潜入 美術館強盗計画
大都市にはありがちな喧騒は、このミリアンスクにはない。
静かで、自然との調和を見事に体現したこのベラシア地方最大の大都市には、他の同規模の都市には無い落ち着きがある。喧騒に邪魔されず、自然と調和した都市の景観を楽しむ余裕を与えてくれるような、そんな場所だ。
大きな街でありながら静かなそこに、ミリアンスク中央美術館は佇んでいる。
ベージュの落ち着いた色合いのレンガで造られた、3階建ての大きな美術館。大昔にここに住んでいた貴族の屋敷を改装して美術館に作り変えたものであるとの事で、言われてみれば確かにベラシアの貴族が好む建築様式の名残が、随所に見て取れた。
元が貴族の屋敷だったからなのであろう、建物の周囲には塀がある。侵入者を阻むためなのであろう、塀の上には優美なデザインの鉄柵が伸びていて、鋭い穂先を天空へと向けていた。
正門にはマスケットを背負った兵士が、直立不動で立っている。ベラシア騎士団の兵士ではない、マクシム・アレクサンドロヴィッチ・ガルロフの私兵部隊だ。騎士団とは制服のデザインが異なり、紺色を基調に紅いアクセントが加えられている。
入り口のところにある受付に向かうと、中に居た私兵が「ごきげんよう」と笑みを浮かべながら出迎えてくれた。
「美術館をご覧になられるのですね」
「ええ」
「かしこまりました。では入場料を頂戴いたします。大人は1人1500ライブル、お子様は500ライブルとなっております」
また子供扱いされた件について。
いや、今回はまあ仕方ない。俺は貴族の娘、俺は貴族の娘、俺は貴族の……あれ、俺って性別どっちだっけ?
最近、自分の中で性別という概念が薄れつつある。いや落ち着け、俺は男だ。
入場料を支払うべくクラリスが財布を開けていると、受付の私兵が傍らにある小さな籠の中からキャンディをくれた。
「はい、どうぞ」
「わぁい、ありがとー」
わーキャンディだーうれしいなー。
声帯に住んでるミカエル君のCV担当の二頭身ミカエル君がロリボイスで応じてくれる。この身長と容姿のおかげで、多分相手に俺は幼女としか見えていないだろう。
17歳だけどね! 中身男だけどね!!
「はい、確かに頂戴いたしました。それではごゆっくりどうぞ」
入場券を交付され、クラリスはイチゴ味のキャンディをペロペロする俺の手を引いて美術館の敷地へと足を踏み入れた。
庭には既に、騎士の銅像やら竜の彫刻やらが、花壇に植えられた花と調和する形で飾られている。プレートには大昔の彫刻家たちの名前が刻まれ、それがどういう作品なのか、どういった経緯で生まれたのかが簡単にまとめられている。
いずれも旧人類の滅亡前に造られた作品ばかりだ。芸術的価値もあるのだろうが、しかし目的はあくまでも依頼主の手から盗まれたという【飛竜の恵み】というタイトルの絵画ただ1つ。
美術館内部のセキュリティと構造、それから目的の絵画が保管されている場所を突き止める事が出来ればそれでいい。
とりあえず庭はスルー……と言いたいところだけど、念のため撮影しておくことにする。
もちろんパヴェルお手製のスマホで撮影するわけにはいかない。ならばどうやって撮影するかというと……こんな時のために、パヴェルが隠しカメラをこのコスプレ衣装に仕込んでくれている。
胸元にある紅いブローチだ。宝石を使った綺麗なブローチに見えるけれど、実はこれ隠しカメラである。しかも画質は最高、地味に暗視モードとサーマルモード、更には魔力スキャンも可能という優れものである。
パヴェルの技術力はおかしい。
《すまん、今戻った》
耳に装着した小型無線機から、パヴェルの声が聞こえてきた。
「遅いぞ、どうした」
《さっきモニカたちが車を調達してきたんでな》
「ああ」
《それより……おいおい、庭のセキュリティがキモすぎるぞ。何だこれは》
「なんだ、何か見えるか」
ブローチに内蔵されているマイクへと問いかけると、列車で隠しカメラの映像を見ているであろうパヴェルが呆れたような声で答えた。
《結界まみれだ》
「マジ?」
《マジ。しかも数秒間隔で検知範囲が変わってやがる……つっても、客に当たっても検知する気配はないな》
俺の目には何も見えないが……パヴェルのPCには、きっと複雑に張り巡らされた感知結界が見えているのだろう。それこそ、羽虫でもない限り通り抜けられない程網目の小さな結界が。
通常、感知結界は何かに触れると即座に発動し、警報を鳴らすか結界を張った魔術師に検知を知らせる仕組みになっている。なのに、客に当たっても警報すら鳴らないとはどういう事なのだろうか。
何か特殊なものなのだろうか?
《まあいい、魔力波形は拾えた。戻ってきたら解析にかける……庭をぐるっと回ってから、中を確認してくれ》
「了解」
クラリスに手を引かれながら庭をぐるっと一周。侵入に使えそうな場所はないかと思いながら辺りを見渡すけれど、残念ながら今のところ正門以外に侵入経路は見当たらない。アンカーシューターを使って隣の建物から屋根伝いに侵入するというルートも使えそうな感じはするが、それは後程検証しよう。
とりあえず庭を一周、裏口とか従業員用の出入り口の場所もチェック。後はこれだけ大きな屋敷なのだから、外気を取り入れる通気口もあった。格子は新品で頑丈そうだが、バーナーを使うかボルトカッター的なものがあれば何とかなりそうではある。
そういった場所もカメラで撮影して、クラリスと一緒に美術館の内部へ。
「ご主人……じゃなかった。ミカ、ママから離れちゃダメよ?」
「はぁーい」
クラリスママ……?
ママになりきるクラリスと一緒に美術館の内部へと足を踏み入れた。
彫刻や銅像の展示が大半を占めていた屋外展示場とは打って変わって、真っ赤なカーペットが敷かれた美術館の中には早くも絵画が飾られていた。
油絵具で描かれたリンゴや窓の外を見つめる裕福な身なりの女性など、多くの画家が描いた有名な(だと思われる)絵画が、一定間隔で壁に展示されている。
盗難対策なのだろう、絵画に客が近付きすぎる事がないように、展示されている絵画の前には進入禁止のバーが設置されている。おそらくあの向こうにも感知結界があるんだろうなと思いながらブローチ型カメラを向けつつ、ちらりと天井を見た。
天井には監視カメラのような形状の、球体状の物体にレンズを埋め込んだようなものが設置されている。それはまるで眼球のように、一定間隔で決まった範囲をぎょろぎょろと見渡しているように見えた。
感知結界用の魔力放射装置だ。あそこからは不可視の魔力が常に放射されていて、床からの反射を妨げられると警報が鳴る仕組みになっているのだと思われる。
仮にそれがなかったとしても、絵画を盗み出すのに苦労しそうだ。
大きな額縁はその上から金属製のフレームと、防弾ガラスみたいな分厚く透き通ったガラスに覆われている。フレームで額縁ごと強固に固定されているようなので、取り外すのは難しそうだ。
《ミカお前、あのフレーム外せないかって考えてるだろ》
「ご名答。なんかあるか」
《今魔力スキャンしてみたが、壁の中にも魔力センサーがある。多分、フレームを固定してるボルトを外した瞬間に警報が鳴るぞ》
「なかなか面倒ですわね」
という事は、目的である”飛竜の恵み”も同様のセキュリティで守られているという事か。
だとしたらなかなか厄介だ……。
まいったね、と小声で言い、クラリスと一緒に1階をぐるりと見て回った。
いったい誰が描いたのだろうか、『ヤンデレでブラコンな腹違いの姉』というタイトルのなかなかインパクトのある絵画まで飾られていて、思わず二度見してしまった。赤毛で胸の大きな少女が、随分と虚ろな目で包丁片手に迫ってくる様子を描いた絵画。きっとこれを描いた画家はかなりの恐怖を感じていた事だろう。
二次元のヤンデレは可愛いけれど、リアルのヤンデレは御免被りたいものである。
あの絵画の作者が無事である事を祈りつつ、クラリスと共に2階へ。
2階も同様だったけれど、1階に展示されていた絵画と比較すると製作年代がより古い時代になっているようだった。旧人類の滅亡か、それに近しい時代の画家が描いた作品群。ということは3階にある作品はもっと古い年代なのだろう。それこそ、旧人類が栄華を極めていた時代の作品であるに違いない。
そんなものをよく”発掘”できたものだ、と感心する。旧人類の滅亡と共にこの世界から拭い去られた、かつての繁栄の一部たち。その多くは今でもダンジョンの底に眠っているのだろうか。
改装前は誰かの寝室であったと思われる部屋の中も展示室になっているようだった。ベラシアが独立国家だった頃の国章となっていた幾何学模様が描かれた、ガラスの扉をそっと開けて中に入る。数名の貴族と思われる客がいる展示室の中には、ガノンバルドに挑まんとする騎士の絵画があった。
作者は聖イーランド出身の画家らしい。
他にも討伐した大型の飛竜を踏みつけながら太陽へ手を差し伸べる勇者の絵画も展示されていたけれど、そういった竜が描かれた絵画の中で一際存在感を放つ代物があった。
「……これだ」
《間違いない、そいつだ》
1.5m×1.5mほどの額縁に収められた、1枚の絵画。
そこには窓の向こうから覗き込んでくる1頭の飛竜へ、屋敷の中にいる少女が手を差し伸べる様子が描かれている。透き通るようで繊細な色使いもさることながら、他の絵画では凶暴さを前面に押し出し、人類の敵として描写されている飛竜と少女の友情を思わせる、他の絵画とは趣の異なる作品である事も、存在感の大きさに一役買っているのだろう。
竜と言えば力の象徴であると同時に、この世界の生態系の頂点に君臨する存在として知られている。人類の天敵であり、それを打ち破る事は勇者の証であると太古の昔から信じられてきた存在―――それが竜だ。
人類の敵であり、ヒトを喰らう存在であり、天空を統べる者たち。飛竜を討伐した騎士の姿や強大なそれに挑まんとする戦士の姿を収めた絵画が大半を占める中で、少女と飛竜の友情を描いた作品はただ一つ、これだけだ。
作品名『飛竜の恵み』―――依頼主の祖先、”スピリドン・ガヴリロヴィッチ・テレシュコフ”が描いた最高傑作。
なるほど、貴族が喉から手が出るほど欲しがるわけだ。
芸術は分からないけれど、そんな素人の俺でも魅力的に感じてしまうほどの何かが―――本能に訴えかけてくるような何かが、この絵画にはある。
俺たちはこれから、この絵画を盗まなければならない。
いや、違う。”取り戻す”のだ。
依頼主の元へ―――あるべき場所へと。
「うへぇ、セキュリティの山だ……」
1号車の1階にあるブリーフィングルームに投影されたのは、俺が撮影していた映像だった。
ブローチ型の隠しカメラで撮影した映像を、魔力スキャナーのフィルターを通して見た状態。そこには不可視の光線が幾重にも張り巡らされていて、さながら光の網のよう。
感知結界だ。これに触れると警報が鳴ったり、結界を展開した魔術師に獲物が網にかかった事を知らせる仕組みになっている。
そんな代物が十重二十重に展開され、美術館の中を不規則に、延々とスキャンし続けているのである。
客に当たっても警報は鳴っていない……実際にクラリスや俺にもその感知結界は当たっているけれど、警報が鳴る様子はなく、美術館の中は静かなままだった。もちろん警備員がすっ飛んでくる様子もない。
「にしても、この感知結界はどういう仕組みなんだ?」
「分からん。触れたら警報が鳴るタイプの結界は見たことがあるが、無害な客に当たっても警報の鳴らない結界は初めてだ……よく分からん」
顎に手を当てながら映像を見るパヴェルも、未知の結界に頭を悩ませているようだった。
逃走ルートの下見も、そして逃走用の車両の確保も済んだ。けれども事前に懸念していた事―――美術館のセキュリティが、やはり最大の障害であるようだった。
「……少し時間をくれ、このセキュリティを解析しない事には強盗なんて無理だ」
「分かった、頼む」
確かにそうだ―――この未知のセキュリティを何とかしない限り、あの美しい絵画を盗み出すなんて不可能に近いだろう。
流血覚悟の強行突破ならば話は別かもしれないが、そうなれば相手側にも、そしてこちら側にも死傷者が出る可能性はあまりにも大きいし、強盗後の憲兵の捜査を躱すのも面倒になる。極力見つからず、証拠を残さない。そして何よりも流血は回避する―――最もスマートに強盗をこなす秘訣はこれだ、これに尽きる。
いずれにせよ、パヴェルの解析次第だ。
それまでは強盗で使う武器に慣れておくべきだろう。




