事態急転
撤退したポイントB-3には、古びた線路があった。
パヴェル曰く、この線路は今では廃線となった路線で、かつてはピャンスクから旧ビリンスク採石場とバラドノフ村を経由、そのままベラシア最大の都市ミリアンスクへと向かう列車の線路だったとの事だ。
ところが国内の方針転換によって採石場の業績が悪化、閉鎖を余儀なくされるに伴って路線変更も行われ、こちらの線路は閉鎖されたらしい。
その古いレールの上を、バラドノフ村方面から走ってくる列車が見え、俺は機関車に向かって手を振った。
バラドノフ村で待機していた俺たちの列車、チェルノボーグだった。村からわざわざ後進でこっちの古い路線を通り、作戦展開地域まで来てくれたのだ。
機関車から顔を出して手を振るルカとノンナの姿が見え、先ほどまで感じていた緊張感と絶望が少し和らいだ。
あくまでも想定していたのはマガツノヅチ1体の討伐―――しかしマガツノヅチのおかわりに加え、ガノンバルドを含めた無数の魔物が向かっているともなれば太刀打ちできるはずもない。
止むを得ず撤退、列車を要請し補給を受けている、というわけだ。
後進でこっちまでやってきた列車の格納庫のハッチが開くや、中から給油用の大きなホースを抱えたノンナが走ってきた。キーを捻って機甲鎧のエンジンを切り、ハッチを解放。コクピットから外に出てノンナと一緒にホースを抱え、給油口のハッチを外してガソリンの給油を開始する。
これが終わったらパーツの換装だ。
ガトリング機銃とミサイルランチャー、そして対空用のレーダーが搭載されているが、それを取り外して通常仕様に戻し、ペイロードの許す限り武装を搭載しなければならない。そうでなければ、あの数の魔物に対抗できない。
ホースの揺れがぴたりと収まり、給油が終わった事を察するや、ホースを外して給油口のハッチを閉めた。機甲鎧用に改造されているとはいえ、元はと言えばこいつのパワーパックは車用のガソリンエンジンを流用したものだ。根本的な構造は変わらない。
さて次は武装の換装か……と思いながら再びコクピットへと入り、ハッチを解放したままキーを捻った。燃料計の針はFullを指し示しているのを確認し、半クラからギアチェンを素早く行う。
そのままゆっくりと機甲鎧用の格納庫へと機体を進ませ、解放されたハッチから格納庫内へと機体を進める。初号機用のスペースで機体を旋回させてからキーを捻ってエンジンを停止、コクピットを解放して飛び降りると、天井から重々しい音が聞こえてきた。
装備換装用のクレーンアームが稼働し、早くも両腕の武装の取り外し作業にかかっている。クレーンを操作しているのは、もちろんツナギ姿のルカ。蒸気機関車の運転から車両や機甲鎧の整備まで、早くも何でもこなせる万能選手ぶりを発揮しつつある。さすがパヴェルの弟子と言ったところか。
彼に手を振って装備の換装を任せると、格納庫の外から話し声が聞こえてきた。
『ちょっとパヴェル、2体目がいるなんて聞いてないわよ!』
『分かってる、2体目を察知できなかったのは俺の落ち度だ』
『しかし2体目なんて……誰も想定できるわけないわ』
モニカとパヴェル、それとしゃもじの声だ。
格納庫から3号車に向かうと、乗車用のドアを開け、3人が車両へと乗り込んできた。
「あら、ミカ」
「しゃもじ、ケガはもう大丈夫なのか?」
「ええ。イルゼに治してもらってからはもう絶好調。ご飯32万8500杯はいけるし素手で核爆発を紅葉おろしにもできるわよ」
「絶好調通り越して魔改造されてないかソレ」
トラックの荷台に範三を乗せた時のしゃもじはボロボロだったという。応急処置を担当したシスター・イルゼ曰く、『衝撃波で内臓を痛めた挙句、折れた肋骨の何本かが内臓を串刺しにしている状態だった』との事だ。それでよく生きていたものだと思う。
モニカの時もそうだったが、獣人って普通の人間より生命力は高い傾向があるらしい。あくまでも傾向で個人差はあるそうだが。
3人と共に1号車の1階へと向かった。かつては寝室が連なるスペースだったが、そこをぶち抜いて改装、作戦立案用の会議室に作り変えたブリーフィングルーム。薄暗い部屋の中には既に仲間たちや範三、おもちも集まっていた。
範三も治療を終えたばかりのようで、傷口からの出血を抑えるために巻いていた血まみれの包帯を外しているところだった。がっちりした筋肉と茶色い体毛で覆われた上半身(範三は第一世代型の獣人なので獣のような体毛があるし骨格も獣に近い)からは傷がすっかり消えている。
シスター・イルゼの応急処置のおかげだろう。しゃもじがトラックに担ぎこんだ時は身体中に岩の破片が突き刺さり、衝撃波で内臓をやられた状態だったらしい。
ノートパソコンの画面をじっと見ていたパヴェルに、範三は問いかける。
「パヴェル殿……2体目のマガツノヅチなど聞いていないぞ」
「うむ……俺も予想外だ。おそらくだが、奴らは雄と雌、つまりはつがいの関係にあると思われる」
「つがいだと?」
「そうだ」
彼がエンターキーを押すと、いつの間にかノートパソコンと連動していた立体映像投影装置が作動、テーブルの上にパソコンの中にある画像ファイルをずらりと表示させていく。
なんだろ、画像ファイルの中に『osukebe picture R-18』っていうのが紛れ込んでるんだけど、間違ってアレダブルクリックしたら面白いよな……なーんて考えていると、パヴェルがマウスを操作してその例の画像ファイル……を通過し、隣のファイルをダブルクリックして開いた。
何期待してんだミカ、とでも言いたげなパヴェルと目が合い、思わず苦笑いを浮かべる。
絶対エロ画像入ってるであろうファイルの隣にあった画像ファイルが開かれ、中からマガツノヅチの写真が何枚も表示された。おそらくパヴェルがマガツノヅチの偵察の際にドローンで撮影していたものだろう。
「俺たちが討伐した個体、おそらくこいつは雌の個体だ」
「何故分かる?」
範三が腕を組みながら訪ねると、パヴェルは淡々と答えた。
「人里にそれなりに近く、尚且つ隠れるのに絶好な採石場……巣を作るのには最適の場所だろう。これはどの飛竜も共通する特性だが、一度巣を作る場所を定めた後は、雌の個体は来たるべき繁殖に備えて体力を温存し、雄は雌のための食糧確保と周辺警戒に移行する。そういうもんだ……マガツノヅチであろうと例外ではあるまい」
「じゃあ……あたしたちが範三の家族の仇だと思って倒したのは……」
おそるおそる声に出すモニカ。
俺も彼女と同じ結論に達していた。
「その通り―――倒したのは範三の家族を皆殺しにした個体ではなく、その雄の帰りを巣で待っていた雌の方だった、というわけだ」
どうしてそれに今まで気付かなかったのか、というのも理由がある。
まず、撤退後にドローンを発進させ、それにマガツノヅチを捕捉させるまでに時間がかかった事だ。この間に雄の個体が巣を雌の個体に任せ、自分は上空からの周辺警戒、あるいは食料の調達のため巣を離れたと考えれば辻褄は合う。
そして俺たちは、遭遇した採石場に留まっていた雌の個体を最初に遭遇した雄の個体と勘違いし襲撃、討伐した……。
「マガツノヅチは、さぞ怒ってるでしょうね……」
「まあ……人間で言ったら不在の間に妻を殺されてたわけだからな……」
新たに遭遇した2体目のマガツノヅチ―――正確には、一番最初に遭遇した雄の個体があんなにも怒り狂っていたように見えたのは、おそらくはそのためだろう。俺たちが討伐したのは奴にとっての伴侶、幸せな将来を誓い合ったパートナーだったのだ。
「待て、最初に某が追っていた奴は倭国からノヴォシアへ逃れた……それは分かる。が、あの雌の個体はどこから来たのだ?」
「推測しかできんが、もしかすると奴の生息地は倭国だけとは限らんのかもしれん。あの飛行能力だ、極東の島国に死ぬまで留まっているという方が考えにくい」
「じゃあ……奴は某との戦いで傷ついて逃げたわけではなく、繁殖のために海を渡っただけということか」
「おそらくな」
確かに納得のいく理屈ではある。
あれだけの高い飛行能力を有しているという事は、それだけより遠方の地域に容易く移動できるという事だ。倭国固有のエンシェントドラゴンとされているマガツノヅチだが、実は人類側の視野が狭かっただけで、本当はもっと広範囲に生息しているのではないか、というのがパヴェルの仮説である。
ありえない話ではない。実際、リーファから聞いたジャングオの伝承にも類似の龍が登場する事がある。それがジャングオの大地へ渡ったマガツノヅチであるというならば話は合う。
「じゃあ、あの大量の魔物は何だ?」
「それは分からん。今もドローンを飛ばして情報収集に努めているが、原因は不明だ……マガツノヅチの怒りに触発されたか、あるいは死んだマガツノヅチを喰らおうと集まってきたのか……」
確かに、あの数は異常だった。しかも見間違いでなければ、集まってきた魔物の中にガノンバルドまで紛れ込んではいなかったか?
あれがあのまま解散してくれるとは思えないし、仲間割れする様子もない……怒り狂ったマガツノヅチは、まるであの数の魔物たちを統率しているようにも見えた。
もしあれが人里へなだれ込んで行ったらと思うと、ゾッとしてしまう。
「どうする、範三」
腕を組みながら立体映像を睨む範三に、パヴェルは問うた。
範三の目はテーブルの上に投影された、マガツノヅチにのみ向けられている。
彼からすれば範三は家族を奪った相手―――そしてあのマガツノヅチからすれば、範三はまさに自分の妻を殺した忌むべき敵。”不倶戴天の敵”とはよく言ったものである。
そしておそらくその憎しみの連鎖は……その因縁は、どちらか片方が力尽きるまで終わる事は無いのだろう。
もう既に、互いを赦す事が出来ない段階まで進んでいる。今更後戻りなど、そんな都合の良い事はできないのだ。ここまで来たからには決着がつくまで戦うしかなく、最早それを止める手段もない。
「決まっている、奴を殺す」
迷いのない、覚悟の決まった男の返答だった。
短く、簡潔な言葉―――しかし簡潔であるが故に、その覚悟の深さが窺い知れた。
事態が急転したのは、日が沈んだ後だった。
機体の整備や武装の点検、そして万一機体が擱座した時のためのサバイバルキットの積み込みを行っていたところに、いきなりパヴェルから呼び出しがかかったのである。
一体何事か、と夕食代わりの黒パンを口に咥えて咀嚼しながらブリーフィングルームに駆け込むと、赤いベレー帽をかぶったパヴェルが深刻そうな顔でノートパソコンを睨んでいた。
「緊急事態だ。魔物とマガツノヅチの一団が進路を変更した」
「進路は」
「……ここだ」
立体映像が切り替わる。
ベラシア地方南部にズームアップした地図に、魔物の進路と思われるルートが赤くハイライト表示され始めた。ビリンスク採石場からバラドノフ村方面を目指し進軍していた魔物の一団が突如として方向転換。俺たちが潜伏しているポイントB-3へと向かって南下しているのである。
どうして発見されたかは分からない。撤退の際に地面に刻んだ轍を追ってきたとでもいうのか?
「人里のある場所へ向かわなかっただけラッキーだが……」
「これはちょっとキツイな」
「キツい? ……ふふっ、楽しくなってきたじゃない」
ブリーフィングルームに呼び出された1人であるしゃもじが、獰猛な笑みを浮かべながら言った。
エゾクロテンは見ている分には可愛らしい動物だが、しかしその性格は獰猛そのものなのだそうだ。人間相手にはまず懐かない雪原の狩人……その性質というよりも、本性が滲み出ている。
これを見て”楽しくなってきた”なんてよく言えるものだ、と思う。こんなんで喜べるのは狂戦士くらいのものではなかろうか。
「だが、やるしかない」
相手の規模にビビる一方で、しかしそんな言葉がつい口から漏れたことに自分でも驚いていた。
生きていれば、どうしても逃げようのない物事とぶち当たる事が多々ある。そういう時は腹を決めて立ち向かわなければならない―――生きた年数は短いが、こう見えても人生を二度経験している身だ。そんな事がある事くらいは理解している。
これもおそらく、そういうやつだ。
どこにも逃げ場はない―――ならば前に進むしかないのだ。
範三と目が合った。
頷いてきた彼に同じく頷きを返し、パヴェルから立体映像のコントローラーを借りて地図を更にズームアップ。現在地から北方に位置する廃村を、蒼くハイライト表示する。
「この廃村に布陣して奴らを迎え撃つ。パヴェル、奴らとの会敵までの予測時間は?」
「およそ3時間」
「それまでに準備を済ませよう。時間はない」
今夜、きっと全てが決まる。
範三の復讐が叶うか、否か。
そして俺たちが生き残れるか―――否か。




