尋問……?
ガタンゴトン、と足元が揺れる音だけが聞こえてくる。
薄暗い照明と、ジャガイモに付着した土の香り。
2号車の1階後方にある倉庫には、長旅に備えて大量の食糧や日用品が保管されている。食料品といってもここに置かれているのは冷蔵庫に保管する必要のないものばかりで、タマネギやジャガイモ、ニンジンといった野菜が丁寧に木箱の中に収められている。
隣の木箱にはガノンバルドの肉を使った干し肉が、まだまだどっさりと収められていた。あれだけ食べたのにまだまだ残っているのは嬉しい事だが、俺たちだけで食いきれるだろうか。
なーんて呑気な思考も、倉庫の片隅に急遽設けられたスペースを訪れた途端に消え失せる。
無造作に置かれた木製の椅子。そこに腰を下ろしているのは、黒い軍服に身を包み、頭から2本の角を生やした蒼い髪の少女だった。クラリスとの真っ向からの殴り合いの最中に髪紐がどこかに行ってしまったのだろう、戦闘中はポニーテールだった彼女の髪は解けてしまっている。
癖のない、さらりとした蒼い髪は凪いだ海原を思わせるけれど、長い前髪の隙間から覗く相貌は血のように紅い。禍々しい色合いのそれはクラリスにも共通した特徴で、瞳の形状は人間や獣人のものとは明らかに異なる。どちらかというとトカゲやワニ、竜といった爬虫類を思わせる形状だ。
瞳の形状が違うのは、きっと彼女が竜人だからなのだろう。
俺たちの来訪を知るなり、彼女は不機嫌そうな表情を浮かべた。
そりゃあまあ、こんな薄暗い倉庫の中で椅子に座らされていれば不機嫌にもなるだろう。それに加え、両手両足は番線で椅子にぐるぐる巻きにされているし、その上からダクトテープで補強する徹底ぶり。
クラリスと同じ種族だから、そのパワーは人間を遥かに超越している。本気で殴りかかれば、人体の骨なんぞ簡単に粉砕してしまうだろう。見た目は華奢な女の人だけど、その身体には戦車みたいなパワーが備わっている。
生半可な拘束では簡単にぶち破るだろうし、列車の中であのパワーを発揮されたら色々と拙い。このガッチガチの拘束は妥当……というか、これですら役不足なのではないだろうか。
彼女の向かいで煙草をふかしていたパヴェルは、携帯灰皿の中に灰を落としながら「頑固な女だよ」と悪態をついた。
今のところ、彼女に目立った外傷はない。パヴェルの事だ、いったいどんな”尋問”をするのか分かったもんじゃないが、まあ、いつぞやの狼犬の剣士の一件もある。過激な手段に出るんじゃないかと気が気じゃなかったが、今のところは穏便に済ませているようだ……今のところは。
パヴェルが椅子を持ってきてくれたので、それに腰を下ろして彼女の向かいに座った。俺の隣ではクラリスが、いつでも彼女を射殺できるようにグロック18Cを手にして待機している。
殺さず、生け捕りにできたのは奇跡と言っていいだろう。明らかに、殺さないように加減しながら勝てる相手ではなかった。
「……君の名前は?」
「……」
「どこから来たの?」
「……」
「目的は何?」
「……」
全然答えてくれない。
そりゃあそうだよな、とは思うけど、それにしたってもうちょいリアクション返してくれないかな……。
「ご主人様が問いかけているのです、何か仰いなさい」
痺れを切らしたクラリスが問い詰めるも、彼女は相変わらず無言だった。ただ、じっと俺を睨みつけている。あの血のように紅い、爬虫類特有の瞳で。
「……Йas galhat кrak baltion гraess(文明の間借り人風情が偉そうに)」
「あなた……っ!」
「なんだクラリス、彼女は何て?」
「……」
伝えるべきか、伝えないべきか。
葛藤するクラリスの表情から、今の未知の言語の意味を何となく察した。彼女の口から標準ノヴォシア語に翻訳する事すら憚られるような、まあ要するに罵倒とか侮辱の類の言葉なのだろう。
相変わらず敵対心剥き出しだねぇ、と呆れていると、パヴェルが何かを引き摺りながらこっちにやってきた。
棍棒だ。金属製の棒にスパイクを取り付けた、廃材で造った即席の棍棒。第一次世界大戦で多くの兵士の頭をカチ割ったものと同じ代物を、彼は手にしている。
わざとらしく、彼はそれを床に擦り付けながら女兵士の傍らへと歩いた。吐かなければどうなるか、という無言の恫喝に、しかし女兵士も怯まない。じっとパヴェルの顔を見上げながら沈黙を貫くばかりだ。
きっと慣れているのだろう―――あるいは尋問、というか拷問を受けた際の対処法でも学んでいるのだろうか。軍隊では実際にそういう訓練もするらしい。過酷な尋問に耐える訓練という奴を。
怖いもの知らずとは違う、肝が据わっているのだ。
「―――女、一つ問う」
「……」
あれ、ちょっと待って。
俺この展開どっかで見た事あるぞ。
予知夢とかそういうヤツじゃない。見た瞬間に頭から抜けてしまう不定形な概念ではなく、しっかり現実の光景として脳裏に焼き付いているのだから、忘れようがない。
それはもう、心優しくてキュートなミカエル君にとって、それは衝撃的な―――。
「―――情報吐いてボコボコにされんのと、この棍棒でメs」
「やめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!?!?!?」
期待を裏切らないパヴェル兄貴さすがっす。
全力で彼の発言を遮ると、パヴェルはきょとんとした顔でこっちを見下ろしながら首を傾げた。いやいや、可愛くないっつーの。こんなヒグマみたいな体格で人相悪い野郎がそんな仕草したって1ミクロンたりとも可愛くないっつーの。
「いやいやいや、なんで止める?」
「拙いでしょ常識的に考えて」
「あ、分かったぞミカ。お前相手が女だからって特別扱いしてるんだな?」
「いやそういうわけじゃ……」
ぽん、と俺の肩にでっかい手を置くパヴェル。まるで我が子を諭す父親のように優しい笑みが浮かんでいるけれど、なんだろう……いつも思うが彼のスマイルはどす黒い。墨汁といい勝負だ。
「安心しろミカ、俺は男女平等主義者だ」
「うん」
「男だからって理由で過酷な労働を強いたりしないし、女だって理由で特別扱いもしない。男にやった事は平等に女にもやる。それが俺のPolicy(ネイティブ発音)だ」
「割とマジでお願いだからそういうのはR-15の範疇で留めてほしい」
「なんだと? お前この俺に15禁パヴェルさんになれと?」
「うるせえこちとらママから生まれた時から15禁ミカエル君なんだよゴルァ」
「くっ……ウチのボスの慈悲に感謝するんだな」
何で悔しそうなんだよ。
ほら見ろ、女兵士もちょっと困惑してるじゃねーか。
その時だった。ぐぅぅ、と誰かがお腹を鳴らしたのは。
言っておくがミカエル君じゃないしパヴェルじゃない。だったらクラリスかな、と思って彼女の方を見上げるけれど、クラリスも真顔で首を横に振っている。
おかしいな、こういう時に腹の音を鳴らすのはクラリスと相場が決まっているのだが……じゃあ誰が、と思っていたところに、答え合わせと言わんばかりに二度目のお腹の音が鳴る。
「……」
「「「……」」」
ぷいっ、と恥ずかしそうに顔を赤くしながら、女兵士がそっぽを向いた。
にたぁ、とパヴェルが笑みを浮かべる。それこそ、夜中に見たら二度とトイレに行けなくなるような、あるいは幼少期に目にしようものならば一生モノのトラウマを背負って生きる事を強いられるレベルの、なんともまあインパクトの強い笑みだった。
「よっしゃご飯にするかミカ」
「え、え?」
「パヴェルさん、今夜の献立は何ですの?」
「夏野菜を使ったビーフカレーです」
「じゅる」
「……じゅる」
よだれの音×2。
俺とクラリスが同時に女兵士の方を振り向くと、悟られまいと必死にそっぽを向く彼女の唇の端から、それはそれはもう食欲を押し殺しているようなよだれが溢れていた。
ああ、お腹空いてたんだ……。
いや、え、なにこれ……いくら何でもちょろすぎませんかね?
寡黙で冷徹な女兵士の口を割らせるのが餌付けってお前……これでいいのかお前。
しばらくすると、パヴェルがトレイに3人分のカレーを持って戻ってきた。じっくり煮込まれた牛肉と夏野菜の香り、そして上に乗せられとろりと溶けているチーズが兎にも角にも食欲に直に触れてくる。
しかしそのトレイの上に乗っているのは3人分の皿のみ。俺、クラリス、パヴェルの3人分のみである。
「さささ食べよう」
「いや待ってあの子の分は……?」
「いただきまーす♪」
スプーンを手に取るなりさっそく食べ始めるクラリス&パヴェル。敵とはいえなんか気まずいなー……と思いながら女兵士の方を振り向くと、それはそれはもうカレーを羨ましがるような表情でこっちをじーっと見つめていた。
けれども俺と目が合うや、大慌てでぷいっとそっぽを向く女兵士。ポーカーフェイスを装っていても、口の端から垂れるよだれと、ちらちらとカレーに向けられる視線で本心がバレバレである。
「……たべる?」
スプーンで掬って彼女の傍らに座りながら言うと、女兵士は自分の本能と理性の間で葛藤しながら、絞り出すような声(オイオイ辛そうじゃねえか)で答えた。
「ふ、ふんっ……私をそんな食べ物で篭絡できると思ったら大間違いだぞ、低能な獣人め」
「いやでもさ……」
「ご主人様、礼節を弁えぬ輩に与えるカレーはありませんわ」
「あ……ぁっ」
ぴしゃりとクラリスが言うと、女兵士はこの世の終わりみたいな顔になった。
「さあ、せっかくのカレーが冷めてしまいますわよご主人様……あ、パヴェルさん。できればおかわりを……」
「ほいほーい。めんどくせえから鍋ごと持ってくるわ」
鍋ごとかい。
まあいい、カレーが冷めてしまってはな、とスプーンを口へと運んだ。
「あっ……」
「……」
スプーンを口へと運んd
「あっ……」
「……」
スプーンを口へry
「あぁ……っ」
「……」
何だコイツ。
食べる? とスプーンを差し出すジェスチャーをしてみるけれど、そうすると女兵士はぷいっとそっぽを向いてしまう。何だコイツめんどくせえ女だなオイ。
しばらくしてパヴェルが鍋と特盛のライスが盛り付けられた皿を手に戻ってきた。
「今度は目玉焼き乗っけちゃうぞ~」
「まあ♪」
「ほーれほれほれ半熟だよぉ~」
「じゅる……」
目玉焼きまで乗っちゃったビーフカレーの皿を片手に、クラリスが女兵士へと黒い笑みを浮かべた。よく恋愛系のゲームに出てくるような悪役令嬢みたいな……うん、アレ絶対アレだよアレ、途中で婚約破棄されたりして破滅する奴。そんな感じの笑みを浮かべている。
「カレーが食べたいなら素直になりなさいな」
「くっ……殺せ」
「お前は女騎士か」
「要求は何だ?」
「まずはご主人様に謝罪を。そしてご主人様の靴を舐めながら下僕になると誓いなさい」
「いやいや目的変わってる! 目的変わってるからね!?」
「なんだと……!? 貴様、私に服従を誓わせてから乱暴するつもりだろ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!」
「2回言わんでよろしい!」
……ちょっといいだろうか。
俺、てっきりこういう残念な一面を持ってる人って血盟旅団だけだと思ってた。
もしかしてアレか。俺たちが敵に回してる”組織”の構成員もこんな感じの残念な人とかおバカな人ばっかりなんだろうか。
アレ? この世界って意外と平和なのでは?
「さあさあ、どうなさるのです? 早くしないとこのカレーは全部クラリスの胃袋の中ですわ?」
「くっ、卑怯な……!」
人質を取られた女騎士と勝ち誇ったオークみたいになってるんだけどナニコレ。
くっ、と悔しそうな顔をしてから、女の兵士は小さな声で言った。
「……シェリル」
「え」
彼女の心の中で繰り広げられた、屈辱と食欲のガチンコ対決。
勝者はどうやら食欲だったらしい。
「……私の名前はシェリルだ」
倉庫には窓がない。
時計もなければ時間の経過を知らせるものは何もなく、ただ上の階にある食堂から聞こえてくる話し声や足音から、食事の時間を察する事くらいであろう。
念のためスチェッキンをホルスター(ストック兼用)に収めたまま、倉庫のドアを開けた。
積み上げられた皿の山。随分といい食べっぷりで、かなーり腹が減っていたことが分かる。
食事の時に邪魔になるからと、シェリルと名乗った女兵士の手足の拘束は外していた。手足は自由、その気になればいつでも逃げられる……だというのに、俺が食器を片付けに訪れた独房代わりの倉庫の中で、シェリルは大人しくしていた。
彼女のパワーならば素手で倉庫の壁をぶち破るなり、ドアを蹴破って列車から飛び降りることくらいは造作もないだろう。なのになぜそれをしないのか、何となくだが俺には分かる。
黙って食器を片付けていると、だらんと椅子に座っていたシェリルが懐かしい言葉で言った。
『……Дam au delsmel гergяen jals(私は貴方を作戦記録の中でしか知らない)』
「……」
ぴたり、と手が止まる。
そうか、コイツもそういう世代なのか……と。
俺の同期や上官は、みんな逝ってしまった。生き残った連中はきっとごく僅かだろうから。
『Щhy? dels vea vester ”Дel ёvel vam щeadёn”als deasver, щhy klicebelg avtervich гelver?(何故です? ”ウェーダンの悪魔”の異名を欲しいがままにした貴方が、なぜあのような獣人共と一緒に居るのです?)』
ポケットから端末を取り出し、翻訳機能をオンにした。
「……興味を持ったから、だ」
今、この言葉はコイツの母語としてコイツの耳に、そして脳に届いている。
「”同志大佐”、貴方の力はこのような連中のために使われるべきではない。お願いです、どうかもう一度我らの祖国に……そして同志たちと共に、我らの【100年の理想】のために……!」
「―――同志大佐、か。ソイツぁもう死んだよ」
懐かしい響きだ。
鉄と血、そして復讐心が滲んだ懐かしい肩書。
あの頃の俺からすれば、今の俺は腑抜けなのだろう。牙を抜かれた弱虫なのだろう。
「今の俺はパヴェルだ」
そう答え、食器を片手に踵を返した。
俺の戦いは終わった―――復讐はもう、終わったのだ。
全てを終わらせたからといって、この手に染み付いた血の臭いは、銃を握る感触は、人を殺める手応えは消えない。
だからこれからも、一生それと向き合って生きて行かなければならないのだ。
「ああ、そうだ」
倉庫の出口のところで立ち止まり、俺は言った。
「……もし妻と息子に会う事があったら、元気にやってるって伝えてくれ」
「……分かりました」
倉庫のドアを閉じ、葉巻を取り出す。
自作したトレンチライターで火をつけながら、妻と、顔も見た事のない我が子の事を思い浮かべる。
あいつら元気でやってると良いなあ……と。
シリアスな話を書こうとしたのにギャグパートになってしまいましたごめんなさい。




