嫌な縁ができました
「どうも、ペリュコフ機関士事務所代表取締役の”リュー・ペリュコフ”です」
応接室で待っていたのは、どっしりした体格の獣人の男性だった。ツキノワグマの獣人だろうか、首元には三日月を思わせる白い体毛がある。骨格が獣に近い第一世代型獣人だからなのだろう、人語の発声に適した骨格じゃないから、彼の発する言葉には特有の訛りがある。
立ち上がったリュー氏は手を差し出し、パヴェルと握手を交わす。今にも圧倒的腕力で獲物を一撃で仕留めそうなおっかない見た目の男性だけど、手のひらにピンクの肉球があってなんか和む。
一応言っておくけど、ミカエル君にも肉球はある。とはいっても木登りに適した形状なので、猫とか犬の肉球とはまた違うのだが。
「どうぞ、おかけください」
「失礼します」
一言そう言ってから、ソファに腰を下ろした。
応接室の壁には白黒の写真が額縁と共に飾られている。この事務所に所属する機関士たちなのだろうか、大きな大きな機関車の前での集合写真や、ウガンスカヤ山脈の山中で撮影したと思われる写真がある。
所属する社員を大事にするところなんだな、と1人で感心しているうちに、リュー氏は話を始めた。
「血盟旅団のミカエル氏ですね。お話は伺っておりますよ。あのガノンバルドをギルド単独で討伐、更にはアルミヤ半島の海賊共を討伐し”雷獣のミカエル”の二つ名もあるとか」
「ん? あ、ああ」
多分、ここでみんな違和感に気付いたと思う。
さっきからニコニコと、近所の優しいおじさんみたいな笑みを浮かべて話すリュー氏。その視線は俺ではなく、俺の右隣に座っているパヴェルに向けられている。
あれ、コレもしかして勘違いされてる?
リュー氏、もしかしてパヴェルの事をミカエル君だと思ってらっしゃる?
言われているパヴェルも何となくその事を察したらしい。トン、と大きな肘が軽くミカエル君の肩に当たった。どーすんのよコレ、と彼が肘で訴えている。
「いやあ、噂には聞いておりましたが実に逞しいお方だ。駆け出しの冒険者とは思えない貫録ですなぁ」
「あ、あの……ペリュコフさん」
「なんだねお嬢ちゃん?」
お、お嬢ちゃん……。
キャンディ食べるかい、とポケットからキャンディを取り出すリュー氏。我慢ならなくなったのか、隣に座っていたクラリスが咳払いする。
「あの、ペリュコフさん」
「はい、何でしょうか」
「ご主人様……ミカエル様はこちらのお方です」
「ああ、それはそれは……って、え゛?」
目を丸くする、とはこの事だろうか。
パヴェルから視線をこっちに向けるや、5ライブル硬貨がすっぽりと収まってしまいそうなくらい目を丸くするリュー氏。「え、こっち?」と聞かれたので、俺もちょっと気まずくなりながら首を縦に振った。
いや、分からん事でもない。
だって見た目的にこの中で一番強そうなの、範三かパヴェルだもの。ガノンバルドをギルドの仲間と共に討伐し、アルミヤ半島をめぐる戦いで海賊連中を殲滅し半島を奪還……そんな事を成し遂げそうな人と言われたらまあ、消去法で行けばパヴェルがそう思われてもおかしくない。
範三は服装が東洋人のそれだからまず可能性として除外されるだろうし、クラリスはメイドさんだし、俺はこの見た目だから子供とか、マスコットみたいな扱いなんだろう。
名乗らなかったこっちにも非はあるよね、と思いながら「ははは……どうも、ミカエルです」と名乗った。
「い、いや……これはとんだご無礼を」
「いえいえ、名乗らなかったこっちも悪いんです。お気になさらず」
出だしからグダグダなんだが、大丈夫だろうかコレは。
しばらくすると、さっきの受付嬢が部屋のドアをノックしてから入ってきた。熱々の紅茶を持ってきてくれたようで、茶葉と微かなイライナハーブの香り、そしてジャムの甘酸っぱい香りが漂ってくる。
ティーカップを全員の前に並べてから一礼し立ち去っていく受付嬢。とりあえず、本題に入るとしようか。
「ペリュコフさん、本題に入らせていただきますが……我々はウガンスカヤ山脈を越え、ミリアンスクを目指しています。そのためにはどうしても機関車の重連運転が必要になる。そこで、こちらの事務所から機関車と機関士をお借りしたい」
「やはりそういう事ですか」
受付嬢の持ってきた紅茶を口へと運びながら、リュー氏は予想していたかのようにそう言った。
まあ、予想していたも何も、この事務所を訪れる顧客の要求はどれも同じなのだろう。ウガンスカヤ山脈を越えるため、重連運転用の機関車とそれを操る機関士を貸してほしい、と。
彼らとしてもそれが生業なのだから、拒む理由はない筈だ。
しかし―――リュー氏の表情はどういうわけか険しいままだった。
既に予約は満了なのか、それとも何か別の事情があるのか。何と伝えるべきか、と困惑したような顔を浮かべたリュー氏は、そっとティーカップを皿の上に置いてから、膝の上で指を組む。
「機関士は居ます、優秀な子がね。そして機関車も空いている車両があります。とびきり馬力のあるモデルが……しかし、今は貸し出す事は出来ません」
「なぜ?」
ティーカップへと伸ばしていた手が、リュー氏の言葉でぴたりと止まった。
機関士は居る、機関車もある。でもどちらも貸し出せない。
それはいったい、どういう事なのか。
「機関車が走るためには何が必要か?」
「……水と燃料」
「その通り」
「―――まさか、それが無いと?」
腕を組みながら話を聞いていた範三が言うと、リュー氏は申し訳なさそうに首を縦に振った。
「ウロボロスの連中です」
どうやら、奴らと奇妙な縁が出来てしまったらしい。
宗教を、神を憎み、その存在を否定する無神論者の過激派テロ集団『ウロボロス』。その矛先は神々や英霊だけではなく、それを信仰する信者や魔術師にも向けられているというのだから何ともはた迷惑な話だ。
連中との付き合いはこれっきりにしたかったのだが、しかしそうはいかないらしい。運命の女神はつくづく嫌な相手とくっつけて楽しむ癖があるようだ。
「連中に石炭の採掘に使っている鉱山を占拠されましてね」
「いつ」
「5日前です。とりあえずは当社の倉庫で保管している在庫を切り崩してなんとか経営を続けていましたが、しかし顧客の数が多いのと、ウガンスカヤ山脈の突破に多くの燃料が必要でしてな……」
「憲兵隊は何を?」
「無駄ですよ。ここの憲兵隊のトップは共産主義者と親しい関係にある」
「―――そして共産主義者はウロボロスを支援している」
ノヴォシア帝国全土において、憲兵隊が庶民の頼れる味方、司法の僕であるとは限らない。
組織が強大であればあるほど、必ず腐敗というものは進行していく。それはノヴォシア帝国の治安を維持する憲兵隊も例外ではなく、中には盗賊団や巨大犯罪組織と結託してしまっている憲兵隊も存在するらしい。
そうなってしまえばもう、犯罪者は何でもやりたい放題だ。
しかし、ついさっき教会を襲撃したウロボロスの連中は普通に逮捕されていた筈だが……あれは形だけだったとでもいうのだろうか。
兄上―――マカールが誠実な憲兵で本当に良かった、とつくづく思う。彼が居るならキリウは、というかイライナは安泰だろう。
その腐敗した憲兵隊が共産主義者と結託しているというのは笑えない。共産主義者の連中はウロボロスを支援している組織でもあるからだ……しかし、そうなるとこの街に教会が存在している、という点の説明がつかなくなる。
憲兵隊としては時に庶民の味方を、時にウロボロスの蛮行に目を瞑ってバランスを取りつつ、共産主義者から利益を得ている、と言ったところか。まあここは推測に過ぎず、実際に金の流れを探ったわけではないので確定というわけではないが。
とりあえず、原因は分かった。
ならばやる事は一つのみ。
「じゃあ、その鉱山を押さえているウロボロス共を追い払えば機関車と機関士の貸し出しには応じてくれる、と」
「……お願いできますか」
「ええ、やりましょう」
ウガンスカヤ山脈を越えられないだけで、こっちは大損だ。
一応は他の路線を使えばミリアンスクまで行けない事もないが、そうなった場合はベラシア地方をぐるっと回って来なければならない。そんな事をすれば、ミリアンスクに到着する頃にはもう冬になっている。
「……報酬はいくらお支払いすれば?」
「そうですね……」
俺たちも慈善事業じゃない。
仕事をするという事は、当然ながら金銭のやり取りが発生するわけだ。それも今回は管理局を通した正規の依頼ではなく、クライアントと冒険者の直接契約による仕事。万一ここで、クライアントと冒険者の間に何かしらの紛争(クライアントが報酬を払わないとか冒険者が依頼を途中で投げ出したりとか)でゴタゴタになっても、管理局は仲裁してくれない。
だから契約書の類が必須になるのだが、持ってきてないんだよな……後で取りに行くか。
パヴェルと目配せしてから、俺は答えた。
「機関車と機関士のレンタル料、格安でお願いしますね」
「えー、大金提示しなかったのォ?」
下はオリーブドラブのコンバットパンツ、上は黒のタンクトップというラフな格好でMG3の分解整備をしていたモニカが不満そうに言った。
まあ、確かにこういう時は大金を提示するのが冒険者の常識だ。クライアントがそんなに払えないと言えば金額について互いに話を詰め、合意に至れば契約成立。無理なようであれば依頼は白紙化という、金にシビアな業界でもある。
だから今回の機関士と機関車のレンタル料を格安にしてくれ、というこちらからの要求は異例中の異例、と言っていい。
「金ならあるしな」
正直、マガツノヅチ討伐の一件でかなり儲かっている。
異例の2体目の討伐で報酬金は2倍、それに更にガノンバルドや他の魔物たちの討伐報酬も加わった上、研究用に貰った素材以外の余りは全部帝国騎士団に売り払ったので、今の血盟旅団の懐はホッカホカ……それどころか激アツである。
それに変に高額な報酬を提示して相手に変なイメージを持たれるより、好意的なイメージを持ってもらった方がこっちも仕事をしやすくなるというものだ。そういう事もあって、報酬にはレンタル料の割引(というか実質無料に近い)を提示し契約は成立、という事と相成った。
今はクラリスとシスター・イルゼ、リーファの3人が契約書を持って事務所に向かっているところである。
スピードローダーに.455ウェブリー弾を装着しながら返答すると、モニカは頬を膨らませながら分解整備を続けた。取り外した銃身の中を覗いてライフリングの摩耗具合を確認する彼女を一瞥し、俺も仕事に戻る。
そろそろパヴェルに頼んでいた”ある代物”が完成する頃だ。
シリンダーから弾が抜けた状態のウェブリー=フォスベリー・オートマチックリボルバーをホルスターに収め、彼の工房へと向かった。
血盟旅団の列車の客車はどれも2階建て。入り口のドアの辺りには1階へ降りる階段と2階へ上がる階段がそれぞれ用意してあって、さながら新幹線のMaxを思わせる構造になっている。
階段を上って扉を開け、連結部を飛び越える。3号車の扉を開けて中に入ると、もう既に階段の辺りにまで鉄の臭いが漂っていた。
鉄と、油の臭い。こっちの世界にやってきてからは随分と親しい香りになったそれを胸いっぱいに吸い込みながら工房へと降りると、顔中を機械油まみれにしたパヴェルが、満足げな笑みを浮かべながら俺を出迎えてくれた。
「時間通りだな」
「おうミカ、完成したぞ」
そう言いながら自信満々に作業台の方を指差すパヴェル。工具やら何かの余った部品やらでごちゃごちゃした作業台の上には、なんともまあ……いや、本当に何と言っていいのか分からない、予想の斜め上だか斜め下を行くような、異形の武器が置かれていた。
一応、何が原形なのかは分かる。ネイルガンだ。釘を装填し、高圧空気とか電気、モノによっては火薬の力を使って壁とかに釘を打ち込む工具であり、決して銃器ではない。
しかしそこにあるのは、パヴェルの手によって魔改造され、即席の銃器として生まれ変わったネイルガンの姿だった。
通常のネイルガンには安全装置がある。先端部、銃で言うところの銃口を対象物にしっかりと押し当てた状態でなければ釘は発射されない。が、どうやらその安全装置は当たり前のように取り外されているようで、コイツはもう引き金を引けば鋭い釘を相手にお見舞いできる。
ベースになっているのはノヴォシアの工事現場に普及しているネイルガン。布製のベルトをドラムマガジンみたいなケースに収め、コンプレッサーで生成した圧縮空気、あるいは魔力を使って釘を対象物に撃ち込む、建築業者の仕事道具である。
しかしそれには釘……ではなく、緑色の液体が入ったダートが装填されている。
イライナハーブを使って作った麻酔薬を充填した”麻酔ダート”だ。
機関部から見て左斜め上には圧縮空気の圧力を示す圧力計があり、左斜め下にはフォアグリップが伸びる。そして機関部後部からはストックが伸びているのだが、よく見るとそれもちゃんとしたストックではなく、自転車のサドルを流用した者である事が分かる。
サドルのスプリングはそのまま残されているので衝撃吸収機能もある程度は期待できるし、サドルの伸縮機能も残っているから無駄に長さを調整可能、という、見た目からは想像もつかない程実用的に仕上がっていてなんか草生える。
「どうだ」
作業台の上のそれを拾い上げ、構えてみた。以外にもしっくりくる。フォアグリップ(よく見たら自転車のハンドルだわコレ)の角度にやや癖があるけれど、グリップ前方をドラムマガジンが占有している関係でこれは仕方ないのかもしれない。
機関部の上にはリング状の金具を使ったリアサイトと、金属製の簡単な突起のフロントサイトを組み合わせたアイアンサイトがある。調整は出来ないっぽい。
「……これ何で撃ち出すんだ? 魔力?」
「いや、圧縮空気を使う」
「でも空気はどこから?」
「ん」
くいっ、と作業台の脇を顎で指し示すパヴェル。見てみるとそこにはモスグリーンとライトグリーン、ブラウンの3色で彩られたデジタル迷彩模様のバックパックが置かれていた。
なんぞこれ、と思って拾い上げ、中をチェック。中には随分と小型のコンプレッサーが収まっていて、側面からはリコイルスターターと思われるワイヤーが伸びている。これを引っ張る事でコンプレッサーが起動するのだろう。
バックパックから伸びるエアホースを、ネイルガンのグリップ下部にあるソケットに差し込んだ。カチッ、と音がするまで差し込んでからバックパックを背負い、ネイルガンをまじまじと見てからパヴェルに視線を向ける。
「撃ってみても?」
「いいぞ」
来いよ、と言われ、彼と一緒にすぐ上の階にある射撃訓練所へと上がった。
レーンには既に釘の入ったドラムマガジンが用意されている。レーンの前に立つなり、パヴェルはドラムマガジンを交換して釘の入っている方を装填してくれた。
装填の手順は簡単だ。マガジンを外し、新しいのと取り換えるだけ。コッキングは不要らしい。
安全装置の類も見当たらないが、まあコンプレッサーが動いていなければ動かないのだから、それが一種の安全装置と見做せるのかもしれない。
パヴェルに目配せしてから、バックパックのリコイルスターターを引っ張った。エンジン音のような音がするのを期待してたんだけどそんな音は一切なく、バックパックの中の小型コンプレッサーは静かに、しかし確かな振動を発しながら目を覚ます。
圧縮空気の供給が始まったようで、ネイルガンに取り付けられた圧力計の針が急激に上昇していった。蒼いテープが貼られた範囲を突破、黄色いテープから紅いテープの範囲に達するギリギリのラインで、針は痙攣しながら停止する。
「圧力制限器を取り付けておいた。そのエアー圧なら人は殺せない」
「釘でも?」
「頭を撃たなきゃな」
そいつはありがたい。
パタン、と的が起き上がったので、試しに一発撃ってみた。
シュッ、と空気が微かに漏れるような音を発するのみで、釘は静かに、しかし恐ろしい勢いで放たれた。
しかしながら、ライフルのようなライフリングがなく、無いに等しい銃身、火薬よりパワーの劣る圧縮空気とあっては命中精度も射程距離もクソと言わざるを得ず、放たれた釘は目標を逸れてどこかへすっ飛んでいった。
手元のレバーを弄り、的を接近させるパヴェル。二発目を討つと、やっと的に釘が刺さる音が聞こえてきた。
胸板を狙ったつもりが、当たった部位は左の肩口。
うん、なかなかの命中精度(皮肉)。
「まあ、近距離でこっそり獲物を黙らせる装備だからな。そのリアサイト、釘はあくまでも”20mの範囲内においてその中のどこかへ飛んでいく”っていう目安だから、命中精度は期待しないでくれ」
「それは仕方がないか」
「銃身もつけてみたんだが、取り回しがな……」
確かにな、とは思った。
ネイルガン単品ではなく、コンプレッサーを内蔵したバックパックと併用することを前提とした装備である。しかもバックパックからエアホースで繋がなければならないので、思った以上に取り回しはアレだ。
でも、この静粛性は見事なものだとは思う。
ちょっと風が吹いた、あるいは空気が漏れた程度。サプレッサー装備の銃から.300BLK弾を売った時のような、驚くべき静粛性がある。
敵の拠点に潜入、見張りを静かに眠らせ無力するにはうってつけの武器と言えるだろう。
不満点もあるが、しかしミカエル君的には概ね高評価だ。
「パーフェクトだ、パヴェル」
「感謝の極み」
とりあえず、もうちょい慣らしておこう。
パヴェルに素直な感想を述べてから、俺は標的がハリネズミになるまでひたすら釘を撃ちまくった。




