災禍の龍を討て
「始まった……」
ウラル-4320の運転席に備え付けられた、カーナビのようなサイズのモニターに映る映像を見ながら、助手席のモニカが心配そうに呟く。
ミカの機甲鎧の機体外部に搭載したカメラからの映像だ。時折ノイズの混じる映像には、ミカがマガツノヅチと激しい戦闘を繰り広げている映像がはっきりと映っている。
降り注ぐメタンハイドレートの槍を12.7mm焼夷弾で迎撃、そして反撃にスティンガーを叩き込んでいくミカ。指導した通りの、無駄に攻めすぎる事のない手堅い戦い方をしているのを見て安堵するが、しかし油断はできない。いつ戦況がひっくり返るか分からないのだから、戦闘が終わるまでは気が休められるもんじゃない。
スティンガーが命中し、マガツノヅチが呻き声を上げた。
やはり、防御力そのものは大したものではない。全長333mの巨体とはいえ、スティンガーミサイルの一撃であそこまで怯むという事はそういう事なのだろう。空を飛ぶためには重量削減が必須で、そのためにまず最初に切り捨てられるのが防御力だ。
ガノンバルド程度のサイズで、更に飛行が苦手というタイプの飛竜(そもそもあれを飛竜に分類していいものかどうか)であればまだ、防御力が高いのは理解できる。だが、それ以上のサイズで、尚且つ飛行能力を有しているとなれば、いくら神話の時代の生物であれど重量問題とは無縁ではいられない。
スティンガーミサイルでもダメージが与えられることが証明されたが、しかしだからといって勝利が確定したわけでもない。
相手のサイズは333m―――アメリカの原子力空母みたいなサイズである。いくら防御力がそれほど高くないと言っても、原子力空母並みの質量を持つ相手に、歩兵でも携行できるサイズの地対空ミサイルで有効打を与えられるわけがない。
あくまでも、身体の一部にそれなりの一撃を叩き込んでやっただけ―――人間で言うと、脇腹や腰に火のついた煙草を押し付けてやったようなもの。相手に苦痛こそ与えられるが、致命傷にまでは至らない。
問題はここからだ。
無線機に向かって、俺は命じた。
「パヴェルより各員、砲撃態勢に移行せよ。ミカが身体張ってるんだ、もたもたするな」
牽引から切り離されたアハトアハトが、クラリスとシスター・イルゼ、リーファの3人の手によって凄まじい速さで砲撃態勢へと移行していくのがバックミラー越しに分かった。
地面に砲本体を固定するための大型ジャッキで高射砲をしっかりと固定するや、リーファが左側面に備え付けられた座席に飛び込むように腰を下ろした。そのまま手元と右側面にあるハンドルを、手首から先が千切れんばかりの勢いで回転させる。
それに合わせ、虎の子のアハトアハトの砲身がゆっくりと横旋回。さながら大蛇が鎌首をもたげるかの如く、数多の戦車と航空機をワンパンしてきたドイツの傑作兵器が、砲口を天空へと向ける。
標的はマガツノヅチ―――神話の時代から現代まで生きている、倭国の怪物。
運転席から降り、観測用の双眼鏡を覗き込んだ。
レンジファインダーを内蔵、更には暗視モード、サーマルモードにも切り替え可能な双眼鏡だ。もちろんこの俺、パヴェルさんのお手製。全部拾ったスクラップで造ったので最強のリサイクルである。
「誤差修正、右1度、仰角2度」
『誤差修正右1度、仰角2度』
リーファの復唱と共に、アハトアハトが照準の修正を受けて固定される。
砲尾の閉鎖機を解放、そこに88mm砲の砲弾を装填していくクラリス。もちろん使用するのは対戦車用の徹甲弾ではなく、対空用の榴弾だ。信管は近接信管ではなく時限信管、それも極力マガツノヅチの頭上で炸裂するよう、起爆までの時間は長めにセットしてある。
これでマガツノヅチの頭上を爆風の嵐に変え、奴に低空への侵入を余儀なくさせる―――そうなったらあとは倭国のサムライ連中の出番だ。煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わない。
ただまあ、こっちも商売だ。できるだけ高値で売り捌けるよう、原形を留めた状態で仕留めてほしいもんではあるが……。
この辺の感覚がミカとはちょっと違う。アイツは優しすぎるから、組織の利益よりも慈善活動を優先してしまう事が多い(まあまだ若いし当たり前か)。
それに対し、こっちは戦争をビジネスにしてきた側の人間だ。人を殺した手で飯を食って、子を撫でて、妻を愛した。そしてそれと同じ手で銃を握り、人を殺してきた。
そういう経験もあって、俺は今回の戦いを人助けではなくビジネスと見ている。ミカの奴には悪いが……。
『砲撃準備完了!』
シスター・イルゼからの報告を受け、モニカに向かって頷いた。
事前に砲撃の際の注意事項は伝えてある。砲撃時の爆音と衝撃波から身を守るため、砲撃の際は手でしっかりと両耳を塞ぎ、口を開ける事。
「―――撃てぇッ!」
砲撃を命じるや、シスター・イルゼが砲尾左側面にある発射レバーを押し込んだ。
バォンッ、と鋼鉄の大蛇が吼える。猛烈な反動を受け砲身が大きく後退、閉鎖機が解放され、中から88mm砲の巨大な薬莢が躍り出る。
凄まじい閃光と衝撃波を空間に刻んで解き放たれた砲弾は、ミカと交戦中のマガツノヅチ目掛けて真っ直ぐに飛翔していった。雲すらも射抜かんばかりの勢いで空を駆け抜けた対空榴弾は、ミカとの戦いに夢中になっているマガツノヅチのうなじを掠め、そのまま空へと突き進んでいく。
もし狙いがもう少し左にずれていたら、うなじを直撃していただろう。
唐突な奇襲に驚愕したマガツノヅチ。ミカへの攻撃が一瞬だけ途切れたその直後、途切れ途切れに雲が浮かぶ初夏の空に、もう1つの太陽が生まれる。
アハトアハトから放たれた対空榴弾だ。セットしてあった時間通りに時限信管が作動、砲弾の中に充填してあった炸薬を目覚めさせたのである。
一瞬ばかりの太陽であったが、しかしそれがもたらすのは大地への恵みなどではない。爆風と破片で周囲の物体を切り刻む、破壊である。
それは容赦なく、例外なくマガツノヅチにも牙を向いた。爆風と砲弾の破片が黄土色の鱗で覆われた巨体を炙り、突き刺さり、傷付けていく。そりゃあ333mの巨体を誇るマガツノヅチからすれば掠り傷、蚊に刺されたり蟻に噛まれるようなもんだろうが、しかし心地の良いものではあるまい。
唸り声を発し、威嚇するマガツノヅチ。しかし注意が散漫になったそこへ、地上から放たれたスティンガーミサイルが牙を向いた。
ミカの放った3発目のスティンガーミサイルが、マガツノヅチの顔面を、それこそヘビー級ボクサーの右ストレートの如く殴りつける。
『オイオイ何だよ浮気かァ!?』
「ハッハッハッ、浮気は感心しないなァ」
『次弾装填完了』
「よーし、バカスカ撃ちまくれぇい! 撃ち方始めぇ!!」
解放された閉鎖機に砲弾を装填、クラリスが装填を終えたのを確認すると合図と共に発射レバーを押すシスター・イルゼ。そしてまたしても火を噴き、マガツノヅチの頭上へ88mm弾を送り込み、奴の頭上で爆裂させるアハトアハト。
反動を受けて砲身が後退、閉鎖機が解放され砲尾から空の薬莢がごろんと躍り出るや、すぐにクラリスが次弾を装填。さながら次々おかわりされるわんこそばのように(パヴェルさん元山形県民だったり元道産子だからよく知らないけど)、砲弾がアハトアハトの砲身へとおかわりされていく。
おかわりして撃って、おかわりして撃って……空中に爆風と黒煙が幾重にも刻まれ、一瞬にして頭上を押さえられたマガツノヅチが、苛立ったかのように咆哮した。
『キィィィィィィィ!!』
図体の割に、発した咆哮は少女の金切り声のように甲高いものだった。
次の瞬間、マガツノヅチの周囲に氷のような物体がいくつか出現したのが双眼鏡の向こうに見え、咄嗟にウラル-4320の運転席へと駆け寄った。運転席のドアの内側に用意しておいた81-1式自動歩槍を引っ張り出し、フルオートに切り替えてから銃口を空へと向ける。
中国製のアサルトライフルから放たれた7.62×39mm弾の弾幕。その中へと突っ込んでくるのは、マガツノヅチが放ったメタンハイドレート―――奴の代名詞と言っても良い、例の可燃性ガスの塊だった。
3発飛んできたそれのうち、1発は弾幕が捉えた。弾丸の熱に反応したのだろう、アハトアハトを直撃する遥か手前で爆発し、空気が外側へと押し出されるような感覚を覚える。
その爆風に誘爆する形で2発目も炸裂。空中で瞬く間に2つのサーモバリック爆弾のような代物が炸裂したが―――残る1発が、今だ健在だった。
先に放たれた2発よりも若干タイムラグを挟んで放たれたそれを狙うが、しかしここでアサルトライフルゆえの弾数の少なさが仇になる。30発入りのマガジンが空になり、81-1式自動歩槍が沈黙したのだ。
クソが、と悪態をつきながらホルスターに手を伸ばし、中からスチェッキン・マシンピストルを引っ張り出す。9×18mmマカロフ弾、射程距離が短く威力も低い拳銃弾でどこまでやれるか―――肝を冷やしはしたが、しかしやっと”彼女”も準備を終えたらしい。
次の瞬間、ミニガンのような轟音が響いたかと思いきや、無数の7.62×51mmNATO弾の弾雨がメタンハイドレートを捉えた。焼夷弾に直撃されたそれは瞬く間に燃焼、周囲の酸素を奪い尽くす勢いで燃え上がるや、凄まじい衝撃波を周囲の空間に伝播させて役目を終えた。
3つ目の爆炎を突き破るかのように、アハトアハトの第7射が放たれる。
それを見送り、ちらりとモニカの方を見た。
華奢な彼女が抱えているのは、ドイツの誇る傑作汎用機関銃『MG3』―――列車にもドアガンとして備え付けてある代物である。
無防備な高射砲を守るためにモニカが持ち込んだそれが、こんなところで役に立った。
「ナイス」
「ご褒美に今度美味しいデザート用意しなさい?」
「へいへい」
相変わらず食い意地が張っている……少々”餌付け”が過ぎたか、と苦笑いする俺の視線の向こうで、炸裂したアハトアハトの砲弾がマガツノヅチの頭上を捉えた。
炸裂した破片が頭にいくつも突き刺さり、爆風が黄土色の鱗を呑み込む。それなりにダメージは与えている筈だが、しかしさすがは神話の時代から生きている生物というべきか。88mm高射砲の至近弾を受けてもなお、鱗が炎上したり焦げる様子はない。
炎属性への耐性はそれなりにあるようだ。
なるほど、属性よりも物理的な攻撃力でダメージを与えた方が効果的か。
となると―――低空へと追いやってしまえば、範三の独壇場と言ってもいいわけだ。
9発目、10発目―――さながら第二次世界大戦の空襲を迎え撃っているかのように、空に黒煙の花が咲き乱れた頃、やっとマガツノヅチも矢継ぎ早に放たれる高射砲の砲撃に嫌気がさしたらしい。
獣の唸り声にも似た声を漏らすや、身体を蛇のようにくねらせ、高度を一気に下げ始めた。
ミカを仕留めたり、こっちを攻撃するよりも先に高射砲から逃れる事を選択したのだろう。高度を下げたかと思いきや、墜落するのではないかと勘違いしてしまうほどの勢いで、ビリンスク採石場の奥へと降下していく。
よし、作戦は成功だ。
状況は作った―――あとは、倭国のサムライ連中が上手くやるのを見届けるのみ。
「パヴェルよりしゃもじへ、標的は採石場の下層部へ降下。繰り返す、標的は採石場の下層部へ降下」
あまりにも鮮やかすぎる作戦進行に、私は感嘆していた。
ここまでほぼ作戦通り―――しかも、寸分の狂いもなく、損害もない。血盟旅団のメンバーがガノンバルドを討伐、飛び級で全員Bランクへ昇進したという話は嘘ではなかったみたい。
個人の練度の高さもそうだけど、それを指揮ししっかりとサポートするあのパヴェルって人もなかなかのものだ、と私は思う。ミカの話では元特殊部隊の指揮官だったらしいけれど、だからこその正確な判断と指揮能力の高さが生かされているのかもしれない。
彼らが身体を張って用意してくれた、範三のための晴れ舞台。無駄にするわけにはいかないわね。
「いくわよおもち、範三」
「ん」
『心得た』
アクセルを踏み込んだ。
Ripsaw EV3-F4の履帯が回転を始め、車体がぐんぐん加速していく。草原に荒々しい轍を刻み、爆走する鋼鉄の猛牛。その向こうに見えるのは、大地に穿たれた巨大な擂り鉢状の大穴。
旧ビリンスク採石場―――マガツノヅチの、奴の墓穴には丁度いい。
今回の討伐作戦は、血盟旅団にとってはギルドの利益のため。範三にとっては一族の復讐のため―――そして私たちにとっては、強敵との死闘という至高の経験を得るため。
弱い敵を斬り捨てても、何も面白くはない。やはり強敵、それも自分よりも格上の相手を、血飛沫舞う死闘の果てに下した時の達成感こそが―――そしてその先にある高みこそが、この私、雪船ハナの求めるもの。
隣に座るおもちが、ぎらりと黒光りするトマホークを手にした。座席のすぐ前にはバッテリングラム(警察とかがドアをぶち破るのに使ってる手持ちサイズの土管みたいなやつあるでしょ? アレよ)も用意してある。
こうしてみるとドアブリーチングガチ勢のように見えるけれど気にしないで。私の本職は剣士だし、おもちは……おもちよ(?)。
にしても、神話の時代の龍相手に鈍器を持ち出すって我ながら正気の沙汰じゃないわね。
まあ、正気で戦なんかできないけど。
目の前に採石場の大穴が迫ってくる。
それでもお構いなしに、私はアクセルを踏み込んだ。
限界まで加速したRipsaw EV3-F4が、採石場の大穴へぽーんと飛び出す。地面から履帯が離れ、その重量が重力によって下へ下へと引き摺り込まれていく感触―――その中で、傷ついたマガツノヅチと目が合った。
赤く、それこそ江戸の大火が単なる小火に思えてしまうほど赤い、怒りに満ちた蛇のような瞳。
「……あなた今、『こいつショタ食ってそうだな』って思ったでしょ?」
何となく、そんな感じがした。
蛇というか龍に、ショタだとかなんだとかそういう概念があるとは思えないけれど、それでもそんな事をこいつが一瞬考えたような気がして、何だか知らないけど殺意が沸いた。
私はショタなんか食べたことはない。よく食べるものといったら練り羊羹くらいのもの。
「思ったわね? そういう顔をしたわね? そういう顔で私を見たわね? うふふ……斬るわよ」
Ripsaw EV3-F4の背中に乗っていた範三が飛んだ。
跳躍と同時に抜刀、そのまま頭上からマガツノヅチに斬りかかろうとする。
さて、そんな血気盛んな彼が斬りかかるよりも先に、私とおもちを乗せたRipsaw EV3-F4は加速した勢いのままに、あろうことかマガツノヅチの頭へと着地することになった。ごしゃあっ、と履帯がマガツノヅチの頭を遠慮なく踏みつけ、硫黄とかニンニクみたいなくっせえ臭いのする巨体の背中を、さながらウォータースライダーのようにつるつると滑っていく。
履帯で背中をゴリゴリと削られ、さすがにちょっと痛かったらしい。マガツノヅチが背中からちょっとばかり出血しながら、苦痛に喘ぐかのような声を漏らす。
今日の私は気分が良いので、マガツノヅチの背中でRipsaw EV3-F4をドリフトさせた。ただでさえ鱗を抉っていた履帯が捻られ、更に深々とマガツノヅチの背中を引き千切っていく。
『ギィィィィィィィッ!!』
「ねえおもち」
「なに?」
「コイツ、絶対私の事ショタ食ってる女って思ってたわよね」
「うん、きっとそう」
後ろ向きに採石場の底へと着地するRipsaw EV3-F4。履帯で背中をズタズタにされたマガツノヅチが憎たらしそうにこちらを振り向くけれど……ねえ、知ってる?
採石場では頭上注意、って事。
「―――きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!!」
猿叫とも言われる咆哮を迸らせ、抜刀した範三が頭上からマガツノヅチを襲う。
大蛇の如き龍がその絶叫を聞き、新たな敵の襲来を察知するけれど、時すでに遅しという言葉はまさにこの時のためにあるようなものだった。マガツノヅチの聴覚が範三の猿叫を知覚した頃には、既に範三はブレスでも、そしてあのメタンハイドレートみたいな可燃物で攻撃するのも間に合わない程の至近距離に飛び込んで、今まさに斬りかからんとしていたのだから。
身長180㎝超え、体重100㎏オーバー、更には長年鍛え上げた腕力と落下する勢いを乗せた、薩摩式剣術の本気の剣戟―――飛竜すら両断しかねないその一撃が、ついにマガツノヅチの脳天を捉えた。
採石場に、血の雨が降り注いだ。




