強さへの道標
「わぁぁぁぁぁぁぁぁん散々だよもぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ミリアンスク駅のレンタルホームに停車する列車に戻って来るなり、胸の中でぐるぐると回っていた感情が言葉になって溢れ出た。
あんなはずじゃなかった、もっと、もっと上手くやれるはずだった……ダンジョンに行って戦うのは何度もイメージしたし、ミカ姉から借りた本とかパンフレットを読んで自分なりに勉強したつもりだった。
それに今回はミカ姉も一緒だったから、魔物をしっかり討伐して、強くなったところをミカ姉に見てほしかったし、褒めてほしかった。
なのに、なのに……。
ダンジョンでの自分の行動を思い出すだけで、何とも恥ずかしくなる。もしこの記憶を封印できるならば、ダクトテープで幾重にもぐるぐる巻きにして記憶の底に封印してしまいたい。記憶の海の遥か底へと沈んで、もう二度と浮き上がらないでほしい……そう思わずにはいられないけど、思えば思うほどあの醜態を思い出してしまい、自分で自分のメンタルをガリガリと削る羽目になる。
さて問題です。この俺、ルカ君はダンジョン内で何か功績を残したでしょうか?
強いて言うならば、ゴブリンにヘッドショットをキメて倒したくらい。しかもそれは自力ではなく、ミカ姉に足を撃ち抜かれて動けなくなっているゴブリンに止めを刺したに過ぎない。しかも、討伐したら討伐したで頭の割れたゴブリンの死体を見てしまい、我慢できず昼食を草むらの中にオロロロロロする羽目に。
後は終始ビビりながらAKを連射していたくらい。ミカ姉の指示で何とか動けたけれど、もしこれが俺1人でのダンジョン調査だったらと思えるとお先真っ暗……そうとしか言えない。
本当に大丈夫だろうか。俺なんかがミカ姉みたいな冒険者になれるだろうか……武器庫にライフルを返却していると、訓練場と化した射撃訓練場の片隅で木刀を振るっていた範三が、いい汗をかきながら肩に手を優しく置いた。
「ルカ殿、ミカエル殿から聞いたぞ。立派な初陣だったそうだな!」
「立派だなんて……あんな情けない姿、みんなに見せたくなかったよ」
「はっはっはっはっ、初陣とはそう上手くいかぬものよ。だがこれで、これからどうするべきか道筋が見えてきたでござろう?」
「道筋?」
「左様。強くなると言っても、自分の得意不得意を知らねばならぬ。敵を知る前にまず己を知り、そこから鍛錬を積み重ねていく……強くなる手段はこれしかあるまい」
「己を知る……」
そういえば、俺って何が得意なんだっけ。
射撃か、接近戦か、魔術か。まず自分の得意分野が何なのか、それすらも分かっていなかった。それに苦手な分野だって分からない。何を長所として伸ばし、何を短所として克服していくべきか。
強くなると思ってはいても、それ以前に俺はあまりにも自分を知らな過ぎた。
そういえばミカ姉は……というかギルドの皆は、自分の得意不得意をちゃんと理解している。ミカ姉は接近戦が苦手(体格がその要因らしい)だから、射撃と魔術を併用した遠距離戦に特化した戦い方をしているし、クラリスさんは格闘戦が得意だからガンガン前に出ている。
自分が求める強さがどういった強さなのか。
まずはそこから、しっかりと固める段階なのかもしれない。
そう思うと先ほどまでの恥ずかしさはどこへやら、これから自分を鍛える楽しみが湧いてきたような気がした。
「ありがとう範三! 俺、これからも訓練を続けて強くなるよ!」
「うむ、日々の努力こそが最強への道よ。精進されよ、ルカ殿!」
倭国から来たお侍さんのおかげで、不安も何もかもが吹き飛んだ。
そうだ、俺はこれからなのだ。
「お待たせネー!」
どん、と目の前に置かれたどんぶりの中身を見て、思わず声が出た。
淡く澄んだスープの中に、うどんのように真っ白な麺が沈んでいる。日本で口にしたうどんを思わせる料理だけど、それと決定的に違うのは麺の上に煮込んだ竜の肉(ガノンバルドの肉だと思われる)がチャーシューの如く乗っているのと、パクチーと大根、それから真っ赤なラー油が浮いている事だろうか。
「おー……すっげ」
「牛肉麺ならぬ”竜肉麺”ネ!」
自信満々に胸を張るリーファが言うなり、隣に座るクラリスの唇の端からは早くもよだれが……。
実はこの料理、日本のラーメンの原型になった麺料理だったりする。これが日本で日本人の味覚に合うように変化していったのが、前世の世界でよく食べていた日本のラーメン。なので本場のラーメンを食べるのはこれが初めてだったりする。
見た感じはだいぶうどんに近いけれど……?
「いただきまーす」
手を合わせてから箸を手に取り、試しに麺を軽く啜ってみる。
もっちりとしてコシのある麺が、ガノンバルドの肉や骨で出汁を取った濃厚なスープによく合う。しかもパクチーの香りのおかげだろうか、ぎっとりとしたしつこさは感じられず、むしろ爽やかな風味すら感じる。
そして追い討ちをかけてくるラー油の辛さ……何だこれ最高か???
「どう?」
「いやこれ美味い、マジで美味い」
「毎秒食べたいくらいですわ!」
とっても幸せそうな顔ですっからかんになったどんぶりを差し出すクラリス。厨房でスタンバイしていたパヴェルがそれを受け取り、今度は大盛り……というか特盛にしてクラリスに渡す。
いや、これ本当に美味い。
日本のラーメンも好きだったけれど、こっちの本場のラーメンも好きになりそうだ。甲乙つけがたい。
なるほどこれが四千年の歴史が詰まった一杯ですか、と納得している俺の向かいでモニカが何やら叫び出しそうな気配が見えたので、ささっと耳栓を装着しておく。
「アヒャアアアアアアアアアうっっっっっっっっっっっっっま!!!!」
推定音圧300dB。
何だろ、最近モニカの叫び声のインフレが凄い事になってきた。
一応言っておくけれど、銃声でだいたい150dB。300dBにまでいくともう隕石の落下クラスなのだそうだ。
毎度思うんだが、モニカの声帯ってどうなってるんだろうね?
声帯に二頭身モニカちゃんでも住んでるんだろうか。
とりあえず箸でガノンバルドの肉を摘まみ、口へと運んだ。良く煮込まれているようで、てっきり分厚い牛肉みたいな食感をイメージしていたんだけど、予想に反して柔らかかった。咀嚼しなくても口の中で崩れていくほどで、味もよく染みている。
これワンチャンおかわりするかも、と思っていると、モニカの隣に座ったリーファもニコニコしながら麺を啜り始めた。
「ンー、我ながらいい出来ネー♪」
「美味しいけど、これ食材集めるの大変だったんじゃない?」
メインになっているガノンバルドの肉はまだ、文字通り腐るほど保管されている。こりゃあしばらく食卓に並ぶことになりそうだ……竜に捨てる部位はないとはよく言ったものだけど、こうも毎日出てくると困惑する。なんか、討伐されたガノンバルドの怨念にも思えてくるのは俺だけだろうか。
いや、それよりも、パクチーとかラー油とかその他の食材をノヴォシアで手に入れるのはなかなか大変だったはずだ。いくらジョンファの行商人たちが世界中を渡っているとはいえ、ジョンファの食材はノヴォシアでは珍しい(国境を接していないイライナやベラシアでは猶更だ)ので値段も高く、これだけの量を集めるのには相当苦労した筈である。
するとリーファはどこから取り出したのか、ジョンファの鉄扇を取り出して広げながら、それはそれはもう悪そうな笑みを浮かべた。
「大丈夫ヨ、このギルドお金持ちだからネ。ジョンファ人お金好きだから、札束ちらつかせれば喜んで用意してくれるヨ」
か、金の力ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
いや、まあ相手も生活が懸かってるだろうしお互い良い思いできるんだけど、なんかアレだ、生々しい。なんだろう、お金が絡むと何事も生々しく思えてくるのはミカエル君だけではない筈だ。
相当出費があったのね、と思いながらちらりと厨房の方を見ると、自分の分の竜肉麺を啜っていたパヴェルがこっちに向かって親指を立てていた。
つまりアレか、俺らは今札束を食ってるってわけか。
……やっぱりお金の力ってすごいね、うん。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ルカ、しっかりしろ」
呼吸が乱れ、明らかに走るペースが遅れ始めたルカの隣を走りながら、弟分を必死に励ます。いつもダンジョンに行く時と全く同じ格好で、手にAKを抱えながら走るが、しかし彼を励ます俺も足がパンパンになりつつあった。
そんなグダグダなハクビシン&ビントロングのジャコウネコブラザーズの隣を、すっごい笑顔で追い抜いていくクラリス氏。しかも身に着けているのはメイド服(夏仕様)、肩には何をトチ狂ったかカールグスタフ無反動砲を担いでいる。
おかしい、あんな重装備で追い抜いていくなんておかしい。
さて、俺たちが走らされている場所はミリアンスク市内にある競馬場。本当だったら競走馬たちが全力で走るコースを、獣人である俺たちが走らされている。
もちろんコレもトレーニングの一環だ。いつもの装備を身に着けて走る事で、戦闘時に近い条件下で基礎体力を向上させるというパヴェル式の体力トレーニングである。戦闘中につかれた、などと言って休んでしまったら最後、次の瞬間には戦死は確定だ。
「ほら頑張れ、もう少しだから」
「はぁっ、はぁっ……!」
ちなみにこの競馬場、本日はレースはお休みだ。なので管理人に札束を渡しながら頼み込み、休日の間だけ体力トレーニングの場として借り受ける事となった。
とはいえ、コースがとにかく長い。そりゃあ70㎞/hくらいの速度で走る競走馬のためのコースであって、そんな場所を獣人が走るなんて想定されていない。しかも地味に勾配があって、疲労の溜まった足をこれでもかというほど苛んでくる。
今にも倒れそうになるルカ。そんな彼の所へ駆け寄ってきたコンバットシャツにタンクトップ姿のパヴェルが、限界を迎えつつあるルカに向かって怒鳴る。
「ルカぁっ! それで限界かぁっ!?」
もちろん返答する余裕などルカには無い。
「お前そんなんじゃミカみたいになれねーぞ! どーすんだおい、諦めんのか!? お前が自分に負けたらパーティーメンバーが死ぬぞ!!」
決して罵倒しているわけではない。今にも限界を迎えつつあるルカを焚き付けるよう、彼なりに言葉を選んでの怒声。本人が言ってたことだが、”前の職場”では鬼軍曹ならぬ『鬼大佐』だったのだそうだ。厳しすぎる訓練に、新兵が何人も原隊に送り返されたのだとか。
だからやたらとトレーニングがキツいわけだ。キリウの屋敷で自主的にやってたトレーニングとは明らかにレベルが違う。幼少の頃からの努力が幼児の遊びに思えてくるほどだ。やっぱり、従軍経験のある人の考えるトレーニングは的確で、鍛えるべき場所へと徹底的な負荷をかけてくる。
しかし、ルカは今にも倒れそうだった。
今日のミリアンスクの気温は27.5℃。日本ほど湿度はなく、空気も乾燥してるんで過ごしやすいと言えば過ごしやすいけれど、しかし気温は夏のそれだ。俺もルカも、そしてパヴェルも汗だくである。
汗一つかいてないのはクラリスくらいだ。
「はっはっはっ、お先するぞルカ殿ー!!」
袴姿でそんな事を言いながら追い抜いていく範三。その後にリーファが続き、少し遅れてモニカが「おっ先ー♪」なんて言いながら俺たちを追い抜いていく。さすがにシスター・イルゼは運動が苦手らしく、彼女ははるか後方で頑張って走っていた……Iカップのおっぱいを揺らしながら。
いかんいかん、トレーニング中に変な事を考えるでない。煩悩退散、煩悩退散。プリーズ除夜の鐘。
仕方がないのでルカが抱えるAK-102を受け取り、彼の負担を少しでも減らそうとする。
しかし―――彼にもどうやら、意地があったらしい。
虚ろだったブラウンの瞳に光が戻るや、今しがた俺が預かったAK-102を奪い取るように再び手に取ると、歯を食いしばりながら走るペースを上げ始めた。
それを見て俺とパヴェルは安堵する。
コイツ、なかなかの負けず嫌いらしい……良い事だ。こういうヤツは周囲に触発されて努力するから、とにかく伸びる。
そんな調子で競馬場を何周もさせられた後、俺たちはターフの上にぶっ倒れた。
酸素を寄越せと脳へ要求してくる肺のために空気を必死に吸い込みながら、身体中の水分が抜け切ってしまったかのような身体を這い回る疲労感に抗う。
できる事ならばこのまま動きたくない……しかし、競馬場に響いたホイッスルの音が、無情にも更なるトレーニングを告げた。
「次、腕立て伏せ100回3セット! 終わった奴から今日のトレーニングを終了、一番最後は追加で50回!」
「ひ、ひえぇ……」
「ほらやるぞ」
ぽんぽん、とルカの肩を叩き、腕をターフについて腕立て伏せを始める。
肺が焼けているかのようだ。あるいは、喉の奥が切れて血が出ているかのような錯覚すら覚える。口の奥から鉄の味がして、身体中が悲鳴を上げた。
もちろん服装は私服の上に工具用ホルダー、チェストリグにバックパック。銃に収まっているのは模擬弾。重量も実弾と寸分変わらない。
いつも身に着けている装備のまま、限界を迎えつつあったルカを励ましながら腕立て伏せをひたすら繰り返す。胸をちゃんとターフに接触するまで下げ、そこから身体を持ち上げる。このタイミングで腕の筋肉が悲鳴を上げるのだ。
とはいえ、弱音は吐けない。
隣では弟分も見ているし……何より、この午前中のトレーニングが終わったら動物園に行く予定があるのだ。
結局、腕立て伏せ追加で50回を言い渡されたのはルカとシスター・イルゼだった。
女性にも容赦がないパヴェル氏、さすが鬼大佐である……。




