結界を越えろ
一般的に、拳銃の扱いは小銃よりも難しいと言われている。
両手で保持し、ストックを肩にしっかりと押し当てた姿勢で安定した状態からの射撃ができる小銃とは異なり、拳銃は両手に保持した状態での射撃をしなければならない。
このストックがあるかないか、という要素は、思ったよりも大きな存在と言えた。
異世界転生を果たし、”自称魔王”からこの銃や兵器を自由に召喚できる能力を与えられ、前世の世界では映画やアニメの中、あるいは自衛官にならない限り触れる事が許されない本物の銃をぶっ放す機会を得て、実際にやってみて痛感した事だ。
ストックがあるかないかで、こうも命中精度に差が出てくるとは。
だから俺はサイドアームに、現代のピストルカービンであるMP17や、第一次世界大戦の頃にピストルカービンとして活躍したルガーP08アーティラリーを選んでいる。あれらにはストックがあって安定した射撃ができるし、命中精度も申し分ないからだ。
けれどもいい加減、普通の拳銃にも慣れなければならない。
マガジン内の弾丸を撃ち尽くし、ホールドオープン、つまりスライドが後端部まで停止した状態で固定されているハンドガンのマガジンを取り外す。グリップに内蔵されていた空のマガジンがするりと抜け、新しい予備のマガジンを装着。右手の親指を伸ばしてスライドストップを下げると、後退したままだったスライドが勢いよく前進して薬室に初弾が装填された。
その状態で素早く発砲、次々に起き上がる人の姿をした的を撃ち抜いていく。人型の的は急所を外すように、そして時折それに混じる小型の的―――ゴブリンを模した標的には容赦なくヘッドショットをお見舞いする。
マガジンの中身が空になるかどうか、というところで訓練終了のブザーが鳴り響いた。
ふう、と息を吐きながらマガジンを取り外し、スライドを引いて薬室内の9mmパラベラム弾を排出。中に弾丸が残っていない事を確認してから、そっとレーンの近くにある台の上に置いた。
使用していたハンドガンはドイツの老舗メーカー、ワルサー社が開発した『ワルサーP99』。合理性と実用性をコンパクトにまとめ上げた逸品だ。
空になったマガジンに、再び9mmパラベラム弾を装填していった。カチカチと弾を込める音が、銃声の轟く射撃訓練場に静かに響く。
他のレーンでは強盗に参加する仲間たちも射撃訓練をしているところだった。今のところ具体的な強盗計画はまだ立案されていないけれど、最悪の場合は正面から突入しての強行突破になる可能性もある。だからなのだろう、特に美術館に突入するクラリス、モニカ、範三は真剣に訓練していた。
範三はというと、射撃訓練場の片隅で延々と鍛錬用の木刀を振るっている。銃を使うように勧めたんだけど、強盗決行まで時間がない事も考慮し、今回は刀と投げナイフといった得物での参戦となる。
付け焼刃の射撃技術では、実戦には役に立たない。
それは範三本人もよく理解している筈だ。
それにしても、範三が銃に興味を持ったのは意外だった。てっきり『某の得物はこの刀一本のみ』とか言い出して拒否するのではないかと思っていたんだけど、意外と戦いに関しては柔軟な思考の持ち主なのかもしれない。
弾を詰めたマガジンをいくつか用意し、再びワルサーP99を拾い上げた。マガジンを装着し、ホールドオープンしているスライドを、スライドストップを下げて元の位置に戻す。初弾が薬室に装填されたのを確認してからスイッチを押し、射撃訓練を再開する。
ビー、とブザーが鳴ると同時に起き上がる的を、さっきのように撃った。
撃って、撃って、撃って……9mmパラベラム弾の反動と銃声が身体に染み渡り、身体が世界から得る感触が全てそれに支配されるような錯覚を覚えた。このワルサーP99で9mmパラベラム弾を撃つ、それだけの行為に肉体が最適化されているような感じがして、アイアンサイトの向こう側では淡々と的が撃ち抜かれていく。
先ほどと同じようにブザーが鳴り、訓練が終了となる。マガジンを外してスライドを引き、薬室から出てきた9mmパラベラム弾をキャッチしたところで、ポケットの中でスマホが振動する感触を覚えた。
着信だ。
薬室内に弾丸が残っていない事を確認したワルサーP99を台の上に置き、ポケットからスマホを取り出した。ブルブルと振動するスマホの画面には葉巻を咥えたヒグマのイラストが表示されている。パヴェルが『自画像だよ』とか言いながら自分のアイコンにしている自作のイラストだ。
画面をタップして耳に当てると、パヴェルの声が聞こえてきた。
『もしもし?』
「もしもし、どうした」
『例の結界、少しわかった事がある。こりゃあ一筋縄ではいかないが……まあいい、部屋に来てくれ。頼みがある』
「わかった」
スマホをポケットに収め、ちょっと行ってくるわ、とクラリスにハンドサインで伝えてから、ワルサーP99を回収して射撃訓練場を後にする。防音仕様のドアを閉めて2号車へ向かい、誰もいない食堂を通過して1号車へ。
1階へ伸びる階段を降り、パヴェルの寝室のドアをノックした。他の仲間たちの寝室は2階にあるけれど、パヴェルの寝室だけは1階にあるのだ。
『どうぞ』
「失礼するよ」
彼の部屋はごちゃごちゃしている。
本棚には仕事で集めた情報のファイルが所狭しと並び、ベッドの1段目は撤去されて机に改装されている。2段目のベッドは残されているけれど、使っている形跡は感じられなかった……あるいはベッドメイクを徹底しているのか。
パヴェルはウォッカの酒瓶を片手に、ノートパソコンの画面を覗き込んでいた。彼の傍らに立って画面を覗き込むと、そこには何を意味するのか全く分からない、様々な色の折れ線グラフが何本も表示されていて、画面の左脇には細かい数値の羅列がびっしりと並んでいる。
専門的な知識がなければ、これらが何を意味するものなのかは分からないだろう。
「……例の結界だが、一体何を検知するためのものなのかは分からなかった」
「お前でも分からない事ってあるんだな」
「お前俺を何だと思ってるんだ?」
「やべえ奴」
「……まあ、間違いではないな」
ふふっ、と軽く笑いながら、パヴェルは画面を切り替えた。
「だが、あれがどこで製造されたものなのかは分かった。ミリアンスク市内にある”グランチェンコ・エレクトロニクス”っていう小さな会社が作ったセキュリティシステムらしい。美術館への設置工事を請け負ったのもその会社だ」
画面には、俺がブローチ型カメラで撮影した映像が映っていた。例の眼球型のセンサーをズームアップした画像は随分と荒いけれど、パヴェルがマウスをクリックすると荒い画像はどんどん高画質なものへと変わっていき、球体状のセンサー本体に記載された企業のロゴマークがはっきりと見えるようになる。
グランチェンコ・エレクトロニクス。確かに画像には、そういう表記があった。
「つまりその会社に行けば、図面がある?」
「あるいは写しがな。それを手に入れる……となると盗難が露見して面倒な事になるから、スマホで撮影してきてほしい」
「どうやって」
「今日の午後から会社の事務所に清掃業者が入るらしい。それを利用しない手はないよな?」
「なるほど」
「清掃業者の場所はスマホに送っておいた。まあ、上手くやってみろ」
「了解」
相変わらず仕事の早い男だ。
まあ、それだけ期待されているという事なのだろう……今度はこっちが、それに応える番だ。
雷属性の魔術は、個人的にかなり有益だと思う。
磁力を操って周囲の金属を自由に相手に投げつけたりできるし、電撃を攻撃に転用できる。戦闘人形などの機械の敵に使えばその電気回路を焼き切って無力化する事も朝飯前だ。
そして対人戦でも、手加減すれば相手の意識を奪うだけで済む。
気を失った清掃業者の人を近くにあった木箱の影に隠し、持っていた清掃用具の入ったカバンを拝借する。ノヴォシア帝国ではこういった清掃業務に従事する人は制服を身に着けているわけではないので、特に変装は必要ない。私服のままでも大丈夫だ。
パヴェルから送ってもらった画像を参考にグランチェンコ・エレクトロニクス社の事務所を探すこと5分ほど。美味しそうなドラニキとサワークリームの香りが漂ってくるレストランの向かいに、その小さな会社はあった。
主に電気工事を請け負っている会社なのだそうだ。
玄関の前に立ってドアをノックすると、中から誰かがやってくる足音が聞こえ、しばらくしてゆっくりとドアが開いた。
出迎えてくれたのは黒髪の中に白髪が混じって白い線を浮かび上がらせているのが特徴的な、スカンクの獣人だった。
「はい、どなた?」
「事務所の清掃に来ました」
「ああ、お願いしてたやつね。どうぞ上がって」
「お邪魔します」
事務所の中はコーヒーと煙草の臭いが充満している。多分このニコチンとカフェインは、どれだけ丹精込めて磨いても抜け落ちる事はないのだろう。
まあ、実際そうだ。労働者にとってアルコールとニコチンとカフェインは良き隣人である。仕事に精を出す時も、辛くなって現実から逃げたい時も労働者を甘やかしてくれるママのような存在だ。
「いやぁ、こないだ所長がデスクにコーヒーぶちまけちゃってね、あの辺り入念に頼むよ」
「分かりました」
作業内容の説明を終え、自分の持ち場へと戻っていくスカンクの獣人。隣の部屋に彼が戻っていったのを確認してから、入ったぞ、と小声でパヴェルに連絡する。
《すんなり行ったな》
「都合の良い事に他の従業員は彼1人、隣の部屋でお仕事中だ」
《重要な書類だ、近くの棚の中とか金庫の中とかにないか》
「探してみるよ」
探す前に、一応部屋の中を確認。天井とか壁をチェックしてみるけれど、例の魔力センサーらしきものは見当たらない。
念のため意識を集中、周囲に魔力が流れている気配はないか探ってみるけれど、それも特に何も感じなかった。
安全確認ヨシ。
図面関係の書類が収まっている棚を見つけたので、そこをそっと開けて物色する事に。施工記録の日付をチェックしながらファイルを取り出してパラパラとめくっていると、赤い文字で”社外秘”とこれ見よがしに記載されたそれっぽい書類が早くも視界に飛び込んできた。
『Кг-36/ё』と形式番号が記載された、魔力センサーの図面だ。
「これか」
《それだな》
盗むと面倒な事になるので、スマホを取り出して図面を撮影。俺には一体どれが何を意味しているのかさっぱり分からないが、パヴェルは分かるのだろうか。
ページを捲って次の仕様書もパシャリと撮影。写真をメールに添付し、パヴェル宛に送信する。これで後は彼が例のセキュリティを丸裸にしてくれるのを期待するだけで良い。
《よし来た、ナイスだミカ》
「んじゃ、俺は一仕事したら帰るよ」
《はいよ》
清掃用具を使い、床掃除を開始。
さすがに掃除もせずにそそくさと帰ったら怪しまれるからな……一仕事してから戻るとしようか。
気絶させた清掃員のおじさんのポケットに、日雇いの給料が入った袋をそっと押し込んでから列車に戻るなり、早速パヴェルに呼び出された。
どうやら戻って来るまでの短時間で解析を終わらせ、結論を出したらしい。仕事が早いのは良い事だけど、それにしたって早すぎやしませんかねパヴェルさん?
1号車の1階にある彼の部屋を訊ねると、焼き鳥をもぐもぐしていたパヴェルが「食うか?」と1本差し出してくれたのでありがたく頂いた。鶏肉とネギが串に刺してあって、塩胡椒で味付けしたスタンダードな奴だ。
ネギの甘みと鶏肉の味を楽しんでいると、パヴェルが説明を始めた。
「例の結界だが、どうやら【心拍数の上昇を検知】しているらしい」
「心拍数? なんでそんなものを」
「いや、俺もおかしいと思ったんだ……あんなにびっしり結界を張って、客を検知しないなんておかしい。なら金属検知器みたいに機能するのかと思ったが、警備兵が持ってる剣やピストルも金属製だ。だが警備兵が結界に振れているにもかかわらず反応しなかった……」
「それで」
「図面と仕様書を参照したが、間違いない。あの結界は心拍数の急な上昇を検知して反応するんだ」
「そんなもんを検知してどうするんだ?」
「ミカ、美術館を訪れる客はリラックスしているものだろう?」
「そりゃあな……」
落ち着ける空間の中で、静かに芸術に触れる―――美術館とはそういう場所だ。心拍数が急上昇、テンションぶち上がり、アドレナリンの大洪水といった要素とは対極に位置する環境である。
「だが、例えば絵画を盗み出そうとする犯罪者ならどうだ?」
「それは……」
人間、誰しも緊張する瞬間はある。
特に美術館から、大金に変わるほどの価値がある芸術作品を盗み出そうとするような輩であれば緊張もするだろう。そしてその心拍数は、落ち着いて芸術作品を鑑賞しようとする客のそれとは大きく異なるものである筈だ。
なるほど、それで警報を鳴らすか否かを判断しているという事か。
条件を限定し、しかし結界は美術館の敷地内のほぼ全域を覆うほどの密度で配置。警戒範囲は広く、そして絵画や芸術作品を狙ってやってくる泥棒のみを検知できるほどの正確さも併せ持ったセキュリティ。
これはかなり厄介だ……。
「面倒だな」
「ああ」
「どうする、強行突破するか」
「それは最終手段だよ、ミカ」
焼き鳥をもう1本口へと運び、パヴェルはニヤリと笑った。
「大丈夫だ、手は考えてある」




