極東産狂戦士
病魔に身体を侵され、今にも消えそうな命の灯を輝かせつつ、祈っていたことがある。
もし来世があるなら―――二度目の人生があるならば、こんな苦しみとは無縁な身体に生まれ直し、自由に生きたい。
けれども、それは今の人生を否定する事になるし、今の命を諦めてしまう事に他ならない。未来があろうが無かろうが、今の私には”今”しかない。次があるという保証もない以上、今ここで足掻いて、足掻いて、最期まで足掻いて、支えてくれている両親たちのためにも足掻き続けて、いつかは親孝行したいと……治る見込みがない病だけれど、それならばせめて残された命を有効に使い、少しでも現世を良く生きようと、命の灯が消えるその瞬間まで足掻き続けた。
―――その結果がこれなのだとしたら、なんと皮肉な事か。
鏡の前に立った。
そこに映る自分は、寝たきりの自分ではなかった。
しっかりと、自分の足で立っていた。
もちろんそれは、病に身体を侵され、抵抗しながら死んでいった自分とは違う身体。
身長はだいたい150cm代前半くらいだろうか。日頃の鍛錬の賜物か、身体には女として見れば十分すぎる程の筋肉がついていて、この前体重計に乗ったらアナログなそれの針は57㎏を指し示していた(筋肉が重いだけ。いいわね?)。
寝たきりになって、痩せる一方だった”前世”とは大違い。
髪の色は白―――うっすらとクリーム色がかっていて、色合い的に暖かみがある。
左右に開いた前髪の下から覗く瞳の色は焦げ茶色。瞳の色に関しては前世とあまり変わらないからまあ、ここだけは違和感がない。
問題なのは、頭からにゅっと生えている、テンのものと思われるケモミミだった。それだけじゃあない。腰の後ろからは真っ黒な毛並みの尻尾が生えている。
たぶん、私の生まれたこの場所や毛の色からしてエゾクロテンの獣人として生まれたのだと思う。
そう、私は転生―――いわゆる異世界転生というものを果たしたみたいなの。
『雪船ハナ』というエゾクロテンの獣人として―――私は第二の人生を手にした。
ガタガタと、それはそれはもうガタガタと、天井を突き破らんばかりの勢いで車が揺れる。
それはそうだろうなと思いながら、お構いなしにアクセルをさらに踏み込んだ。まともに舗装されていない山中のオフロード、車のサスペンションでも吸収しきれない揺れで、ここまでの長旅でお世話になっているTOYOTA ハイラックスが揺れに揺れる。
出発前、オフロードをメインに走る事になるだろうからと細かなところまで調整してきたし、タイヤもオフロードタイヤに交換してきた。スタックした時に使えそうな道具も荷台に積んである。
けれども、そんな事はどうでも良い。スタックするのが怖くてオフロードを攻められますかって。
今はとにかく、一刻も早く目的地に―――ノヴォシア帝国北西部、ベラシア地方へ急がなければならない。
「”しゃもじ”、もう少し速度落とすべき」
がったんがったんと上下に激しく揺れる助手席の上で、顔色一つ変えずに地図を見ながら同行人の少女が言う。
私と同じ白髪だけど、ちょっとクリーム色がかった私とは違って、透き通るような白さがある。あまり感情を表に出さない彼女のミステリアスな雰囲気と相俟って、その色合いは降り積もる雪を思わせた。
頭からは真っ白なキツネのケモミミが、そしてお尻の辺りからは同じく白い毛並みの尻尾が生えている。
ホッキョクギツネの獣人である彼女には『アルペクス』っていう名前がある。けれど、私は彼女の事を『おもち』って呼んでいる。そして私は(何故か)この子に『しゃもじ』と呼ばれてる。
出会ったばかりの頃は私より背が小さかったし、餓死するんじゃないかって心配になってしまうほど痩せ細っていたおもち。でも今は全体的にもちもちしていて、彼女のほっぺたを見ていると定期的にもちもちしたくなる。それこそ、猫を飼っている人が猫吸いをしたくなるくらいの頻度で。
全体的に肉付きが良く、脚も私より太い。最近はお腹にもちょっとお肉がついてきたかな、とは思っている。けれどもそれ以上に目立つのはその胸だった。身長と共に現在進行形で成長期なその胸は、多分もうGカップくらいに育っている。
どこまで育つのかしらねぇ。
え、私? 私はCカップだけど?
別に羨ましいなんて思ったことはない。病気だった前世と比較するのもアレかもしれないけれど、今の時点で前世の身体よりもがっしりしているし、胸だって大きい。けれども剣術の使い手として、これ以上大きくなられると不都合なの。刀を振るう時に邪魔になるし、何より胸を強調して誘惑したくなるような相手が今のところ居ないもの。
車が揺れる度にぶるんぶるん揺れるおもちの胸をチラ見してから、スピードを落とすよう進言してくる彼女の言葉とは逆に、更にアクセルを踏み込んだ。ぶぉぉぉぉん、とハイラックスのエンジンが吼え、未開拓の山中にオフロードタイヤの轍を刻んでいく。
「速度を落とす? そんなことしてたらお祭りが終わっちゃうわよ!」
そう、私たちがベラシア地方を目指している理由はとあるイベントに参加するためだった。
昨日立ち寄った村の冒険者管理局で手に入れた、ある魔物の討伐依頼。その依頼書が今、地図を見るおもちの手の中にある。
―――征服竜ガノンバルド。
詳しくは知らないけれど、海の向こうにある聖イーランド帝国(前世の世界で言うとイギリス)原産の飛竜で、特定の縄張りを持たず世界中を徘徊する大型の飛竜だとされている。性格も極めて獰猛で、幼体ですら人間を食い殺してしまうほど。更には自分以外の生命体全てを敵、あるいは食料と見做して攻撃してくるので、徘徊ルート上に村とか街があったら大変な事になる。
そんなやべーやつが今、ベラシア地方最南端の街、ピャンスク郊外に姿を現したという。
一度はピャンスクまで襲来したみたいだけど、辛くも撃退されたのだとか。その撃退したのが新興の冒険者ギルドだって話もあれば地元の憲兵隊って話もあってちょっと分からないんだけど、とにかく再び侵攻してくる前に討伐作戦の参加者を募りたい、というのがピャンスク市長からの通達だった。
その討伐依頼の件はノヴォシア中、そして近隣諸国の冒険者ギルドまで伝達され、私たちもたまたま立ち寄った管理局でその話を聞きつけたというわけ。
征服竜ガノンバルド、相手にとって不足なし。
本来はBランク冒険者に討伐依頼が発注されるような、未熟な若手はさっさと帰って宿題やってなさい案件らしいんだけど、今回は特例としてBランク未満の冒険者にも討伐参加資格が与えられている、と依頼書には書かれている。
まあ、現地の戦力不足が垣間見えて、なんか末期戦の様相を呈しているようにも思えるんだけど、そんなことはどうでも良いの。
つまり今ピャンスクに行けば、 強 い 奴 と 戦 え る っ て 事 で し ょ ?
「えへへへ」
「しゃもじ、笑顔が怖い」
「エゾクロテンスマイルよ」
「えぞくろてんすまいる」
私はね、とにかく強い相手と戦いたいの。
より格上の相手と戦って実力を上げたいし、仮に勝てなかったとしても、自分の限界を知る事は出来る。ただただ高みを目指す者として、自分の実力がどのレベルまで通用するのか―――そこは見極めておきたい。
だから依頼書に記載されている報酬金も、はっきり言ってどうでも良かった。家が建てられるくらいの報酬金が提示されているけれど、そんなもの慈善団体に寄付でも何でもすればいい。私はただ、強敵との戦いという経験を積むことができればそれでいい。
格上の相手との血飛沫舞う死闘―――私にとって、それが一番の報酬なのだから。
「しゃもじ、前方に川が」
「突っ切るわよ!」
ドバァン、とハイラックスが川に突っ込んだ。
大きめのオフロードタイヤが川底を派手に抉って、車体をぐいぐいと対岸へ進めていく。
未開拓というより、そもそもヒトがここを通過する事を想定していないからなのだろう。道は舗装されていないし、川には橋も架かっていない。そもそも近隣に道もない。
それもそのはず、目的地であるピャンスクまでは道路はあるんだけど、そのルートが森林地帯を大きく迂回するようなルートで、地図通りに進んでいたら祭り……じゃなくてガノンバルド討伐作戦が終わってしまう可能性があったの。
だから地図を無視して、森林の真っ只中を突っ切る事にしたのよ。こうすればショートカットできるし時間も節約できる。うん、我ながら名案よね。
そう思うわよねおもち? ねえおもち?
「うん、しゃもじがそう言ってるから正しい」
さりげなく心を読んで回答するおもち。うん、これが以心伝心ってやつね。いちいち言語を発しなくても意思疎通ができるって素晴らしいわ。全人類これを習得するべきよ(?)。
さっきからガタガタガタガタ、とにかく車が揺れる揺れる。森林のど真ん中を突っ切るハイラックスの前にゴブリンがやってきたけれど、私はお構いなしにそのまま突っ込んだ。ゴッ、とグリルガードが何かを弾く音がしたかと思いきや、撥ね飛ばされたゴブリンの小柄な身体がボンネットでバウンド、そのままフロントガラスの上をゴロゴロと転がっていき、ポーンと後方へ吹っ飛ばされていった。
うん、スプラッシュワン。
「しゃもじ、なんか撥ねた」
「今のゴブリンは異世界転生を果たしたのよ」
「異世界転生」
「きっと今頃神様からチート能力を貰ってるわ」
「何かよくわかんないけどきっとそう」
ヨシ。
人間だって異世界転生するんだし、ゴブリンだって異世界転生くらいするでしょ……たぶん。
なーんて考えながら運転していると、危うく樹の幹に車を激突させそうになってちょっとヒヤッとした。
「しゃもじ、危ないから速度を落として」
「心配してくれてありがとうおもち。でも大丈夫、私は道産子2週目だから」
「どさんこにしゅーめ」
そう。この私、雪船ハナは道産子2週目だった。
前世の世界では北海道生まれ。病死というバッドエンドを迎え、晴れて人生2週目―――それが何の因果か、異世界転生した先も北海道にあたる『エゾ』と呼ばれる場所だった。
この世界は前世の世界と概ね同じ地形をしていて、私が生まれる事となった海産問屋は前世で言うところの北海道に存在する。つまり私は前世でも道産子、そして今世でも道産子というわけ。
そしてこの世界には獣人しか存在しない―――けれども文化圏の違いで民族のような集団はちゃんと形成されているようで、エゾにはアイヌ的な民族が先住民として生活していた。
前世の世界では色々と争いの歴史があったけれど、こっちの世界ではそんな血生臭い話にはならなかったようで、倭国のエゾでは本州からやってきた倭国人とアイヌ民族は互いに交易で利益を得ながら、一緒に開拓をしている。
そういう私も先住民の1人で、私も家族も普段は(そして私は今も)アイヌっぽい衣装を着ている。チカルカルペ……だったかしら?
というわけで私は、道中で出会ったおもちと一緒にエゾからノヴォシア帝国までやってきた。
唐突に目の前に倒木が現れる。ぎょっとしてハンドルを思い切り右に切ったけれど、加速に乗ったハイラックスはなかなか素直に止まってはくれない。雨上がりで湿った地面を抉りながら、ハイラックスは目の前の巨大な倒木に盛大に激突。お餅のように真っ白なエアバッグに、思い切り顔を埋める羽目になった。
「しゃもじ」
「ひゃい」
エアバッグに顔を押し付けたまま言うおもちに、私もそのまま返事を返す。
「だから言った、速度は落とすべきって」
「……ひゃい」
これからは気を付けましょ……。
さて、と。
倒木のせいで(私の不注意ではない、倒木が悪い)大破したハイラックスを召喚解除、代わりにRipsaw EV3-F4を召喚してそっちに荷物を積み替え、改めて運転席に乗り込んだ。
倒木の除去やら荷物の積み替えやら、倒木のせいでえらい目に遭ったわ……え、お前の不注意が原因だって? うるさいわね斬るわよ?
というわけで、シートベルトをしっかり締めてからアクセルを踏み込んだ。履帯が派手に回転して、邪魔な倒木も、そして進路上にうっかり出てしまった哀れなゴブリンもベキベキメキメキと踏み潰しながら、ピャンスク目指して豪快に突き進んでいく。
「しゃもじ、今度は気を付けて」
「大丈夫よ、このマシンなら倒木なんて怖くないわ!」
「ん、そうだね」
倒木だろうと昼寝中のヒグマだろうと、なんだろうと薙ぎ倒して突き進んでやるわ!
もう何も怖くない!!
待ってなさい、ガノンバルド。
あなたの相手は私たちよ!




