深淵の底には……
結局、村で拾う事が出来たスクラップはごく僅かなものだった。
錆だらけの鉄板とか、民家の中に転がっていた錆だらけの釘とか、そんなもんである。中には剣も落ちていたけれど、これは普通に冒険者の落とし物かもしれないので、一旦管理局の人に届けておいた。
ノヴォシアでは、落し物が届く事なんてほとんどない。持ち物を落としてしまったら最後、次にご対面するのは闇市で転売されている姿であろう。
願わくば持ち主の元に届きますように―――そう願わずにはいられない。
それにしてもやけにゴテゴテした剣だったなぁ。いかにも伝説の剣って感じだったけれど、気のせいだろう。ああいう派手な装飾の剣を持つ貴族とか冒険者は結構多いし、特別な力があるとは思えなかった。表面の装飾も安っぽかったので多分メッキか何かではないだろうか。
うふふ、ミカエル君の目は誤魔化せませんわよ。
村の北部に差し掛かったところで、目の前に見えてきたのは大きな坑道の入り口だった。トロッコどころか列車すら収まってしまいそうなほど大きな坑道の奥からは、採掘した鉄鉱石を運ぶためのトロッコ用の線路が伸びている……とはいっても、レールや固定用のボルトは既に外されており、今では地面に埋没した枕木にその名残を見るばかりだ。
ダンジョン内の金属は、とにかく持ち去られる。
その辺の鉄屑だろうが鉄板だろうが、とにかく金になるのだ。あるいは自分たちで使ってもいい。列車や車の補強から即席の武器、防具の作成まで、その用途は多い。普通の人から見ればただのガラクタの山かもしれないが、俺たち冒険者から見れば宝の山だ。ライブル硬貨や紙幣、札束が眠っているのがダンジョンなのだ。
さて、坑道にこれから突入するというところで、俺は立ち止まってルカに言った。
「ルカ、おさらいだ」
「うん」
「スライムの弱点は?」
「核」
「その通り」
一番効果的なのは炎、あるいは電撃による非物理攻撃であるが、手持ちに火炎瓶といった武器がなく、炎属性魔術も使えない場合、一応は物理攻撃での対処も可能である。
その場合は粘液の中に浮かぶ球体状の部位―――核を攻撃すればいい。そこに一定以上の損傷が発生すると、スライムは死滅するのだそうだ。
知識はあるが、しかし実際にスライムと戦った事はない。スライムといえば蒼い粘液で構成された魔物ってイメージがあるけれど、こっちの世界のスライムは粘液の中に核が浮かんでいるという変わった姿をしているのだそうだ。
とりあえず、気を付けて進もう。こんなところでスライムのおやつになるつもりはない。
AK-19に取り付けたシュアファイアM600のスイッチを入れ、坑道の中を照らした。中はいたって普通の坑道……と言いたいところだが、壁面にはゴブリンのものと思われる頭骨やら、人骨の一部と思われる骨が転がっている。
機甲鎧を操るモニカを先頭に、坑道へと踏み込んだ。機甲鎧の胸部装甲に、さながらラリーカーの如く外付けされたフォグランプの強烈な閃光が坑道の中を照らし、脚部のモーターが駆動する音を響かせながら、鋼鉄の鎧がゆっくりと前進していく。
ライトの中に小さな人影が現れたのをモニカは見逃さない。それが他の冒険者ではなくゴブリンだと認識するや、腰だめで構えたMG3がけたたましい銃声を轟かせ、瞬く間にゴブリンを原形も留めぬミンチにしてしまう。
1秒足らずの掃射で残骸と化したゴブリン。哀れではあったが、しかしこうなった方が俺たちのためだ。
ゴブリンは繁殖のために他種族のメスを狙う。特に獣人の女性を好む傾向があり、集団で襲い捕らえた後はまあ、皆さんのご想像通りの展開になる。男性の場合は繁殖にも役立たないのでその用途は食用……どっちにしろ、悲惨な末路を辿る事には変わりない。
騎士団や帝国の研究機関が何とかして意思の疎通を図れないか色々研究したことがあるそうだけど、結局は不可能だったそうだ……人類から鹵獲した剣や防具を使い、仕留めた獲物の骨を棍棒に加工できるだけの知性を持ちながら、生物としての本能にどこまでも忠実で、人類の事は「食用、あるいは繁殖の道具」としか認識していない。
ここまでこの世に存在しない方が良い種族を見たのは初めてだ。
だからゴブリンがMG3の掃射に斃れ、虫けらみたいに死んでいったのを見ても、はっきり言って何とも思わなかった。
意思の疎通が可能な相手であれば、出来るだけお互いに血を流さず平和的に解決しようという選択肢もあるけれど、意思の疎通ができない魔物相手となればミカエル君も牙を剥く……そういう事だ。
右側にあった横穴を潜ると、光があった。
「おお……」
天井に大穴が空き、木の根が幾重にも伸びるそこからは青空が見える。
直径800mにも達しそうなほどの巨大な縦穴。その壁面に沿うように、螺旋状に足場が用意されている。壁側には大小さまざまな横穴が掘りかけの状態で放置されていて、ここでの採掘中に旧人類が滅んだのであろう事が窺い知れる。
穴の底を覗き込もうとしていたルカの襟を引っ張り、あぶねーぞ、という意味を込めて首を横に振る。
足場の幅はそれなりに広く、SUVくらいなら余裕を持って走行できるくらい。しかし足場の縁にロープや手摺といった転落防止用の設備はなく、ここから足を踏み外したら最後、竪穴の底まで真っ逆さまだ。
ちらりと下を見てみるが、底は見えない。一体何百メートルくらいの深さがあるのか考えたくもないが、ここからバランスを崩したり、足を踏み外したら最期……それだけは言える。
悪いが、まだ天国のお祖父ちゃんの所に逝くつもりはないんでね……。
目を瞑ると浮かんでくるのだ、キャラデザをそのままコピペしただけなんじゃないかってレベルで瓜二つのアンドレイお祖父ちゃんが。
余談だけど、イライナだとアンドレイじゃなくて”アンドリー”になる。アンドレイは標準ノヴォシア語での読み方なので、おそらく出身地はイライナではなくノヴォシアの方なのだろう。
モニカの機甲鎧を先頭に進んでいると、ガッ、ガッ、と石を打ち付けるような硬質な音が聞こえてきた。
当たり前だが、ここはもう廃坑となって久しい。獣人の主導によって鉄鉱石の採掘を行うという計画も持ち上がったそうだが、鉱脈の枯渇が確認され頓挫してからは、ここに立ち入るのはもっぱら冒険者のみとなった。
だから今更鉄鉱石の採掘なんて誰もやらない。
見て来いよ、とパヴェルに目配せされ、俺はルカを連れて前に出た。
クラリスもついて来ようとしたけれど、彼女には後方警戒をお願いし、2人でちょっと偵察に出る事に。
俺が前になってAK-19を構え、後ろを歩くルカもAK-102を構える。緊張からなのだろう、頬を伝った汗がAK-102のMOEストックを微かに濡らした。
ゴブリンだろうか……そう思いながら、壁際に穿たれた掘りかけの横穴、そのうちの1つを覗き込む。
そこに居たのは、ゴブリンにしては随分と大きな背中だった。オリーブドラブというよりはブラウンに近い色合いの表皮に覆われていて、腰には鹿のものと思われる毛皮を巻きつけている。
胡坐をかいてこっちに背を向けている状態だけど、その座高だけでも180cmくらいはある。背中も両腕も筋肉がバッキバキで、さながらヘビー級ボクサーのような威圧感がある。
エルダーゴブリン……では、ない。
それよりも厄介な奴だ。
「ミカ姉、コイツって……」
「……オークだ」
オークの危険度は、ゴブリンのそれとは比較にならないレベルで高い。
体格もゴブリンより恵まれており、平均身長は3m。地域によって体格は前後するが、記録では5m級のオークも目撃された事例があり、周辺の地域に大きな被害を出した末に討伐されたという。
俺たちの気配に気付いたのか、リズミカルに石を別の石に打ち付けて打製石器を作っていたと思われるオークの腕がぴたりと止まる。
見てる場合じゃねえ、と左手をポーチへ伸ばし、柄尻のキャップを外した。中にある紐を引っこ抜いて信管を目覚めさせ、ドイツの手榴弾をオークの目の前に放り投げる。
ガラン、と目の前に落下したそれを興味深そうに持ち上げるオーク。ルカの手を引いて退避した直後、背後でズズン、と重々しい爆音が轟き、竪穴の底へと反響を繰り返しながら音が落ちていく。
後ろを振り向き銃を構えると、黒煙の中から怒り狂った様子のオークが飛び出してきた。
いくら手榴弾が至近距離で爆発したとはいえ、1つだけでは殺し切れなかったらしい。手榴弾を摘まみ上げた左手の指は何本か欠け、顔も左半分は抉れて焦げた傷口が覗いた無残な姿となっていたけれども、それだけだった。
まるで北海道のヒグマみたいな威圧感がある。
豚に似た鼻を震わせ、人間よりもしゃくれた顎(いわゆる”反対咬合”に近い感じだ)から突き出た牙の隙間から、ぬるりとしたよだれが滴り落ちている。
ああ、これはブチギレてますわ……と引き金を引くや、咆哮を発したオークが手にした棍棒を振り上げた。
5.56mm弾が被弾しても、オークは止まらない。むしろ被弾時の激痛が闘争本能を煽っているかのようで、攻撃が当たれば当たるほど興奮状態に陥っているようだった。
地面に叩きつけられた棍棒(巨大な岩を削り出し、柄に動物の皮を巻いたものだ)が地面を粉砕、足場にちょっとしたクレーターを穿つ。あんなものが直撃したら人体なんぞ簡単にトマトソースにされてしまう。
あっという間にAK-19のマガジンが空になる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
恐怖のあまり叫びながらAKを乱射するルカ。命中はしているけれど、しかし北海道のヒグマやロシアのグリズリーに5.56mm弾を撃ち込んだところで止まらないように、興奮状態に陥ったオークは兎にも角にも止まらない。
これがオークの恐ろしいところだ。簡単に言うとオークは”原始人並みの知性を持ったヒグマ”ともいうべき存在で、自分で打製石器を作ったり、簡単な作戦を立てて仲間と狩りをしたりする。そして冒険者を捕えるや、男性は食用に、そして女性は”オモチャ”にして嬲り殺しにする……そんな残酷な生態がある事で知られる。
ゴブリンとの違いは雌の個体も存在する事と、女性の人間を捕える目的が繁殖ではなく快楽を得るためだけである、という事。そんな野獣みたいな生物が、ヒグマやグリズリー以上のパワーと原始人程度の知性を兼ね備えて襲い掛かって来るのだ、そりゃあ脅威の度合いも違ってくるというもの。
エルダー個体に統率されたオークに遭遇したら、もう悲惨である。
ならば、とポーチから火炎瓶を引っ張り出した。本当はスライム用に持ってきた代物だけど、少しは効果がある筈である。
ライフルの保持をスリングに任せ、ポケットから取り出したトレンチライターで瓶の口に詰め込んだ布に火をつけてから、オーク目掛けて投擲。全高4mに達する巨体だからむしろ外す方が難しい。投げつけた火炎瓶はオークの胸に当たるや、ガソリンをぶちまけ瞬く間に発火した。
『ゴアァァァァァァァ!!』
さすがに身体を燃やされればダメージはあるようで、俺たちを追い回す素振りを見せていたオークが棒立ちになるや、左手で炎を払い落とそうとする。
「ミカ!」
「ご主人様!」
後方にいた仲間たちも援護を開始。モニカの機甲鎧に搭載されたMG3が火を噴き、クラリスもL85A3で、パヴェルもAK-15で射撃を開始。弾幕が一気に濃密になり、オークの表皮には次々に銃弾で穿たれた傷口が広がっていく。
枯れ葉の色合いに近かった表皮がすっかり紅く染まり、血飛沫が竪穴の底へと落ちていく。
水と埃、そして土の匂いが充満していた坑道の中に血の臭いが混じり始め、弾幕が濃くなったことでオークもさすがに怯み始める。
「いいぞ押し込め!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
マガジンを装着しコッキングレバーを引く。マガジン内の初弾を薬室に送り込むや、ハンドストップを装着したM-LOKハンドガードを横から握り込み、ストックを肩に食い込ませながら射撃。オークの眉間を狙って何発もヘッドショットを叩き込むけれど、それでもオークは倒れない。
眉間の皮と肉は貫通している。問題は、その巨体の中にある骨格だ。あれだけ大きな巨体で、初期の原始人みたいな歪な二足歩行ではなく、現代の人類に近い直立二足歩行を可能としているのだ。強大な筋肉を支える骨格もまた強靭なのだろう。
それは頭蓋骨も例外ではないらしい。5.56mm弾や7.62×51mmNATO弾では貫通出来ないようで、何発ヘッドショットを叩き込んでも、それはオークの頭部に衝撃を与えるのみの結果となっているのが実に歯痒い。
せめて戦車砲でもあればな、と車庫に置いてきた警戒車の事を思い出した。オプロートの砲塔ごと移植した125mm滑腔砲であればワンパンで終わるんだけど、と無い物ねだりをし始めたミカエル君の目の前で、ジリ貧に陥りつつあった戦況に変化が訪れる。
唐突に、オークが姿勢を崩したのだ。
ついに脳震盪でも起こしたか、と期待したが、脳震盪が原因というよりは―――まるで足を引っ張られ、バランスを崩したかのようにも見えた。
何が起きた、とオークの足元を見て、俺は絶句する。
グリズリーやヒグマみたいな頑丈なオークの右足―――その足首から脛にかけての部分に、ぬるりとした粘液が纏わりついていたのである。しかもそれは竪穴の底から伸びているようで、オークの巨体を穴の底へと引き摺り込もうと、凄まじい力でぐいぐいとオークを引っ張り続けている。
「な、なんだよアレ!?」
「スライムか……? いや、でもあの大きさは……」
ジュウ、とフライパンの上に落とされた肉が焼けていくような音と共に、粘液に覆われたオークの表皮が溶け始めた。粘液の中で露になるのは、ピンク色の肉。やがてそれも角砂糖のように溶けていき、白い骨が露出し始める。
スライムの粘液は強酸性だ。生息地によって差はあるけれど、あんなものに触れてしまったら最後、人間なんぞ簡単に溶かされ吸収されてしまう。
オークとスライムの力比べは、意外な事にスライムの方が勝利したようだった。
片足を溶かされ、その激痛に耐えかねたオークが棍棒で粘液を殴りつける。けれどもどれだけ水面を殴りつけても無意味なように、その渾身の一撃は、身体をじわじわと侵食するスライムの捕食を食い止めるには至らない。
やがては左足、下半身、腹まで粘液で覆われたオークは、断末魔の叫びを発しながら身体を溶かされ、そのまま竪穴の底へと引き摺り込まれていった。
「終わった……の……?」
「いや……」
―――これからだ。
ピンと立ったミカエル君のケモミミは、その”音”をキャッチしていた。
まるでポンプに押し上げられた液体が、配管の中を駆け上がってくるような、しかしどこか粘つくような不快な音。
血の臭いに刺激されたか、それとも銃声に反応したか。
考えてみれば、おかしいとは思った。
このゲレニア村、そして廃坑の中―――ハードルの低いEランクダンジョンとはいえ、魔物の数がいくら何でも少なすぎる、と。
なるほど、これが”答え”か。
真実に行き着くと同時に―――竪穴の底から、大量の粘液が押し寄せてきた。




