新しいビジネス
《―――それでは次のニュースです。ミリアンスクの中央美術館に侵入した何者かが、同館にて一般公開されていたスピリドン・ガヴリロヴィッチ・テレシュコフ氏の絵画『飛竜の恵み』を盗み出した事件で、ベラシア当局はこの一連の犯行を共産主義者によるものと断定しました》
こんがりと焦げ目のついたトーストにバターを落とし、その上から蜂蜜をたっぷりとかけていく。
バターの香ばしい香りに蜂蜜のねっとりと甘い匂い。まだ脳味噌が寝ぼけがちな朝には、やはり大量の糖分を摂取するのが最も効果的である。少なくとも脳内の二頭身ミカエル君ズはそう声高に主張していて、さっきから「糖分よこせ糖分よこせ」と大合唱を繰り返していてやかましい事この上ない。
「どうぞご主人様、ミルクです」
「ああ、ありがと」
マグカップをクラリスから受け取って、最初にミルクを一口。
転生前ミカエル君はあまり牛乳が好きじゃない……というより嫌いで、幼稚園の頃は一滴も飲めなかった。頑張って飲んでもすぐ吐いてしまい、無理に飲むと腹を下してしまうというレベル。身体を構成する全細胞が牛乳の摂取を拒否しているかのような有様だった。
でも今は新しい身体になったからか、それとも味覚が変わったのか、あんなに嫌だった牛乳はすんなりと受け入れる事が出来ている。朝は普通のミルク、寝る前はホットミルク。コーヒーとかでも良いけど糖分&ミルクマシマシのクソ甘ミカエル君仕様じゃなきゃ喉を通らない。
サクサクのトーストを口へと運んでいると、ラジオの向こうのアナウンサーは昨夜の事件を淡々と語り始めた。
《共産主義者は慢性的な資金不足に喘いでおり、今回の美術館襲撃で絵画を換金、資金調達に利用しようとしていたと見られています。逃走する強盗犯を追撃した憲兵隊は共産主義者の拠点にて銃撃戦となり、この戦闘で6人が重軽傷を負い病院に搬送される事となりました。構成員は全員強盗及びその幇助、公務執行妨害の容疑で逮捕され、当局は負傷した6名に対しても尋問、捜査を行う方針です。しかし盗難の被害に遭った絵画は未だ発見されておらず―――》
結局、全てはこちらの目論見通りになった。
当局は今回の強盗事件を共産主義者による資金調達のための犯行と断定し、徹底的な捜査を行っていくだろう。しかし現場に踏み込んだ憲兵のうちいったい何人が、全ては第三者が当局を欺くための囮として彼らを利用したと見抜くだろうか。
目的の絵画は回収、おまけに厄介事の種でありウロボロスを支援している共産主義者に打撃を与える事にも成功した。
絵画の方は昨晩の夜、パヴェルの知り合いを介して無事に依頼主の元へと送り届けられたらしい。到着が確認でき次第、報酬が支払われるとの事だ。
なんだかんだでこれが、俺たちの”強盗ビジネス”の第一弾。パヴェルの予想通り、これは確かに大きな金になるかもしれない……もちろん標的は悪人のみに制限するが。
悪人を痛い目に遭わせられるし、おまけに多額の金まで手に入る。これはなかなか美味しい話である。
朝食を済ませ、洗面所で歯を磨いてから射撃訓練場へ。
射撃訓練場のドアにはプレートがある。誰もいなければ『空室』という蒼いプレートが、誰かが使用していれば裏面にある『使用中』という赤いプレートが表示されている。
プレートの色は赤く、防音性の高い素材で作られているドアの向こうからは、微かに銃声が漏れていた。
やってるな、と思いながらクラリスと一緒に中に入る。
ベースボールキャップを被ってケモミミを覆い、その上から射撃訓練用のイヤーマフを装着してレーンにつく。
隣のレーンでは、ルカとモニカが射撃訓練に勤しんでいるところだった。特にモニカは強盗から一夜明けて疲れているだろうに、訓練に余念がない。
普段は貴族とは思えないほどフランクなモニカだけど、根は真面目で努力家なのだ。向上意欲は極めて高く、己の力になると判断すれば貪欲に取り組む、それがモニカである。
トリガーハッピーな(MG3の連射で逝きかけるとか前代未聞である)彼女らしく、手に握られているのは通常のハンドガン……ではなく、マシンピストルとして開発されたグロック18Cがある。
銃本体が軽いことと、連射速度が鬼のように速いことの相乗効果で扱いは難しいが、それを解消するためなのか、モニカのグロック18Cには反動軽減用の大型コンペンセイターを、そして射撃時の保持を確実にするため、『Flux brace』と呼ばれる伸縮式ストックを装着している。
隣で拳銃の訓練をしているルカの手にあるのは、ベースとなったグロック17。今のところ特にカスタマイズされておらず、そのままの状態だ。
何だろう、血盟旅団のサイドアーム界隈にグロックの波が来ている。
俺の左隣のレーンで射撃訓練を始めたクラリスの手の中にあるのも、まさかとは思ったけどグロック18C。当たり前のようにロングマガジンを装着したそれを、涼しい顔でフルオート射撃するクラリス。
反動が大きく扱いにくい、という評価を鼻で笑うかのようだ。彼女の手の中で火を噴き、スライドを前後させるばかりのグロック18C。その銃口は発砲中だろうと、1mmたりともブレていない。
仕掛けは分かっている。クラリスの場合、強靭な筋力で反動を強引に抑え込んでいるのだ。すなわち力業である。
そんなんアリかい、とツッコミながら、メニュー画面を表示して召喚したMP17にサプレッサーを装着した。角張った形状が特徴的な、”オスプレイ・サプレッサー”と呼ばれる代物だ。
サプレッサーの装着を終えてからストックを伸ばして構え、レーンにある訓練開始のボタンを押す。イヤーマフ越しにブザーが響くや、レーンの向こうで的が次々に起き上がり始めた。
パスパスッ、と空気の漏れるような音を奏でながらスライドが前後し、9mm弾が次々に放たれていく。
人型の的には致命傷にならない部位に叩き込み、ゴブリンを模した魔物を意味する的には問答無用のヘッドショット。人質には当てないよう、後ろの犯人みたいな的にだけ9mm弾を叩き込んでいく。
日課の射撃訓練を繰り返し、訓練用のマガジンが空になるまで続けてからマガジンを取り外す。スライドを引いて薬室内に弾丸が残っていない事を確認し、安全装置をかけホルスターへ。
「ミカ姉すっげー……」
後ろで射撃訓練を見守っていたルカが目を輝かせながら言った。
「お、おう、ありがとう」
「百発百中じゃん! すげーよ、”セーブゲキ”の”ガンマン”みたい!」
「……お前それどこで覚えた?」
「パヴェルが映画見せてくれた」
そ、そうか……。
何だろう、そのうちゴッテゴテに装飾が施されたシングルアクションアーミーを持ち出しそうで怖いと思うのはミカエル君だけだろうか。
いいかねルカ君、よく覚えておきたまえ。
装飾には何の戦術的優位性も無いんだぞ、いいね?
「いいなぁ、俺もミカ姉みたいに強くなりたい」
「うふふっ。ルカ君は頑張り屋さんですからきっとなれますわ。ねえ、ご主人様?」
「ん? お、おう、ルカは努力家だし、俺も追い抜かれないように気を引き締めないと」
コイツ、意外と負けず嫌いなところがある。
前にも言ったけど、そういうヤツは周りに触発されて貪欲に努力を繰り返すので、かなり伸びる傾向にある。
イヤーマフを返却し、後ろで射撃訓練を見守ってくれていたクラリスを連れて、射撃訓練場を後にした。
3号車にあるドアを開け、レンタルホームに出る。
列車の先頭に連結されていた警戒車が分離した状態で、貨車をぐいぐい押してくる姿が見える。あの車両もまた、きっとパヴェルがどこからか買い付けてきた中古の車両なのだろう。いくら彼でも貨物車両をゼロの状態から自作するなんて真似はしない筈だ……しないよね?
やがてレンタルホームに停車している列車の後方からやってきた警戒車は、新しく持ってきた2両の貨車を列車に連結すると、連結部を切り離して後方にバックしていった。今度は事前に切り離していた格納庫2両を押し、列車に連結するためだ。
シスター・イルゼが運転する警戒車の作業の様子を見守っていたパヴェルが、俺に気付いたようで手を振った。
「……”例のビジネス”の準備か?」
「そうとも」
連結されたばかりの中古車両には、やはり正規の契約を経て購入したもののようで、でかでかと『Солд(売約済み)』と記載されたステッカーが貼りつけられている。
パヴェルは早速それを剥がすと、手の中でぐしゃぐしゃに丸めながらこれからのビジネスについて語り始めた。
「せっかく各地を旅する冒険者なんだ、行商人みたくいい商売しないとな」
以前から、ギルド内の会議でたびたび議題に上がっていた事だ。
俺たちは特定の拠点を持たず、広大なノヴォシア帝国の版図を行き来する冒険者である。常に仕事を求めて各地を移動し、仕事の対価に報酬を貰い生計を立てる、戦場の遊牧民なのだ。
しかし常に仕事に恵まれているかと言われれば割とそうでもなく、地域によっては仕事が全くなかったり、他のギルドに先を越されてしまい見込まれた利益が手元に入ってこない、というアクシデントも多々あるのがこの業界。安定した収入は無く、ドカンと稼いでドカンと消費、そういう仕事だ。
収入が安定しない以上、より低リスクで確実な利益が見込める”副業”を求めるのは当たり前の事である。
冒険者の仕事に廃品回収、そして裏稼業である強盗ビジネス……色々とヤバい業界を渡り歩いてきたパヴェルが次に選んだビジネスは、意外にも真っ当なものだった。
旅をしながら仕入れた品物を、遥か遠方の地で売り捌く―――そう、『行商ビジネス』である。
ノヴォシア帝国は広大で、その地域の多くは少数民族などの共同体が住む中小国群。それを束ね上げたのがノヴォシアと言ってもいい。
それだけ多種多様な民族がひしめき合う国であれば、当然ながら文化もまた多様性に富む。今いる地域ではごくありふれた物が、遠方の地では非常に珍しく高値で取引される品に早変わり……という事態も起こり得るわけだ。
そしてそれは、パヴェルの情報収集能力を以てすればかなりの精度でどれだけの利益が見込めるのかも予測できるらしいので、損失を被る可能性はかなり低いというわけだ。
世の中金が全てとはよく言ったものだが、勝利への近道は金を稼ぐ環境を整えている奴である。
「つっても、行商人の真似事をやってるのは俺たちだけじゃない。今から他のギルドのシェアを奪うのは難しいのでは?」
「かもな」
「じゃあどーすんだよ」
「コツコツやってくのさ。ちょっとずつルートを開拓していくんだ。商売ってのはそんなもんさ」
「長い道のりになりそうだな」
「”千里の道も一歩から”だぞ。なあに、今じゃあ血盟旅団の名も多少は知れ渡ってる。そのネームバリューに少し期待してみよう」
「それもそうだ……ところで品物の運搬に使うのは2両ともか?」
「いや、片方は格納庫に改造して車両の収納に使う」
「何を収納するんだ?」
「バイクとか、そういう小回りが利く系車両の格納庫にするつもりだ。あった方が良いだろ、バイク」
「確かに」
正直、車では小回りが利かないと思った事は多々あった。
機甲鎧では動きが鈍重だし、市街地での運用は注目を集めてしまう事もあって好ましくない。悪路に強く小回りの利くバイクとか自転車は欲しいところだ。
自転車なら普段の買い出しにも使えそうだし、運動にも最適だろう。
「とはいっても、機関車の馬力的にも車両の追加はこの辺が限界かもな」
「……前は客車ばっかりだったのにな。俺たちもここまでデカくなったのか」
なんだか感慨深い。
血盟旅団が発足したばかりの頃は、メンバーと言えば俺にクラリス、パヴェルの3人だけ。列車も機関車と客車だけという、文字通りの弱小ギルドだった。
それが今ではどうだろうか。
立派になった列車に強力な兵器、そして信頼のおける仲間たちも加入して、血盟旅団は確実にだが、冒険者界隈でその勢力を伸ばしている。
もちろん今のままで満足するつもりはさらさらない。
もっと上を目指せるはずだ。
もっと上を、更に上を。




