兄弟の取引
窓の向こうの景色が、ゆっくりと動き始めた。
一面に広がる針葉樹の森。それが段々と左から右へ、大きな防弾ガラス製の窓の向こうをするすると流れていく。無論、森が動いているのではない。俺たちの乗った列車が走り出したのだ。
全長約33m、重量200tを超える、列車の長い歴史の中で1両のみ製造され、失敗作として歴史の闇へ消えていった悲劇の機関車―――AA20。その重量を十分に受け止められる線路が国中に張り巡らされているノヴォシアからこそ、ついに日の目を見る事が許されたと言うべきか。
緩やかなカーブに差し掛かったところで、窓の端にどんどん加速していくAA20の姿が見えた。まともに線路を走る事も出来なかった無念を異世界で晴らそうとしているかのように、煙突から黒煙を濛々と吹き上げているのが良く見える。
AA20が動いているのは初めて見た……というか、あまり鉄道には詳しくなかったので今まで知る機会がなかった、と言うべきだろう。
「良い眺めですわね、ご主人様」
「ああ」
壮観だ。
これで異世界を旅できるって最高すぎやしないか。屋敷で暮らしているよりずっと良い。
やっと自由になれた―――そう実感しながら、ラジオのスイッチを入れてダイヤルを回した。ノイズが段々とクリアになっていき、やがてノイズの海の中から優しい曲調のラブソングが流れ始める。
恋人同士が全てを捨て去り、2人っきりで旅に出る内容のラブソング。今は3人だけど、何となく今の俺たちの状況に似ている。こんな偶然があるのかと隣を見ると、クラリスの紅い瞳と目が合った。
ほんの少し恥ずかしそうに、指先でメガネを押し上げるクラリス。主人とメイドという関係だけど、いつかは対等な関係に……なれるだろうか。
いつかはそうなればいいな、と思う。その前に俺が彼女の主人に相応しい男になれるかどうかだが。
しばらく2人で外の景色を眺めていた。森を抜け、窓の向こうには畑が広がる。少し肌寒い秋の風の中、黄金の麦が揺れて大地に波紋を立てる。せっせと麦を収穫する農民たちの姿もあっという間に窓の端へと消えていき、平穏な農村の風景が代わりに姿を現す。
針葉樹の森から、まず最初に目指すのはボリストポリ。仲間が1人増え、更に活動の拠点であり移動手段である列車も手に入ったところで、正式に冒険者ギルドとして登録するためだ。そしてついでに身柄を拘束したクルーエル・ハウンドの連中も憲兵隊に引き渡したい。
そしてから晴れて工業都市『ザリンツィク』を目指す。これが当面の目的となる。
ザリンツィクはノヴォシア中に兵器を提供する工業都市。パヴェル曰く『この列車に武装とか搭載できそう』との事だ。そのうち装甲列車にでも進化するのではないだろうか。それはそれで面白そうだが。
トンネルに入り、窓の向こうが真っ暗になったその時だった。
『デェェェェェェェェェン!!』
唐突にスピーカーから流れる爆音に、かなりソビエトを感じた。
『乗客の皆様にお知らせします。間もなく”オルハンスク”、オルハンスクに到着いたします。お降り口は左側です』
パヴェルの野太い声でのアナウンス、おかげで静かなムードが台無しだ。
苦笑いしながら席を立った。クラリスも同じように席を立ち、一緒に寝室を出る。俺たちとパヴェル以外に誰も寝室を使っていない1号車は随分と静かで、聞こえてくるのはレールと車輪の音くらい。
もっと仲間が増えてきたら賑やかになるだろうか。そんな事を考えながら2号車へと向かい、食堂となっている2階を素通り。カウンターの向こうには大きな銀色の鍋が置いてあって、中からはトマトや香辛料の香りが漏れている。今夜はトマトスープだろうか。
ぎゅるる、とクラリスのお腹が鳴って、ちょっとだけ笑ってしまう。クラリスはというと恥ずかしそうにお腹を押さえながら顔を赤くしていた。あまり追及しないでおこう、デリカシーは大切である。
それにしても、クラリスも随分と感情豊かになったものだ。言葉を覚え始めた頃はちょっとクールな娘かなぁ、なーんて思っていたんだが、今はこうして恥ずかしがるし、笑う事も多い。森での戦闘中みたいに怒りを露にすることもある。彼女もちゃんとヒトの子なのだ。
食堂を通過して階段を降り、1階へ。2号車の1階は前半分がシャワールーム、後ろ半分が倉庫という感じで区切られており、倉庫へはこちら側からしかアクセスできない。ちょっと不便だと思う点だが、ここを捕虜の独房として使う事も考えれば理に適っているとも言える。出口が少ないという事は、それだけ脱走が容易ではなくなるという事なのだから。
倉庫の鍵を開けて扉を開けると、番線でぐるぐる巻きにされた男たちが一斉にこっちを睨んできた。が、やってきたのがパヴェルではなく俺だという事を悟ると、なんだアンタか、みたいな感じに敵意を緩めてくれる。
まだ俺の方がマシ、と判断されているのだろう。そりゃあ当然だ、パヴェルは敵に対して容赦がない……棍棒をとんでもない事に使う男だし。
「……そろそろアンタらを憲兵隊に引き渡す」
「……そうかい」
リーダーの男―――狼犬の剣士が淡々とした声で応じた。この人マジで可哀想なので、出発前にエリクサーを渡しておいた。そのおかげか、ここに放り込まれた時よりも少しは顔色が良くなっているように見える。
「憲兵の指揮官は俺の知っている男だ。寛大な処遇を頼んでおくよ」
「ふん。随分甘いな、お坊ちゃん。俺はお前を殺そうとしたんだぞ」
「分かってるよ。ただ互いに生きてる。何も失ってないんだ……なら憎み合う必要なんてないじゃないか」
「……」
倉庫の中を沈黙が満たし始める。聞こえてくるのはレールの繋ぎ目を車輪が踏み締める音。だがやがてそれも間隔が開き始め―――列車が減速しつつある事を、俺たちに告げた。
「クラリス、頼む」
「はい」
番線でぐるぐる巻きにされた捕虜たちを一気に4人くらい抱えるクラリス。せいぜい2人が限界だと思ったんだが、この人の筋力は一体どうなってるんだろうか。体格のいい鍛え上げられた男が4人、体重はおよそ80㎏と仮定しても320㎏は重さがある。
なのにクラリスは重そうな素振りを一切見せず、淡々と男たちを抱えてついてくるのだ。彼女の強さの秘密が分かった気がする。
列車が停車したのを確認し、扉を開けた。目の前に広がるのはまともに手入れもされていないコンクリート製のホームと、塗装の剥げた駅の建物。腐食した看板には辛うじて”オルハンスク”という文字が見える。
誰も立ち寄る事も、利用することも無い駅。そこに備え付けられた電話ボックスに駆け寄り、財布を取り出した。中から10ライブル硬貨を取り出し、硬貨の投入口へ。
受話器の向こうから聞こえてくる電子音が変わったのを確認し、ダイヤルを指先で回す。入力した電話番号はもちろん、キリウ憲兵隊本部。
おそらく強盗の一件でかなり迷惑をかけただろうからな……出来の悪い弟からの、せめてもの罪滅ぼしだ。
「はぁ~……」
書類の山を片付けると、勝手に溜息が溢れた。何かする度に溜息をつくのが癖になったのではないかとすら思ってしまうレベルである。
もう嫌になる、マジで。
ミカエルの奴がやらかした(と思われる)強盗事件の後、父上からは何度も『ミカエルが犯行に及んだと断定できる証拠を見つけろ』と命令される。おかげでこっちは何度も何度も、とっくに捜査が終わったミカエルの部屋を調べ、有るはずもない証拠を探しては何もありませんでした、と報告する毎日。その度に父上から叱責されるのだ、病みそう。
おかげで仕事も進まず、書類の山は溜まる一方。しかも父上の強盗事件の捜査に付き合わされるせいで他の現場に出る事も出来ず、憲兵隊の指揮官になってからというもの未だに成果を挙げていない。
このままじゃ出世コースを外れそうだ。父上としては俺がどんどん成果を挙げて出世し、偉い人とか貴族の娘と結婚する事が望みなのだろう。そうすれば身内になった相手の屋敷の権力を利用して成り上がれるからだ。
その野望を邪魔しているのが他ならぬ父上だという事になぜ気付かないのだろう。そんなに視野が狭いから一族は没落したのではないだろうか。
縁を切ろうかな、全く。
あーあ、自由になったミカエルが羨ましい。俺も可愛くて従順なメイドさんを連れて自由の身になりたいよ……。
そーんな事を考えながら、貴重な休憩時間をぼんやりして過ごすこと15分。詰所のドアを開け、副官のナターシャがトレイの上に黒電話を乗せて駆け寄ってきた。
「隊長、お電話です」
「ふぇ? 誰から?」
まさか父上か、と思ったが、彼女は首を横に振ってから驚いたように言った。
「その……”ミカエル”と名乗る女性からです」
ミカエル!?
あんにゃろ、ついにお兄ちゃんを小馬鹿にするために電話までかけてきやがったか! どうせ「やーいやーいwww捕まえてごらーんwwww」的な感じで煽ろうとしてるんだろうがそうはいくか。こちとらお前の事を煽りまくるイメージトレーニングを積み重ねてきた猛者だぞ、舐めるな!
ぎょっとしながら受話器を受け取り、そっと耳に当てた。
「……もしもし?」
『ああ、兄上。お久しぶりです』
聞こえてきたのはやっぱり、聞き慣れた声だった。性別は男なのは分かってるんだが、男にしては声は高い方だ。中性的な声と言っても良いが、それでも片足は少女の声に突っ込んでいるかもしれない。ボーイッシュな少女の声、と言うべきだろうか。
間違いない、ミカエルの声だった。
「ミカエル、お前……!」
『そんなに怒らないでください。久しぶりに兄上の声が聞けたんだ、怒鳴り声なんて聞きたくない』
「やかましい! お前のせいで俺はどれだけ迷惑を……」
こいつが強盗事件なんて起こしてくれたものだから、こっちは毎日父上からの叱責と成果の挙げられない毎日に悩んでいるのだ。少しは責任を取れ、責任を!
という怒りをぶつけてやろうとしたが、ミカエルの言葉にその怒りはあっさりと吹き飛ばされる事になる。
『そう、ご迷惑をおかけしました。罪滅ぼしと言っても何ですが、兄上に”成果”をプレゼントしようかと思いまして』
「成果ァ?」
『ええ。大方、毎日父上にありもしない証拠を探せと呼び出され、叱責される毎日を送っておられるのでしょう。そして仕事も進まず書類は増え、成果は上がらない毎日に頭を悩ませている。そしてやる気も湧かずデスクでコーヒーを啜る昼下がり……違いますか?』
待て、何なんだコイツは。
びっくりして周囲を見渡した。ナターシャがきょとんとした目でこっちを見ているだけで、詰所の中には誰もいない。ミカエルが好きそうな天井のダクトにも何もなく、ただただ暗い闇が広がっているだけである。
見られているわけではない。なのに、なんでそんなにこっちを監視しているかのように言い当ててくるのか。
「お前、俺の事見てた?」
『まさか』
「まあいい……んで、何だよ、その成果ってのは」
はっきり言って、今は藁にでも縋りたい気分だ。プライドも何もない。
『実は先日、暗殺ギルドを差し向けられまして』
「何っ!? 無事か!? ケガは無いか!?」
あれ、なんであんな奴の事心配してるんだ俺は。この混乱を引き起こした張本人だっていうのに。
『ええ。仲間たちのおかげで事なきを得ました。襲ってきた連中はクルーエル・ハウンド……ご存じですか?』
「クルーエル・ハウンド……5つの州で指名手配されてる賞金首じゃねえか」
『奴らを捕らえました。構成員15名中3名は仲間が止む無く殺害しましたが、リーダーを含めた残りの12名は身柄を拘束しています』
クルーエル・ハウンド。別命『冒険者狩り』とも呼ばれる連中だ。今までに数多の冒険者たちを手にかけ、監理局からも賞金がかけられていた連中。そいつらを差し向けられたからには命はない、とまで言われるようなヤバい奴らを相手に生き延びるとは。
姉上の……長女アナスタシアの評価もあながち間違いではない、という事か? それともただ単に仲間に恵まれただけなのか、ミカエルは?
「今どこだ?」
『オルハンスク駅に居ます。拘束した連中をホームに放置していきますので、正規の手続きを済ませた上で確保にお越しください』
笑みが浮かぶのがはっきりと分かった。
クルーエル・ハウンド、5つの州で指名手配されている連中を逮捕できたとなれば、上層部からの俺の評価も覆るだろう。大手柄である。
ミカエルの奴、兄のためにそんな手土産を用意してくれるとは。お前意外と兄想いの良い弟なんじゃないか。
そう思ったところで、ある疑問が心に引っかかる。
「……クライアントは?」
『―――尋問した結果、父上から依頼を受けたと。内容は私の拘束、ないし殺害』
父上……まさか、そこまでやる人だとは。
自分の欲望には忠実で、手段を選ばない人だという事は知っていた。だが、まさか自分の子供に―――血を分けた子供に殺し屋紛いの連中まで差し向けるとは、それが父親のやる事か。
ミカエルの事は気に入らないが、それでも同じ屋根の下、同じ釜の飯を食って育った弟だ。決して仲が良かったわけではないが、その弟を危険に晒した父に対して反感が芽生え始めるのが自分でもよく分かった。
『まったく、父上には困ったものです』
「本当だよ。お前がやったという証拠もないのに捜査しろと……おかげで仕事に手がつかない」
『それはお気の毒に。親が選べない、というのは不幸なものですね』
「……で、その話は本当だな?」
『ええ、兄上のために用意しました。これで兄上の大きな成果になりますし、父上への牽制にもなるでしょう。指名手配ギルドのクライアントがリガロフ家であると公になれば、父上の立場も危うくなる……これは父上の大きな弱みたり得るかと』
「―――ミカエル、生まれて初めてお前の事が好きになりそうだ」
『こちらこそ、兄上の事が好きになりそうですよ』
「んで、これからお前はどうする?」
『これからボリストポリに向かい、冒険者ギルド登録を行うつもりです。冒険者にはなりましたが、ギルドはまだ立ち上げていなかったので。その後はノヴォシア中を旅して回ろうかと……ああ、兄上の”成果”になりそうな話があったら連絡します』
おいおい、取引のつもりか。
俺の出世のための”成果”を用意する代わりに、今回の父の弱みを利用して強盗事件の捜査を打ち切らせろ、というミカエルからの取引。これを呑んでしまったら憲兵として終わりなような気もするが……成果は喉から手が出るほど、いや、喉からもう1人マカール君が出てきそうなレベルで欲しいし、父上からの嫌がらせじみた要求にも嫌気が差していたところだ。そろそろ打ち止めと洒落込んでも良いだろう。
そうなれば、応えは一つだった。
「分かった、手続きを済ませ次第すぐ行く」
『ええ、そうしてくださると助かります』
「ああ……ミカエル」
『何です?』
「昔は色々と酷い事を言って悪かった。いつか機会があったら、一緒に飯でも食いに行こう」
『ははっ、悪くありませんね。分かりました、その時を楽しみにしています。……最近寒い日が続いていますし、兄上も激務が続いているようですから、お身体には気を付けて』
「ああ、ありがとう……それじゃ」
『ええ、失礼します』
そっと受話器を置いた。
あーあ、悪魔に魂を売っちまった気分だ……憲兵隊としての魂を。
でも、その代わりに分かった事がある。
結局、俺の事を一番気遣ってくれていたのはミカエルだったって事だ。
アイツめ……。
「ナターシャ」
「はい」
「ボリストポリのオルハンスクへ向かう。申請を頼む」
「了解しました」
椅子から立ち上がり、コートを羽織った。
取引成立ってか……ミカエルめ、生意気な奴になったもんだ。




