マガツノヅチ討伐作戦
「マガツノヅチってどんな奴なんだろうな」
馬の上で揺られること1時間。目的地であるビリンスク採石場がそろそろ見えてくるというタイミングで、背中にマスケットを背負った仲間の冒険者が唐突にそう言った。
どんな奴、と言われても、誰も答えようがない。ベラシアで売られている魔物図鑑にもほとんど情報が無く、外来種、特に極東地域の国々を特集した図鑑にすら想像図と一緒に昔からの言い伝えが軽く掲載されている程度なのだ。
そういう事もあるから、ページに記載されているイラストも正確なものとは言えず、更には生態やどのような攻撃をしてくるのか、という必要な情報が殆ど記載されていないため対策のしようがない。
どういう環境を好むのか、どの属性が苦手なのか。
大型の魔物の討伐を専門に請け負う冒険者にとっては、そういった情報は必須だ。図鑑にも情報が無いのであれば、自分たちが一度対象の魔物に牽制攻撃をかけてデータを収集、その上で準備を行い再度討伐に向かう、という手間がかかってしまう。
当然ながら時間も、そして費用も膨れがある事になるから、こういったデータのない魔物の依頼を忌避する冒険者は多いのだ(場合によってはその牽制攻撃を他の冒険者に”外注”する事もある)。
彼らもまた、そういった大型の魔物の討伐を専門に請け負う冒険者だった。これまで討伐してきた飛竜の数は13体。ベラシアの冒険者ギルドの中では控えめな戦果ではあるものの、その中には小型の個体とはいえガノンバルド1体も含まれている。
征服竜の侵攻を退けた冒険者ギルドである、という事は、メンバー全員の自信にも繋がっていた。
今回も牽制攻撃が目的だ。まず最初にビリンスク採石場に潜伏しているというマガツノヅチに牽制攻撃をかけてどのような攻撃をしてくるのかを分析し、その後に撤退して装備を整える。そして本格的な攻撃を行い討伐するという、二段階に分かれた作戦だった。
「さあな、図鑑にちゃんと載ってりゃこんな二度手間……」
図鑑に詳細な記載がない、という理由には、大きく分けて2つある。
まずは単純に、人類との遭遇、交戦事例が無い種類の魔物という事だ。
この世界には数多くの魔物が生息しているが、その中には人類と生活圏が重なっている者もいれば、全く異なる地域を根城とする魔物もおり、特に後者はこちらから意図的に調べようと向こうの根城に踏み込まなければ遭遇する事もないために、十分な調査が行われていない種はデータがない事が多い。
そして、もう一つ。
それは―――遭遇こそしているものの、襲撃を受け、その姿を目にした者が誰一人として生きて戻っていない、という事だ。
マガツノヅチの情報で判明しているのは、それが極東の倭国(ジョンファよりも更に東に位置する島国だという)に生息する龍であり、かなり古い時代からその存在が確認されている、という事である。
一説によれば神話の時代から確認されているとされており、しかしその遭遇事例は殆どなく、情報源の大半が現地の神話、あるいは伝承なのだとか。
そんな龍がなぜ海と大陸を渡って遥々ノヴォシアまでやってきたのか、それは定かではない。だが、討伐の暁に得られる報酬は間違いなく莫大な額になる―――それは確かだった。
そろそろ採石場が見えてくる、というタイミングで、先頭を進んでいたリーダーの嗅覚が奇妙な臭いを捉えた。
「……なんか臭うぞ」
「え?」
ニンニクとも、腐った卵ともいえぬ、言語では表しにくい悪臭。しかしその臭いは、工業系の職場で働いた事のある人間であれば何度か嗅いでいるであろう臭いだ。
メタンガスや硫黄、アセチレンガス―――そう、可燃性のガスが発するあの臭いだった。
これはいったい、と思った冒険者たちの目の前に、唐突に上空から飛来した何かが突き刺さる。ドッ、と硬い地面を刺し貫いたそれは、巨大な氷柱を思わせる純白の物体だった。
しかし不純物が多く含まれているためか、それともそもそも氷ではないからなのか、その天から降ってきた氷柱は白濁していて、氷のように透き通っている部分は殆どない。氷というよりはむしろ、雪を濡らして冷やし固めたような質感にも見える。
これは、とリーダーが馬を立ち止まらせ、降ってきた氷柱を調べようとしたその時だった。
空が赤く染まった。
青空が赤く照らされる程の光―――視線を空に向け、目を見開く。
空から続けて降り注いだのは炎の雨だった。さながら噴火した火山から降り注ぐ火山弾、あるいは大気圏突入のタイミングで砕けた隕石のように―――いずれにせよ、世界の終わりを彷彿とさせる光景だった。
後退、と仲間に命じた頃には、もう遅かった。
降り注いだ炎の雨が地面に刺さった氷柱に近付いたその時、猛烈な閃光が彼らの姿を焼いたのだ。
周辺の酸素を一気に奪い尽くす勢いで爆発的に燃焼したそれは、爆風と、圧倒的な衝撃波を伴って周囲の地面を抉り、周囲の物体を”砕いた”。
人体などそれに耐えられる筈もない。剣で切られ、メイスで殴られ、銃で撃たれ小さな穴が開けば容易く死に至る人体など、その猛烈な衝撃波の暴力に耐えられるわけもなく―――不可視の鉄槌に砕かれ、内臓を潰され、そして爆風に焼かれていった。
焼けた風が、平原を撫でる。
焦げた臭いだ。昔、故郷の村の近くで度々行われていた野焼きを思い出す。あの時も焦げた風が吹いて来ては、ああ、今年もやってるな、と季節を感じたものだ。
それが今は、怨敵の存在を感じる事になろうとは。木刀を片手に鍛錬に勤しんでいたあの頃の自分であれば、想像もつかぬだろう。
”りっぷそー”とやらの上で胡坐をかきながら目を開いた。
耳に装着した奇妙なからくり(皆は”むせんき”と呼んでいる。仲間の声が聞こえてくるおかしなからくりだ)からは、パヴェル殿の声が聞こえてくる。
『よし、作戦を開始する。ミカ、頼んだぞ』
『はいよ』
大きな機械の鎧(”ぱわーどめいる”というらしい)の正面を開け、水を飲んでいたミカエル殿が応じた。解放していた正面を閉鎖すると同時に、頭に皿のようなものを乗せた鋼鉄の鎧が再び目を覚ます。
まるで河童のようだ、と思う。子供の頃、村の近所の川にもよく出没したものだ。その時は父上がよく討伐に出かけていたが……。
頭に皿のようなものを乗せた鋼鉄の鎧は、ずしん、ずしんと鬼のような足音を響かせて、ゆっくりと採石場の方へ進んでいった。
作戦はこうだ。
まずミカエル殿が最初に攻撃を仕掛け、マガツノヅチの注意を引く。その間にパヴェル殿が用意したこの大筒(”あはとあはと”と呼ぶのだそうだ)で奴を狙い、高高度を飛行するマガツノヅチを低空へと追い立てる。
そうなれば後は某としゃもじ殿の出番だ。手が届く高度まで追い立てられたマガツノヅチを討ち、この復讐劇に終止符を打つ。
しゃもじ殿にも、そしてミカエル殿にも言われた事だが―――復讐が終わった後の事は、何も考えてはいない。
この一戦で刺し違えてでも彼奴めを討つ腹積もりだったから、復讐が終わった後の事など考えても居なかった。
それはこの戦が終わった後に考えるべき事だ―――今は仇討に全霊を注がねば。
「……ミカエル殿」
『なんだい』
「此度の助太刀、誠に感謝致す」
『なんだよ改まっちゃって』
「……くれぐれも無茶をなされるな」
『了解』
採石場の方へと去っていく、ミカエル殿の乗った機械の鎧。
随分と離れた筈なのに、その背中は随分と大きく見えた。
村から離れすぎたせいなのだろう、ラジオから流れる音楽にもノイズが目立つようになった。
ジャズも悪くないなと思っていた頃にこれだ。機体を前進させながらラジオのチャンネルを回してみるが、どれも同じだった。堅苦しい軍歌も、陽気なラブソングも、どの音楽もノイズに覆われていてまともに聴けたものじゃない。
ちぇっ、と舌打ちしながらラジオのスイッチを切り、両手をコントローラーへと伸ばした。拳銃のグリップを思わせるコントローラーを握ると同時に、機甲鎧の火器管制システムがアクティブになる。
そろそろ採石場が見えてくる―――見覚えのある風景になったところで、視界の端に燃えている何かが映った。
「ん」
そちらを振り向くと、電気信号を拾った機甲鎧の頭部もそれに連動して旋回。コクピット前面にあるメインモニターに、その燃えている物体がはっきりと映り込む。
危うく朝食のカーシャをコクピットの中にぶちまけるところだった。
燃えているのは人間の残骸だった。
ここを訪れた冒険者なのだろう、衝撃波で滅茶苦茶に抉れ、焼け焦げた人体には剣のようなものやマスケットらしきものも見える。基本的には真っ黒に焼け焦げているが、辛うじてそれが人体のどの部位なのか判別できた。
あれが手で、あれが足で、あれが胴体で……。
人間というのはこうも脆いのか―――顔をしかめながら視線を戻そうとしたその時、機甲鎧のセンサーが急速接近する何かを捉えたようで、さながら戦闘機のロックオン警告を思わせる電子音を狭いコクピットの中で打ち鳴らす。
「きた、来たッ!」
左手をコントローラーから離し、クラッチを踏みつつシフトレバーを握ってギアチェン。後進に入れつつ右手のコントローラーのトリガーを押しっぱなしにする。
キュイィィィ、とガトリング機関銃の銃身が旋回する音に続いて、ヴヴヴ、と12.7mm弾が立て続けに放たれる音がコクピットの中にまで響いてきた。前進を中断し後進に移った初号機の頭上で、カッ、と白い閃光が生まれる。
おそらく、センサーが捉えたのはマガツノヅチの放つ例のメタンハイドレートだろう。それに対し迎撃で放たれた12.7mm焼夷弾の熱を受け、着弾よりも先に爆発したのだ。
びりびりと伝わってくる振動。
頭上を覆う灰色の煙が薄れ―――晴れ渡った空の向こうに、”奴”は姿を現す。
全長333m、全身を黄土色の鱗で覆われた巨大な龍。
「やはり来たか……マガツノヅチ」
翼を持たず、体内に充填した可燃性のガスを使って浮遊する倭国の龍。さながら大空を泳ぐ大蛇の如く、大空を背景にとぐろを巻いていたマガツノヅチは、こちらの姿を捉えるなり咆哮を発した。
『キィィィィィィィ!!』
龍の咆哮というよりは、少女の金切り声を思わせる甲高い声だ。
今度はこっちの番だ、と左手でコントローラーを握り、ミサイルのロックオンを開始。電子音が変わり、マガツノヅチを覆う黄色いレティクルが赤に変わったのを確認してから発射スイッチを押し込んだ。
ボシュ、とスティンガーミサイルが発射機から押し出される。機体から十分離れたそれはロケットモーターに点火すると、凄まじい勢いで白煙を噴き出しながら加速、頭上に鎮座するマガツノヅチへと向かって真っすぐに向かっていく。
マガツノヅチも黙ってはいない。地に足をついている分際で、と憤るかのように咆哮し、とぐろを巻いていた状態から急加速。神話に登場する龍の如く、空を泳ぐように飛び回って回避を試みる。
が、こちらは虎の子のスティンガー。アフガンではソ連の戦闘ヘリであるハインドをバタバタと落とし、西側各国の空の守りを担う矛でもある。一度放たれたそれは、生半可な機動では躱し切れない。
ドッ、とミサイルがマガツノヅチを捉えた。左右に突き出た胸板よりもかなり下、尾の一部を直撃して爆炎を発し、マガツノヅチが苦痛を滲ませるような咆哮を漏らす。
やはりそうだ。
マガツノヅチの攻撃力と、あの飛竜以上の飛行能力は確かに脅威だ。こちらの攻撃もまともに届かない高高度を飛び回り、上空からサーモバリック爆弾を延々と投下してくる爆撃機のようなもので、まともな対空兵器を持っていなければ一方的な戦いになりかねない。
しかし飛行する生物という以上、それだけの飛行能力と攻撃力を獲得しているという事は、そのしわ寄せは必ず防御能力に影響を及ぼしていると言っていい。
飛行するという事は軽量化が必須であり、軽量化となれば真っ先に斬り捨てられるのは装甲、つまり防御力である。見たところマガツノヅチには、他の飛竜に見られるような外殻は存在せず、黄土色の鱗のみに防御を依存しているようだ。
攻撃力と飛行能力は脅威だが、それだけだ。こちらもそれ相応の射程の武器を持てば、勝てない敵ではない。
もう一発、スティンガーを放つ。
あまりやり過ぎてしまっては範三の手柄を横取りすることになってしまうが、しかし俺の目的は注意をこちらに引く事。こうしてダメージを与え、マガツノヅチを煽れば嫌でも注意はこっちに向くだろう。その間にアハトアハトの砲撃準備を終えてくれれば、後は作戦通りに事が進む。
が。
『キィィィィィィィ!!』
苦しみに喘ぐマガツノヅチが、口から例のブレスを放った。
火山弾のように拡散する炎の雨。ミサイルの迎撃を狙って放ったものなのだろうが、偶然にもそれがフレアの役割を果たしたらしい。ミサイルに喰らい付かれた航空機が逃げながら放つフレアのようにばら撒かれたブレスに、スティンガーミサイルは惑わされ、何度も何度も軌道を変更しながら、そのままゆっくりと落ちていった。
ズン、と地表で爆発したのを確認し、唇を噛み締める。
今のが狙ってやったのか、それともミサイルの特性を理解してやったのかは分からない(十中八九前者だろうが)。しかし今のでミサイルの対処法は学んだだろうから、実質的にスティンガーは封印されたようなものだ。
隙を見て撃ち込んでやるつもりだが……やれやれだ。
何とやり辛いものか。




