焔の貂(テン)は竜と踊る
1つ、2つ、3つ。
これでいったい、斬り捨てた小鬼はいくらに達したか。
これだけ屍を積み上げられてもなお、大地を血に染め上げられてもなお、躊躇せずに突っ込んでくる魔物たち。同胞の無残な死に様を見せつけられて恐れるどころか、むしろ奮い立っているように見えて、つくづく魔物というものは厄介だと思ってしまう。
だんだんと刃毀れを起こし始めた千子村正でハーピーを縦に一刀両断しながら、これだけ殺しても、殺気を周囲に振り撒いても一歩も退かない魔物たちを見て呆れた。
きっと彼らは、同胞の死を悲しんでも、そして自身の死を畏れてもいない。ただ目の前に食い物があるから喰らおうとしているだけ。そしてこんなにも奮い立っているように見えるのは、周囲に立ち込める血の臭いのせいだ。
倭国のエゾに居た頃もそうだった。血の臭いは魔物をおびき寄せるから、なるべく山に血の臭いが届かぬよう工夫しなければならなくて、地元の狩人たちも獲物の血抜きとか、そういう処理にはかなり苦労したという話を聞いている。
もしそれを怠ろうものならば、魔物たちの獲物にされるのは自分たちだから。
もう斬り捨てた敵の数を数えるのもやめながら、ただただ刀を振るった。私は範三と比べると体格も小さいし体重も軽い(重いって思ったわね? 殺すわよ)。だから相手を斬る時、必然的に攻撃が大振りになってしまう傾向がある。
相手を確実に殺す一撃から、なるべく効率的に、体力を温存するような一撃へと攻撃方法を切り替えた。刀はなるべく大きく振らず、落ちた威力は腰の捻りと遠心力でカバー。飛びかかってきたゴブリンの上半身と下半身をバッサリやって、うん、我ながらいい感じと自画自賛していたそこに、PKP-SPを撃ちまくっていたおもちが横槍接近中との警告をしてくれる。
『しゃもじ、でっかいのが来る』
「でっかいの」
いやまさか、と思ったのと、エゾクロテンの獣人として生まれた私の第六感が赤信号を発したのは同時だった。
間に合うか、と背筋に冷たい感触を走らせつつも、前に出ようとした身体を踏み止まらせ、とにかく後ろへと大きくバックジャンプ。
次の瞬間、私の目の前にいた魔物の一団が、横合いから飛来した散弾のようなもので一気に薙ぎ払われ、瞬く間に挽肉になった。ヴォジャノーイにゴブリン、ハーピー。カエルと小鬼と鳥の合挽を一瞥しながら散弾の飛来した方向を睨む。
そこに居たのは、巨大な飛竜だった。
いや、一目見れば飛竜だとは分からないだろう。地の底から這い出てきた悪魔か、この地域に伝承として伝わる魔獣の類……少なくともそう思えてしまう。
廃村に燃え広がる炎と舞う火の粉に赤黒く照らされた、おそらくは黒曜石のような質感の外殻。太古の昔に絶滅し、今では博物館で化石しか見る事が出来ないティラノサウルスのような頭部には、ナイフのような牙がずらりと並んでいる。あんなに大きな顎と発達した筋肉から察するに、咬合力はかなりのものである事が分かる。
けれども一番異様なのはその前足だった。
信じられないけれど、筋肉でバッキバキの胴体から後ろ足と合わせて6本……いえ、8本も足が生えているの。
前足は異様に筋肉が発達した”剛腕”と呼ばれる太い足に加え、後ろ足と同サイズの前足が一対。そして胸板周りには、退化の途中なのか、ティラノサウルスみたいに小さい前足がちょこんと2つ生えている。
「ふふっ、ふふふっ……そう、そういう事。そっちから来てくれるなんてね」
後ろから飛びかかろうとしていたヴォジャノーイに、そちらを振り向く事なく千子村正の刀身を突き立てた。立て続けに獲物を骨ごと両断していたせいで刃毀れを起こした状態でも、銘刀は銘刀。まるでパンを包丁で切っているように、すっ、と抵抗もなくヴォジャノーイの腹にぶっ刺さった。
刀から手を放し、一時的に丸腰になる。
こちらを見た異形の竜が、口から炎を漏らしながら吼えた。
『ヴォォォォォォォォォォォォンッ!!』
征服竜、ガノンバルド。
私がミカ達と出会うことになった理由が―――そこに居た。
なるほど、この威容……この威圧感、確かに征服者を名乗るに相応しい。圧倒的な力で立ち塞がる敵をねじ伏せ、自らの版図を広げていく大自然の絶対者。征服竜の異名は伊達ではない、という事かしら。
死体しか見たことが無かったからだけど―――なるほど、これは面白い。
ガノンバルドが剛腕を一歩、前に踏み出した。足元で同胞の死体に群がり、その死肉を食い散らかしていたゴブリンたちが踏み潰され、水分を多量に含んだ泥に足を落としたかのような、水っぽい音が聞こえてくる。
―――ああ、ベラシアに来てよかった。
やはりここは魔境、魔物の大地。太古からの生態系が程よく保存された、人類にとっては苛酷な大地。だからこそ過酷で、故に自分の実力を知るために―――そしてその限界を超えるための修行の地としては最適だった。
笑いが止まらない。
「おもち」
『ん』
「私は事前の計画通りに動くわ」
『ん、わかった。気を付けて』
ガノンバルドが足元の岩塊を砕いた。それを剛腕で掴み上げたかと思いきや、さながら野球選手の如く剛腕を振りかぶって、打製石器のように鋭く尖った岩石の散弾をぶん投げてくる。
後ろへとジャンプしつつ、背後から忍び寄ろうとしていたエルダーゴブリンの肩に着地。そのまま肩車してもらっているかのような姿勢になりつつ両手を首に絡みつかせ、力いっぱい捻ってみた。
コキュッ、と骨が折れるような音がして、首をありえない角度に捻じ曲げられたエルダーゴブリンが崩れ落ちる。
崩れ落ちていくエルダーゴブリンを蹴って跳躍、廃村の中にある大きな廃屋の中へと転がり込んだ。
かつては教会だったのかしら。礼拝堂と思われる広大な空間には、真ん中を通る通路を挟んで、複数人が座れる長椅子が等間隔に設置されている。礼拝堂の後ろには何かの女神を象った石像が十字架と共に祀られていて、その頭上にはステンドグラスがある―――とはいっても、どれもこれも放置されて久しいみたいで、埃を被ったり割れたり、半ばほどから折れたりと、かつて神に祈りを捧げる場所だったとは思えない程荒れ放題だった。
その荒れ果てた空間の中に、鋭い輝きを放つものがある。
”同田貫”と呼ばれる刀―――それが10本。
事前に用意しておいたものだ。戦闘中、刀が折れたり刃毀れを起こして使い物にならなくなった時の予備であり、同時に私の切り札を使うための陣地でもある。
その中から1本、一番近くにあった同田貫を引き抜いた。ギラリと輝く刀身を一目見てから、崩落した壁の向こうに見えるガノンバルドを睨む。
さあ、やりましょう。
ここなら誰も邪魔はしない。
しゃもじだけを追うガノンバルドを一瞥しながら、おもちはPKP-SPのカバーを開き、弾薬箱を交換し始めた。中から引っ張り出したベルトを薬室へと差し込んでカバーを閉じ、コッキングレバーを引いて初弾を装填。ロシア製スコープを覗き込み、フルオート射撃で魔物の群れを押し留める。
彼女にとって、しゃもじとは単なる命の恩人ではない。
それ以上のものだ―――言葉では言い表せない存在。主人、パートナー、仲間、己の半身、いずれも違う、どう言語で表現しても語弊が生じる。
ただ一つ言えるのは、彼女にとってしゃもじは特別な存在である、という事。
今のおもちの役割は一つ―――ガノンバルドとの一騎討ちに突入したしゃもじの邪魔をさせない事だ。
そろそろ頃合いか、とおもちはその場を離れた。スリングで下げたPKP-SPを腰だめで連射しながら魔物たちの注意を自分へと向けさせる。
敵の注意を引き付ける一方で、もう少し殺気を加減してくれてもいいのに、と廃教会の方を見ながらおもちは思った。あんなに殺気を振り撒いていれば、ガノンバルドにとっては挑発として映るだろう。ガノンバルドは特定の縄張りを持たず、各地を徘徊する相手だ。そしてそこに自分以外の生命体がいれば敵と断定し排除しようとする。この攻撃性の高さが、征服竜たる所以である。
そんな好戦的な相手に殺気をぶちまければ、それは怒り狂う相手を逆撫でする事に他ならない。
(でもしゃもじは言ってた。『煽りは挨拶』って)
もちろん、そんな文化は無い。あるとすればそれはインターネットの中だけである。
『ギョロロロロロロ!!』
廃屋の屋根の上から、毒々しい色合いの皮膚に包まれた蛙が飛び降りてくる。ヴォジャノーイ亜種だ。イライナ程ではないが、ベラシアにもヴォジャノーイは存在する―――体内に毒を持つ亜種が現れたという事は、ベラシアにも廃棄物を不法投棄している場所があるのであろう。
鋭い牙が大量に並んだ口を開き、おもちを噛み砕かんと襲い掛かってくるヴォジャノーイ。しかしおもちは全く表情を変えず、だがその瞳の奥に確かな怒りを滾らせながら、左手を腰のホルダーの中で眠るトマホークへと伸ばす。
「 邪 魔 を し な い で 」
まるで相手にボールを投げつけるかのように、おもちはトマホークをヴォジャノーイ亜種へと投げ放った。
回転しながら飛来したそれが、ドッ、とヴォジャノーイ亜種の顔面に突き刺さる。あっさりと絶命したヴォジャノーイ亜種の顔面からトマホークを強引に引っこ抜いてから、おもちはPKP-SPの引き金を引いて弾丸をばら撒く。
ガギンッ、と機関銃が沈黙すると、顔色一つ変えずにそれを投擲―――する前に、襲い掛かってきたゴブリンの口の中へ、赤々と焼けた銃身を突き入れた。
『ギョォッ!?』
「―――」
PKP-SPから手を放し、片手でゴブリンの頭を抑えつつ、もう片方の手でトマホークを首筋に叩きつける。ゴリッ、と首の骨が断ち切られる手応えを感じ、そのままゴブリンの頭を捻って強引に切断。オリーブドラブの表皮に包まれた頭を、後続のエルダーゴブリンへと投げつける。
まさか子分の頭を飛び道具にされるとは思っていなかったのだろう、高齢の大型ゴブリンは驚いたようにそれを手で払ったが、その頃には既におもちの姿はなかった。
いや、違う。
炎で赤く照らされた闇の中、爛々と輝く相貌が目の前に2つ。
ホッキョクギツネの獣人―――その手にあるのは手持ち式の土管のような形状をした、バッテリングラムと呼ばれる鈍器。
軍隊や警察の特殊部隊がドアを破り、突入する際に使用する鈍器だ。本来はドアを殴打し突入口をこじ開けるのが目的であって、こうやってヒトや魔物を殴打する事は本来の用途には無い。
姿勢を低くした状態から、伸びあがるようにバッテリングラムを振り上げるおもち。それはまるで、ヘビー級ボクサーが全身を使って撃ち放つ、本気のアッパーカットのような一撃だった。
吸い込まれるようにエルダーゴブリンの顎を捉えたその一撃が、単なる脳震盪で終わらせるはずがない。バッテリングラムの質量とおもちの筋力が融合したそれは、容易くエルダーゴブリンの顎を粉砕、更には下顎にまでめり込んで、衝撃をこれ以上ないほどに脳までダイレクトに伝えたのである。
ぐるん、と白目を剥いたエルダーゴブリンが崩れ落ちる。
倒れたエルダーゴブリンを踏みつけながら、おもちは周囲を見渡した。
―――畏れられている。
彼女を取り囲む魔物たちから、それが伝わってきた。
まるで絶対的な捕食者を昼寝から起こしてしまったかのような、そんな恐怖。
周囲の魔物たちが抱いているのはまさにそれだった。
しかしもう、遅い。
一度逆鱗に触れたからには、その代償は命で支払うものと相場が決まっている。
ホッキョクギツネとは、時に同族や人間でさえもその餌食とするほど獰猛な一面を持つ。
凶暴で、とにかく襲い掛かる相手を選ばない。
もうそこには、いつもしゃもじの隣で何かを食べている眠そうなおもちの姿は無かった。
あるのはただ、獰猛な面を剥き出しにした狂戦士としての彼女のみ。
「……みんな、おいしそう」
まだ息のあった足元のエルダーゴブリンの顔面にバッテリングラムを振り下ろし、頭を完全に潰しながら彼女は言った。
「……食べられたい子から、かかっておいで」
信じられない事に、範三はこの化け物を刀一本で殺った。
彼にとっては、自分の身を守る術は刀のみ。範三には飛び道具を扱う技術も、そして何より魔術の適性すらない。己の肉体と鍛え上げた剣術、それ以外に一切頼ることなく、彼はあの実力を手に入れた。
魔術に銃、刀以外にも色々と手を出して、己の力として取り込んできた私にはないものだ。
私もこの刀一本でガノンバルドを屠ってみたいけれど、体格差というのは本当に大きな要素になる。身体が大きく体重も重く、なおかつ動員できる筋肉の量も多ければ当然一撃の威力には”重み”が出る。けれど、小柄で華奢な体格の私では、どうあっても範三のような力強い一太刀が放てない。
だからなのだろう、範三と私を比べると、私の方がガノンバルドとの相性は悪いと言えた。
前世で一番冴えていた時の剣の勘が完全に取り戻せていたら、とつくづく思う。もし全盛期の頃の私だったら、ワンチャンこのガノンバルドを屠る事が出来たという自信があるけれど、現状そこまでは至っていない。
剣術に限って言えば、異世界転生前より弱くなってしまった、と言ってもいい(魔術とか銃の扱いとか、トータルだったら今の方が強いけど)。
振り払われた剛腕の一撃を回避し肉薄、思い切り跳躍してから、ガノンバルドの外殻の隙間を斬り付けた。
いくら堅牢な外殻で覆われていると言っても、全身がそうとは限らない。どう頑張っても外殻だけは無防備にならざるを得ないというのは、太古から現代にいたるまでの生物の進化を見てみれば分かる事。
そしてそれは、異世界の生物も例外ではない。
外殻の繋ぎ目から血が溢れ出す。が、浅い。範三のような重い一撃であれば、ガノンバルドを呻かせるくらいの威力にはなったと思うんだけど。
懐に入り込んだ私を引き剥がすためか、ガノンバルドが体当たりしてくる。こんな巨体(推定で90m)をぶち当てられたらたまったもんじゃないわ。こちとら絶滅危惧種の獣人なんだからもっと動物愛護の精神を持って接してほしいわね。殺すわよ?
そろそろか、と思いつつ後方へ大きくジャンプ。廃教会の中へと飛び退くや、こちらを振り向いたガノンバルドが何かを吐き出そうとする動きを見せた。
あれはおそらく……いや、間違いない。ブレスの事前動作だ。
―――この時を待っていたわ!!
同田貫を複数本突き出した私の”陣地”へと駆け戻り、身体中の魔力を放出し始めた。
私の適性はBランク―――炎属性の術の扱いに長けている。
「火鼠よ、月の姫が求めしその皮衣よ、火勢を清艶へ、火熱を鮮麗へ、焔を纏いこの身を飾れ」
くるりと回し、逆手持ちにした同田貫を傍らに突き刺し、詠唱しつつ左手を脇差―――倭国に居た頃に手に入れた妖刀へと伸ばした。
大小拵えだった妖刀の片割れのこの脇差は、魔力損失率が5%を下回る優秀な触媒でもあるの。隕鉄製らしいから、不純物として隕石の落下地点周辺でしか見つからないという”殺生石”(ノヴォシアでは”賢者の石”と呼んでいるらしい)でも含んでいるのかもしれない。
ガノンバルドが口を激しく閉じた。ガヂンッ、と金属をぶつけ合うような音が響いて、ティラノサウルスみたいな口元から火花が散る。
ミカ達から聞いた通りなら、そして図鑑に記載されていた通りなら、この後にブレスが来る。あの口を勢いよく閉じる動作は、牙を擦り合わせる事で火花を生じ、体内で分泌し吐き出す可燃性の体液の着火するための動作に違いない。
けれども、何も問題はない。
準備は既に整った。
「―――【火鼠皮衣】の術ッ!!」
『ゴアァァァァァァァッ!!』
咆哮と共に放たれた、まるでビームのようなガノンバルドの本気のブレス。
太陽の光を思わせる閃光が、私の視界を覆い尽くした。




