スライムの脅威
スライム。
その生物が一体どうやってこの世界に姿を現したのか、議論と研究は今でもなお続いている。アメーバのような原生生物が何らかの変異を遂げてそのままスケールアップするに至ったという説もあるが、一般的なのは旧人類によって造り出された生物である、という説である。
根拠はまず、生息地は多岐に渡るものの、ダンジョンの奥地や最下層などの旧人類の遺構の最深部に生息している事、そしてその最深部が大概は廃棄物の処理施設になっている事、そして粘液の中央に浮かぶ核を解析した結果、必要以上に大量発生する事がないよう、分裂可能な数に制限が人為的にかけられていた事が判明したためである。
つまりは、この世界におけるスライムは旧人類が生み出した生体兵器であり、おそらくは【実験で生まれた失敗作を喰らい処理する掃除人】としての役目を期待して生み出された代物である、という事だ。
ラミアやハーピーといった他の魔物と同様に、スライムもまた旧人類の手を離れて野生化し、今の世界に適応した立派な人類の敵と言えるだろう。
とはいっても、図鑑で読んだ情報だと大型の個体でもせいぜい170cm程度。特定の形を持たず、核もゴムボールみたいに柔らかいから、どんなに狭い隙間でも入り込めるという厄介な性質を持っている。
それは分かるのだが―――。
「これはちょっと……」
「はは、ははは……特盛りが過ぎるんじゃ……?」
ミカエル君、大盛りを頼んだ覚えはないんだけどねぇ……。
水道管から下水が逆流してくるかのように、竪穴の底から這い上がってきた巨大なスライム。
粘液の色は蒼く、見ている分には美しいんだが、しかしその固まる前のこんにゃくみたいな質感の粘液に少しでも触れてしまったら最後だ。さっき目の前で食われたオークと同じ末路を辿る事になる……。
服だけ溶かして触手でえっちな事をされる、というのはエロ同人の中だけの話。こっちの世界ではスライムに触れたらたちまち身体を溶かされ吸収されてしまう。そう、リョナ同人的な展開になってしまうのである。
そんな死に方は御免だし、個人的にR-15の範疇で何とか事を済ませたいミカエル君的にも、スライムとの接触は是が非でも避けなければならない。
ルカが引き金を引いた。パパパンッ、とAK-102から放たれた5.56mm弾が蒼い粘液を穿つ。けれどもそれは粘度の高い液体の中であっという間に運動エネルギーを使い果たすと、粘液の中を漂うただの金属の礫と化すだけだった。
もちろん、ダメージにすらなりはしない。
竪穴の底から這い上がってきた巨大なスライムが、ゆっくりと巨大な核を俺たちの前に晒した。直径にしておよそ3m、サファイアのように透き通った粘液部分とは打って変わって、コアの色は毒々しい紫色だ。おまけにその表面には、血管のように紅い筋が放射状に伸びており、ドクン、ドクン、と鼓動しているかのように脈打っている。
核の姿を認めるなり、仲間たちが一斉に発砲した。粘液に絡め取られても、核を損傷させられるだけの運動エネルギーを維持していればいい。特にモニカの機甲鎧が持つMG3は、使用弾薬が大きい関係で貫通力、ストッピングパワー共に5.56mm弾を上回る。
案の定、最初のうちの数発は粘液の中でも失速せず、巨大なスライムの核の表面に弾頭を潜り込ませるほどの威力を見せてくれた。予想外の攻撃に、まるで悶え苦しんでいるかのように核表面の血管のような模様が激しく点滅する。
このまま行けるかと期待したけれど、スライムもそれほどバカではないらしい。
銃というカテゴリーの武器は、運動エネルギーで対象を破壊する類の兵器である。ならば直進してくるそれの運動エネルギーをどうにかして削ぐことができれば、その脅威の度合いは著しく低下する。
それを今の短時間の戦闘で理解したのか、それとも本能的に核を守ろうとしたのかは定かではない。けれども大型スライムが粘液を核の前面に分厚く展開した事で7.62×51mmNATO弾の絶大な威力も意味を為さなくなり、あっという間に粘液に絡め取られてしまう。
やっぱこうなるよね、と思いつつ、射撃を再開しようとするルカの手を引いて後退。果敢に反撃するのは良いが、意味のない攻撃を続けたところで弾薬の無駄だ。反撃手段を喪失したら、鉄パイプと魔術で応戦する事になってしまう。
ルカを退避させつつ、銃の保持をスリングに任せ、左手を突き出した。瞬時に魔力波形を調整、波形の整った魔力を放射する。
蒼い雷の球体が1発、砲弾のような速度でスライムの粘液を直撃した。
雷球―――初歩的な魔術の一つだ。発動までのハードルが低く、アレンジもしやすい魔術なので初心者から上級者まで幅広く愛用している術である、とされている。もちろん適性が可もなく不可もなく、といった平凡なミカエル君的にも、貴重な非物理攻撃手段として重宝されている。
さすがに運動エネルギーに頼らない電撃での攻撃は想定外だったらしい。痛みを感じている素振りは見せなかったし、悲鳴を上げる事もなかったけれど、スライムの核が激しく点滅した。
コイツにも痛覚はあるんだな、と思ったところで、スライムも反撃に転じる。
蒼い粘液の塊の中から、触手上に伸びた粘液が2本、こっちに向かって撃ち出されたのである。
それで絡め取って粘液の中に引きずり込むつもりだろう。言うまでもないが、触れたら最後だ。仮に瞬時に溶解されなくとも、オークに力比べで勝つほどの力の持ち主である。クラリスみたいな例外を除いて、俺たちが何とかできる相手ではない。
イリヤーの時計に時間停止を命じ、触手の射線上に居たルカをこっちに引き寄せた。それと並行しながら魔力を放射、右手を横薙ぎに振り払う。指先の軌跡をトレースするかのように生じた雷が斬撃と化し、5つの雷の斬撃が触手目掛けて伸びていく……ところで、時間停止が強制終了される。
「うわぁ!?」
「くっ……!」
雷爪を真正面から受けたスライムの触手があっさりと切断。ついでに核にも電撃が達し、核表面の血管みたいな模様が激しく点滅した。
ダメージにはなっているが……決定打には至っていない、か。
ならば弱点で一気に攻めるまでの事。
「火炎瓶を!」
ポーチの中に残っていた1つを取り出し、トレンチライターで火をつけた。ルカも思い出したようにポーチから火炎瓶を取り出すや、不慣れな手つきでトレンチライターを使い火をつける。
パヴェルとクラリスが俺たちに先んじて投擲。火のついた火炎瓶(タンプルソーダの空き瓶を流用したものだ)がくるくると回転しながらスライムの粘液に激突するや、どぷっ、と海の中に石を落とすような音を発し、ズブズブと粘液の中に沈んでいった。
当然、瓶の口のところに詰め込んでいた布、そこで燃えていた火も消えてしまい、瓶の口から溢れたガソリン(ノヴォシアの法律でガソリンはオレンジに着色する事と規定されている)が漏れ、蒼い粘液の中にオレンジ色の斑模様を生み出す。
続けて俺とルカも、手持ちの火炎瓶を全部放り投げた。
こっちも結果は同じで、火のついた火炎瓶はスライムの粘液の中に沈み、新たなオレンジの斑模様を浮かび上がらせる結果に終わってしまう。
不発……いいや、そうとも言い切れない。
スライムの頭上で火炎瓶を撃ち抜き、頭から燃え盛るガソリンをぶっかけてやろうかと思ったけれども、こっちのほうがより効果的と言えるだろう。
自分の身体に等しい粘液……その中から、ガソリンが滲み出ている状態だ。
もしここにうっかり火でもつけようものならば、内側と外側から同時に焼き尽くされる事になる。火を―――というより、水分の喪失を何よりも嫌うスライムにとって、それがどれだけ致命的な結果をもたらすかは計り知れない。
惜しいのは、相手に感情がない事か。
是非とも「うわ、やられた」と言わんばかりの、己の失策を悟った顔が見て見たかったものだが、それはまあ良しとしよう。
「―――モニカ」
『任せなさい?』
ルカと一緒に後ろに下がる俺たちと入れ替わる形で、モニカの機甲鎧が前に出た。
その手にあるのはMG3……ではなく、ソ連製火炎放射器のLPO-50。
美味しいところだ、バッチリ決めてくれよモニカ。
腰だめで構えた火炎放射器から炎が迸るや、蒼い粘液の塊にぶち当たる。着火した超高温の燃料の奔流、それは瞬く間に人体を炎で包み込み、全てを焼き尽くす地獄の業火の具現。
スライムの身体を構成する粘液も瞬く間に沸騰、蒸発していくが、それだけでは留まらない。
先ほど身体の中に投げ込んだ火炎瓶―――そこから漏れ出たガソリンにも、立て続けに火が付いたのである。身体の中から漏れだすガソリンは瞬く間に炎の通り道と化し、巨大なスライムの粘液を外側からも、そして内側からも焼き尽くした。
粘液が泡立ち、熱したフライパンの上に落とされた水滴のように蒸発していく。
苦し紛れに触手を伸ばすスライムだったが、その触手もモニカに達するよりも遥か手前で蒸発、核を覆う粘液が急激に姿を消していく。
やがて粘液を全て剥がされたスライムの核を、地獄の業火が飲み込んだ。
炎の中で泡立ち、水分という水分全てを吐き出して溶け、崩れていく紫色の核。
火炎放射器が沈黙した後、射線上に残っていたのは、赤々と燻る地面だけだった。
そこにスライムがいたという痕跡は、何も残らない。
ドットサイトのレティクルの向こうに、敵が映った。
蒼い粘液で覆われた核を持つスライム。けれども先ほど遭遇したクソデカスライムと比較するとその体躯は遥かに小さくて、せいぜい人間の子供くらい。核の大きさもテニスボールくらいで、きっと幼体なのだろう。
そんな相手にも容赦なく、5.56mm弾を撃ち込んだ。成長途中なのかまだ粘度が低い粘液では5.56mm弾の貫通力を抑え込むには至らず、容易に核を撃ち抜かれてしまうスライム。核からピンク色の体液のようなものを放出したかと思うと、粘液は急激にその粘度を失っていき、核と共に崩壊を始めていった。
死んだのだ。
この世界のスライムは核さえ破壊できればその機能を停止、つまりは”死亡”する。だから非物理攻撃に依存しなくても、剣や弓矢、槍に銃といった物理的な攻撃でも十分に対処可能である。
まあ、さっきみたいなクソデカスライムは想定外だけども。
「ねえミカ姉、スライムの死体からは何も取れないの?」
「何も得るものはないよ。粘液だって蒸発しちまうし、核も崩壊して泥になる」
ぐずぐずに崩壊した核の残滓を顎で示しながら言うと、ルカはつまらなさそうな顔で息を吐いた。
実際、スライムを好き好んで討伐する冒険者は少ない。
飛竜とか他の魔物であれば、肉は食材になるし、鱗や羽根、外殻は武器とか防具の素材にもなるので重宝される。けれどもスライムは討伐しても何も残すものがない(ゲーム的な表現をすると”何もドロップしない”)ので、厄介な性質を持っているくせに討伐する”旨み”がないのだ。
だからスライムが出没するダンジョンを嫌う冒険者、というのも一定数存在する。
そんな事より、竪穴の底はまさに宝の宝庫だった。
これから横穴の中に伸ばしていく予定だったのだろう、トロッコ用の線路のレールの予備が乱雑に積み上げられたまま放置している。他にも燃料が尽きて動きを止めて久しい非常用の発電機に予備の電気配線といった、マーケットでは高額で取引されている廃品が大量に散乱している。
それ以外にも、錆び付いた剣や鎧、銃剣付きのマスケットに魔術師の杖といった装備品も散らばっていた。こちらはおそらく、例のクソデカスライムの犠牲となった冒険者のものだろう。スライムの粘液は骨をも溶かすが、無機物は消化できない。だからダンジョン内で装備品だけがやけに散らばっているエリアではスライムに要注意、というサインになる。
この装備品の類はどうするべきか、正直ちょっと悩んだ。確かに状態がいいものもあるが、これはこのダンジョンに挑み生還が叶わなかった冒険者たちの遺品だ。遺体の代わりに弔ってやるべきじゃないかな、と考えていると、ぽん、とクラリスが俺の肩に手を置いた。
「ご主人様、これも全て拾っていきましょう」
「クラリス……」
「この方々も冒険者であったなら、こうなる事も覚悟していた筈ですわ」
「ミカ、こればっかりはクラリスの言う通りだぜ」
「パヴェル……」
金属製の兜を拾い上げ、状態をチェックしてからバックパックに収める彼は、いつもと変わらぬ調子で言いながら葉巻を取り出した。
「俺たちだってこういう商売なんだ。もしかしたらいつかはこうなるかもしれねえ……お互い様さ。そうなった時は他人の糧になる、冒険者ってのはそうして繋がっていくものなのかもな」
俺たちもいつかは……か。
クラリスの顔を見上げてから、ちらりとルカの方を見た。
……力があれば、そんな結末は防げるだろうか?
絶対的な、他者を近寄せないほどの力さえあれば、そんな破滅的な未来は打ち払えるだろうか?
もしそうなのだとしたら、今の俺にはまだ強さが足りない。
”自称魔王”から貰った借り物の力に、実家から盗み出した英霊イリヤーの力。それに自前の力を足してもまだまだだ。もっと、更に上を目指す事が出来る筈である。
伸びしろがあるならば、もっと強くなってやろう。
絶望の未来を打ち払い、希望への旅路を切り開く力を。
「俺は糧にはならねえよ」
無意識のうちに、そんな言葉が口から漏れていた。
「俺だけじゃねえ、皆もだ。そんな事は絶対にさせない」
「ご主人様……」
「ミカ姉……」
地面に落ちていた剣を拾い上げた。
ごめんなさい、持って行きます……かつての持ち主に、届くかも分からぬ祈りを捧げ、剣をそっとバックパックに放り込んだ。
そんな俺の後ろ姿を、パヴェルは嬉しそうな顔をしながら見守っていた。
まるで我が子の成長を喜ぶ、父親のように優しい表情だった。




