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巨龍一閃


 跳躍した勢いを乗せ、刀を思い切り振り下ろす。


 身体が重力に引っ張られ、段々と大地へ―――擂り鉢状に穿たれた大地、採石場の底へと落ちていく。


 その途中に居るのは。黄土色の鱗に全身を覆われた大蛇―――マガツノヅチ。


 頭へと着地し、履帯でゴリゴリと背中を抉りながら滑っていくしゃもじ殿の”りっぷそー”を憎たらしそうに睨み、報復にと炎を吐き出そうとしているようだが、しかし彼奴は分かっていない。


 貴様が敵に憎悪を向けるように、ここにも1人、貴様にあらん限りの憎悪を向けている男が居るのだと。


 あの時、貴様が殺し損ねた小童だ。


 一族を皆殺しにされたあの時の惨状は、今でも脳裏に焼き付いている。


 南部藩から薩摩藩までの旅は並大抵の覚悟ではできなかっただろう。何度も引き返そうとしたし、資金が足りなくなったこともあった。関所を通してもらう事も出来ず、関所破りを試みたこともあった。


 そして薩摩での修行も、まさに毎日が地獄であった。いったい何度全てを投げ出して逃げようとしたか。血反吐を吐く思いで乗り越えた毎日は、今でも鮮明に思い出せる。


 ―――全ては、貴様を倒すため。


 空腹で心が折れそうになった薩摩への旅路も、そして薩摩での血の滲む修行の日々も、全てはマガツノヅチ、お主に奪われたものを想えば乗り越える事が出来た。必ずやお主の首を討つ事のみを考えれば、どのような逆境であろうとぬるま湯に等しい。


 全ては、この時のためにあった。


 今度は貴様の番だ。


 貴様のその首―――この俺に寄越せ。


「―――きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!!」


 このヒトの身で出せる限りの声を出し、刀を全力で振り下ろした。


 某の存在に、やっとマガツノヅチが気付く。ハッとした表情で顔をこちらへと向けるが、しかしもう遅い。あの炎の雨の如き火焔で攻撃しようにも、氷柱を飛ばして起爆するにしても、某と彼奴の距離はあまりにも近すぎた。


 こうなればもう、刀を手にした某の独壇場。


 悪足搔きとばかりに、マガツノヅチは大きな口を開けた。それでこちらを一飲みにしようというのか、それとも大蛇の如き鋭利な牙で噛み砕こうというのか―――いずれにせよ、それはもう何の意味もなさない。


 やられるよりも先に、落下する勢いを乗せた刀を脳天へと叩きつけた。


 ごりゅ、と柔らかい鱗に覆われた頭蓋骨の感触が、刀身越しに手に伝わってくる。が、簡単に絶ち斬れるというわけではない―――斬られてなるものか、殺されてなるものかという、生物としての生への執着が、確かにその手応えからは感じられた。


 しかしこの世は弱肉強食、すなわちるかられるか。


 あの時、某は全てを奪われた。父と母を、兄上たちを、そして薩摩では師範と兄弟子たちを失った。


 全てを貴様に奪われた。


 あの時のお主は確かに強者であった事だろう。弱さ故に奪われる恐怖に怯えることなく、悠々と空を舞うばかりであった事だろう。


 それが悔しかった。だから某は今日に至るまで鍛錬を続けた。


 全ては貴様を殺すため。


 だから今日ばかりは―――今、この瞬間ばかりは。


 ―――某が”奪う側”だ!


 奥歯が砕けんばかりの力を込め、刀を振り抜いた。


 先ほどまで両手に感じていた硬質な抵抗の感触が、唐突に変わる。まるで押さえつけていたものが取り払われてしまったかのように手応えが軽くなり、鱗へ、筋肉繊維へ、そして頭蓋へとめり込もうとしていた刀の刀身が、さらに奥深くへと食い込んだ。


 ピッ、と顔に鉄臭く、生暖かい雫が降りかかる。


『ピギィィィィィィィィィ!!』


 マガツノヅチの脳天に穿たれた、真新しい刀傷。


 やっと―――天を舞う龍に、皆の仇に、やっと手が届いた瞬間だった。


 がくんっ、とマガツノヅチの巨体が揺れる。予想外の攻撃を受け、巨体の浮遊を維持できなくなったのであろう。鱗の隙間からニンニクとも腐った卵とも言えぬ悪臭を発しながら、大蛇を思わせるマガツノヅチの巨体が、擂り鉢状の大地へと落ちていく。


 血飛沫迸るマガツノヅチの脳天から飛び降り、擂り鉢状の採石場に設けられた車両用の坂道へと着地。草履越しにごつごつとした石の感触を踏み締め、ずずんっ、と重々しい音を響かせながら墜落したマガツノヅチを睨む。


 濛々と立ち昇る砂埃の中に、爛々と輝く赤い光が2つ浮かんだ。さながら火山から滾り溢れる溶岩の如く赤いそれは、いにしえの龍の怒りが具現化したようにも見える。


 生態系の頂点に君臨する、力の象徴―――古来より、龍とはそういう存在であった。ヒトの身では決して及ぶ事のない、大自然の生み出した絶対者。圧倒的な力で全てを統べる暴君。


 しかし、この世界に存在する生物は数多いが―――その圧倒的な存在に、自らの格上の存在に挑もうとするのは、ヒトだけだ。


 理由は違えど、某もその先人たちの後に続くのだ。


 この龍を殺し、復讐を成し遂げんがために。


『ギェェェェェェェェェェ!!!』


 蛇のような口を開けて咆哮したマガツノヅチが、周囲に無数の氷柱を生み出した。


 あの氷柱つららだ。白濁した、まるで気泡の浮かぶ水をそのまま冷やし固めたかのような―――あるいは雪を濡らし凍らせたかのような、白く鋭利な無数の氷柱。


 絶対零度の、されど少しでも火種があれば瞬く間に周囲を煉獄へと変えてしまう純白の槍衾が、一斉に某の方を見た。


 まるで合戦に挑まんとする、大名の軍勢にも似た威圧感がある。あんな槍衾に刀一本と、習得した剣術のみで突っ込むなど愚か者の所業であろう。


 しかし今更、愚か者のそしりを畏れて何とする。


 ここまで来たのだ、後はありったけの本気をぶつけるのみ。


 腹を括った。


 ミカエル殿にも、そしてしゃもじ殿にも”全力で生きろ”とは言われた。確かにそうであろう。人間五十年、その儚く短い命を有意義に使う事こそが最も美しい生き方なのだろう。


 しかし、やはり某は武士だ。侍の家系に生まれた1人の男だ。


 この命を散らすのは、戦場いくさばでなければ。


 草履で大地を蹴り、駆け出した。


 それに反応し、マガツノヅチが周囲に生み出した氷柱を次々に放ってくる。大群による、矢の一斉射撃をも思わせる全力射撃。目の前から無数の白い槍衾が迫ってくるが、しかし今更進路は変えない。


 前傾姿勢で、とにかく姿勢を低くして走った。右手に持った刀の切っ先が地面に擦れ、火花と甲高い金属音を響かせる。


 殺されてなるものか、という強い意志が、マガツノヅチからの攻撃には感じられた。相手は何千、何万年も生きた龍。その生命の終着点が天寿の全うではなく、はるか格下の存在であるヒトの仔に討たれるなど、不名誉も何もあったものではない。


 龍としての矜持が彼奴を駆り立てたのであろう。攻撃はどんどん激しさを増していった。


 ドッ、と次々に氷柱つららが大地に突き刺さった。硬い石の表面にも、大地から露出する岩石にもお構いなしに、さながら粘土に小刀を突き刺すかの如く深々と刺さっていく。


 岩肌ですらあの有様だ、人体を直撃すればただでは済むまい。串刺しになるどころか、そのまま地面にはりつけにされてしまう。


 身体を捻り、氷柱の一撃を回避。しかし完全には躱し切れず、袴の左肩の辺りが裂けた。皮膚の表面にひんやりとした感触と、鋭利な何かで切り刻まれるような痛みが走るが、この程度の痛みが何だ。父上の拳骨に比べれば、師範の竹刀の一撃に比べればそよ風のようなもの。


「―――ッ!」


 歯を食いしばりながら刀を振るった。ギィンッ、と甲高い音を響かせて、某の胸板を貫かんと飛来した氷柱が弾かれる。勢いを削がれたそれは微かに軌道を変更、某の頭上を掠め後方へと飛び去った。


 とにかく、このまま全力で距離を詰める。直撃しそうなもののみを刀で弾き、それ以外は無視。掠めそうなものも無視してとにかく進む。


 あくまでもこの氷柱は炎での起爆を前提としたものではなく、単純にその鋭利な切っ先で某を刺し貫こうという意図で放たれている事は理解できた。さすがにこの距離で着火すれば、某は間違いなく消し炭になるであろうが、攻撃した張本人たるマガツノヅチもただでは済むまい。


「!!」


 ごう、と巨大な氷柱が迫った。


 他の氷柱より一回りも二回りも大きく、最早氷柱というよりは氷の槍ともいうべきそれ。精密に狙ったのであろう、身体を捻って何とかなる軌道ではなく、刀で弾ける質量でもない事は一目で分かった。


 立ち止まって渾身の一撃を叩き込まねばやり過ごせない。


 しかし―――走馬灯が脳裏を過るような事は、なかった。


 目の前に真っ白な影が躍り出るや、手にした小さな土管のようなもの(黒い丸太のようにも見えるが……?)を振りかぶり、鋭利な氷の槍の先端部を砕いたのである。


 おもち殿だった。


 しゃもじ殿と常に一緒にいる、ホッキョクギツネの獣人。いつも眠そうで、やる気が無さそうな顔をしており、それは今も例外ではない―――が、その瞳には戦士としての光が確かに宿っているような、そんな気がした。


 勢いを乗せた一撃であろうと、それだけで完全破壊には至らない。


 しかし勢いを削ぐことには成功したようだ。


「ナイスよおもち」


 そしてもう一つの影が、目の前に躍り出た。


 しゃもじ殿だ。既にその手には、鞘から引き抜かれた状態の刀がある。


 一見すると華奢な手で柄を握るや、無駄な力を込めない丁寧な動作で、刀を上から下へと振り下ろした。ガッ、と岩肌にきりを押し当てるような音が響いたかと思いきや、ずるり、と氷の槍が左右に切断され―――マガツノヅチを討たんと走る某の左右を掠めて、後方へとすっ飛んでいく。


「行きなさい、範三!」


「―――かたじけない」


 短く言い、彼女の脇を通り過ぎた。


 もはや迎撃はならぬと思ったのだろう、マガツノヅチが再び空へ舞い上がろうとしているのが分かった。どういう仕組みで空を飛んでいるのかについては、パヴェル殿から説明があったが理解はできなかった。風船のような仕組み、とでも考えておけばよいか。


 とにかく、空に逃がしてはならない。


 逃がしてしまえば、皆の苦労が水泡に帰す。


「―――」


 ドッ、と何かが突き刺さる音がして、左肩を突き飛ばされるような感覚が身体を襲った。それから少し遅れ、左肩に生じた痛みが脳へと駆けあがってくる。


 傷口を見ずとも、何が起こったのかは分かる。


 あの氷柱の1本が左肩へと突き刺さったのだろう。


 マガツノヅチも大慌てで迎撃しているようで、飛来する氷柱の大きさが、先ほどとは比べ物にならないほど小さくなっていた。余裕がないらしく、不完全な状態で生成された氷柱を飛ばしてきているのだ。


 左肩にめり込んだ、小太刀のような大きさのそれを一瞥すらせず、某は踏み込んだ。


「覚悟ぉッ!!」


『キィィィィィィィ!!』


 ぶんっ、と尾を大きく振るうマガツノヅチ。長大で、圧倒的な質量を持つそれが、さながら獣を躾ける鞭の如く某の方へと迫り来る。


 だが―――やはり、避ける必要などなかった。


 ピッ、と生暖かい雫が降りかかるや、大小さまざまな大きさの石や砂利が転がる地面に紅い飛沫が飛び散り、その上を黄土色の鱗で覆われた尾が飛んでいった。


「―――往生際が悪いわね」


『ピギィィィィィィィィィ!!』


 あまりにも速い剣戟故に、しゃもじ殿の持つ刀には返り血すらない。


 マガツノヅチが振り払わんとした尾を真っ向から切り落としたしゃもじ殿に見送られ、走る勢いをそのままに、両手で刀の柄をぎゅっと握った。


 あと少し、あと少しで手が届く。


 この刃が、彼奴めに届く。


 師範、父上、母上、兄者、兄弟子たち。


 某の復讐―――御照覧あれ!!


「エェェェェェェェェェェェェイッ!!」


 喉が張り裂けんばかりの声を上げ、踏み込んだ。


 尾を切断された苦しみに悶え苦しむマガツノヅチの腹を蹴り、左右に張り出た胸板を足場にして一気に跳躍。龍の頭よりも高く飛び、落下しながら切っ先をマガツノヅチの脳天へと向けた。


 一番最初に、某が刻んだ刀傷。


 未だ塞がらぬ生々しい傷口へ、血に塗れた切っ先が突き入れられる。


 今度は何も手応えを感じなかった。霧でも斬ったかのような、本当に当たったのかと疑ってしまうほどの手応えの軽さ。しかしそれが彼奴の息の根を止める一撃となった事は、傷口に深々と鍔までめり込んだ刀と、その傷口から吹き出す鮮血が教えてくれた。


『ギィィィィィ! ギィィィィィィィイィ!!』


 苦しそうな声を発しながら暴れ回るマガツノヅチ。往生いたせ、と念じながら刀を捻って引き抜き、彼奴の頭から飛び降りた。


 頭蓋を穿たれ、脳を串刺しにされたマガツノヅチ。双眸から血涙を垂れ流し岩肌に何度も身体をぶつけながら暴れ回った彼奴は、やがて力を使い果たしたのか地面に倒れ伏し―――やがて、動かなくなった。


 ぶんっ、と刀を振って血を払い、鞘へと納める。


「範三!」


『どうだ、やったか!? やったのか!?』


 駆け寄ってくるしゃもじ殿。むせんきとやらからは、ミカエル殿の案ずる声が聞こえてくる。


 やっと……やっと終わった。


 某の復讐が―――やっと果た












 マガツノヅチの亡骸を見て、違和感を感じた。


 


 あの時―――この採石場で初めて彼奴めと戦ったあの時の事を思い出す。




 あの時はミカエル殿に促され、撤退する事となったが……せめて一矢報いんと斬撃を放ち、彼奴の胸板に傷をつけた筈ではなかったか。




 しかし、今目の前で力尽き、無残な骸を晒しているマガツノヅチの胸板はどうか。




 某がつけた傷は―――そこには無い。




 これはどういうことか。




 その答えは、すぐ近くに突き刺さった氷柱つららが教えてくれた。




 ドッ、と傍らに突き刺さった、白濁した氷柱。




 天を仰ぎ見ると―――血のように紅い夕焼け空の中、その相貌に憤怒を滾らせた龍が、遥か高みから大地を見下ろしている。




 神話の龍の如く、遥かに長大な尾。




 左右に大きく膨らんだ、特徴的な胸板。




 間違いない―――そこにいたのは、”もう1体のマガツノヅチ”だった。




 その胸板には―――某が刻んだ刀傷が、確かにある。




 最初からマガツノヅチは2体いたのだ……それを理解した頃には、彼奴の吐き出した炎の雨が大地へと迫ってきて―――。









 炎と白い閃光が、全てを包み込んだ。





簡単には、終わらせない

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[一言] いや、ミカっち… それはフラグだって… 藪をつつくどころじゃなくて、藪を伐採する勢いよ… やったか、なんて言うからもう一匹出てきちゃったじゃない…
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