冷酷なる猟犬
『エコー1よりCP、空爆を要請! 繰り返す、空爆を要請!』
《できない、現有戦力で応戦せよ》
『馬鹿な、こちらは敵の猛攻に晒されている!』
何だろうか、この声は。
遠くから聞こえてくる銃声、爆音、怒号……。
何故かは分からないけれど、それがとても禍々しく―――けれどもどこか、懐かしいもののように思えた。
でも、思い出せない。
私はそこで何をしていたのか。
敵や味方の屍が入り乱れ、文字通りの血の川が足元に広がる凄惨な地獄で。
どうして私はAKを抱えて、敵と戦っているのか。
「ぅあ……?」
「気が付いたか! よかったぁ……」
ゆっくりとクラリスの紅い瞳が開くのを見て、今まで張りつめていた緊張感が一気に吹き飛んだのを感じた。じんわりと身体中に行き渡る安堵のせいで力が抜けそうになる。
ソファで眠っていたクラリスは片手で頭を押さえながら、まだぼんやりとした眼でこっちを見つめてきた。
「ご主人様……ここは?」
「パヴェルが助けてくれたんだ」
「パヴェルって……あの管理局で会ったお方ですか?」
頷くと、クラリスは部屋の中を見渡した。かつての車両基地、その従業員たち向けに用意されていた休憩スペース。1人の人間が住むには広すぎるその空間を贅沢に使ったパヴェルの部屋は、まあ……お世辞にも綺麗な場所とは言えなかった。
その辺には酒瓶が転がっている(しかも全部ウォッカだ)し、本棚には漫画や成人向け雑誌がずらり。普通ならベッドの下に隠してあるようなエロ本が床の上にいくつか散乱しているし、どういうわけか壁には『NTRに死を』と筆で書かれた紙が貼り付けられており、一部のジャンルに対する強い殺意を感じる。
気持ちは分かる、イチャラブこそ至高。
興味を持ったのか、何故か足元の成人向け雑誌に手を伸ばすクラリス。俺は慌ててそれを拾い上げ、後ろに投げ捨てながら流れるような無駄のない動きで彼女の手を取る。
「それより、クラリスが無事で本当に良かった」
「ご主人様……」
「今はとりあえずゆっくり休んで。色々とパヴェルと話したんだけど、今後彼の力を借りることになるかもしれない。詳しくは後で話すよ」
「分かりました……」
彼のおかげで、一気に活動の幅が広がるかもしれない。それほどまでにあの男が提示してきた話は、こっちにとっては魅力的な内容だった。
移動手段―――広大なノヴォシア帝国を移動するための列車を出してくれる、というのである。あの冒険者共の襲撃で車を失った俺たちにとってはありがたい話である。
しばらくすると、何故かソ連の国旗が描かれたベージュのエプロンを身に着けたパヴェルが、でっかい鍋を抱えながらこっちにやってきた。そう言えばさっきからやたらと美味そうな匂いがすると思っていたが、これってまさか……。
「はーい夕飯ですよー」
どんっ、とテーブルの上に豪快に置かれた鍋の中。中にはたっぷりの野菜と牛肉、そしてスパイスが混ぜ合わされたどろりとしたものが―――そう、みんな大好きなカレーが入っている。
ああ、そう言えばこっちの世界に来てから一度もカレー食べてないな、なんて考えながら鍋の中を見つめていると、隣にいるクラリスが目を輝かせながら同じように鍋の中身を凝視していた。
「ご主人様、これはいったい……?」
「ええと、カレーだよ。知らない?」
「いいえ、私は……美味しそうな香りがしますが、これは一体どういう食べ物なのですか? スープのようですが」
そこまで言ったところで、今度はお皿とスプーンと炊飯器を持ってくるパヴェル。カレーについて簡単に説明する俺の向かいで、テキパキと更にカレーを盛り付けながらウォッカをガブ飲みするパヴェル。とりあえずその酒瓶置こうか。
これ隠し味にウォッカなんて入れてないだろうな? クラリスはどうか分らんが、こちとら未成年だからな?
「ほらほら、たーんとお食べ」
「お言葉に甘えて……い、いただきまーす」
スプーンでカレーを掬い、まず一口。
ちょっと濃いめの味付けに、ガツンと来る強烈な刺激。スパイスの辛さだけではない、よく見ると刻んだニンニクまで入っているのが分かる。けれどもそれでいてただ辛いだけではなく、コクに野菜の風味まで生きていて……何が言いたいかと言うと、めっさ美味い。
バイクの運転上手くて機械弄れて銃まで撃てて料理も美味いって何なのこの人、多才にも程がある。
と、久しぶりの……それこそ17年ぶりのカレーライスに感激している一方で、今しがた思い出した疑問が頭の中で渦を巻き始めた。
そう、パヴェルは銃を持っていた。この世界で普及しているマスケットではない。限界まで切り詰めたAK-12のような、マスケットよりも遥かに先進的で獰猛な得物を手に、俺たちを助けてくれたのである。
現代兵器を召喚できるのは俺だけの特権ではなかったのか。それとも、あのカスタムAKまで自作したというのか? まあ、確かにここには銃の製造に必要な機材や素材が有り余っているから知識さえあれば出来ないことも無いだろうが……そうなのだとしたら、パヴェルの正体が気になる。
AKを持っているという事は、少なくともその銃を知っている……つまり、俺のいた世界の記憶、あるいは知識があるという事に他ならないからだ。
信頼関係を築くならばと、思い切って聞いてみる事にした。
「パヴェル」
「んぉ?」
空になったウォッカの酒瓶をその辺に置き、パヴェルは自分の作ったカレーを口に運びながら首を傾げた。多分酔っぱらってるのでまともな回答は期待できないだろうな、と半ば諦めつつも、頭の中の疑問を彼に投げかける。
「そういえばさっき、AKみたいな銃を持ってたが……あれはどこで?」
すると、顔を赤くしたままパヴェルは目を細めた。
「……”転生者”はお前だけじゃない、って事さ」
さらりととんでもない答えを投げ返してきやがった。
軽い気持ちで投げつけたボールが、戦車砲になって戻ってきたような……そんな衝撃が頭に走り、一瞬だけ息が詰まる。
転生者は俺だけではない―――それが何を意味するか。
つまりはパヴェルも、この世界の人間ではないという事だ。
衝撃の事実を耳にし、驚愕しながらもちらりと隣を見た。彼女が、クラリスがどんなリアクションをしているのか気になったのだ。そもそも転生という概念を知らないクラリスでは、こちらの正体を理解する事はできないだろうが、不穏な空気は感じ取っているかもしれない。
そう思ったのだが―――どうやらその心配はないらしい。
「ご主人様、美味しいですねこれ」
「おう食べるの早いなオイ」
綺麗に空になったカレーライスの皿。テーブルに備え付けてあったティッシュで口元を拭き取りつつ、無言でおかわりを要求するクラリスの姿を見て、心配するだけ無駄だったと苦笑いする。
よっぽどカレーライスが気に入ったのだろう。メイド服のスカートの中から覗くドラゴンの尻尾が、まるで飼い主に遊んでもらって大喜びする犬のようにぶんぶんと左右に揺れている。クラリスって感情を表に出す事はあまりないけど、尻尾を見れば内心は分かるんだな……メモしとこう。
パヴェルはガハハと笑いながら山のようにカレーを盛り付け、再びクラリスの前へ。
まあいいや、俺もカレー食べよう。
向かい側にいるパヴェルはどうしているかと言うと、カレーをつまみにでもしているつもりなのか、カレーを食べたりウォッカを飲んだり……どんな組み合わせだ?
「祖国のウォッカ美味しすぎるだろ!!」
「うるせえ」
何を言ってるんだお前は。
でもまあ……悪くないかな、こういうのも。
全く隙が無い。
手にしていた双眼鏡を下ろしながら、私は頭を搔いた。
リガロフ家の当主から依頼されたのは、ボリストポリ方面へと逃走したハクビシンの獣人”ミカエル”の拘束、ないし殺害。可能であれば連れ戻してほしいが、不可能であれば殺せというのがクライアントからのリクエスト。それも可能な限り事故死に見せかけてほしいときたものだから、ああやってカーチェイスで追い詰めたのだが……。
あと一歩というところで、想定外の邪魔が入った。あの車両基地を根城にしているスクラップ業者の男―――パヴェルとかいう男の横槍で、我々は獲物にまんまと逃げられたというわけだ。
しかしそれで諦める我々ではない。”冒険者狩り”で畏れられた我ら『クルーエル・ハウンド』は、狙った獲物は決して逃がさない。
地面に穿たれたタイヤの跡を辿れば居場所の特定など容易い事だったが……。
「リーダー、早く踏み込んじまいましょうよ」
「阿呆、死にたいのか」
銃剣付きのマスケットを抱え、踏み出そうとする若いギルド団員を制止しながら、冷静に建物を観察する。
見張りは……いない。建物の窓には明かりがついていて、中にはあの車両基地の主パヴェルと、標的となっていたミカエル、そしてその従者のメイドの3人だけ。
それに対しこっちは応援も呼んで戦力を増強、15人になっている。そのうちライフルマンが8名、剣で武装した突撃兵が7名。攻撃計画も綿密に練り、全員に爆薬を支給している。1人の獣人を消し去るには過剰な装備だが……。
「……」
「リーダー?」
―――これだけの装備と戦力がありながら、全く勝ち目が見えないのはどういう事だ?
あのミカエルとかいうガキを殺すだけならば造作もない。確かに恐ろしく連射の速い銃を持っているようだが、脅威となるのはそれだけだ。狙いは悪く、戦い方も粗削り。冷静に出方を見て着実に追い詰めていけば容易く殺れる。
だというのに、先ほどから感じているこの重苦しい威圧感はなんだ?
まるで水銀でも飲み込んだかのように腹が重い。
それに―――確信がある。
一歩でも踏み込んだら―――殺られる、と。
あのガキにこんな威圧感を出せるほどの力はない筈だ。となるとメイドか、あのパヴェルか。どちらにせよ、考えられない事だ。片や貴族のお坊ちゃんの身の回りの世話を、片やスクラップの買い取りとレストアを生業とする業者でしかない。なのに、何をどう間違えばこんな禍々しい威圧感を出せるというのか?
まるで、血肉で覆われた地獄のような戦場を渡り歩いてきたような……。
「何をビビってるんです、相手はたった3人だ」
「そうです、数で圧倒すればどうってことない」
「しかも相手はガキとメイドとスクラップ業者だけ、簡単じゃないですか」
「馬鹿、分からんのか。この殺気が」
攻め込もう、と提言する団員たちを必死に制する。こいつらには分からんのか、この重々しい威圧感―――いや、殺気が。間違いなく、奴はこちらの存在に気付いている。これは警告なのだ。攻め込んでくるようなら皆殺しにする、という声なき警告。
しかし、それはまだ団員達には分からないらしい。
「何も感じませんよ。殺気が何だっていうんです? 俺は行きます」
「俺も!」
「馬鹿、よせ!」
「リーダー、手柄は全部貰っていきますぜ!」
「メイドも居るんだ、殺す前にちょっと楽しんだっていいだろ!」
くそ、やめろ!
お前ら……死ぬぞ!!
フクロウの鳴き声がする。
ああ、もうすっかり夜だ……パヴェルのカレーをご馳走になって、すっかり眠くなってしまった。ソファの上で睡魔に抗っていたが、それもそろそろ限界らしい。
もう眠ってしまおう、と思っていたところで、隣にクラリスがやってきた。
「隣、失礼しますね」
「ん」
そっと下がり、彼女の座るスペースを確保する。
「本日はありがとうございました、ご主人様」
「ん?」
「パヴェルさんから聞きました。大破した車から私を救い出してくれたのはご主人様だ、と」
「……」
顔が赤くなる。そりゃあ確かにそうだが……クラリスを死なせたくないし、守りたいと思ったし、ええと、その……。
「警戒しているのか、気絶している私の傍らから離れようともしなかった、とも聞きましたわ」
「……う、うん」
やめて、恥ずかしい。事実だけど恥ずかしい、やめて。顔が赤くなってハクビシンじゃなくてセキビシンになっちゃう。前髪に赤いラインができちゃう。
顔が真っ赤になっているのを悟られまいと、わざとソファの後ろの方を向く。けれどもクラリスはそんな事をお見通しのようで、柔らかい両手で頬に触れると、上から俺の顔を覗き込んできた。
垂れ下がった彼女の蒼い髪。石鹸の匂いともジャンプ―の匂いとも、香水の匂いとも違うクラリスの甘い香り。彼女の匂いに包まれ、しかも美少女に至近距離から顔を覗き込まれて、ドキドキしない男子なんて存在しない。
それこそ心臓が破裂しそうな勢いで、さっきから鼓動を繰り返していた。
「一度ならず二度までも救っていただき、感謝しています」
「い、いやぁ、と、ととと当然の事をしたまでというか、のびゅれすオブリージュっていうか」
うわぁ恥ずかしい、噛んだ。
「ふふっ、可愛い♪」
「……」
「今度はクラリスがご主人様をお守りいたしますね」
「……無茶はしないでくれよ、クラリス」
お前は俺の大事なメイド……いや、”仲間”なんだ。仲間が傷つくところは見たくない。
ぎゅっと抱きしめてくれるクラリス。俺も彼女の背中に手を―――というところで、頭から生えたハクビシンのケモミミが、外から聞こえてくる足音を敏感に察知した。
パヴェル……では、ない。アイツは格納庫で客車の改装をしてくると言っていた。足音が聞こえてくるのは格納庫の反対側、南東からだ。
まさか、夕方襲ってきた連中か。
「ご主人様」
「ああ、いちゃつくのは後だ」
クラリスもそれを察知したようで、鍛冶屋で購入したクソデカボルトカッターに手を伸ばした。俺もソファに立て掛けていたAK-12を拾い上げ、安全装置を解除する。
来るなら来い……雪辱戦だ。




