格闘訓練!
ガードすら突き抜ける衝撃に、身体を撃ち抜かれる。
両腕の肘から先が捥ぎ取られるのではないか、と脳が錯覚するほどの激痛に耐えながらも、床を這わせるように右足を薙ぎ払った。
今しがた両腕で受け止めた相手の蹴りが引き戻されるより先に、床についている足(いわゆる”軸足”だ)を刈り取ろう、という意図で放った床すれすれのローキック。蹴りというよりも柔道の足払いの要領で放たれたそれは、命中さえすれば相手の体勢を崩すに十分な鋭さがある。
転生前、空手を習っていた頃から得意だった技だ。相手の蹴りに合わせて軸足を刈る―――そうすることで追撃のチャンスが生まれるし、そうじゃなくても相手には『もしかしたらまたやられるかもしれない』という脅威を植え付け、大技を出しにくくするという心理的効果も狙える。
その狙いは的中したようだった。
「うお!?」
蹴りを放ってきた相手―――パヴェルのヒグマみたいな巨体がぐらりと揺れた。
”柔よく剛を制す”とはよく言ったものだ。技量と適度なタイミングさえあれば、身長150㎝というミニマムサイズなミカエル君でも、ヒグマみたいな体格のパヴェルにこうして一矢報いることができるのだから。
ここぞとばかりに一歩踏み込み、その勢いを乗せた右ストレートを突き出した。踏み込みは十分、肩の捻りも加えたし腰も入れた。前方への体重移動も我ながら完璧―――狙うは鳩尾、格闘技における人体の急所の一つ。
ここにクリーンヒットすれば、どんなに身体を鍛えた格闘家だろうと、兵士だろうと関係ない。呼吸は阻害され、十数秒は本当に苦しい思いをする事になる(息を吸いたくても吸えないような感覚というべきか)。
が、この1秒後にそれを俺が味わう事になるとは知る由もなかった。
「―――っ」
めり、と鳩尾に何かがぶち当たる。
拳だ。体勢を崩しながらもパヴェルが放った、右のボディブローだ。
ボディブローは相手のやや下から腹目掛けて突き放つ性質上、ストレートと比較すると射程距離は短い。が、しかしここで身長差というパヴェルのアドバンテージが生きてくる。身長が高いという事は腕もそれ相応に長いというわけで、実際のその射程距離は俺のストレートと変わらないのだ。
体勢を崩されながら放ったとは思えない一撃が鳩尾に突き刺さり、呼吸が詰まる。息を吸いたくても肺が全力で拒否しているような感覚に、身体の動きが一瞬止まってしまった。
次の瞬間には、ボクシンググローブに包まれた左のストレートが、ミカエル君の右の頬を打ち据えた。パァンッ、と甲高い音と共に、頭が激しく揺さぶられる。平衡感覚もあったもんじゃないし、踏み止まろうとしても足が言う事をきかない。
結局俺はそのまま吹っ飛ばされ―――車内の壁面に背中を叩きつける羽目になった。
「ねげふっ」
「そこまで!」
変な悲鳴が出たところで、審判を務めていたシスター・イルゼから試合終了が言い渡された。
結果は言うまでもない、ミカエル君の完敗である。
「ミカエルさん、大丈夫ですか?」
タオルと回復用のエリクサー(液体タイプだ)を差し出しながら心配してくれるシスター・イルゼ。怪我して弱ってるところにこんな天使みたいな、いや、聖母みたいな笑みを向けられたらどんな怪我人も撃墜されてまうやろ、と思いつつ、礼を言ってそれを受け取る。
今やってたのは練度向上のための格闘訓練。パヴェル曰く「戦いの基本は格闘だ」。まあ、確かにそうだ。格闘戦には戦いに必要なものがギュギュっと詰まっている。
基本を疎かにする者に将来性はない。基本が出来てなければ応用も出来ない。中身のない、その場しのぎの強さしか手に入らないのだから。
リンゴの果汁入りのエリクサーを飲みながら汗を拭く。ジュースよりもちょっと甘さ控えめのそれが胃に流れ落ちていく度に、さっきの格闘訓練で受けた痛みが引いていくのが分かった。
「いやぁ、上達したなぁミカ」
同じくシスター・イルゼからタオルを受け取ったパヴェルが、汗を拭きながらそう評してくれた。
格闘訓練を始めたのは最近の事ではない。旅を始めた辺りから、それこそ元特殊部隊指揮官だったというパヴェルの元で戦い方を学び始めた辺りから、格闘訓練は定期的に行ってきた。最初の頃は秒殺されたり、顎に飛び膝蹴りを喰らって脳震盪、気付いたらクラリスの膝枕の上というのが一種の風物詩で、それはもう格闘訓練の前日は憂鬱だったのを思い出す。
それこそアレだ、夏休み明けの登校日をもっとヤバくしたような感じのアレだ。社会人なら連休明けの出社みたいなもんである。
けれども”継続は力なり”とはよく言ったもので、最近では何とか一矢報いる程度には食い下がれるようになってきた。実力がついた、という事なのだろうか。
「さっきのカウンター、久々にヒヤッとしたよ。空手やってたんだって?」
「ああ……小1くらいからね」
「そりゃあ大したもんだ」
「ではパヴェルさん、次は私と」
射撃訓練場のレーンをプチ改造して用意された、格闘訓練用の訓練場。普段はレーンとして使っている方から声が聞こえたかと思いきや、いつものメイド服姿ではなくトレーニングウェア姿のクラリスが、トレードマークであるメガネを外し、特徴的な蒼い髪を後ろで結わえながらこっちにやってきた。
トレーニングウェアの上からでも、バッキバキに割れた腹筋がうっすらと見える。
当たり前だが、冒険者というのは苛酷な職業。武器を振るって魔物に対抗しなければならないし、ダンジョン内でいつ命を落とすかもわからぬ極限状況の中、探索を行わなければならない。
だから冒険者はアレくらい身体を鍛えているのが当たり前だ。いや、それはちょっと言い過ぎか。女性基準で見て、クラリスががっしりし過ぎているだけかもしれない。
「ふえぇ連戦か」
そう言いながらもボクシンググローブをし直し、マウスピースを装着するパヴェル。汗は滴り落ちているが、呼吸は落ち着いているようだ。どうやら俺ごときが相手では呼吸が乱れる程追い詰められるわけではないらしい。
呼吸を整えながらレーンの外に出ると、後ろで2人の格闘戦が始まった。
なんだろう、音がおかしい。
クラリスの右ストレートがパヴェルの頭を掠めただけで、ボッ、と空気が抉られるような音が聞こえてくるのである。
そんな、”気が付いたら着弾してた”レベルの速度のパンチを平然と躱し続けるパヴェルの反射神経も相当頭おかしいレベルなのだが。
クラリスのパンチがやっとパヴェルの肩口を捉える。素手で金庫の扉をぶっ壊した実例があるクラリスの一撃、訓練とはいえ手は抜いていないという事は、右のストレートが空振りした時の音でも分かる。
が、喰らっているにもかかわらず、パヴェルは涼しい顔だ。
それもそのはず、肩口にパンチが命中する瞬間に身体を逸らして衝撃を受け流し、クリーンヒットしないようにしているのである。おかげでパワー自慢のクラリスの攻撃も軽減され、ダメージを蓄積させるには至らない。
傍から見ればクラリス優勢に見えるが、俺の目には違って見える。
相手に勘付かれない程巧みに、もう少しで重い一撃が入れられるぞ、と隙をちらつかせながら―――致命的な一撃を叩き込むタイミングを、パヴェルは探っているようにも見えるのだ。
力のクラリスと技のパヴェル、と言ったところか。
「おーおーやってるネー」
タオルで汗を拭いていると、同じくスポーツウェア姿のリーファが、ストレッチをしながらニヤニヤ笑っていた。肉食獣が獲物を見つけた時のような、獰猛な本性が―――というよりも彼女の闘争本能が剥き出しになったような笑みに、思わず背中が冷たくなる。
今のところ、血盟旅団が誇る最高戦力はパヴェル、クラリス、そしてリーファの3人。全員化け物である。
そんな彼女に気を取られている隙に、パヴェルとクラリスの戦いが動いた。
ドパァンッ、と何かが破裂するような音と共に、ついにパヴェルの右のボディブローがクラリスの腹へと叩き込まれたのだ。
攻撃を受け流し、あるいは躱して、それでいて相手に「もうちょいで攻め落とせるよ」と弱みをちらつかせながら誘導し、ついに捉えた一瞬の隙。強烈な一撃を叩き込まれたクラリスが目を見開くが、しかし彼女はそれでは終わらない。
マウスピースをぎゅっと噛み締めて耐え、両足を踏ん張りながら右の肘を薙ぎ払ったのだ。さながら脇差の一閃の如く振り払われたそれはパヴェルの下顎を的確に捉え、彼の脳を盛大に揺らす。
常人だったらとっくに脳震盪を起こしてダウンしているが、しかしそこは我がギルドの誇る化け物その2。ぐるん、と白目を剥きかけていた彼の目に光が戻ったかと思いきや、今度は横合いから左のフックがクラリスの顎へと撃ち込まれる。
そこからはもう、互いに本気を出した怪獣同士の戦いみたいになった。パンチの応酬に蹴りの応酬、しまいには背負い投げに巴投げ。総合格闘技さながらのカオスな格闘戦が展開され始める。
これを見て分かる通り、俺と戦ってる時のパヴェルは全然本気じゃなかったのが分かる。
化け物だよ、どっちも。
頑張れパヴェル、この後リーファ戦が控えてるぞ。
《間もなく”バラドノフ村”、バラドノフ村です。お降り口は左側です。なお当列車は機関車のメンテナンスのため24時間の停車予定となります》
ああ、また機関車どっか壊れたのか……とスピーカーから聞こえるルカの声を聴きながらぼんやり思った。AA-20、ソ連が生んだ超大型蒸気機関車には確かにロマンがあるが、それ相応に問題点も多い。ノヴォシアの線路は頑丈なので路線を破壊する恐れは無いにしても、それ以外のところがね……。
パヴェルはAA-20に思い入れでもあるんだろうか、と思いながら地図を広げた。
ピャンスクからミリアンスクに向かうには、中継地点となる都市『ヴィラノフチ』を経由して、その先を流れる『ネルマン川』を渡って、『ウガンスカヤ山脈』を越えていかなければならない。
パヴェルの話ではこのウガンスカヤ山脈が難所で、山脈を穿つトンネルがあるわけでもなく、路線は機関車に負荷をかける急勾配が多いのだとか。
なのでヴィラノフチで機関車をもう1つ用意し、重連運転(機関車を複数連結した状態での運転)でウガンスカヤ山脈を越えていく、というプランを考えているらしい。
一応は機関車の前に連結してある警戒車にも動力はあるけど、元はと言えば自動車用のガソリンエンジン。重装備の装甲列車を牽引して急勾配を上り下りする力はない。
なんか色々と不安になるが、他の路線で行くとなるとミリアンスク到着が何ヵ月も先になってしまうので、出来るならば重連運転で乗り切ってほしいところではある。
自室から見える外の景色に視線を向けると、左から右へと勢いよく流れていく外の景色が段々と緩やかになっているのが分かった。これから駅に停車するから、ルカが列車を減速させているのだ。
樹々が連なる森林を抜けると、広大な畑が窓の向こうに広がる。ジャガイモ畑のようで、畑の間にある畦道に停車している馬車の荷台には収穫したと思われるジャガイモが山積みになっている。
もうそろそろ、ノヴォシアにも夏がやってくる。たった2ヵ月、あるいはそれよりも短い夏が。
地域によって差はあるけれど、ノヴォシアにおける農業は全て冬への備えという目標に集約される。ノヴォシアの冬は人を殺しに来ているレベルで、全ての物流が完全にストップするのだ。だから農作業を少しでもさぼったり、備蓄の管理を怠ると死ぬぞ。
観光パンフレットの1ページ目にも書いてある(ジノヴィ談)。しかも赤い字で。
苛酷な冬への備えを促す諺は多い。『ノヴォシアの冬は人を殺す』、『働き者のみが勝利する』、『勤勉さだけが冬を制す』……それだけノヴォシア人にとって冬は脅威というわけだ。
減速した列車がレンタルホームへと入っていく。村、とは聞いていたけれど規模的には田舎町といった感じで、それなりに大きな建物もちらほら見える。なんだろ、岩手の田舎みたいなのどかな風景が延々と続いているような、そんな感じだ。
どこを見ても山と森林があって、遠くまで畑が続いている。
小さな駅にはレンタルホームが3つしかない。在来線はミリアンスク行きの上りと、ピャンスク方面行の下りの2つだけ。レンタルホームには他の冒険者もいるようで、既に2つの列車がレンタルホームに停車しているところだった。
列車が完全に停車するのを待ち、客車のドアを開けた。ここもやはり木材が豊富に採取できるようで、ホームは木造だった。表面には何か塗料のようなものが塗られていて、傍から見ればコンクリート製のようにも見える。
火災が起きた時とか大丈夫だろうか。塗料に延焼を防ぐ不燃性の薬品みたいなのとかって含まれてないのかな、なんて心配をしながら、ホームを跨ぐ通路を通って改札口へ。
24時間の停車時間を無駄にする理由はない。管理局もあるだろうし、仕事を探して金を稼ごう。
ノヴォシアでは『働き者のみが勝利する』のだから。
※ネゲフはイスラエルの分隊支援火器です。




