”を聴く事がある』と。
数多の人間の命を奪った死神が、まだ死期には早い人間に迫る死を忠告してくれるのだそうだ。
果たしてこれが彼の言う”戦場の声”なのかは定かではなく、単なる第六感、あるいは獣人が持つ鋭敏な危機察知能力である事を祈りたいが―――これ以上ないほど嫌な感覚を覚えた次の瞬間には、俺は反射的にルカを突き飛ばしていた。
「いてっ……な、何すん―――」
ドッ、と俺とルカの間に、槍が突き刺さる。
木材を削った槍だ。先端部には割れた石を研いで鋭利にした石器が取り付けられている。
ハッとしながら槍の飛んできた方向へ視線を向けた。元々は村長の家だったのか、村の中に佇む廃屋の中でもひときわ大きな家がある。ちょっとした小さな尖塔のようなものまでついているんだけど、そこにある窓から身を乗り出したゴブリンが、槍を構えてこっちに投擲する素振りを見せていた。
2本目を投げられまいと、尖塔に向かって制圧射撃。ルカはまだ目標を捕捉していないようだけど、俺が撃ってるからなのだろう、空気を読んで同じく尖塔へ射撃を始めた。
ゴブリンは魔物の中で知能が高い部類である、とされている。
さすがに人語を理解し共存しようと考えるほどの頭は持っていないようだけど、ああやって岩を削って棍棒にしたり、鋭利な石器を使って戦ったり、戦死した冒険者の武器を鹵獲して使ったりと、少なくとも原始人並みの知能はあるらしい。
侮ると危険な相手だ。
「”コサック”、コサック、聞こえるか」
コサック―――BTMP-84につけられたコールサインを呼ぶと、パヴェルの声が聞こえてきた。
『こちらコサック。なんだ、ヒッチハイクのリクエストか』
「砲弾の配達を頼みたい。ひとつ派手にやってくれ」
『了解。モニカ、榴弾装填』
『了解!』
ディーゼルエンジンの唸り声と共に、オリーブドラブ、ブラウン、サンドカラーの3色のデジタル迷彩で塗装されたウクライナの試作歩兵戦闘車が、土台の腐った納屋を派手に踏み潰し、突き破りながら姿を現した。
ガラガラと崩れる木材を履帯で踏み潰し現れたBTMP-84の、追加装甲マシマシの砲塔がゆっくりと旋回。村長の家を砲口が睨みつける。
「ルカ、耳塞いで口開けろ!」
射撃を中断して耳を塞ぎ、頭の上にあるケモミミをぺたんと倒す。その状態で大きく口を開け、砲撃の瞬間に備えた。
直後、バオンッ、とウクライナ製の125mm滑腔砲が火を噴いた。
発射された多目的対戦車榴弾は村長の家の尖塔、その付け根のところを直撃して炸裂した。重々しく、腹を揺るがすような爆音が響き、爆風と破片が戦闘に居たゴブリンを呑み込み、引き裂いていく。
「サンキューコサック!」
『一発100万ライブルになります』
高っ。
勘弁してくれ、貯金がごっそり持ってかれてしまう。
脅威を排除したところで、ルカを連れて建物内の索敵に入る。
ドアを蹴破って突入、埃だらけの建物の中を索敵する。とはいっても建物の中にはかつての住人たちの生活の痕跡が微かに残る程度で、何も無い。
建物を出てからダンプポーチに手を突っ込み、スプレー缶を取り出す。工事現場とかでマーキングや塗装に使っているスプレーだ。
スプレー缶を良く振って、入り口のドアのところに『おk』と書き込んでく。
「ミカ姉何それ」
「魔法の言葉だ」
「???」
さて、次行こう。
武器をAK-19からMP17に持ち替え、隣の建物のドアを蹴破る。我先にと飛び込んでいったルカが俺の見様見真似で、建物の中の索敵を始めた。
「誰もいない」
「本当に?」
「うん、何も―――」
本当だろうか。
ルカが警戒心を解いてこっちを向いたその時だった。
天井に開いていた穴から、傷だらけのゴブリンがルカ目掛けて落下してきた。
「え―――」
おそらく、屋根裏部屋に隠れていたんだろう。
警戒心を解いていなかったおかげで、俺は即座に反応できた。
パスッ、とMP17が静かな銃声を発する。銃口に取り付けられたオスプレイ・サプレッサーが9mm弾を吐き出し、ゴブリンの胸板を直撃した。
せめてルカだけでもと闇討ちを狙ったゴブリンの目論見は頓挫し、被弾したゴブリンが呻き声を発しながら床の上に転がる。
『ギェッ、ギェェェェェェェェッ!!』
「……ッ!?」
「詰めが甘いぞルカ」
油断した彼をそう咎めながら、苦しむゴブリンの胸板に2発、眉間に1発、9mmパラベラム弾を撃ち込んで介錯する。
動かなくなったゴブリンを一瞥し、ルカと一緒に外に出た。
廃村でのゴブリン掃討が終わったのは、それから30分後の事だった。




