東方の剣士
"奴"はどこだ。
某の故郷を焼き払い、盟友たちを屠り、この北の大地へと逃げおおせたかの龍は、どこにいる。
あの時の事を思い出すだけで、心の奥底が燃え上がるかのような怒りを覚える。よくも故郷を。よくも兄弟たちを。よくも盟友たちを……そんな怨みはどこまでも肥大化し、この身を焼き焦がそうとする。
奴はどこだ。
ノヴォシアへと海を渡った、あの龍はどこだ。
某の全てを奪った、あの龍はどこだ。
小さな田舎町のほぼ中心に、冒険者管理局の建物はあった。酷く傷んだ壁に剥がれかけの塗装、冒険者管理局のエンブレムも霞んでいて、地元の冒険者ならまだしも、余所者から見たら何の建物なのか分からないような有様で、おかげで地図を片手に一度、建物の前を通過してしまった。
ややこしいな、と悪態をつきながら中へと足を踏み入れる。遠くから暖かい風に運ばれてくる肥料の臭いが、建物の中に入るなり消え失せた。
取って代わったのは、暖かいスープの匂いにバターの香り。管理局には当たり前のように併設されている冒険者向けの食堂からは、やたらと美味そうな香りが漂ってくる。
そう多くはない座席は既に埋まっていて、仕事終わりの冒険者たちが打ち上げやら反省会やらを開いている。
冒険者向けの食堂で提供される料理は、カロリー消費のヤバい冒険者向けに、わざとカロリーを増量したものが提供される。激しい運動で消費した分を食事で補う、というわけだ。
だから働かない日や、冒険者以外の者がここで食事をするのはあまりオススメしない。あっという間に太るか、生活習慣病と末永いお付き合いが待っている。
脇目も振らずに掲示板に向かい、依頼書をチェック。ガノンバルド討伐の功績で飛び級した俺たちには、Bランク冒険者の資格がある。
つまり、より困難でより多量の見返りが期待できるBランクの依頼を受諾できる、というわけだ。もちろん危険度は今までとは段違い、リスクはかなり高い。
依頼書を見れば、その危険度の高さは明らかだった。
【ガノンバルドの卵の回収】
【廃品回収】
【エルダーハーピー2体の討伐】
……うん、難易度上がりすぎでは?
ガノンバルドの卵は巣の中まで取りに行く必要があるが、当然ながらそれは卵の持ち主―――母親たるガノンバルドとのエンカウントを意味しており、戦闘は避けられないだろう。
特定の縄張りを持たず、世界中を徘徊する征服竜ガノンバルド。しかし繁殖期は例外で、雌の個体のみは巣を作り、そこで幼体が自立できるようになるまでは面倒を見るという。
目に映れば同族だろうと雌だろうと牙を剥くガノンバルド。『自分以外は全部敵』という認識の彼らだが、どうやって繁殖しているのか……正確にはどうやって雄と雌が結ばれるに至るのか、それはこの世界の生物学において最大の謎の一つとされている。
「ガノンバルドの卵……美味しいのでしょうか」
「高級品らしい。大貴族でもなかなか口にできないくらいなんだとか」
「で、味は?」
「……濃厚で美味しいらしい」
「じゅる」
クラリスの食い意地の強さには脱帽である。
さっき『ガノンバルドの卵は大貴族でもなかなか口にできないくらい高級品』と述べたが、これには様々な要因がある。
まずガノンバルドの個体数がそれほど多くない事。それと巣を守る雌のガノンバルドがひときわ凶暴だという事だ。個体数の少なさと入手難度の高さが、市場での価格高騰を決定的なものにしている。
高級で美味いともなれば安定供給を試みるのがヒトというもの。凶暴なガノンバルドを飼い慣らし、あわよくば家畜化して卵を安定供給できれば……という野望は、しかし生まれたばかりの小さな生命に蹂躙される事となる。
ガノンバルドは幼体の時点で凶暴であり、母親以外の生物を目にすると無条件で襲ってくるのだ。
とてもじゃないが飼い慣らせたもんじゃない、とどの書物にも記されていた(列車での移動中に調べた)。腹を空かせた猛獣が仔猫に見えるほどなのだそうだ。
そういうわけで、ガノンバルドの卵を回収する仕事には法外な額の金額が提示されていた。まさかの120万ライブルである。
「ダンチョさんこれヨ、これ受けるネ!」
「うーん……」
はしゃぎながら依頼書を見せてくるリーファだが……はっきり言って、今すぐこの仕事を受けようとは思えなかった。
ガノンバルドの手強さはピャンスクの一件で骨身に染みている。対戦車ミサイルと戦車砲の飽和攻撃にありったけの爆薬、更には機甲鎧1機を引き換えにしてやっと撃破した強敵だ。
倒したには倒したが、こちらもそれ相応の損害を被っており、危うくモニカを死なせるところだったのである。
また挑もう、とはあまり思えないのが本音だった。
一応は討伐ではなく”卵の回収”が目的なので、必ずしも真っ向から戦う必要はないだろう。だが、雌のガノンバルドが巣で見張っている以上、戦闘は避けられまい。
最悪の場合、怒り狂ったガノンバルドを村まで連れてくる結果になりそうだ……かなりの困難が予想される。
目を輝かせるリーファには申し訳ないが、俺はそっと依頼書を掲示板に戻した。
「えェー!?」
「いやいや、今はちょっとキツイ」
「でモこいつ1回倒してるネ! 怖い相手じゃないヨ!」
「それはそうだけど、前回の戦いでの消耗がね……こいつ1体相手するのに、俺たちがどれだけ損害を被ったか忘れたわけじゃないだろ」
はっきり言って、ガノンバルドとの戦いはかなりギリギリだった。血盟旅団の保有する全戦力を攻撃に回してやっと討伐したのである。
今からもう一度と言われたら、まあ倒せない事はない。が、そうなれば仲間から犠牲者が出る事は覚悟しなければならない。
「仲間を1人も死なせず」、「勝利する」。この2つの条件をどちらも勝ち取れない場合、依頼の受注は見送って然るべきだ。
そうだろ、とモニカの方を見ると、彼女はちょっと顔を赤くしながら目を逸らした。
「報酬金額は減るけど、こっちのエルダーハーピー2体狩りに行こう」
「うーン、仕方ないネ」
「決まりだ。んじゃあこの依頼を―――」
掲示板から剥がした依頼書を手に、受付の所に行こうとしたその時だった。
ガシャァンッ、とガラスが割れるような音と男の野太い怒鳴り声が、食堂の方から響いてきた。それだけならばいつもの事だ。冒険者は荒くれ者の集まりでもあるし、特定の地域を拠点とする冒険者と、各地を転々とするノマドは犬猿の仲。そんな火種の中に酒が加わればたちまち喧嘩が始まるのは当たり前であろう。
だからまあ、管理局の食堂だとか、その辺の酒場で冒険者同士が些細な事で喧嘩している、というのはある意味風物詩と言ってもいい。なのでそれだけならば別に注目すべき事でもない(火の粉が降りかかるようならば話は別だ)のだが……。
喧嘩の当事者に何気なく向けたミカエル君の視線は、あっさりと釘付けになる事となった。
「てめえ、ここは俺たちの縄張りだ! 余所者はお呼びじゃあねえんだよ!!」
『……』
片方は革の防具に身を包んだ冒険者。腰にはショートソードを、背中には折り畳み式の弓を背負っている。そんな彼の周囲にも数名の仲間がいるようで、テーブルの上には酒と料理がある。おそらく仕事を終えた後の打ち上げか、それか食事をしながら仕事についての打ち合わせでもしていたのだろう。
そんな彼らが”余所者”と呼んだのは、随分とまあ大きな、第一世代型の獣人だった。
背丈は当たり前のように180㎝を超えている(パヴェルやクラリスよりでけえ)。体格は筋骨隆々……というよりも引き締まっていて、ボディビルダーみたいな派手さはないけれど、無駄がなく引き締まった、戦うのに適した体格をしている事が服装の上からでも分かる。
顔は犬のようにも見える。毛並みは白と茶色でモフッとした感じだが、しかし左目の辺りにある古傷が、数多の苦難を潜り抜けてきた猛者である事を告げている。
眼光は鋭く、ヒトに飼い慣らされた犬というよりは猛犬のそれだ。
秋田犬の獣人だろうか。顔は人間のような骨格ではなく、犬そのものだ。人間というよりも獣に骨格が近い第一世代型の獣人なのだろう。
それだけならばまあ、驚くべきでもあるまい(日本犬の獣人を見たのは初めてだが)。
が、異彩を放っているのはその服装と身に着けている得物である。
身に着けているのは朱色の袴なのだ。そしてその腰には―――太刀と小太刀が1本ずつ、鞘に収まった状態で下げられている。
―――侍だ。
ノヴォシアに―――北方の大国に、侍がいる。
「ご主人様?」
「……侍がいる」
「サムライ?」
興味を持ったのか、他の仲間たちも視線を食堂の方へと向けた。
先ほど声を荒げた冒険者の男が、ちょうど袴姿の侍の胸倉を掴んでいるところだった。
余所者、という言動から、あの冒険者たちはこの村か近隣の街を拠点にしている冒険者なのだろう。そんな彼らにとって、各地を転々とする冒険者は自分たちの仕事を掠め取っていく余所者、盗人のような存在に見えるようで、ああやって目の敵にしてきたりする事も珍しくない。
『一体何を言っているのか分からぬ。お主は何故そんなに怒っておるのだ?』
―――日本語だ。
あの侍、今日本語を……?
いや、こうやって驚いているのもアホらしく思えるかもしれないが、前世の世界とこっちの世界の言語は基本的に似ているようで違うのだ。実際、ノヴォシア語やイライナ語も、それぞれロシア語とウクライナ語にあたる言語なんだが、両者とも似ているようで違う言語である。
だから日本語にあたる倭国語も”似ているようで違う言語”という認識だったのだが―――倭国から来たばかりでノヴォシア語を知らないと思われるあの侍は、はっきりと日本語をしゃべっていたのだ。
もちろん、ちょっと言い回しに古さは感じたが……。
いきなり怒鳴られた挙句胸倉を掴まれ、困惑した様子の秋田犬の侍。しかし相手が拳を握って振り上げ、それを突き出してきた途端に―――スイッチが入ったかのように、侍の雰囲気が変わった。
戦闘モードに入った、と言うべきだろうか。
胸倉を掴んでいた冒険者が、唐突に宙を舞った。胸倉を掴み上げていた腕を逆に掴み、右腕の肘を相手の脇の下に潜り込ませるようにして投げ飛ばす―――背負い投げだ。あまりにも速く、正確で、突発的な状況でありながら何の躊躇もない。何十、何百、何千回と回数をこなして身体に焼き付けたかのような、鮮やかな技だった。
「ぐえ!?」
「あ、兄貴!」
「てめえこの野郎、やっちまえ!」
リーダー格の男を投げ飛ばされ、パーティーメンバーの2人も席から立ち上がって飛びかかる。さすがに武器に手をかけるような真似はしておらず、そこだけは理性を保っていたようだけど、願わくば食堂の中でくらいは静かにしていてほしいものである。
しかし、秋田犬の獣人は動じなかった。
飛びかかってくる男の腹に強烈なボディブローを叩き込む。体重を乗せた一撃だったが、何よりもそれが鳩尾へと正確にめり込んでいた上、拳に”捻り”まで加えた完璧な一撃。ありゃあ立てないわな、と思いながら見守っているうちに、ボディブローでノックアウトされた冒険者が、獣みたいな呻き声を上げながら床の上に転がった。
最後の1人を睨み、まだやるか、と視線で訴える侍。さすがに勝てないと判断したようで、残った冒険者の男は床の上で戦闘不能になった2人を引き摺りながら、出口の方へと走っていった。
「顔覚えたからな! お、覚えてやがれっ!!」
『まったく……何なのだ』
さて、これからどうしたものか、とでも言いたげな顔で、周囲を見渡す秋田犬の侍。
さっきのやり取りを見ていたが、おそらくノヴォシアの言語が分からないのだろう。言葉でコミュニケーションを取っているようには見えなかった。
「ご主人様?」
「ごめん、ちょっと助けてくる」
俺の日本語が通じればいいのだが。
不安に駆られながらも、仲間にそう言ってから侍の元へと駆け寄った。
『あー、ええと、こんにちは』
17年ぶりに話した日本語。イライナ語とは語感も文法も全く違うそれを記憶の引き出しの中から引っ張り出して口にすると、困り果てていたような侍がびっくりしたような顔でこっちを振り向いた。
『お主……分かるのか!? 倭国の言葉が』
『ええと、まあ、うん。話すのは久しぶりだけど』
「ふぇっ? あ、あの、ご主人様?」
「待って、アンタ侍の言葉分かるの?」
「アイヤー……」
「意外な特技ですねぇ……」
後ろで困惑する仲間たちにウインクを返し、侍に話しかけた。
『だいぶ困ってるようだけど、何か力になれる事があれば……』
さすがに17年ぶりの日本語ともなればちょっと記憶もあやふやで心配になる。変な事話してないよね、と今になって不安になったが、その不安を腹の音が遮った。
ミカエル君の腹の音じゃない。目の前にいるお侍さんの腹の音である。
『……』
『……とりあえず、ご飯にしましょうか』
『……かたじけない』
とりあえず、話だけでも聞いてみよう。




