千里の道も一歩から
《こちらパヴェル。お前ら、俺の美声は良く聞こえてるかな?》
お調子者め、と思いながらも「聞こえてるよ、パヴェル」と返事を返し、AK-19の安全装置を外した。セレクターレバーを下段に下ろし、セミオートに切り替える。隣にいるクラリスも同じようにQBZ-97の安全装置を外し、セミオートに切り替えた。戦闘態勢はこれで万全である。
ハクビ村の南東に広がる『エニストルの森』に入る前に、無線越しにパヴェルが言った。
《よーし、それじゃあ依頼内容をもう一度確認する。依頼内容は”ラミア5体の討伐”、クライアントは村の商人。依頼書を見ているとは思うが、この森で採取できるキノコは珍味らしくてな。村の貴重な収入源の一つなのだそうだが、最近森の中でラミアがうろついていてなかなか採取に入れず困っているらしい。村も小さく訪れる冒険者もそれほど多くない、まさに村にとって俺たちは希望の星ってわけだ。人助けにもなるし、俺たち血盟旅団の名を売るチャンスだ。派手にやってやろう》
「分かってるって」
村の事情は今パヴェルが話した通りだ。ハクビ村はつい最近出来た村のようで、主な収入源は農作物の販売や木材、そして森で採取できるキノコの販売。特にこのキノコは珍味のようで、モノによっては貴族の口にも入る事があるという。
小さな村にとっては貴重な収入源。しかし最近、それを阻むかのように現れたラミアによってキノコの採取量が激減、村の財政は大きな打撃を受けている。
だからそれを何とかするため、依頼書を管理局に張り出していたのだそうだが……如何せん最近出来た村で地図に載っていない事も多く、ここを訪れる冒険者がそんなに多くない。だから肝心な依頼を受けてくれる冒険者がおらず、みんな困っていたのだそうだ。
人の役に立てるならばと引き受けたこの依頼は、村の未来を左右しかねない重大な案件。是が非でも成功させなければ。
左手をハンドガードに装着したアングルド・フォアグリップに沿え、行くか、と呟いてから森へ足を踏み入れた。森に入る前からも分かっていたが、湿気がすごい。最近雨が降ったわけでもない筈なのだが、服の表面や皮膚の表面がうっすらと湿っているのではないか、と錯覚してしまうほどだ。
地面から突き出た木の根には苔が生えていて、倒木からはよくわからん色のキノコが顔を出している。あれが例のキノコなのだろうか。
日の光も木の枝や葉に遮られて地表までは届かず、キノコが生えるには良い環境が整っているようにも思えた。
木が乱立していて視界が悪く、場所によっては苔のせいで滑りやすくなっているので足場も良いとは言えない。できる事ならとっとと出て行きたくなるような環境だが……ラミアを倒さねば、村には戻れない。
さて、索敵をしている間ラミアがどういう魔物かについて触れておこうと思う。
大体想像できると思うが、要するに”人間の女性の上半身と大蛇の下半身を持つ魔物”という認識で合っている。腰から上が美しい人間の女性で、それだけ見ればまあ、スケベな男だったら誘惑されそうな美女といったところ。しかしそれは獲物をおびき寄せるための餌で、射程距離内に入った獲物に対し牙を剥く……そういう魔物だ。
面倒なのは、個体によっては毒を持っているという事。これが牙の部分から分泌されるのか、それとも体内に毒を分泌する器官があり、そこからブレスのように吐き出すのかというのも個体差がある。というか、ノヴォシア中で流通している魔物図鑑全部に言える事だが、魔物の分類が大雑把すぎるのだ。
こんな有様なので、冒険者の間では”ラミアと戦うなら解毒薬は持っていく”という認識が生まれている。相手が毒の無い個体だろうと何だろうと、だ。まあ、備えあれば患いなしという言葉もあるのであながち間違いではないのだろうが……。
こんな魔物がなぜ生まれたのか、については諸説あるが、概ね『姿を消したかつての人類が遺伝子操作で生み出した失敗作である』という説が有力だ。
俺たち獣人のように、人間たちが遺伝子操作を行い生み出した新たな種族。その失敗作の成れの果てがラミアである、という。確かに、爬虫類と哺乳類の融合という一体何をどうやったらそういう進化を遂げるのかというのも、人為的に生み出されたとするならば説明はつく。
これは他の魔物全般にも言える事だ。
その説を信じるとして、昔の人間たちは一体何を作ろうとしていたのだろうか。戦争にでも使う恐ろしい生体兵器でも開発していたのか、それとも神話の生物を現代に再現しようとしていたのか……謎は尽きない。
とりあえず幼少の頃から魔物図鑑を色々と読んでいたので、魔物に関しては知識はそれなりにあるという自負がある。もちろん、分類が大雑把というガバガバ図鑑ばっかりだったので、複数の出版社が出している図鑑を読み比べ、情報が一致している部分のみを事実と考えているので精度にも自信はある。
ああ、インターネットが恋しい。こんなもの、スマホをパパっと操作するだけですぐに精度の高い情報がずらりと出てくるのが当たり前だったというのに。
そんな事を考えているうちに、森の奥まで到達していた。木の根元や倒木、苔の中から伸びた真っ白なキノコが、仄かに光を放っている。おかげで日の光が遮られていてもなお、それなりに視界は確保できていた。
《視覚、聴覚、嗅覚……いいか、索敵する手段はいくらでもある。周囲の環境の微かな変化も見逃すな》
「それで分からなかったらどーすんだよ?」
《その時は……そうだな、ゲーマーとしての勘を信じるしかない》
「勘……ゲーマーとしての勘ねえ」
結局はそれか。まあいい、FPSはそれなりにやり込んだ方だ。休日のうち12時間をゲームに費やすくらいには、な。
地面を見た。苔の生える倒木のすぐ近く、背の低い雑草なのか、苔なのかも見分けがつかない植物がうっすらと生えている地面の表面を、何かが這い回ったような跡がある。微かに窪んだその表面は湿って……いや、ぬるりとした粘液のようなものが、気色の悪い光沢を放っていた。
AK-19のハンドガード右側面に装着したシュアファイアM600を点灯させ、地面にあるその跡をよく観察する。
「ご主人様、これは……」
「……ビンゴかもしれん」
ラミアの特徴の一つに、下半身、つまり大蛇の部分は粘液に覆われているという点が挙げられる。這って進む際に地面との摩擦を軽減するためであり、また乾燥から身を守るためであるともされている身体的特徴。分泌量にはもちろん個体差があるが、これは全てのラミアに共通している。
《ああ、間違いない。ラミアの痕跡だ》
オペレーターのパヴェルも同じ結論に達したらしい。
ちなみに彼がどうやって現場の映像を見ているかと言うと、俺の胸に装着してある小型カメラからの映像を列車で見ているのだ。自分の部屋に無線機とPCを持ち込んで、それで指揮を執っているらしい。
無線機とPCは、パヴェルが自分の能力で生産したものなのだそうだ。
《だが気を付けろ、ラミアは狡猾だ。見たままが全てだと思うな》
「ああ」
魔物の中でも、ラミアは知能が高い部類に入る。個体によっては獣人たちの言葉を簡易的にだが模倣し、怪我をして動けない女性を装って誘い込むというケースもあるという。そうやって困っている人を見捨てられないような善人や、スケベな男を誘い込んで丸吞み……というわけだ。
スンスン、と鼻を動かし、森の向こうをじっと見つめるクラリス。彼女の嗅覚は獣人並みに……いや、獣人以上に鋭い。風向きに大きく影響を受けてしまう索敵手段だが、こういう環境では本当に頼りになる。
「……血の臭いがします」
「近いか」
「ええ……およそ30m」
銃を握る手に力が入った。
大丈夫、相手は魔物……相手は魔物、人間じゃあない。
呼吸を整えながら先へと進んで行くと、やがて苔に覆われた木の幹に寄り掛かるようにぐったりとした、金髪の女性が見えてきた。
傍から見れば確かに、綺麗な女性にも見える。しかもおまけに服を身に着けていない。ああ、スケベな男は引っかかるなコレ。俺はもうあれがラミアだって見抜いてるし、もっと身長もおっぱいもでっかいメイドさんを知ってるからアレだけど。
俺の嗅覚でも分かる―――血の臭い。
そして微かに漂ってくる、さっき地面に残っていた粘液と同じ生臭い臭い。声をかけて確認するまでもなかった。
引き金を引いた。ダンッ、と薬室の中で5.56mm弾の装薬が弾け、ガスが弾丸を薬莢から押し出していく。ライフリングの刻まれた銃身の中で回転を与えられた5.56mm弾はマズルフラッシュすら置き去りにして銃口を飛び出すと、ドットサイトのレティクルの向こうに映る女性の後頭部目掛けて、一直線に伸びていく。
パッ、と紅いレティクルの向こうで、同じく紅い飛沫が飛び散った。一緒にピンク色の肉片も飛び散り、血の臭いが一気に濃密になる。
本物の人だったらどうしよう、助けを求めていた人だったら―――そんな不安が頭の中を過るが、飛び散る肉片と露になったグロテスクな断面を目の当たりにし、その不安もあっという間に霧散する。
やはり、ラミアの上半身は疑似餌のような存在なのだ、と再認識する決定打になったのは、その内面だった。
人間だったら頭の内側には頭蓋骨があり、脳味噌がある。けれどもその女性の頭はそうじゃあなかった。確かに骨らしきものはあるけれども脳味噌のような部位は無く、代わりに毒々しい紫の筋の入ったピンク色の器官が見え、人間じゃあない事はすぐに分かった。
きっとあれが毒袋なのだろう。
さて、これで殺った―――とは、ならない。
『ギエェェェェェェェェェ!!』
女性の金切り声にノイズを足したような、何とも言えない咆哮を発し、擬態が見破られたラミアが動き出す。それは激痛を訴える叫びか、仲間を呼ぶための遠吠えか、はたまた迸る怒りを表現した咆哮なのかは分からない。
頭を撃ったのに、と常識で物事を考えてしまう自分が驚愕するが、よくよく考えてみればおかしなことでもない。人間であれば、頭の中に脳があるからこそヘッドショットは即死となる。けれどもその”頭”にあたる部位が疑似餌でしかなく、本来の脳が別の部位にあるというのであれば話は別だ。大した痛手にもならない。
次の瞬間、美しい女性の上半身を乗せた大蛇が飛び上がった。人間でいう腹の部分が大きく裂け、中から肋骨が―――いや、大蛇の牙がずらりと並んだ口が露になる。
「うわキモ……」
半分蛇で半分人間な美女を想像していた人には随分とショックな姿であろう。残念ながらこれが現実、ラノベやアニメのような下半身が蛇の美女なんていない……たぶん。
隣にいたクラリスが容赦なくQBZ-97で殺しにかかる。ダダンッ、と素早いセミオート射撃。世界中で軍人に愛されている5.56mm弾がラミアの口の中へと飛び込んで、その悪足搔きに終止符を打つ。
血と、毒液みたいな紫の液体を撒き散らしながら地面に叩きつけられるラミア。尾と人間の上半身を動かして必死にもがくそいつに、AK-19の5.56mm弾を叩き込んで黙らせる。
これでまず1体……あとは4体か、と思ったが、どうやら探す手間が省けたらしい。
「仲間を呼んだか」
ズルズル、ズルズル……と何かを引き摺るような音と共に、残る4体のラミアが木の影から姿を現す。
金髪、黒髪、赤毛……色んなバリエーションがあるようだが、共通しているのはその下半身が大蛇のものである事と、擬態を破られた以上もう人間を装うのは無意味と判断し、腹が裂けたような口を露にしている事だ。
「ご主人様!」
「手加減無用! 殺るぞ!」
人はなるべく殺さないようにしたいミカエル君だが、意思疎通も出来ず人を襲う魔物は別だ。
牽制の意味も兼ね、左手を地面に這わせて魔力を放出。5本の指の動きをトレースするかの如く、蒼い電撃の斬撃が扇状にバラけながら飛んでいく。
雷属性魔術”雷爪”。特性は”斬撃”、”電撃”の2つ。本気の一撃が直撃すれば人体なんぞあっという間に三枚おろしだが、加減すれば短時間のみ筋肉の硬直を引き起こす程度で済む。
まあ、手加減する必要も無いのでぶっ放したのは本気だったのだが。
反応が遅れ、1体がそれの直撃を受けた。ジュッ、と肉が焼けるような音がして、ずるり、と異形の怪物の身体が縦に両断される。
残りは3体。
ここでクラリスのQBZ-97が火を噴いた。射程圏内に入った敵機を迎撃する対空砲の如く、無駄のない正確な動きで、的確にラミアの口の中を狙っていく。5.56mm弾に射抜かれたラミアが血飛沫を吹き上げながら地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
俺の方が食いやすいと思ったのか、大きな口を開けて飛びかかってくるラミアに向け発砲。ダダダンッ、と3発ほど口の中に叩き込んでから左へと飛び、一呑みにしようと襲ってくるラミアの突進を回避。そしてそのまま背中へもう一発叩き込んで止めを刺す。
残りは1体。
『グエェェェェェ!!』
上半身―――人間としての口を大きく開け、そこから紫色の液体を吐き出してくるラミア。毒液だ。あれを浴びたらどうなるかなんて考えたくもない。身体が溶けるか、それとも麻痺して身動きが取れなくなるか。いずれにせよまともな死に方が出来ない事だけは確かだった。
前に走って攻撃を回避。そうしている間にもクラリスの射撃は止まることなく、口の中に上半身、蛇としての下半身に次々に5.56mm弾が叩き込まれていく。
突っ走って前方にある木の幹を蹴り、跳躍。その状態でドットサイトのレティクルを覗き込み、引き金を引いた。
エジェクション・ポートから5.56mm弾の薬莢が、火薬の臭いと熱を纏ったまま躍り出る。弾丸はと言うと、狙い通りに直進し―――大きく開け放たれたラミアの口の中を直撃していた。
それがとどめの一撃になったようで、何度か身体を痙攣させてから動かなくなるラミア。
これで、この森の危険も去った。ハクビ村の人たちも怯えずにキノコ採取に来れるだろう。
村民たちに安寧が訪れる事を祈りながら、踵を返した。
「さあ、帰ろうか」




