偵察 美術館強盗計画
「電源を落とそう」
結界の解析完了から一夜明け、トレーニングと朝食が終わった後に仲間たちを呼び出したパヴェルは、立体映像投影装置の前でそんな事を言い出した。
投影装置の基部にあるキーボード(タイプライターみたいなデザインだ)を操作し、映像を切り替えるパヴェル。美術館の内部を映していた映像が切り替わり、俺が昨日撮影してきた図面と仕様書の映像が代わりに投影される。
「美術館の中に電源ボックスのような設備がある筈だ。それを落とせば―――」
「―――なるほど、結界は解除されるって事ね!?」
「いや、非常電源に切り替わる」
得意気に言ったモニカだったが、パヴェルにあっさり返答されてしまい、どうよと言わんばかりに立っていたネコミミがぺたんと倒れてしまう。獣人はこういうところでも感情表現ができるので、見ていて面白い(もちろん俺も例外ではないけれど)。
「だが非常電源に切り替わると、どうやらこの結界は電力消費を抑えるためのセーフモードに切り替わる仕組みになるらしい」
「セーフモード?」
「ああ。具体的に言うとこうだ」
映像がまた切り替わる。
魔力フィルターを通した映像なのだろう、美術館の敷地内をびっしりと覆い尽くす結界の量に、強盗として踏み込む俺たちは息を呑んだ。
ほぼ逃げ場がない……というより、美術館内部そのものが結界と化しているような、それほど濃密な結界だった。映画やアニメに登場する怪盗のように華麗に避けて進む、なんて芸当は不可能に近い。
ハエが頑張ってすり抜けられるかどうか、というレベルである。
「これがノーマルモード。このように感知範囲が非常に広く、感知するのは心拍数の急上昇だ。それでセキュリティ的にはその人物に犯意アリと判断して警報を鳴らす仕組みになる」
「セーフモードは?」
「こうなる」
彼がキーを押すと、結界の本数が一気に減った。
赤くハイライト表示された光線のようなものが何本か、疎らに、しかし館内の芸術作品を効果的に守るように配置されている。
「これは推定の映像だが、仕様書と図面を見る限りこうなる筈だ」
「一気に減ったわね」
「これなら行けそうですわ」
「油断すんなよ、検知モードも心拍数上昇からこの結界に触れたかどうかに変わっている。今度はこの結界に触れた瞬間に警報が鳴るぞ」
バートリー家で見たタイプの結界だ。
ノーマルモードでは美術館のほぼ全域を覆うほどの結界が展開しており、電源を喪失して非常電源に切り替わるとセーフモードに切り替わる。その状態でも結界は機能するが、消費電力を抑えるために結界の数は劇的に減少……その代わり、結界の検知タイプが心拍数急上昇から、結界に触れるとアウトのタイプに変更される。
「非常電源も切れると?」
「結界は止まる……だがそうなる前に、誰かが主電源の復旧に乗り出すだろう。スイッチを落としたり、配線を切断するだけではすぐ復旧されてしまう。かといって主電源を完全破壊してしまうと襲撃を疑われ、館内の警備が厳しくなるぞ」
「となると、理想は主電源を落として復旧される前に脱出、か」
「そうなるな……推定で5分、下手すりゃそれより短くなる恐れがある」
「目標さえ確保出来りゃあ、あとは最悪見つかってもいい気はするがな。そうなったら逃走用の車を共産主義者のアジトの前にでも停めて乗り捨て、罪を奴らに着せてやればいい」
「それはそうだ」
キーボードを操作し映像を切り替えるパヴェル。例の図面と俺が撮影した館内の映像を参考に描いたのであろう、美術館内部の間取り図が表示される。
「ターゲットは2階、元々は貴族の個室だった部屋を改装した場所にある。窓から侵入したくなるところだが、図面を見る限り窓のところにも結界が常時展開されていて、それはセーフモードでも変わらないらしい。そのため俺が提案する侵入ルートはこうだ」
間取り図に、パヴェルの推奨する侵入ルートが蒼くハイライト表示され始める。
侵入経路には見覚えがあった。あの時、庭で見つけた通気用のダクトだ。そこからダクトを通って館内へと侵入しろという事なのだろう。
「盗品確保は3名、電源への工作に1名……分担はこれで行こうと思う。個人的にはミカを電源への破壊工作に充てたい」
意外な役割分担に、思わず変な声が出た。
俺だけじゃない。話を聞いていた仲間たちも、そして脳内でお昼寝中だった二頭身ミカエル君ズも、意外な人選に驚いている。
「理由は」
「お前が雷属性の魔術師だからだ。電源に過電流でも流して配線を焼き切る事が出来れば、配線の劣化による電気トラブルとかに見せかける事が出来る。そうなれば破壊工作を疑われる事は無いし、破損した電気部品の交換に少しでも長く時間を稼げる」
納得だった。
なるほど、その手があったか……。
「絵画はクラリス、モニカ、範三の3名で何とか盗み出せ。理想は脱出時も見つからない事だが、もし無理なようならば発見されてしまっても構わん。強盗がバレずに済んだならそのまま列車まで直帰、発見された場合は共産主義者のアジトまで逃げて奴らに罪を擦り付けろ。それぞれプランA、プランBと呼称する。何か質問は」
「……警報が鳴ってから憲兵が飛んでくるまでの時間は」
「近隣に憲兵隊の拠点がある事を考慮すると、おそらくだが5分足らずで現場に到着する筈だ。そうなったらリーファが援護する」
「任せるネ」
フンス、と胸を張るリーファ。クラリスやシスター・イルゼ程ではないけれど、モニカが羨むFカップのおっぱいが揺れる。
あ、ほらモニカがその胸の揺れを見て虚ろな目になってる……みんなやめたげて、もうモニカのライフはゼロよ!
落ち込むなモニカ、胸が全てってわけじゃないさ。それにモニカはどっちかというと胸よりお尻とか太もも……あっいえなんでもないです。
思考が漏れたのだろうか、シスター・イルゼがスマイルを浮かべながらこっちを見て首を傾げた。ママ、あの人こわい……。
「とはいえ夜間の警備状況等は分からんことが多い。強盗決行の前にもう少し偵察して情報を集めてからだ。なお、強盗決行の際は夜間を想定する。それまでに装備品の作成も間に合わせておく。以上、解散」
だいぶ強盗計画の作戦が整ってきた。
美術館の経営者に何の恨みもないが……依頼主からの仕事だ、飛竜の恵みは貰っていくぞ。
露天の良いところは、意外と夜遅くまでやっている事だ。
観光客から仕事帰りの労働者まで、幅広い客層をターゲットにしているからなのだろう、営業時間が非常に長い。店によっては24時間営業をしているところもあって、夜遅くに漂ってくるバターやサワークリームの香りは正直言って飯テロの類である。
「すいません、ドラニキとソーセージを10人前、ドラニキはサワークリーム付きで」
「お嬢ちゃん結構食べるねぇ。ちょっと待っててね」
「えへへ……パパがたくさん食べるんですよ」
露天でドラニキを焼いていたホッキョクグマの獣人の店主が感じのいい笑みを浮かべ、茹でていたソーセージを袋に入れてくれた。10人分のドラニキを紙袋に押し込んでからサワークリーム入りの小瓶をつけてくれた店主に3000ライブルを支払い、お礼を言ってから店を離れる。
後ろに並んでいた狸の獣人(多分仕事帰りの労働者だ)が「あの子あんなに食うのか」と呟いていたのが聞こえたが、それもその筈である。今しがた購入したドラニキとソーセージ以外にも、ピャンセが10個くらい入った紙袋まで抱えている。
ドラニキとソーセージはともかく、ピャンセはデカい。少なくとも日本でよく目にする肉まんよりも一回りデカくて、なかなか食べ応えがある。
そんなのを10個も喰うのだから、よっぽどの大食いなのだろう……そう思われても仕方がない。
パパが食べるんです、なーんてそれっぽい言い訳をしたけれど、正確に言うとパパじゃなくてウチのメイドが大食いなんです。信じられないくらい食べるんです。
尾行されてないか確認しつつ、傍らの錆びたフェンスをよじ登ってから飛び越えた。こう見えてハクビシンの獣人だから、こういう動きはお手の物。身体を半身にして入れる隙間だったら大体すり抜けられるし、手足が届かなくとも足場にできそうな出っ張りや壁があれば障害物は飛び越えられる。
フェンスの向こうにあるのは古びたアパートだ。労働者向けの格安物件だったんだろうが、今では誰も住んでいない廃墟と化しているらしい。
美術館を見張るのに絶好の立地だったんだが、面倒な事に地元のごろつきが根城にしている場所でもあったらしい……そりゃあ頭下げて「退去してください」なんてお願いしても言う事聞いてくれる人たちとは思えんし、そういう非友好的な相手には暴力で訴えるべし、とパヴェルが強く主張した事もあって、今日の午後は食後の運動代わりにごろつきの殲滅作戦に費やす羽目になった。
結局クラリスとリーファが嬉々として先陣を切って突入、全員半殺しにするという恐ろしい結果になったのは言うまでもない。
アパートの中には今日の昼下がりに刻まれたばかりの壁の傷がまだ生々しく残っていた。この壁のへこみはアレだ、こわーいお兄さんが身長183cmでGカップのメイドに頭を掴まれ壁に叩きつけられた場所。あの天井の穴はパンダのお姉さんに飛び膝蹴りを喰らい床にバウンド、その勢いのままに天井にぶっ刺さった時の穴。
なんでウチの仲間はそういうギャグマンガじみた強さの人がいっぱいいるんでしょうか。
最上階にある、603と書かれたプレートが外れかけているドアの前に立った。コンコン、とノックすると、中から鍵を開ける音が聞こえてきたので、遠慮なくドアノブを捻って中に入る。
「晩上好、団長」
「ただいま」
ジョンファ語で出迎えてくれたリーファに「これ、食べたかったんでしょ?」と言いながらピャンセの入った紙袋を渡す。
「おー、これこれ。チョソン風の饅頭ネ。ありがと、ダンチョさん」
早くも1つ目に手をつけるリーファ。美味しそうに食べているのを見て安心しながら、窓際でずっと双眼鏡を覗いているクラリスの傍らに、焼きたてのドラニキの入った紙袋を置いた。
彼女の傍らには、”厄介事”に巻き込まれた時のためにと列車から持参したAK……ではなく、中国の”56式自動歩槍”を5.56mm弾仕様とした『AK-2000P』が、ストックを折り畳んだ状態で置いてあった。
「美術館の様子はどう?」
「やはり夜間でも警備兵が巡回してますわ。窓から見える限りでは10人……実際はもっと多そうですが」
そう言いながら俺に双眼鏡を渡し、代わりにドラニキ入りの紙袋を手に取るクラリス。受け取った双眼鏡を覗き込んでみると、確かに警備兵が真っ暗になった部屋の中をランタンで照らしながら巡回している姿が見えた。腰にはシャシュカと6連発のペッパーボックス・ピストル、そして背中にはラッパ銃を背負っているのが見える。
そういやボリストポリでアレにえらい目に遭わされたな、と以前の事を思い出す。ラッパ型の銃口から複数の弾丸を装填し黒色火薬で一気に撃ち出すあれは、はっきり言って近距離では最も遭遇したくない得物の一つだ。さすがに現代の銃と性能は大きな差があるが、しかしあれの一撃の威力だけは常軌を逸している。
クラリスからドラニキを分けてもらい、小瓶の中のサワークリームを塗りながら食べた。ジャガイモの滑らかな味わいとバターの風味に、サワークリームの酸味が程よいアクセントになっている。
監視状況を手帳に逐一記録して、懐中時計をちらりと確認。あと30分ほどで交代要員……モニカ、シスター・イルゼ、範三の3人がやってくる。彼女たちがやってきたら俺たちは列車に戻って休み、明日の朝にまた交代という流れを繰り返すことになる。
美術館の警備状況が把握できるまで、それは続くだろう。
「ご主人様」
「何だ」
「その……ミリアンスクの次は、どこに向かうのでしょうか」
「……そういえば、まだ決めてなかったな」
俺たちは明確な目的を持って旅をしている、というわけではない。仕事のある地域を転々として活動する冒険者だ。だから基本的に行き先は仕事のある場所になるわけだが……。
そろそろノヴォシア地方にも足を伸ばしてみるかな、とは考えていた。もちろん仲間にはまだ話してなかったので、今度の会議で議題に挙げる予定ではあったけど。
「その……もし決まっていないのならば、クラリスの我儘を聞いてほしいのです」
珍しい事だった。
クラリスはあまり、我儘を言わない。
彼女がこんな要求をしてきたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「言ってみて」
「……キリウの地下、クラリスが眠っていたあの研究所を調べてみたいのです」
―――全てが始まった場所。
俺がクラリスと出会った場所―――キリウ地下の、旧人類の遺伝子研究所。
そういえばあの一件以降、一度もあそこを訪問していなかったし調べてもいなかった。
「例の”組織”の飛行船、あそこに眠っていた情報……もしクラリスが組織の”シェリル”という女兵士と同じホムンクルスであるならば、クラリスが眠っていたあの場所にも何か有益な情報が……いえ、クラリスの記憶を取り戻すヒントが眠っているような、そんな気がするのです」
「……分かった、その事はみんなに話してみる。俺は構わないよ」
「ありがとうございます、ご主人様」
あの遺伝子研究所は、俺にとっても、そしてなによりクラリスにとってもまさにパンドラの箱だ。一度開けてしまえば、一体何が起こるか分からない。
しかし、過去を知るためには避けては通れない道なのだろう。
もしかしたら辛い過去が眠っているかもしれない。知りたくない過去がそこにあるかもしれない。
それに光が当てられるのが―――俺は、ちょっとだけ怖かった。
※チョソン
現実世界でいう朝鮮半島。チョソンとは「朝鮮」の韓国語読み。
※AK-2000P
中国版AKである56式自動歩槍を7.62×39mm弾から、5.56×45mmNATO弾に変更したモデル。中国軍では既に5.8mm弾を標準弾薬として採用しているため、本国仕様の銃ではなく輸出仕様とされている。




