飛竜の恵み
《”フィクサー”より各員、スカイゴーストが出撃した》
JS9mmに装填した9mm麻酔弾のセミオート射撃で警備兵をまた1人まどろみの底へと叩き落したところで、無線機からそんな声が聞こえてきました。
パヴェルさんの声です。
”スカイゴースト”―――パヴェルさんが開発を進めていた”偵察機”という新兵器のコードネームである事を思い出し、ふと窓の外に視線を向けました。ミリアンスクの空を覆う巨大なグラスドーム越しに星空が見えますが、しかしそれ以外には何も見えません。
空の幽霊とはよく言ったものです。
それにしても、まだ信じられません。飛竜や鳥でもないのに、鋼鉄の機械が空を飛ぶなんて。
ご主人様から聞いた話では、アメリア合衆国にいる”ライト兄弟”という技術者たちが、旧人類の技術を応用しつつ独自に”空を飛ぶための機械”の開発に勤しんでいると聞きました。もしそれが実用化されれば、きっとこの世界もまた変わるのではないでしょうか。
しかしそんな彼らに先駆けて、パヴェルさんは空を飛ぶ機械―――”飛行機”をこうして実戦投入してみせたのには驚きました。しかもパイロットが乗り込んで操縦するのではなく、列車からの遠隔操作、つまり無人機です。
開発計画を聞いた時は耳を疑いましたが……けれども、空から無人機が常に見張っていてくれるというのは心強い限りです。素早く正確な情報は、相手に先んじる手段であり生命線ですから。
眠らせた警備兵を隠している時間はありません。
魔導ゴーグルが提供する灰色の視界の中、紅く輝く線がいくつか見えました。天井から照射されているそれは、およそ3秒間隔で照射する角度を変え、侵入者を探るような動きを見せています。
あれが感知結界なのでしょう。
通常時の美術館全域をカバーし、侵入者の心拍数の上昇を感知するものではなく、触れた物体を感知し警報を鳴らすセーフモード仕様。消費電力を少しでも軽減するため結界の数は減っていますが、しかし要所要所をカバーするよう工夫を凝らしているようで、なかなかいやらしい配置になっている事が分かります。
「うわ、これのどこがセーフモードよ。がっちりカバーしてるじゃないの」
モニカさんがLAD機関銃を腰だめで構えながら悪態をつきました。
SMGとハンドガンで武装したクラリスと、刀と投げナイフで武装した範三さんと比べ、モニカさんは重装備です。
拳銃弾を使用するLAD機関銃(しかも特注の300発入り弾薬箱を搭載)に加え、サイドアームはフルオート射撃に対応したグロック18C。とにかく弾丸をばら撒き相手を制圧する事に特化した装備となっていますが、それもそのはず、彼女が真価を発揮するのはこちらの侵入が敵に露見し銃撃戦となった時。大量の弾丸をばら撒いて相手を制圧し、反撃を封じると同時に離脱する時間を稼ぐことがモニカさんの役目なのです。
それはトリガーハッピー気味……というか、フルオート射撃に快感を感じているモニカさんの気質に合致していると言っていいでしょう。
強盗時の彼女のタックネーム『バレット』はここからきているのです。
2階に上がり、目的の展示室を目指します。が、入り口には左右に動く結界があり、侵入者がいないか3秒間隔でスキャンしているようでした。
《スカイゴーストより各員、メンテナンス基地C-3に警備兵が移動を開始。到着までおよそ2分》
時間がありません。
意を決して、クラリスが先陣を切りました。結界の移動する感覚を把握してから勢いを乗せスライディングで滑り込むと、展示室へ続く扉をできる限り静かに開け、ちょうど中を巡回していた警備兵に殴りかかります。
殺さないように手加減して顎に右ストレート。これくらいの加減で、この角度から打ち込めば脳震盪を起こすというのはバッチリ把握しています。
「うふん……」
間抜けな声を発しながら崩れ落ちた警備兵。大丈夫、ちゃんと生きています。ご主人様の命令ですし、相手の命までは奪いません。
クラリスはご主人様への忠誠70%と29%の優しさでできているのです。
時間もないので、モニカさんと範三さんが展示室へ突入してくる前に絵画へ向かいました。
一応は絵画の少し前方を横切るように結界が定期的なスキャンを繰り返していましたが、消費電力を抑えるためなのでしょう、結界の本数は1本だけ。潜り抜けるのは容易でした。
JS9mmの保持をスリングに預け、ダッフルバッグの工具用ポケットの中から電動ドライバーを取り出します。
もちろんこの電動ドライバーもパヴェルさんのお手製。何で市販のものを購入しないか、ですって? そんな事をしたら足がついてしまいます。普通のドライバーならまだしも、この世界ではスイッチを押すだけで動いてくれる電動ドライバーはまさに高級品、一般的な労働者ではなかなか手にできません。
なので自作した方が安上がりですし、何より足がつかないのです。
ボルトの穴に先端部を差し込んでスイッチを押し、絵画を守っているフレームのボルトをテキパキと外していきます。いつものクラリスだったら力業でこんな薄っぺらいフレームごときベリベリと”剥いて”しまいたいところではありますが、しかしそんな事をしたら手元が狂って絵画を傷付けてしまう恐れがあります。
芸術的価値の高い作品を傷付けるわけにはいきませんし、何より依頼主もそれを望まないでしょう。
フレームを全部外し、防護ガラスも取り除きました。
《グオツリーより各員、警備兵が予備の部品と工具を取りに行った。同時に電気の一時的な遮断を確認……修理完了まで推定3分》
「了解……グオツリー、十分ですわ。後の監視はスカイゴーストに任せて合流を」
《了解》
ご主人様に合流するよう要請しながら、額縁から絵画を取り外します。
窓の外に佇む飛竜と、屋敷の中から手を差し伸べようとする少女―――決して理解し合うことのない2つの種族の間に芽生えた友情を描いた、遥か昔の画家の最高傑作。絵画の裏面には確かに、スピリドン・ガヴリロヴィッチ・テレシュコフのサインがありました。
持参した円筒型のケースの中へ、丸めた絵画をそっと押し込みます。これで絵画は盗む事に成功しました。後は極力発見されないように―――。
「誰か来る」
電動ドライバーでボルトの穴に外したボルトを戻そうとしていると、モニカさんが警告しました。巡回の警備兵か、それとも気絶、あるいは眠っている警備兵を発見してこっちにやってきたのか……時間短縮のため、無力化した警備兵を隠さず放置してきたのが仇になりましたが、これも想定内、致し方ありません。
銃を構えて戦闘態勢を取ります。
しばらくして、ランタンの灯りが近付いてきました。それも1人分ではありません、複数です。
厄介な、と小さく悪態をつき、銃を構えました。モニカさんも7.62mmゴム弾を装填したLAD機関銃を腰だめで構え、いつでも撃ちまくる準備をします。が、彼女の機関銃にはサプレッサーはありません。彼女が発砲する事は、すなわち銃撃戦の開幕を意味します。
《ララバイより各員、電力復旧まで推定1分》
銃撃戦の開幕は決定的となりました。
推定での時間ではありますが、1分で美術館の敷地内から脱出することは不可能。どう頑張っても庭に差し掛かったところで結界に引っかかり、警報を鳴らす羽目になります。
ならば、と視線を窓の方に移しました。窓には格子状に結界が展開しています。結界はその場で動かずに天井から床へ照射されていますが、その結界間の間隔は非常に狭く、人間の身体ではすり抜ける事は不可能です。
クラリスのように胸が大きい女性ではなおさらです……あ、別にモニカさんへの嫌味ではありませんよ?
なんでしょう、思考でも感じ取ったのか、モニカさんがものすごーく恨めしそうな顔でこっちを睨んでくるんですが……。
そんな彼女へ目配せし、範三さんの方へと頷きます。
もはや侵入の発覚は時間の問題、このまま警備兵に発見されるのを待つよりは、こちらから動いて一刻も早く美術館を離れるべき、という3人の意見は一致しました。
「ララバイ、プランBで行きます」
《プランB了解。ターシィオン、所定の位置へ》
『是。ワタシ仕事ない思ったヨ』
「ご安心を、見せ場はありますよ」
そんな軽口を叩き、3人で窓に向かって突進しました。
こうなればそこに結界があろうが何だろうが関係ありません。
肩を竜の外殻で覆い硬化、結界に飛び込みます。赤い線に身体が触れた途端、けたたましい警報が美術館全域に鳴り響きました。ドタドタという足音と標準ノヴォシア語での警備兵同士のやり取りが聞こえてきますが、それらをすぐにガラスを補強用のフレームや格子ごとぶち破る豪快な音が塗り潰しました。
ガラスの破片を撒き散らしながら庭へと着地。遅れて範三さん、モニカさんも庭へと着地して、戦闘態勢に入りました。
銃撃戦の開演のベルです。
「いたぞ、庭だ!」
「飛竜の恵みが盗まれた!」
「逃がすな、追え!」
「警備兵全員に告ぐ、全武装使用自由! 繰り返す、全武装使用自由!」
これは相手も本気ですね。
早くも庭へと駆けつけてきた警備兵に向かって、クラリスはスタングレネードを投げつけました。安全ピンを引き抜いてから3つ数え、ちょうど警備兵たちの目の前で起爆するようにタイミングを調整したそれは、クラリスたち3人が正門へと向かって踵を返し走り出すと同時に背後で起爆。今まさにマスケットを構えようとしていた警備兵たちの視界と平衡感覚、そして聴覚を見事に奪い去ります。
マグネシウムの燃焼に伴う閃光と爆音を背に、反対側からやってきた警備兵に麻酔弾をお見舞いしました。
眉間に麻酔ダートを撃ち込まれた警備兵がふらつき、マスケットを空へと発砲してから崩れ落ちます。
やはり拳銃弾をベースに改造した麻酔弾なので、充填されている麻酔薬の量も少なく即効性に欠けるのは痛いポイントではあります。
刀を抜いた範三さんが前に出ました。くるりと一瞬で刀を翻すや、峰を相手に向けた状態で刀を振るいます。その太刀筋はクラリスでも目では追えず、相手に至ってはおそらく何が起こったのかも分からぬまま気を失う事になったでしょう。
倭国のサムライ、その剣術の技量には驚かされるばかりです。
続けて、背後で銃声が弾けました。
マスケットの一斉射撃ではありません、モニカさんのLAD機関銃が火を噴いたのです。
拳銃弾を使用するが故に射程は短く、威力も控えめ。機関銃としても、SMGとしても中途半端で扱いにくい代物ではありますが、その控えめな威力と射程もこの距離では意味がありませんし、低い威力はそれだけ相手をうっかり殺してしまう可能性が低いという事。欠点を逆手にとり、強盗用の武器として生まれ変わったそれが、特注の300発入り弾薬箱に収まった弾丸を惜しげもなくばら撒く姿は圧巻でした。
背後からやってきた警備兵たちは、とにかく頭を上げる事が出来ません。迂闊に動いたら被弾するのではないかという恐怖を、見事に彼らに植え付けています。
敵兵の士気を挫くというより、心をへし折る圧倒的弾幕。気のせいでしょうか、モニカさんがものすごく気持ち良さそうな顔をしているように見えますが、それはまあ彼女が変態という事で片付けておきましょう……あ、睨まれた。
《ララバイより各員、スカイゴーストが憲兵隊の出動を確認》
「時間はありませんわね!」
『こちらターシィオン、位置についたネ。3秒後にぶち込むから前方注意ヨ』
前方から押し寄せてきた警備兵の一団。彼らを一掃するつもりなのでしょう。
近くにあった銅像の陰に隠れると、無線機からジョンファ語のカウントダウンが聞こえてきました。
『3、2、1、放!!』
ダムンッ、という砲声が聞こえ、間髪入れずに1発の40mmグレネード弾が飛来しました。
狙撃グレネードランチャー、LG5による砲撃です。近くの建物の屋上に陣取ったリーファさんの支援砲撃なのでしょう。
それは警備兵たちの頭上に到達するや、その中に内包した麻酔ガスを一気に放出し、蒼い煙を美術館の庭に生み出します。その煙を吸い込んでしまった警備兵たちは、まるで子守唄を聴いて眠りに落ちる赤子のように身体の力を抜かれ、そのまままどろみの底へと落ちて行きました。
パヴェルさんお手製の麻酔薬、それをベースに造り上げた麻酔ガスです。
あっという間に風に流され消え去った頃には、いびきを立てて眠る警備兵たちの姿がありました。
脱出するならば今のうち。仲間たちに合図を送り、残弾が少なくなったマガジンを交換しながら前に出ました。
そろそろ正門、というところで、パトカーのサイレンの音が間近まで迫っている事に気付きました。
正門の前に既に2台、パトカーが止まっています。大急ぎで降りてきた憲兵たちが腰に下げたペッパーボックス・ピストルを引き抜くや、クラリスたちの方へとその銃口を向けてきました。
咄嗟に銃を向けて応戦しようとしますが―――それよりも先に、軽快な銃声が立て続けに響き渡り、憲兵たちの側頭部にぐっさりと麻酔ダートが突き立てられました。麻酔薬を血液中へと送り込まれた憲兵たちは、慌ててその射手の方を振り向きますが、しかし新たな敵に銃撃を加えるよりも先に眠ってしまいます。
「―――よう、無事?」
塀の影から姿を現したのは、スーツに黒い革の手袋、そして顔を白いラインの入ったガスマスクで隠した強盗装束姿のご主人様でした。
手には、この強盗のために用意したワルサーP99があります。
「ええ、全員無事ですわ」
「よし、ならとっととずらかろう。運転頼む」
「任せてください」
免許は持っていませんが、華麗な爆走を披露して差し上げますわ。
ドーザーブレードを後付けした共産主義者のバンに乗り込み、颯爽とエンジンをかけます。後部座席と助手席に全員乗ったのを確認してサイドブレーキを解除すると、隣に座っているご主人様が恐る恐る言いました。
「……安全運転でね?」
お任せください。
ご主人様のリクエストに、クラリスはアクセルを踏み込んでの急発進で応えました。
さあ、鬼ごっこの始まりです。




