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ミリアンスク動物園


 セロ曰く、「ミリアンスクは森のように静かな都市だ」という。


 森のような、という比喩はいまいちピンと来なかったけれど、実際に現地に足を踏み入れてみると何となく分かるような気がした。


 大都市特有の喧騒が、ここでは随分と穏やかなのだ。車のエンジン音もクラクションもほとんど聞こえない。聞こえてくる音といえば鉄橋の上を通過していく列車の音や、どこかから流れてくるピアノやバイオリンの演奏。確かに森の中にいるような、大都市とは思えない静寂に包まれている。


 どうしてなんだろうな、と思ったけれど、競馬場での地獄のような特訓を終え、列車に戻ってシャワーを浴び、着替えてクラリス、モニカ、シスター・イルゼと一緒に再び駅から外に出てやっと、ミリアンスクが静かな理由を悟った。


 駅の外に広がる広場を歩いて、ブラウンの落ち着いたレンガで舗装された道を歩き、道端でドラニキを売っている露店の前を通り過ぎ……ようとしたらクラリスの食欲が暴走したので止むを得ず3人分のドラニキを購入して、案内板をチェックしながら動物園を目指す。


 ―――ここまで来て、一度も車を見ていない。


 そもそも車道が未だに見当たらない。信じられない事である。キリウの駅前だったらすぐ目の前に車道があって、バスやタクシーが利用客を待ち受けている(辺境の地域だと馬車の姿もある)のが当たり前。歩道と車道の比率は、前世の日本とあまり変わらない印象を受けたものである。


 しかし、ここミリアンスクはどうだろうか。


 車が見当たらない……というより、そもそも車道が少ない。どこを見ても歩道ばかりで、たまーに馬に乗った憲兵隊の騎兵部隊が、蹄の音を高らかに鳴らしながら治安維持のために巡回しているくらい。


 そういえば、ピャンスクやヴィラノフチでも違和感を感じていた。何だか車道が少ないな、という違和感。車が全く見当たらない、というわけではないけれど、それにしたってなかなかその姿が見えない。


 車の普及率が低い地域なんだろうか。そりゃあ、車はこっちの世界では富裕層の乗り物というイメージが一般的で、庶民は列車だったりタクシーを利用している。あるいは徒歩だが、魔物の多いベラシア地方で徒歩というのは自殺行為ではないだろうか。


 しばらく歩いていると、ベージュ色のレンガで造られた建物の前に、水色に塗装されたタンクが置かれているのが見えた。給水車のように見えるけれど、傍らにある看板にはガラスに入った黄色い飲み物のイラストと一緒に『Квас(クワス)』と記載されている。


 ノヴォシア帝国で普及している飲み物だ。ライ麦を原料として作られていて、ほんの僅かにアルコールを含んでいる。帝国の国民が愛飲する飲み物で、街中にはあんな感じの給水車みたいなタンクを使って販売する商人も多い。


 キリウでもよく見た。価格も安く、微弱ながらアルコールを含んでいる事などから庶民を中心に人気の飲み物だったと記憶している。ちなみにミカエル君は飲んだことはないが、母さんがよくこれを好んでいたらしい。


 前世の世界でも、ロシア、ウクライナ、ベラルーシを中心に人気の飲み物だ。転生者が持ち込んだか、それとも偶然同じ飲み物が誕生したのか、真相は定かではない。


 ちなみに『オクローシカ』という冷たいスープにも材料として使われるのだそうだ。食べた事がないので味は分からないけれど、パヴェルに頼んだら作ってくれるだろうか。


「なんだか静かなところですねぇ」


 規則的に植えられた街路樹の枝の上でさえずる小鳥を見上げながら、シスター・イルゼがそう言った。


 自然と大都市の見事な調和……というと聞こえはいいけれど、利便性の点で考えるとだいぶ不便だ。車に乗って行きたいところにすぐ移動、という芸当が出来ないのは痛い。


 まあ、運動不足の大人には丁度いいのではないだろうか。


 しばらく歩いていると、やがて動物園の正門が見えてきた。


 ミリアンスク動物園、と記載された大きな看板の左右には、デフォルメされたウサギやライオンといった人気の動物が、笑みを浮かべている姿が描かれている。ここは貴族もよく訪れるようで、笑顔でVサインをするライオンの像の前には立派な服装の貴族たちが居て、父親らしきヒグマの獣人に抱き抱えられた小さな子供が、満足そうな笑みを浮かべている。


 貴族の家族たちの前に居るのは、ラッパみたいに大きなストロボ付きのカメラを手にした写真家だ。三脚の上に乗った、まるで機関銃みたいにでっかいカメラを向け、「はい、それでは撮りますよー!」と元気な声を張り上げている。


 転生前の日本じゃ、ああいうカメラマンはあまり見なくなった。なんでもかんでもスマホで撮影できる時代だからそれも仕方ないが、ああいうレトロな機械というのもなかなか味がある……と思う。


 撮影の邪魔にならないように移動して正門へと向かい、入り口のところで入場券を購入。1人500ライブル、そんなに値段は高くない。


 すると後ろでシスター・イルゼとモニカが何やら小声で話をし始めた。何だ、何の話をしているんだとケモミミを立てて聞いていると、何故か恥ずかしそうな顔をしたシスター・イルゼが席払いをする。


「ごほん……さ、さぁ、ママからはぐれちゃ駄目よ~」


「え、え? シスター、急に何を?」


「あ、すいません。大人3人と”子供1人”で」


「はい、子供料金は200ライブルとなります」


 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!?!?!?


 おまっ、モニカお前、え、え!?


 あれか、もしかして300ライブル分節約するために俺を子ども扱いしたってのか?


「ほーら、おねーさんから離れちゃだめよ~」


 そう言いながら俺の手を取るモニカ。


 オイこらウインクすんな、舌を出すな、星出すな。お前を星にしたろか。


 なんかシスター・イルゼが恥ずかしそうな顔をした時点で何となく嫌な予感がしていたが、まさか人を入園料節約のために使うとは何という暴挙を……さすがにこれはクラリス氏も許しませんよね?


「お嬢様、まだ子供なんですからクラリスから離れてはいけませんよ♪」


 ……多分、今の俺チベットスナギツネみたいな顔になってると思う。


 え、チベットスナギツネを知らない? だったらスマホなりPCなりでとっとと画像検索してくれ、なかなかじわじわ来る味わい深い顔をしてるから。


 しかもクラリス、さらっと俺の性別間違えてやがる。もういいよ、男でも女でもどっちでもいいよ。身体も中身も男なら周りに何と言われようと俺は男さ。そう、ミカエル君は男の子(男の娘)なのさ。フハハハハハ。


 などと頭の中でわちゃわちゃする二頭身ミカエル君ズをなだめている間に動物の檻が見えてきた。この辺の檻はサルとかゴリラとか、霊長類の動物のコーナーらしい。


 そういえばこの動物園にはどんな動物がいるのかチェックしてなかったな、と思って案内板を見てみると、なんとここからそう遠くないエリアにジャコウネコ科のコーナーがある事が判明した。


 ビントロングやパームシベット、キノガーレにクロヘミガルスといった動物の名前とイラストがセットで記載されていて、その中にはハクビシンの姿もあった。


「あら、ご主人様のお仲間もいるのですね」


「へぇ~。面白そうじゃん、行きましょ?」


「ちょっ、引っ張るなって!」


「えへへー。お子様はお姉さんに付いてきなさい?」


「あんまり子ども扱いするなよ……」


 そうは言うけれど、この背丈じゃ無理もない。17歳なのに身長150cmというミニマムサイズ、車を運転しようにも座席を一番前まで引っ張ってこなければアクセルに足が届かないという有様だ。


 毎日牛乳飲んでるのになんで背が伸びないんでしょうね? アレか、祖父の遺伝か。アンドレイ(アンドリー)お祖父ちゃんのコピペ遺伝が原因なのか。そうなのかおぢいちゃん。


 祖父を軽く、カジュアルに呪いながらモニカに手を引かれて歩く事1分ちょい。ジャコウネコ科のコーナーが見えてきて、檻の向こうにある大きな木の枝を登っていくルカ……じゃなかった、ビントロングのもふもふした姿が見えてくる。


 相変わらず毛のボリュームがすごいし尻尾も太い。ジャコウネコ科の中では一番尻尾が発達した種なのだそうだ。


 さてさて俺の仲間はどこかな、とパームシベットの檻を通過すると、顔に浮かぶ真っ白な線が特徴的なハクビシンの檻が見えた。


 間近で見ようにも柵が邪魔で見えない。背伸びしても侵入防止用の柵が邪魔である事に変わりはなく、近くに踏み台みたいなものはないものか、と周囲を見渡す。


 まったく、子供料金を用意しておきながら子供に対して不親切が過ぎる……いや、小さいお子様はパパやママに抱っこしてもらって見てね、という事なのだろうか。そういう事なら納得だ。


 ミカエル君の足の裏から地面の感触が消えたのは、その直後だった。


「ちょっ!?」


「ご主人様、クラリスが抱っこして差し上げますわ」


「クラリス、恥ずかしいって!」


「うふふ、仕方ありませんわ。ご主人様はまだまだお子様ですもの♪」


 こ、こんにゃろ……!


 人の尻尾をモフモフしながら笑顔になるクラリスに、後で覚えてろよ、と報復を誓っている間に、檻の向こうに居たハクビシンが「お、仲間おるやんけ」みたいな顔をしながらこっちに近付いてきた。


【なんやお前、何しに来たん?】


「観光だよ」


【はー、観光。そうかそうか】


 獣人には一つ、特殊な性質がある。


 それは”自分の持つ動物の遺伝子と同種の動物が相手である場合、意思の疎通ができる”というものだ。つまりハクビシンの獣人として生まれたミカエル君は、『ハクビシンと意思の疎通ができる』というわけである。


 他にもルカの場合だったらビントロングと意思の疎通ができるし、リーファならパンダと意思の疎通ができる。動物好きの人ならば誰でも夢見たであろう、動物との言語を使った意思の疎通が条件付きで可能になるのだ。


 そういうわけで、この何故か胡散臭い関西弁で喋る(ように聴こえる)ハクビシンと意思の疎通ができるのはミカエル君だけ。他の仲間たちの耳には、がうがう喚くハクビシンと俺が話しているようにしか聴こえていないはずだ。


「そういうあんたはどこから来たのさ?」


【ワイはタイワン諸島から来たんや。ノヴォシアは寒いなぁ】


「そりゃあ向こうは温暖だからねぇ」


【冬場なんか地獄やわ。なんかこっちじゃ珍しい動物らしくてワイらハクビ一家珍獣扱いされてるみたいやけども】


「ハクビ一家」


【まあでも、ぶっちゃけこっちのほうが住みやすいわ。定期的に餌くれるし、何より虎がおらへん。タイワン諸島やと虎がおっかなくてなぁ……ワイの親父、ワイが目を離した隙に虎に喰われたんや】


「それはお気の毒に……」


 ハクビシンもなかなか過酷な生活を送っている。


 日本では害獣だのなんだの言われているハクビシンだが、外敵がほぼいない日本ならばともかく、中国南部とか台湾とか東南アジアなどの本来の生息地では常に空腹と外敵の脅威に晒されているのだ。そのうえ中華料理では高級食材とされているハクビシン。彼らは食物連鎖の中でも割と下位に属している。


【母ちゃんは獣人共に食材にされてな。ワイはまだ小さかったから弟妹共々ノヴォシアに売り払われて今に至るわけや……あー小僧、ちょっとええか】


 ん、コイツ今俺を小僧って……?


「何だお前、俺が男だって分かるのか」


【当然や、だって童貞臭プンプンするやん。オスの臭いやで。それより小僧】


「ミカエルだ」


【小僧、それよりあそこの飼育員の姉ちゃんに声かけてや。乳のデカい姉ちゃんや】


「なんでや」


【動物にエサやり体験できるねん。ワイちょっと小腹が空いててな、甘い果物が食いたいんや】


「しゃーねーな」


 なんだこのハクビシン。なんで胡散臭い関西弁で喋るんだコイツ。キリウの動物園から逃げ出したハクビシンと話をしたことがあったけど、ソイツは標準語だったぞ……?


 とりあえず同胞の頼みとあっては断れない。近くを通りかかった飼育員のお姉さん(多分ゴールデンレトリバーの獣人だと思う、しかも乳がデカい)に声をかける事に。


「あの、すみません」


「なあに?」


「えっとね、ハクビシンにね、エサあげたいの」


 一応は子供料金で入場しているので、口調もそれっぽくしておく。言っておくがノリノリではない、半ばヤケクソだ。焼き加減で言うとレアである。


 声帯に住んでる二頭身ミカエル君にロリボイスを出してもらうと、お姉さんは何故か顔を赤くしながら「ええ分かったわ。ちょっと待ってね」と言って近くにある部屋の中へと入っていった。


 しばらくして、果物が入った小さめのバケツを渡してくれる。


「あまり指を入れ過ぎないようにね。ハクビシンって牙が鋭いから、指を噛まれたら大変だから」


「はーい! ありがとーおねーさん!」


 よくやった、ロリボイス担当二頭身ミカエル君。キミ今月から給料倍ね。


 バケツを受け取ってハクビシンの檻の前まで戻ると、今度はモニカに身体を抱っこされた。


「あはー、ミカって軽いわねぇ」


「うるさいうるさいうるさい。小さいから中身もそんなに入ってないんだよ」


 自分で言ってて悲しくなる。


【エサ、エサ、早くくれ。餓死してまう】


「はいはい」


【サンクス助かるわ】


 格子の隙間から差し入れたリンゴをもぐもぐするハクビシン。しゃくしゃくと果肉を咀嚼する同胞を見守る後ろでは、俺はモニカとクラリスに尻尾を吸われていた。


 なにこれ。












 真っ赤に焼けた空を、カラスの群れが飛んでいく。


 子供たちの遊ぶ時間はとうに過ぎ、一般的な家庭ではそろそろ夕食の時間。そして俺たちも夕飯の時間が近付いているとなれば、いつまでも動物園に留まっていられない。


 しかし、なかなか興味深い場所だった。


 前世の世界にいた動物だけではなく、一部には前世の世界において既に絶滅したサーベルタイガーやマンモスといった動物も展示されていたのである。図鑑のイラストや骨格しか見た事がないサーベルタイガーを生で見れたのは、なかなか興味深いし貴重な経験と言えた。


 カッコよかったなぁ……威嚇されたけど。


 やっぱしハクビシンって捕食対象でしかないんだな、とちょっと落胆しながら仲間たちと駅まで歩き、改札口で冒険者のバッジを提示してレンタルホームへ。


 今夜は何だろうか。そろそろカレーかな、と思いながらレンタルホームの階段を降りると、客車のところでエプロン姿のパヴェルが待っていた。


 筋骨隆々で迷彩服姿が似合うヒグマみたいな巨漢が、可愛いウサギのイラストが描かれたエプロンを身に着けて立っているのにはなかなかシュールな雰囲気があったが、しかし彼の眼光の鋭さがそんな雰囲気をあっという間に吹き飛ばしてしまう。


 ありゃあなんかあったな、と動物園の土産売り場で購入したビントロングのぬいぐるみを抱えていると、パヴェルはニヤリと笑いながら口を開いた。



「喜べお前ら―――”裏稼業”の依頼だ」




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― 新着の感想 ―
[一言] とりあえずミカエル君には二頭身ロリボミカエル君を声帯に常駐させてもろて。 多分あのゴールデンのお姉さんは今頃ロリボミカエル君に悶えてるに違いない。
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