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ルカ君の洗礼


 大きな白い尖塔が、天を突かんばかりに空へと伸びていた。


 傍から見れば騎兵の持つ大槍ランスを思わせるけれど、その先端部には十字架があって、教会の建物である事が一目で分かるようになっている。


 ミリアンスク・エミリア教会。


 俺も信仰している宗派、エミリア教の教会の一つだ。


 かつて獣人たちが生まれるよりも遥か昔、1本の剣と蒼い雷で戦い抜いた蒼雷の女騎士”エミリア”を祀る教会だとされている。伴侶も無く、イライナ公国のために戦い抜いた彼女は死後、神々によって認められ英霊となり、こうして各地で信仰を集めているというわけだ。


 神や精霊とは違い、魔術を使うためのハードルが最も低い英霊に分類カテゴライズされる事もあって、洗礼の受付窓口にはそれなりに人が集まっていた。祈りを捧げに来た冒険者から、魔術を使うためではなく純粋に彼女を信仰する信者たちまで、教会の中にいる人は多種多様だ。


 窓口の方には列が出来ていたけれど、さっきみたいに2時間も待たされるような規模ではなかった。けれどもこれが日曜日ともなると、神父の説法を聞きに来る信者も増えるのでどえらい事になるのだそうだ。


 魔術を使うためのハードルが低いという事は、多少素質のない人でも安定して魔術が使えるという事。だから英霊を祀っている宗派は総じて信者が多い傾向にある。


 エミリア教も、そんな宗教の一つだった。


 散歩に行くと言い出した範三と、保護者担当のイルゼの2人と別行動に移り、教会の窓口に並ぶこと10分。前でシスターから聖水の入った小瓶を受け取ったお婆ちゃんが窓口を去り、いよいよ俺たちの番がやってくる。


「お次の方、どうぞ」


「はい」


 ルカの手を引いて窓口の前へ。


 そういえば、俺が13歳の頃に初めて洗礼を受けた時も母さんがこうやって手を繋いでくれたっけ。はぐれると大変だから、と言ってなかなか離してくれなかったのを今でも思い出す。まあ、そりゃあ単なるメイドと主人の関係ではなく、血の繋がった親子なのだから当然と言えば当然なのだが。


 あれももう4年も前か。早いもんだ……そんな事を思いながら、窓口の向こうから顔を出すポメラニアンの獣人のシスターに用件を伝える。


「彼に洗礼をお願いしたいのですが」


「かしこまりました。ええと、適性の方はお判りでしょうか?」


「雷属性、Cランクです」


「なるほど、かしこまりました。それでは奥の部屋へどうぞ」


 シスターに促され、俺は相変わらず緊張するルカを連れて奥の部屋へ。後ろからはなんか、俺とルカのやり取りを見てすっげえニヤニヤしてるでっかいメイドさんがついてくる。


 部屋の中で待っていたのは、メガネをかけた高齢のシスターだった。シマリスの獣人なのだろう、修道服の後ろからは縞模様の入ったリスの尻尾が伸びている。


 洗礼を受けるために部屋に入ってきた俺たちを見るなり、高齢のシスターはまるで実家に遊びにやってきた孫を出迎える祖父母のような、何とも親しみやすく優しい笑みを浮かべて出迎えてくれた。


「はぁいようこそ。洗礼ですね」


「ええ、彼にお願いしたいのですが」


「分かりました。適性は?」


「Cランクです」


「なるほど、分かりました」


 遅れて部屋に入ってきた窓口のシスターから書類を渡され、シマリスのシスターがその書類に視線を走らせる。


 確認事項をチェックしてから、傍らの台の上にそっとダガーを置いた。黒ずんだ柄からは白銀の刀身が伸びていて、よく見るとその表面には幾何学模様の溝が刻まれているのが分かる。


 武器として使うものというよりは、儀式用、あるいは観賞用の得物であろう。こういう装飾エングレービングには何の戦術的タクティカル優位性アドバンテージもない。実用と観賞用は違うのだ。


 まあ、そんな事は当たり前だ。あくまでも儀式用のダガーである。


「それでは手を」


「ルカ」


「ちょっと待ってよミカ姉。あのナイフで何するの?」


「ん、こう手を軽く切るんだ」


「手を切る!?!?!?」


 言ってなかったっけ、と思いながら首を傾げると、ルカはニコニコ笑う高齢のシスターが持つナイフを見てぶるぶる震え始めた。


「大丈夫大丈夫、軽くやるだけ。そんなバッサリやるわけじゃないから」


「いやでも……」


「そうよ坊や。痛いのは最初だけだからねー」


 躊躇するルカの手をそっと押さえ、ナイフを近づけていくシスター。やがて白銀の刃が彼の手の甲に押し付けられるや、皮膚が軽く引き裂かれ、紅い雫が傷口からじわりと溢れ出た。


 そうしている間に、補佐のシスターが水銀の入った小瓶をシマリスのシスターに手渡す。彼女はそれを受け取ると、コルク栓を抜いて水銀をルカの傷口の周囲に垂らし始めた。


 手の甲の上で鮮血と水銀が混ざり始めたかと思いきや、まるでそれは意思を持っているかのように蠢き始める。


 うねうねと手の甲を這い回る感触にルカが顔をしかめていると、やがてそれは魂が抜けたかのようにぴたりと収まった。


 左の手の甲に、六芒星を円で囲み、その内側に幾何学模様を散りばめたような形状の魔法陣が刻まれていた。エミリア教の紋章だ。蒼雷の騎士エミリアを信仰する信者の証であり、雷属性魔術師の証でもある。


「はい、終わりましたよ」


「え、これで?」


「な、どうって事無かったろ」


「う、うん」


 そう言いながら、ルカは自分の左の手の甲に右の指を這わせた。傷口はすっかり塞がっていて、紋章は刺青のように手の甲に浮かんでいる。


 もちろんこの紋章は風呂に入った程度では消えない。皮膚をべりっと引き剥がすような真似をしない限り紋章は消えないので安心である。


「いいかい坊や。これで魔術が使えるようになるけれど、まだ洗礼が終わったばかりだから、そうだねぇ……半日くらい、紋章が身体に馴染むまでは魔術を使っちゃだめだよ」


「わ、分かりました」


「はい、それじゃあ洗礼はこれで終わりね。お疲れ様」


「ありがとうございました」


 ぺこりとシスターに一礼し、ルカと、後ろで見守っていたクラリスを連れて部屋を後にした。


 手の甲に浮かんだ模様を眺めてはにんまりと笑うルカ。嬉しいのは分かるが、今はまだ身体がこの紋章を異物と認識している状態だ。そんな状態での魔力変換は不安定になって危険なので、紋章が身体に馴染むまでは魔術はお預けだ……シスターは半日と言ってたけど、大事を取って1日は様子を見た方が良いと思う。


「おそろいだなあルカ」


 そう言いながら俺も手袋を取り、ルカに左の手の甲を見せた。


 六芒星と幾何学模様を組み合わせた、エミリア教特有の紋章。ルカの手の甲にあるものと全く同一のそれを見て、ルカの目が輝いた。


「わあ、ホントだ。ミカ姉とおそろいだ」


「魔術は明日にしよう。使い方は教えるよ」


「うん、ありがとう!」


「良かったですわねえルカ君」


「えへへ……♪」


 これでルカも魔術師の仲間入り、か。冒険者見習い登録もしたし、今日は一気に色々と物事が進んだような気がする。


 さて、せっかくエミリア教の教会に来ているのだからこのまま帰ってしまうのももったいない。せめて祈りを捧げるくらいはやって行ってもいいだろう。


「ちょっと祈ってきていい?」


「構いませんわ」


「行こうぜルカ」


「い、祈るってどうやるの?」


「ん」


 ルカの手を引いて礼拝堂へと向かった。


 礼拝堂の奥には真っ白な石像がある。鎧を身に纏い、長い髪を束ねた女の騎士の石像だ。手には大剣がある。


 蒼雷の騎士エミリアの石像だ。やはり熟練の職人が造り上げたもののようで、石像はかなり精巧に造られているようだった。顔の表情なんかはほぼ人間のそれで、今にも動き出すのではないかと思ってしまうほどの迫力がある。


 石像の前には大きな水瓶が置いてあって、水が半ばほどまで溜められた瓶の底には何枚ものコインが沈み、キラキラと光を放っていた。


 財布を取り出して、中から10ライブル硬貨を2枚取り出す。財布をポケットに戻しながら片方をルカに渡し、先にコインを水瓶の中に投げ入れた。ルカも見様見真似でコインを投げ入れ、俺と一緒に石像の前で手を合わせ目を瞑る。


 宗派によって祈り方は様々だけど、エミリア教の場合はこれがスタンダードだ。仏教のように両手を合わせるスタイルなので、元日本人のミカエル君的にも馴染みやすい。


 手を合わせて目を瞑りながら、ルカが優秀な魔術師になりますように、と祈る。


 目を開けてそっと手を放し、祈りを終えたルカと一緒に踵を返した。


「へえ、こうやって祈るんだ」


「そうそう。こうする事で信仰心の深さを示す事も出来て、適正にプラスの補正がかかる」


「え、適正上がるの?」


「劇的にってわけじゃないよ。ただ、こうやってこまめに祈っておくと英霊も俺たちの事を認めてくれるんじゃないかな」


 宗教や信仰と密接に繋がってるからね、この世界の魔術は。


 あくまでも英霊や精霊、神の力の一部を、信仰心を示す事によって”借りる”事で発動するのがこの世界の魔術。だから信仰心というのは重要な要素で、原則として無神論者は魔術が使えない。


 無神論者、という言葉ワードで嫌な事を思い出した。


 そういえば俺が教会を訪れる度に、無神論テロ組織『ウロボロス』の連中が教会に攻め込んでくるのよな……狙ってるのか、それともミカエル君が教会を訪れるタイミングが悪いのかは分からない。


 ただまあ、今回はさすがにないだろうとは思う。だってここはベラシアの旧首都ミリアンスク。日本で言うと大阪みたいな大都市で、憲兵隊も街中を巡回し治安維持に努めているのだ。そんなところに白昼堂々、テロ組織が入ってくるわけ……。


 という感じに丁寧に、手塩にかけてフラグを立てればまあ回収もされるというもの。案の定、ドパンッ、と何かが破裂するような音が響くや、教会の入り口の方からどたどたと耳障りな足音を立てながら、私服姿で顔を鉄仮面で覆った6名ほどの男共が、ピストルやらシャシュカやらといった武器を手に教会の中へと踏み込んできた。


 特徴的な鉄仮面には、冒涜の象徴である逆十字がある。


「動くなお前ら!」


「我らは宗教解放団体ウロボロス! 人民を神や英霊といったまやかしの存在から解放するためにやってきた!」


 案の定、か。


 ねえ、これ俺のせい? 俺が内心でフラグ建築してたから回収されたのか? いやいやそれはないだろう……ないよね?


 呆れて溜息がつい出てしまう。もういい加減にしてくれ、お前ら絶対狙ってきてるだろ……そう思うと段々とイライラしてくる。


 周囲を見た。ウロボロスの連中の周囲に信者やシスターはいない。魔術をぶっ放しても巻き添えになる人はいないようだ。


 周囲の安全を確認し、隣でびっくりしているルカに小声で言う。


「ルカ」


「何?」


「本物の魔術を見せてやる」


「え」


 ちょっと、と制止するような声を振り切り、礼拝堂の長椅子を蹴って跳躍。動くな、と言っているにもかかわらずそんな動きをした俺にウロボロスの連中の注目が集まる。中には要求を無視した報復に攻撃を加えようと武器を向ける者もいるが、もう遅い。


 空中でくるりと一回転しつつ、両手の指先を空間に這わせた。


 それにやや遅れ、指の動きをトレースするように三日月形の斬撃が形成、蒼い雷の斬撃が5×2、合計10本も扇状に広がりながら、ウロボロスの連中目掛けて降り注ぐ。


 初歩的な魔術の1つであり、ミカエル君の得意技でもある『雷爪らいそう』だ。


 当たっても感電する程度まで威力を落としたそれが着弾。もろに受けたウロボロスの構成員5名が、バヂン、と弾ける電撃の中であっという間に意識を手放す。身体から白い煙を発して崩れ落ちる仲間を見渡し驚愕する最後の1人が、せめて一矢報いようとでも言わんばかりにピストルを向けてきた。


 カチン、と引き金が引かれる音。


 先端部に火打石フリントの取り付けられた撃鉄ハンマーが稼働、火皿の上に小さな火種が落とされる。シュボッ、と火皿の上の点火用火薬に火がついて、微かに白い煙が漏れた。


 しかし、質の悪い火薬を使用しているのだろう―――引き金を引いてから1秒くらい、発砲までタイムラグがある。


 それが命取りだ。


 空中で身体を捻って回し蹴りを放つ。軸足を地面につけていない状態だから体重移動も何もあったもんじゃないけれど、ピストルを蹴って銃口の向きをずらす、という最低限の目的は果たす事が出来た。


 ドパンッ、と放たれた弾丸は俺ではなく天井を直撃。そんな、と驚愕して呟く構成員の鉄仮面を、続けて右手で鷲掴みにする。


「―――お前らさあ」


 バチッ、と身体の周囲で蒼いスパークが踊った。


「マジで空気読んでくれねェかな?」


 我ながらドスの利いた声で告げながら、雷属性魔術を相手に向かって放出した。


 放出された電撃がウロボロス構成員の身体をダイレクトに直撃し、そのまま意識を奪うのに時間はかからなかった。




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