ガルドロフ炭鉱奪還作戦
ベラシアでは、石油よりも石炭の方が単価が安い。
国内から豊富に採掘できる石炭は、ベラシアの人々にとっては身近な存在であると同時に、生活を支える貴重な資源でもあった。機関車の燃料から暖房、鍛冶に料理……子供の小遣いでもある程度まとまった量が購入できるほど安価な石炭は、まさにベラシア鉄道の生命線と言えた。
しかしその供給元を一つ絶たれるだけで、石炭の在庫は簡単に枯れ果てる。
それだけ安価な燃料に依存しているのだ―――相手は、こっちがされると嫌がる事をよーく分かっているらしい。
ウロボロスの指導者は絶対に性格悪い奴だ。嫌いな奴の上履きを隠したりとか、そういう陰湿な嫌がらせをしながらクラスの隅っこで育ってきた陰キャ……いや、それ以下だ。じめじめとした日陰で湿気を吸って育った変な柄のキノコみたいな感じの奴なのだろう。
きっとそうだ。陰キャ歴21年のミカエル君がそう言っているのだから間違いない。
「そろそろですわご主人様」
「ん」
『ガルドロフ炭鉱』と掠れたペンキで記載された看板が、60㎞/hの速度で後方へと押し流されていった。しばらくするとまた別の看板が流れてきて、錆だらけのそれには昔のプロパガンダポスターにありがちな、のっぺりした色使いで絵が描かれている。
いい汗をかきながら笑顔でつるはしを振るう炭鉱夫たちと、鉱山の経営者と思われる中年男性の眩しいスマイル。ここがテロリストの巣窟でなければ実際そうなのだろう。
取り戻そう、労働者の笑顔を。
……なーんて真面目な事を考えている間に、ヴェロキラプター6×6が派手なドリフトをキメながら停車。6つのごっついオフロードタイヤが土煙を盛大に吹き上げて、鋼鉄の猛牛のようなピックアップトラックがぴたりと停まる。
これ、シートベルトしてなかったらワンチャン外に放り出されていたかもしれない。お願いだからもうちょいソフトに運転してほしいものである。
今年の冬は教習所に通おうと真面目に思う。俺もクラリスも運転免許を持ってないのだ(※良い子は無免許運転しちゃだめだぞ! ミカエル君との約束だ!!)。
ダッシュボードからドローンを引っ張り出した。廃品で造られたと思われる、パヴェルお手製のドローン。UFOみたいな円盤型の機体の下部には大きなプロペラがあって、機体の前後左右には方向転換用のファンがある。
機体下部のプロペラのシャフトの先には眼球型のカメラがあった。
機体のスイッチを入れて助手席の窓を開け、外へと放り投げる。ミカエル君の手を離れた事を検知したのだろう、ドローンのプロペラが回転を始め、姿勢制御用のファンを駆動させてバランスを取りながら、ぴゅーん、と炭鉱の方へとすっ飛んでいった。
ダッシュボードに入っていたケーブルをスマホに繋ぎ、画面を横にしながらケーブルの端子を車のカーナビ(GPSなんてものはないのでただのモニターである)の画面にドローンからの映像が表示される。
これ、全部パヴェルのお手製って聞いて驚く人いる?
スマホでドローンを操縦しながら地上をスキャン。ガルドロフ炭鉱には確かに、ウロボロスの構成員がいるようだった。放置されたトロッコにつるはしの山、採掘の過程で出てきたと思われる雑岩を積み上げた岩山……炭鉱夫たちの休憩所だったと思われる場所に2人、背中にフリントロック式のマスケットを背負い、煙草を吸いながら呑気に雑談をしているところをドローンのカメラが捉える。
まず2人。
後は岩山の影に1人、即席の見張り台の上にも1人。
そんな感じで次々に敵の位置を確認していると、後部座席から身を乗り出すようにしてラジオに手を伸ばした。
「景気付けに音楽でも聴くネ」
そんな感じでスイッチの入ったカーラジオからは、ノイズ交じりに歌が聞こえてきた。
ラブソングだろうか。ベラシア訛りのある標準ノヴォシア語で「愛してる」だの「今ここには2人きり」だの、そんな感じの歌詞がノイズ交じりに聴こえてくる。戦闘開始前に聴く曲ではないような気はするが、そんな事はどうでも良いのだ。
下手したら死ぬかもしれない、という極限の緊張状態を和らげるのに最適なのは、やはり音楽だったりする。そうじゃないと気が狂ってしまいそうだ。
パヴェルがよくジャズを聴いているのもそういう理由なんだろうか。
そんな感じでラブソングを聴きながら、敵の位置を全て把握。炭鉱の中にも3名ほどいたが、殆どは炭鉱の外だ。ここさえ制圧してしまえばいい。
「ダンチョさん、作戦はどうするネ?」
「とりあえずこっそり。んでバレたら臨機応変に」
「分かりました」
「了解ネ」
「できるだけ殺すなとは言っておくが、ヤバくなったり止むを得ない状況になったらその限りではない。いずれにせよ自分の身を守る事を最優先で」
仲間たちにそう指示を出し、助手席を降りた。
バックパックから伸びるリコイルスターターを思い切り引っ張るや、静かに小型コンプレッサーが目を覚ました。微かな振動でそれを悟るや、ストック(とはいっても自転車のサドルである)を伸ばして圧力計をチェック。黄色いテープの張られた範囲に圧力計の針が至ったのを確認し、息を吐く。
ドラムマガジンの中身は破格の50発。こんだけ入っていればフルオート射撃できそうに思えるかもしれないが、エアーの圧力と背中のコンプレッサーの能力の関係で射撃はセミオート限定だ。まあ、こんな人が背負えて尚且つ動きを阻害しない程度の重さとサイズのコンプレッサーではそれが限界なのかもしれない。
車から降りたクラリスが、車に鍵をかけてからJS9mmを抱えて走り出す。彼女に続いて俺とリーファも走り出すが、身軽な2人に比べて、コンプレッサーとネイルガンを持っている分俺の足は遅い。後ろからリーファにあっさりと追い抜かれ、最後尾を突っ走る羽目になった。
ガルドロフ炭鉱が見えてきた。ドローンからの映像通りだな、と呟きながらスマホを取り出し、画面にあるドローンの自立制御モードをオンに切り替える。
別れよう、とハンドサインで2人に告げ、左側に見える斜面を滑り降りた。
長い事放置されていたと思われるトラック(塗装はすっかり剥げ、ボンネットが外れてエンジンが剥き出しだ)の陰に隠れつつ、エアホースのソケットが緩んでいないかもう一度チェック。異常がない事を確認してから、左斜め下に伸びるフォアグリップを握り、見張りの兵士に狙いを定める。
引き金を引くと、パシュ、と小さく空気が漏れるような音と共に、緑色の液体が充填された麻酔ダートが射出された。
やはり精度は劣悪なようで、背中を狙ったというのにその一撃は敵兵の左肩に命中した。
非殺傷とはいえ、圧縮空気でダートを撃ち出すのだから当たるとそれなりに痛いのだろう。呻き声のようなものが聞こえたけれど、すぐに被弾した敵兵はそのまま崩れ落ち、眠りの世界へと落ちていった。
すやすやと寝息を立てるウロボロスの構成員を引き摺ってトラックの影に隠し、即効性の麻酔薬の威力に驚愕しつつ、銃身とライフリングの大切さを痛感する。
パヴェル曰く、この即効性の麻酔薬はなかなか効果があるらしい。獣人相手であれば3時間は目を覚まさない程なのだとか。
よし次、と見張り台の方を見た俺は、見張り台の梯子をでっかいメイドさんがよじ登っているのを見てちょっと笑いそうになった。見張り台の上の構成員は長時間の見張りで集中力をすっかりすり減らしているのだろう、直立不動というわけでもなく頻繁に姿勢を変えながら、眠そうにあくびをしている。
そんな彼が背後から忍び寄るメイドさんの存在に気付ける筈もない。ガッ、と伸びたクラリスの手に襟を掴まれ、そのまま見張り台の下へと放り投げられた見張りの構成員は、悲鳴すら発することなく頭を地面に打ち付ける羽目になった。
「それ死んでないよね」
無線で問いかけると、クラリスは見張り台の下で動かなくなった見張り員の脈を確認してからこっちに親指を立てた。
『バリバリ生きてますわ』
「生存確認ヨシ」
次行ってみよう。
できるだけ姿勢を低くしながらネイルガンを構え、こっちに背を向けている敵兵にできるだけ忍び寄った。ネイルガンの命中精度がアレすぎるので、極力距離を詰め、必中を期待できる距離で撃つのが望ましい。
パス、と静かに麻酔ダートが放たれ、また1人の兵士が眠りに落ちた。
寝ている兵士を引き摺って物陰に隠しているところで、休憩所の入り口のところで談笑している2人の見張りが目に入った。あの2人はどう片付けるべきか。仲間と息を合わせて同時に仕留めるか、と思ったところで、2人の背後からリーファが忍び寄っている事に気付いて笑いそうになった。
もうね、目がね……アレなんよ、獲物狙ってる時の熊なんよ。
左の奴は俺が、と目配せすると、リーファは小さく頷いた。
ネイルガンの引き金を引き、麻酔ダートを放つ。
が、ちょっと距離が遠かったらしい。麻酔ダートは狙いを外れると、休憩所の壁に突き刺さった。
その音に反応したのだろう、見張りの兵士が音の聞こえた方を振り向く。
拙い、と焦りながらも続けて第二射。セミオートである事の強みを生かし、とにかくすぐに次の一撃を放つ。
敵がこっちに背を向けていたことが見事に功を奏した。うなじの辺りにぶっ刺さった麻酔ダートが見張りの片割れを眠りの世界に引き込むや、急に相方が倒れた事に驚くもう1人の見張りの注意が散漫になる。
その機を逃すリーファではない。隠れ潜んでいた茂みから音もなく飛び出すと、背を向けている見張りの背後に忍び寄り、鋭い手刀をとんっ、と後頭部に打ち付ける。
プロの格闘家の放った一撃の如く、あっさりと見張りを昏倒させてしまうリーファ。すっげ、と見惚れていると、彼女は無邪気な笑顔でこっちにVサインしてきて、ちょっと顔を赤くしてしまう。
とりあえず、戦闘……というよりも炭鉱奪還作戦は順調に進んでいる。
このペースで行けば、15分足らずで制圧できそうだ。
「ふー、終わったネー」
気絶、あるいは眠っているウロボロスの構成員たちをトロッコの中に押し込んでいたリーファが額の汗を拭い去りながらそう言った。
炭鉱から伸びるトロッコ用の線路は、ヴィラノフチにある燃料集積所まで繋がっている。集積所までは緩やかな勾配になっていて、急カーブもないのでここからトロッコを押してやれば、後は勝手に集積所までトロッコが届く。
「「せーのっ」」
クラリスと声を合わせてトロッコを押すと、合計15名のテロリストを乗せたトロッコがガタガタと音を立てながら、ヴィラノフチへと続くトロッコ用の線路をゆっくりと滑り降りていった。
さて、さっきパヴェルから連絡があったんだが、ヴィラノフチ憲兵の上層部がベラシア法務省からの捜査を受け、丸ごと摘発されたらしい。罪状は反社会的勢力との癒着及び、治安維持義務の放棄。まあ、十中八九姉上からのタレコミだろう。
実家は嫌いだが、コネを放棄しなくて良かったとつくづく思う。まあ、使える権力は使わせてもらうさ。
だから今のヴィラノフチ憲兵は問題なく、こいつらを検挙してくれる筈だ。
パヴェルが燃料集積所へウロボロスの構成員を送る旨の連絡もしてくれたらしいので、後は彼らに任せよう。
「さ、帰ろうか」
「ええ、そうしましょう」
「お腹ぺこぺこネ、早く帰ってご飯食べるヨダンチョさん」
「はいはい」
俺もパヴェルにネイルガンの実戦運用の結果を報告しないと。
金はあるとはいえ、手元にある資源は限られている。道中で手に入る何の変哲もないスクラップだって、俺たちからすれば宝の山だ。単なる鉄板の切れ端だって焼いて叩いて研いでやれば、とりあえず必要最低限の機能を持ったナイフに早変わりするのだから。
ヴェロキラプター6×6に乗り込むと、クラリスはすぐにエンジンをかけた。
カーラジオから流れてくるのは、ベラシアで有名な俳優や歌手のトーク。休日はどうやって過ごしてるんですか、という何の変哲もない会話がしばらく続くと、その歌手の歌っている曲がラジオから流れ始める。
静かな前奏から続く優しい歌声。歌詞から察するに、戦争に行った恋人の帰りを待つ乙女の歌のようだ。なかなかいい感じの曲だし、今度レコード買ってみようかな。
そんな事を思っているうちに、瞼が段々と重くなってくるのが分かった。ああ、疲れたんだな、と思って睡魔と格闘していると、運転席でハンドルを握るクラリスが微笑みながら言った。
「ヴィラノフチまではまだ時間があります。お休みになられてください、ご主人様」
「ああ、ありがとう。それじゃあお言葉に甘えて」
ちょっと椅子を倒し、目を瞑った。
まどろみが一気に濃度を増し、意識を眠りの底へと導いていく。
そんな心地良い眠りも、ハンドルを切ったクラリスの急カーブで頭を窓に打ち付ける羽目になって台無しになった。




