表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

229/970

天舞う災禍、マガツノヅチ


 マガツノヅチ。


 倭国からノヴォシアへ、海を渡ってやってきたとされる外来種。


 今のところデータは無く、図鑑にも記載はない。それ故に俺も奴の事は詳しくは知らない。分かっているのは奴が、あのマガツノヅチが倭国で猛威を振るった恐るべき龍である事と……範三の家族の仇である、という事だけだ。


 蛇のように長い胴体、左右へ大きく張り出したツチノコのような胸板、そして翼がないにもかかわらず宙に浮く異形―――間違いない、あれがそうなのだろう。あれが範三から全てを奪った怨敵、マガツノヅチなのだろう。


 その姿は、あまりにも俺の知る”竜”とはかけ離れていた。さながら空を飛ぶ……というよりも空に浮かぶ蛇のようで、その背に翼の類は無い。一体どうやって空を飛んでいるのか、そのメカニズムが分からないのだ。


 ヒトは己の理解が及ばぬ存在を神と崇めるか、異質なものとして怖れを抱くものだ。それはよく言ったもので、俺も頭上の異質な龍の姿を、神話の時代の怪物だとか邪神だとか、あるいは神に重ね合わせつつあった。 


「ダンチョさん、卵積み終わったネ!」


「……」


 リーファからの報告に、返事を返す余裕もない。


 が、そっと頬を撫でた風に―――正確には、それに含まれる異臭に突き動かされ、視線を素早く周囲の物体へと向けた。


 先ほど空から降り注いだ槍状の物体だ。一見すると氷で生成されたものにも見えるが、しかし単なる氷と言い切れない理由が、周囲に漂うこの異臭である。


 硫黄っぽくもあり、メタンっぽくもある―――いずれにせよ、人体には有害そうだ。鼻腔の奥深くまで入り込んできては、いつまでもねっとりと滞留するような悪臭に顔をしかめつつ、大声で仲間たちに指示を出す。


「各員、直ちに退避!」


「ご主人様、逃げるんですか!?」


「このまま戦ったら犬死にするだけだ、退却する!」


 それに、目標は果たしている。


 ガノンバルドの卵を回収するのが俺たちの仕事。未知の龍と戦うなんて契約内容には含まれていないし、仮に戦ったとしても、こっちが想定していたのはガノンバルドとの遅滞戦闘。対空戦闘なんて想定していないし、何しろ相手は未知の龍だ。いくら高額な報酬が約束されているとはいえ、あんなヤバそうな奴の相手までしていたら割に合わない。


 冒険者たるもの貪欲であれ―――序列1位のギルドの団長の言葉で、実際に冒険者とはそうあるべきだとは思うが、しかし努力に対する利益が見合わない場合や、仲間を必要以上の危険に晒しかねない状況であれば話は別だ。


 俺は血盟旅団団長。作戦を成功させ利益を得る以外にも、仲間の命を守る義務がある。


「パヴェル、離脱に移る」


《了解した。にしても、そいつはいったい……?》


「分からん。クソ、飛び入り参加は歓迎しねーよ」


 しゃもじにも合図を送り、Ripsaw EV3-F4に戻るよう促す。


 唐突の乱入者に目を奪われていたしゃもじも我に返ると、さすがに未知の龍に攻撃を仕掛けるような愚は犯さず、おもちを連れてすぐにRipsaw EV3-F4の車内へと転がり込んだ。


 いくら好戦的なしゃもじでも、戦う相手と状況はしっかり選んでいるようだ。誰彼構わず襲い掛かるバーサーカーではなく、ちゃんと理性のあるバーサーカーだったらしい(理性のあるバーサーカーとは一体?)。


 バムッ、と勢いよく助手席のドアを閉め、クラリスに車を出すよう告げたその時だった。


 空を舞い、長大な尾をしならせながら大地を見下ろしていた未知の龍―――マガツノヅチが、蛇のような口を大きく開いた。口の中には折り畳み可能な長い牙(本当に蛇みたいだ)と、Y字形に先端部が割れた舌がある。牙はその大きなもの以外には見当たらず、獲物を捕食する際に咀嚼する事は全く想定していない事が分かる。


 やはり蛇のように丸呑みするのだろうか―――そんな事を考えているうちに、マガツノヅチの口腔の奥に、血のように紅い光が燈った。


 ブレスか、と身構えた直後、マガツノヅチの口腔から、燃え盛る火山弾の如きブレスが解き放たれる。


「拡散した……!?」


 そのブレスもまた、異様としか言えないものだった。


 通常、竜のブレスはでっかい火炎放射器とでもいうべきものだ。体内の臓器で可燃性の体液を多量の分泌、それを肺から吐き出す空気に乗せて吐き出しつつ、喉の筋肉を使って圧力をかけ、口内の着火器官を使って着火、火炎放射を行うというメカニズムとなっている。


 飛竜の種類によってこのメカニズムに若干の差異が見受けられるが、大まかな部分は概ね共通している。


 しかし、マガツノヅチのあれは何か。


 明らかに火炎放射ではない。喉の奥底から、炎を纏った固形物を吐き出しているようにも見える。火山弾……いや、隕石のようだ。赤々と燃える炎のつぶてが鈍色の空を焼き尽くさんばかりに赤く照らし、ゆっくりと炎が大地へ落ちてくる。


 なんだかわからんが、このままここにいたらヤバいという事だけは分かった。


 それはクラリスも、そしてRipsaw EV3-F4のハンドルを握るしゃもじも感じ取っていたらしい。いきなりお構いなしのアクセル全開で急発進、同乗者の背中をシートに押し付けながら、ヴェロキラプター6×6とRipsaw EV3-F4が加速していく。


 擂り鉢状に掘り進められた採石場の大地、そのクレーターの斜面をお構いなしに駆け上がる2両の車両のはるか後方に、燃え盛る礫の流星群が落下する。


 変化が起こったのは、その瞬間だった。


 燃え盛るつぶてが地面に落着する瞬間……いや、その寸前、網膜を焼き尽くさんばかりの光が生じたのである。赤いとか紅蓮とか、そういう色合いを超越しもはや真っ白な閃光と化した炎が産声を上げた瞬間、バォンッ、と腹の奥底を揺さぶる激震が響き、遅れてやってきた衝撃波がヴェロキラプター6×6の車体を揺さぶった。


 ガツガツッ、と吹き飛ばされた砂利が車体を激しく殴打する。ブラック、ブラウン、モスグリーン、サンドカラーの4色で彩られたウッドランド迷彩の車体に砂利が立て続けに命中する音が響き、窓ガラスが割れないか不安になった。


 パヴェルお手製の防弾ガラスは、表面に傷が大量に刻まれたものの、吹き荒れる熱風に衝撃波、そして荒ぶる砂利や破片から俺たちを完全に防護してくれていた。やはり彼の技術は確かで、こうして命を何度も救われているわけだが、しかしそれ以上に俺は愕然としていた。


 先ほど降り注いだ、あの異臭を発する氷のような物体。今しがた放たれたブレスがそれに接近した瞬間に、今の凄まじい大爆発が発生した。


 加えてあの硫黄とかメタンとか、あるいは……そう、アセチレンガスっぽい感じの、ニンニクを彷彿とさせる異臭。あんな感じの臭いが漂っていた氷のような物体の正体、それが何となくだが分かったような気がする。


 おそらくあれは、いわゆるメタンハイドレートのような物体なのだ。


 という事は、あの異臭は何らかの可燃性ガスだった可能性が高い。


 ああやってメタンハイドレートのように可燃性ガスを固体化して生成、それを地面に撃ち込み、最後にブレスを使って着火し広範囲を爆撃する……一度見ただけの推測でしかないが、おそらくそれがマガツノヅチの得意とする攻撃なのだろう。


「ご、ご主人様っ、今のはいったい!?」


「クソッタレが、奴のブレスだ。さっきの氷みたいなやつにブレスで着火して爆発したんだ!」


「氷に着火!? そんなわけが……」


「あるんだよ、メタンハイドレートっていう”燃える氷”が!!」


 メタンハイドレートそのものではないだろう。あくまでも類似の、あるいは似たような性質の可燃性ガスを使っているのだろう。


 いずれにせよ、その威力は驚異的だ―――ちょっとした燃料気化爆弾(サーモバリック爆弾)みたいなものである。そんなものをポンポン生み出して投下、ブレスで着火して広範囲を爆撃する龍なのだ、あいつは。


 それだけでも脅威なのだが……。


 爆心地を見下ろすように宙を舞うマガツノヅチを見上げ、唇を噛み締めた。


 ―――飛んでいる高度が高い。


 そう、通常の飛竜よりも高い高度に滞空し、そこから一方的に爆撃してくるのだ。歩兵用の小銃では命中や効果的なダメージが期待できなくなるような間合いで、それこそ設置型や車載型の対空兵器が無ければ撃墜は厳しいのではないか、と思えてしまえるほど。


 倭国の技術水準がどのレベルに達しているかは不明だが、現在(1888年)を基準に考えると、倭国どころか他の列強国でもアレと満足に戦うのは難しいのではなかろうか。


 最低でも重機関銃を搭載した複葉機でもなければ、まともには戦えまい。


 なるほど、倭国に甚大な被害をもたらすわけだ。剣術を主体とする侍たちとの相性は最悪である。


 初めて目にした時は雲の切れ間を泳ぐように飛んでいた。その事から察するに、おそらくはジャンボジェットが飛行するような高度までは上昇できるのではないだろうか。


 一体何があれば勝てる? スティンガーか?


 反撃すらできず、逃げ惑う事しかできないという現実に屈辱を覚えたその時だった。


 採石場の勾配を登りきった瞬間に、衝撃波にも似た圧迫感が―――しかし物理的な衝撃を伴わないナニカが、前方から押し寄せ、そのまま通過していったのである。


 今のは何だ……殺気……?


「ご主人様!」


「!!」


 鈍色の空の下。


 初夏の風の中、殺意に滲み揺らめくは朱色の袴。


 採石場からの離脱を図るヴェロキラプター6×6の前に姿を現したのは、朱色の袴に身を包み、片手に刀を手にした、秋田犬の獣人だったのである。


「範三……!」


 彼だ。


 市村範三いちむらはんぞう―――家族の仇を追い、自らもまた海を渡ってノヴォシアへとやってきた、復讐に燃える剣豪。


 そんな彼が、ついに怨敵との邂逅を果たした瞬間だった。














「やっと……やっと見つけた」


 もし八百万の神々が本当に存在するというならば、これ以上ないほどの感謝を述べよう―――今の範三の胸中を満たすのは、歓喜だった。


 倭国を発ち、海を渡り、広大なノヴォシアの大地へ足を踏み入れて、やっと巡り合った復讐のチャンスである。下手をすれば一生巡り合えないのではないか、そうであれば死んでも死に切れぬ―――藁にも縋る思いで、言葉の通じぬ相手に身振り手振りで事情を伝え、やっと怨敵と邂逅する時が来た。


「マガツノヅチよ……某から全てを奪いし忌むべき龍よ。よもや復讐を畏れ、逃げ回っていたのではあるまいな?」


 にい、と笑みを浮かべながら一歩を踏み出した。


 遥か高みから大地を睥睨するマガツノヅチも、爛々と輝く瞳で範三を睨みつけている。この男は敵だ、自分を討ち取るべく追ってきた外敵だ―――少なくともマガツノヅチは、範三を敵として認識しているらしい。


「父上、母上……兄上。拙者は、範三は死に場所を見つけましたぞ」


 一族の復讐のためならば、命を捨てる覚悟は出来ている。


 自分はどうなってもいい―――ただただ、全てを奪い去り、市村家の名誉を踏み躙ったあの異形の龍が許せない。


 心に穿たれた古傷は、今日に至るまで癒える事無く焼け付いて、範三の内面を苛み続けてきた。復讐を果たさない限り―――あの忌むべき龍の首を討ち、一族の墓前に捧げるその時までは、幻肢痛のように心を苛む傷が癒える事はないだろう。


 それに、戦場での死は武士の誉れと昔から決まっている。


 ならば躊躇する理由は無かった。


 撤退するヴェロキラプター6×6を一瞥し、範三は駆け出した。猛スピードで離脱するヴェロキラプター6×6の脇をすれ違い、後続のRipsaw EV3-F4の運転席へと視線を向けた範三は、そこに座る少女を目にして息を呑んだ。


(おお……雪船殿)


 しゃもじ―――雪船ハナという少女が、異形の乗り物の運転席に座り、ハンドルを握りながら驚いたような表情で範三を見つめている。


 彼女の姿を目にするのは何年ぶりだろうか。


 日が昇り、夕日が沈んでお寺の鐘が鳴る時まで、ひたすら鍛錬用の木刀で互いを殴り合っていたものだ。何故彼女がこんなところにいるかは定かではないが、雪船家はエゾに拠点を構える海産問屋。最近では異国との交易にも力を入れているから、彼女もまたノヴォシアの地を訪れていてもおかしくはあるまい。


 奇妙な再会に喜ぶ間もなく、範三は両足に力を込めて跳躍した。


 人間の基準で見れば驚くべき跳躍だった。


 秋田犬はルーツを辿れば狩猟犬、その脚の瞬発力たるや、さながら肉食獣である。


 しかしそれだけの脚力を総動員した本気の跳躍を以てしても、天を舞うマガツノヅチには届かない。貴様とは次元が違うのだ、という現実を見せつけられているようで、それが更に範三の神経を逆撫でする。


 が、それで良かった。


 これだけ滾っていれば、今更臆して逃げ帰るような事もあるまい。


 マガツノヅチにも、範三との因縁を断ち切る意図が見えた。ここで勝敗をつけ、戦いを終わらせてしまおうというつもりなのだろう。高度を下げ始めたマガツノヅチの口腔から赤々とした炎が漏れ、ブレス攻撃を予感させる。


 次の瞬間には、大きく開け放たれた口腔から炎の散弾が迸っていた。


「―――きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!」


 マガツノヅチよりも遥か下方―――そこで、範三は刀を振り下ろした。


 当然、磨き抜かれた刀身は空気を切り裂くばかり。空振りだ。傷も汚れも何もない、新品同然の刀身は何も切り裂くことなく、上から下まで振り下ろされる。


 しかし、そこで変化が生じた。


 思い切り振り下ろされた剣戟の軌跡―――瞬間的に真空状態となった空間に、まるで彼の斬撃をトレースする形で不可視の衝撃波が形成されたのである。


 それは空気を切り裂きながら直進すると、マガツノヅチの吐き出したブレスの只中へと突っ込んだ。さながら炎の雨の如きそれを弾き、切り裂きながら直進すると、マガツノヅチの胸板を強かに打ち据える。


 が、距離が開き過ぎていたのだろう―――人体に命中すれば切断は確実なそれは、長距離を疾駆したことによって威力を減衰され、マガツノヅチを捉える頃には鱗の表面を軽く切り裂くのみに留まっていた。


(むう、浅いッ!)


 今の一撃では足りぬか、と憎たらしそうに歯を食いしばる範三。着地した彼はもう一度跳躍しマガツノヅチを追撃する構えを見せたが、しかしそれは後方から接近してきたエンジン音が遮った。


『範三!』


『ミカエル殿!』


 傍らに停車したピックアップトラックから姿を現したのは、あの時管理局で出会った小柄な獣人の少女だった。ハクビシンの獣人なのだろう、前髪の一部に眉毛、睫毛が雪のように真っ白だ。


『一旦逃げよう、相手が悪すぎる!』


『断る! これは某の戦ぞ、戦場こそが死に場所よ!』


『そんな事言ってる場合か! 復讐が目的なんだろう!? あいつ倒したいんだろう!? このまま戦ったら犬死にだぞ! 武士の誉れもクソもあったものか!!』


 キッ、と範三はミカエルを睨んだ。お前に何が分かる、という言葉が喉元まで駆け上がってきて、少しでも耐えよう、冷静に考えようという思考が働かなければ、それは感情のままに口から溢れ出ていたに違いない。


 しかし、ミカエルの言う事にも一理あった。


 今日は”雲が多い”―――マガツノヅチが最も好む天候だ。それに加え、範三の手に飛び道具は無い。


 ここは一度退き、準備を整えるべきか。


『……無念』


『さあ早く! 乗れ!!』


 流暢な倭国語に促され、範三はピックアップトラックの荷台に駆け上がった。既に荷台の上にあるコンテナに寄り掛かるようにして乗り込むや、運転席に座るクラリスがまたしてもアクセルを思い切り踏み込んで車を急発進させる。


 その直後、ドッ、と地面にいくつか氷の槍が突き刺さった。


 マガツノヅチの放つ技だ。可燃性のガスを氷状に固めて地上に放ち、ブレスを用いて着火する大技―――南部藩にあった範三の故郷も、あの一撃で全て焼き払われた。


 はるか後方でブレスを放つマガツノヅチを睨みながら、範三は告げた。


『次こそはこうはいかぬ―――首を洗って待っておれ』




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ