生体サンプル
飛行船という兵器が軍事目的で本格的に運用されたのは、第一次世界大戦の頃だ。
当時は大量の爆弾を搭載し、迎撃の敵戦闘機にも機銃で対抗できる空中戦艦のような兵器として運用され、帝政ドイツがロンドンへの爆撃に積極的に使用したのが有名である。けれども最終的にはイギリス側の対空砲に、航空隊が敢行した空対空爆撃、そして新開発された機銃の焼夷弾といった兵器の投入によりその損害は増加、第二次世界大戦が始まる頃にはそのほとんどは軍事目的で利用されなくなった。
そういうレトロな兵器なのだ、飛行船という代物は。
しかし―――谷底に墜落していたこの飛行船は、明らかにそういった飛行船とは異なる存在と言えた。
シュアファイアM600で暗闇を照らしながら、ゆっくりと進んでいく。乗組員たちの個室なのだろうか、半開きになったドアの先にはボロボロになったベッドと埃まみれの床、そしてプライベートな空間が広がっている。
ガッ、とクラリスがスコップを突き立て、てこの原理で扉をこじ開ける。特に目ぼしいものがあったとかそういうわけではないけれど、この飛行船の正体を知るカギになる情報はないものか、と思った。
しかし飛行船に記載されていた言語が未知の言語であった以上、文字での情報収集は不可能と言ってもいい。
乗員の日誌らしきものを見つけたので、表面に付着した埃を手で払って中身を見てみた。やはりそこにあったのは未知の言語の羅列で、内容は全く分からない。
「ご主人様、それは?」
「日誌みたい。でも書いてる事が全然わからなくて……」
そう言いながらクラリスに渡してみると、彼女はメガネを指先でくいっと押し上げてから、未知の言語の羅列に視線を這わせた。
「……『今日で派兵から3ヵ月。そろそろ家族の顔が見たくなってきた。アシュリー、君は今何をしている?』」
「待て、分かるのか?」
「え、ええ……どういうわけかは分かりませんが、クラリスには文字が読めるようです」
もしかしてこの文字、クラリスの母語なのか?
そのまますらすらと日誌の内容を読み進めていくクラリス。彼女が標準ノヴォシア語に翻訳した日誌の内容を聞く限りでは、どうやら乗員の単なる個人的な日誌のようだ。家族に会いたいとか、今日の食事は豪勢でアイスクリームもついてきたとか、帰還までもう少しだからプレゼントを買って帰る、といったもので、日誌の持ち主が家族想いのいい父親だったことが伺える。
そしてその日誌の持ち主と思われる白骨化した死体は、部屋の片隅に転がっていた。身体にはボロボロの黒い布(軍服だったのだろうか)を身に纏い、白骨化した右手には、どういうわけかPL-15(ロシアの最新型拳銃だ)が握られている。
頭蓋骨のちょうどこめかみのところには、9mmパラベラム弾が”通過”したと思われる風穴が穿たれていた。傍らにはスマホらしき携帯端末が転がっている。拾い上げて電源を入れてみるが、長年放置されてバッテリーもすっかりダメになっているらしく、真っ暗な画面はうんともすんとも言わなかった。
おそらく家族の写真を最期に見ていたか、別れのメッセージでも残そうとしていたのだろう。
故郷への帰還が絶望的となった中での拳銃自殺、なんとも痛ましい出来事である。
ふと、その白骨死体の頭蓋骨にも”角”がある事に気付いた。
先ほど発掘した頭骨と同じだし、クラリスの頭に生えている角とも同じように見える。ブレード状で、頭髪に隠れてしまいそうなほど短い―――感情に連動して勝手に伸びるという仕様も同じなのだろうか。
PL-15を拾い上げようとすると、フラッシュライトで室内を照らし何かを調べていたパヴェルが、少し慌てた様子でこっちに駆け寄ってきた。
「迂闊に触るんじゃない」
「何でだよ?」
「……ブービートラップの可能性もある」
「ブービートラップ?」
「そうだ。こういう戦利品として敵が持ち去ろうとしそうなものに爆弾やら何やら、そういうものを仕込んでおくんだ。ベトナム戦争でベトコンが良くやった手口だ」
彼の言葉には説得力があったけれど、しかし同時に違和感もあった。
確かに、言われてみればそうだ。戦場に落ちている銃を迂闊に拾うものではない。しかし彼の言葉は何か、真実を覆い隠すために敢えてついた嘘のようにも思えて、パヴェルの言った事をそのまま飲み込むのには抵抗があった。
拳銃を受け取り、マガジンを取り外すパヴェル。中に弾丸が残っていない事を確認した彼は、グリップに刻まれた刻印を調べてから目を細め、それをダンプポーチの中へと放り込んだ。
「これは転生者が生み出したものなのか?」
小声でパヴェルに問いかけると、彼は「それはないだろう」とあっさり答えた。
「転生者の生み出した兵器ってのはな、その召喚者が死ぬと同時に消滅する仕組みになっている」
「そうなのか」
「ああ、昔実際に何度も見てきた」
ずしり、と重い言葉だった。
その”何度も見てきた”のが命を落とした仲間のものなのか、それとも自らが手にかけた敵のものなのか、そこは敢えて追求しないでおく。というか、掘り返したらもっとヤバい事を突きつけられそうで、迂闊に手を突っ込めない。
何も、要らん時にワニの居る沼に手を突っ込む必要もあるまい、と思いながら、それ以上は沈黙で流した。
「もしその転生者共と同じ”仕様”なら、この拳銃だって消えている筈だ」
「転生者が存命中だって可能性は?」
「ないな」
水筒の中身(オイなんかアルコール臭がするぞ)を口に含んだパヴェルは、首を横に振った。
「見たところ、少なくとも墜落から80年以上は経過している」
「80年? そんなにか」
「ああ、この骨の状況を見れば良く分かる……つい最近白骨化したものじゃない」
部屋の隅で腰掛けた状態で動かなくなっている白骨死体を見てみる。確かに、埃をかぶった骨には水分など微塵も含まれておらず、ちょっと金槌で叩くだけで簡単にカルシウムの粉末になってしまいそうなほどに脆そうだ。
80年……そんなに長い間、この死体はここに佇んでいたというのか。
「ご主人様、ここにはもう何も無いようですわ」
「他を調べようか……ところで日誌には何か情報はあった?」
「それが……一番新しい日付では”1933年6月7日”と」
「なんだって?」
ぎょっとしながら日誌を受け取り、パラパラとページを捲って一番新しい記述を探す。確かに一番最後の日誌には、日付の所に1933年6月7日という日付(数字だけは同じものだからそれは分かった)がしっかりと記載されている。
一応言っておくが、こっちの世界での今日の日付は”1888年7月25日”である。
およそ80年くらい昔に墜落した飛行船の乗組員が、なぜ未来の日付で日誌を書いているのか?
未来からタイムスリップしてきたのか、それともこの”頭に角の生えた竜人たち”が前文明の支配者、獣人の生みの親である旧人類の正体だとでもいうのか?
「……これは持ち帰ろう」
「分かりました」
日誌をダンプポーチに収めるクラリス。白骨化した死体に手を合わせ、寝室を後にした。
ウガンスカヤ山脈から出土したT-55にAK-15K、クラリス同様の竜人たちの白骨死体に謎の飛行船、遥か未来の日付……。
次から次へと、わんこそばの如く押し寄せる謎に、ミカエル君の頭はパンク寸前だった。
足跡は、谷底の川の下流へと伸びていた。
途中でその痕跡は消え失せてしまったけれど、私には”気配”で分かる。あの女が、”初期ロット個体”がどこにいるのか……。
対人機銃を搭載した無人歩行ポッドを従えながら、下流へと進んだ。
目的は奴らの殲滅。我らの”組織”の秘密を探ろうとする連中は、等しく殲滅しなければならない。己で文明を発展させる事も出来ぬ文明の間借り人に、我らの技術を委ねるわけにはいかないのだ。
やがて、目の前にそれは現れた。
谷底に挟まるような格好で墜落した、巨大な空中戦艦の残骸。
X字型の尾翼はフラップが外れ、エンジンもいくつか脱落している。装甲には穴が開き、長時間放置されていたからなのだろう、塗装は剥げ駆けて無残な姿を晒している。
無人機がひょこひょこと(可愛い)歩み寄るや、センサーから帯状の光を発して船体のスキャンを始めた。勤勉な事だ、そんな事をしなくても、頭の中にはこの空中戦艦についての記録は焼き付いている。
空中戦艦『エウロパ』。大昔に墜落した、同志たちの空中戦艦。
侵攻地域で採取した、敵対生命体の生体サンプルを運んでいる最中にエンジンの不調で墜落。機関部の全滅から転移も出来なくなり、今から”110年前に組織から除籍された”と聞いている。
よもや行方不明となった艦と、こんなところで遭遇するとは。
【エウロパ……こんなところに眠っていたか】
”同志指揮官”の声が聞こえた。この光景を、視覚を共有する同志指揮官も見ているのだ。
《敵勢力は艦内に侵入した模様》
スキャンを終えた無人機が、機械音声でそう告げた。
ならばやる事は一つだけだ。
「……殺せ」
《了解》
《メインシステム、索敵モードから殺傷モードへ》
カニのような脚を素早く動かし、対人機銃を搭載した無人兵器たちが艦内へと突入していく。
私も彼らの後を追い、エウロパの艦内へと突入した。
決着をつけようか、クラリス。
艦内は随分と崩壊が凄い事になっていた。
特に艦首側は壊滅的で、通路の殆どが崩落している。探索できるのは艦尾までだったけれど、それでも艦はかなり広大で、まだ探索できそうな場所は残っている。
ライトで照らしながらドアを開けると、そこは広大な部屋だった。
何かの研究室なのだろうか。床一面にはケーブルが這い、大蛇を思わせるケーブルたちは部屋の壁面に埋め込まれた、ガラス製の巨大な柱へと伸びている。
それはキリウの地下で見かけた、クラリスの眠っていた遺伝子研究所を思わせた。そういえば彼女もこんな感じのガラスの柱に、培養液と一緒に入ってたっけなと昔の事を思い出す。
ガラスの柱の中には、やはり何かが入っていた。
恐る恐る近付きながら、ガラスの柱の中を満たす蒼く輝く培養液、その中に浮かぶ物体を見上げる。
それは―――人間だった。
迷彩服に身を包んだ人間だ。獣人のような尻尾もケモミミもない、正真正銘の人間。
「これ、人間じゃないか」
「本当ですわ……ケモミミがありません」
しかも、驚いたのはそれだけじゃない。
ガラスの柱の中に浮かぶ人間。その身に纏うデジタル迷彩の迷彩服には、中国の国旗のワッペンがあったのである。
そう、この兵士の正体は中国軍の兵士なのだ。
それだけじゃない。
隣にあるガラスの柱の中にはロシアの国旗のワッペンがついた迷彩服姿のロシア兵が収まっている。
ぎょっとしながらガラスの柱の中身を見上げる。上の方から伸びたケーブルや酸素マスクを身体に繋がれた中国兵とロシア兵は、眉ひとつ動かすことなく培養液の中に浮かんでいる。生きているのか、それとも死んでいるのかも分からない。
何だこれは、と驚愕する俺の後ろで、パヴェルは何かを物色しているところだった。
どうやら彼らが身に着けていた装備品らしい。AK-12に中国の最新型アサルトライフル、”QBZ-191”が半ばほどまで分解された状態で、作業台の上に放置されている。他にもポーチやボディアーマー、ヘルメットといった装備品が置かれていて、それにも部隊の所属を現すエンブレムのようなものが記載されているようだった。
これ、作り物じゃないよな……?
異世界になぜ、中国兵とロシア兵を乗せた飛行船が?
しかも彼らは機械に繋がれ、培養液に漬けられた状態で”保管”されている……まるで標本だ、と思った。小学生が夏休みの自由研究用にと作る昆虫の標本。それを人間でやった結果がこれなのだろう。
「ミカ」
パヴェルに手招きされ、彼の元へと駆け寄った。
研究室の片隅に、机と一体化したコンピュータがある。一昔前のPCみたいなレトロな感じのそれに、義手から伸ばしたケーブルを差し込んだパヴェルは、手慣れた手つきでキーボードを弾いた。
「何やってんだ」
「義手から電力を分けたら動いた。何か記録がないか探ってみる」
「分かった」
ソ連の国旗と中国の国旗を足したようなデザインのロゴマークがアニメーションで再生されると、画面の脇にあるスピーカーから機械音声が流れた。
《Йam au heallo blavit. Сйaok гelna va 2053.6.19》
未知の言語の音声を背後に、もう一度機械の柱の中に眠る、中国兵と向き合った。
この飛行船は一体何なのか……そしてこの中国兵と、ロシア兵の正体は?
さらに深まった謎を前に頭を悩ませていたけれど、カツン、と床を転がる硬質な音が、その思考を強引に絶ち切った。
埃をかぶった床の上―――安全ピンの外れたロシア製の手榴弾が転がっている。
ぎょっとしながらクラリスを突き飛ばし、そのまま遮蔽物の影に飛び込んだ。
バムッ、と炸裂音が研究室の中に轟き、遅れてガラスの割れる音と液体が飛び散る音が続く。さっきの手榴弾の爆発で、あのガラスの柱が割れたのだろう。
顔を出して確認しようとしたけれど、それを見透かしていたかのような銃撃が遮蔽物の縁を掠め、頭を上げる事も許されない。
「―――見つけたぞ、血盟旅団」
背筋にゾッとしたものが走った。
今の声―――間違いない、聞き覚えがある。
アルミヤ半島で一戦交えた、あの”組織”に所属する女兵士の声だ。
彼女が俺たちを追ってきたのだ。
今度こそ、闇に葬るために。
《Йam au heallo blavit. Сйaok гelna va 2053.6.19》
和訳:おはようございます同志。今日は2053年6月19日です




