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フョードルとの別れ

今回この章のエピローグとなりますので短めです。


 蓄音機から流れてくるノイズ交じりの音楽―――ベートーヴェンの『月光』を聴きながら、”私”は椅子から身を起こした。


 他人との五感の共有、それには深い集中が必須となる。多くのホムンクルスたちにとってはそのための手段がこういったクラシック音楽で、それは私も例外ではない。


 薄暗く、蒼い光を宿した結晶に覆われた小さな部屋。結晶は高圧魔力の影響を受けてか、微かに蒼く点滅を繰り返していて、まるで夜の闇に輝く蛍のようだ。


 ―――懐かしい人に会えた。


 まさかこんなところで再会するとは、とシェリルの目を通して見て、シェリルの声で会話を交わし、シェリルの耳で聞いた声を記憶の中で反芻はんすうする度に笑みが零れる。


 あの人は、何も変わっていなかった。


 いや、少し丸くなったか。


 昔はもっと恐ろしかった。その牙が決して自分たちに向けられる事は無いと分かっていても、それが、ウェーダンの悪魔という存在が恐ろしくてたまらなかった。故にその力に惹かれた。恐ろしく強大で、どこまでもただただどす黒いその殺意に、復讐心に惹きつけられた。


 しかし今の彼に、それはない。


 銃を手放した感触や人を殺した感触は、そうそう簡単に消えるものではない。いつまでもべっとりと手のひらにへばりついて、それは自身が命を終え、棺に入るその日まで消える事はないのだ。


 そうであると知りながらも、彼は人間に戻ろうとしている―――そんなように見えて、ボグダンの胸中には懐かしさ以外にも、憐れみと幻滅の想いがあった。


《時間軸変動を検出》


《調整コード:α-687》


《調整開始……適応を確認》


 機械の合成音声を聴きながら、ゆっくりと椅子から起き上がる。少し喉が渇いた、という思考を読み取ったのだろう、寒冷地用のコートを羽織り、黒い防具に身を包んだ騎士のような人影が傍らへとやって来るや、他者の憑依させていた意識が肉体に戻ってまだ間もないボグダンに、そっとアイスティーの入ったマグカップを手渡してくれる。


 何も言わずにそれを受け取り、口へと運んだ。


【―――懐かしい奴に会ったようだな、ボグダン】


 唐突に、ボグダンの頭の中に”声”が響く。


 女性の声だ。ゾッとするほど冷たく、残酷そうな響きを含んだ声。しかしそれは敵に対してのみ向けられるものだ。ボグダンも、そして”彼女”に付き従う多くの将兵たちも、それが自分たちへと向けられたものではない事を知っている。


(これはこれは、”同志団長”)


 もうお目覚めか、という思いまでは、彼女へ届く事はなかった。


【計画の進捗を聞かせよ】


(計画は滞りなく進行中。我らの遺産の回収及び未知の技術の獲得は順調に進んでおります)


【よろしい。この計画は強い祖国を再び取り戻すために必要で、同志諸君はそのかなめだ。上層部も君たちの働きに多大な期待を寄せている】


(はい、組織の名に恥じぬよう全力で任務にあたります……それと、”同志大佐”の件はいかがいたしましょうか)


 問いかけると、”彼女”が笑ったのが感じられた。笑い声が聞こえたとか、実際に笑っている姿が見えた、というわけではない。あくまでも雰囲気であるが、しかしボグダンにはそう思えた。


 実際、”同志団長”が笑みを見せるのは”同志大佐”の案件の時くらいだ。最近では、それ以外で笑みを見せたところなど見た事がない。


【組織に引き入れるものならばそうしたいところだ……また彼と話がしたい】


(了解しました、そちらも併せて進めましょう)


【……楽しみにしている】


 その言葉を最期に、”同志団長”の気配は消えた。


 











 ベラシアは他の地域と比較すると、魔物の襲撃件数が圧倒的に多い。


 イライナやノヴォシアと比較しても、一発でここはヤバい、と分かるレベルで、だ。そりゃあベラシア地方に入って早々にガノンバルドの襲撃、そして立て続けにマガツノヅチとの戦闘ともなればその魔境っぷりが嫌でも痛感できるだろう。


 そういう事が多発する地域なのだろう、やがて見えてきた街には巨大な”壁”があった。


 金属製の壁をレンガで補強したと思われる、どっしりとした分厚い壁。高さは70mほどだろうか。おそらくだけど厚さも相当なものなんだろうな、と思っていると、防壁の一部が開いて、ミリアンスクへと向かう俺たちの列車を迎え入れてくれた。


 ちょっとしたトンネルのような防壁を抜け、防壁の内側へと入る。


 防壁の内側に広がっていたのは、茶色と白色のレンガで造られた建物たちや教会らしき尖塔、そしてしっかりと舗装された道路に、いたるところに植えられた街路樹の隊列だった。やはり大きな街だからなのだろう、向こうには巨大な工場の煙突も見える。


 空を見上げると、青空の中に白銀の紋章のようなものが浮かんでいるのが見えた。いや、違う。よく見ると防壁の頂部からは街全体を覆い尽くすほどの巨大なグラスドームが広がっていて、ミリアンスクの空をすっぽりと覆い尽くしている。あの紋章のように見えるのは、そのグラスドームが自重で割れないようガラスの中に埋め込まれた補強フレームなのだ。


 イライナにもああいうグラスドームあったな、と思っているうちに、列車はミリアンスク駅……ではなく、ペリュコフ機関士事務所が保有する車両基地の方へと向かっているようだった。速度を落とした列車がゆるりとしたカーブを曲がると、車両基地が段々と見えてくる。


 茶色いレンガで造られた、いかにも歴史がありそうな車両基地の建物。その前で列車はゆっくりと停車した。


 左側に用意されていた簡易ホームに降りると、シスター・イルゼが先頭の警戒車へと乗り込んでいった。しばらくしてガソリンエンジンが起動する音が響くや、連結器が外れ、フョードルの機関車から分離していく。


 そのまま前方の待避所へはいると、今度はフョードルの機関車も動き始めた。がごん、と重々しい音を響かせながら連結器が外れるや、身軽になった大型の機関車がゆっくりと、車両基地の方へ向かって進んでいく。


「じゃあなフョードル! またいつか仕事頼むわ!」


「うん、ミカ姉も元気でね!!」


 報酬は出発前に事務所の方に支払い済みだ。


 これからフョードルは一週間の休暇に入り、また別の仕事が入ったら今度はミリアンスク方面からヴィラノフチ方面へと機関車を運転していくことになる。あんなクソ暑い機関室の中で耐火仕様のツナギを身に纏い、危険地帯を突破していくのはかなりの激務だろうが……なんとか無事でいてほしいものである。


 ゆっくりと車両基地のほうへと去っていくフョードル。彼と彼の機関車が車両基地の転車台に乗せられて向きを変え、そのままバックで車庫の中へ納まっていくまで見守っているうちに、分離していた警戒車が戻ってきた。イルゼが操る警戒車が待避所から戻って来るや、バックで再びAA20の前方へと連結される。


「ご主人様、出発しますわよ!」


 クラリスの呼ぶ声に振り向き、客車のドアから列車に乗り込んだ。機関車から身を乗り出し、ホームに残された仲間がいないか、前方、あるいは後方から接近する列車がいないかを確認したルカ(ちゃんと指差して確認してるのマジで偉い)が再び機関室へと引っ込むや、列車がゆっくりとバックを始めた。


 先ほどの駅の前まで戻ると、線路の分岐点にあるポイントが切り替わる。


 ゆっくりと進み始めた列車に、駅の見張り台に居る駅員が手旗信号で応じてくれた。ルカがそれに警笛を返すや、列車は”01”と記載されたレンタルホームへと滑り込んでいく。


 停車した列車の中で、俺は一旦寝室へと戻った。荷物と自衛用の武器だけを身に着け、支度を終えたクラリスと一緒に駅のホームへと降り立つ。


 ベラシア地方最大の都市、ミリアンスク。


 キリウの屋敷に居た頃は、あの屋敷とスラムだけが俺の世界の全てだった。


 けれども、今は違う。


 世界はこんなにも広くて、多くの冒険に満ちているのだ。


 自由が手に入ったのならば、それを行使しないという選択肢はない。


 本の中に記載されているばかりだった”新しい世界”に、俺たちは今立っている。


「さあ行こう、クラリス」


「はい。ご主人様とならどこまでも」


 彼女と手を繋ぎ、一緒に歩き出した。


 新しい世界―――その只中へと。






 第十三章『山脈を越えて』 完


 第十四章『大都市、ミリアンスク』へ続く




ここまで読んでくださりありがとうございます!




作者の励みになりますので、ぜひブックマークと、下の方にある【☆☆☆☆☆】を押して評価していただけると非常に嬉しいです。




広告の下より、何卒よろしくお願いいたします……!

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