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極東より来たる者たち


 1869年(19年前)


 極東、倭国 


 東北地方、南部藩








 肉の焦げる臭い。


 全てが燃える臭い。


 圧倒的な破壊の暴力に、全てが崩れていく。


 耳を澄ますまでもなく、轟雷の如き爆音が周囲で鳴り響き、その度に命が消えていった。


 そして今―――手の中で、また1つの命が消えようとしている。


「母上……母上、しっかりしてください。母上」


 必死に、縋るような思いで母を呼んだ。


 腕の中に抱き抱えている母の目が、弱々しくこちらを見た。いつもと変わらぬ、優しくて、けれども芯にはしっかりとした強さを宿した黒い瞳。この視線にどれだけ見守られてきた事か。眼前に広がるのが茨の道であっても、いったい何度支えられ、乗り越える事が出来た事か。


 けれども、それはもう終わり……今日という日が最後だという事は、まだ5歳の自分にも分かった。


 それでもまだ、受け止められなかった。


 今日が母との最期の別れになるなど。


 爆発に巻き込まれ、身体中に木片の突き刺さった母の身体を揺すった。


 傷を癒す薬はどこにもない。さっき、村の薬師くすしの家も吹き飛んだのが見えた。あれでは薬も、そして先生も無事ではおるまい。


 魔術の心得もない私には、どうする事も出来なかった。


 血で赤く染まった母の手が、そっと私の手を握る。


 涙が溢れそうになった。これが精一杯の力なのだろう。それは哀れに思えてしまうほど弱々しく、ほんの少し力を込めて握り返すだけで消えてしまいそうなほどだ。


範三はんぞう……お願い、貴方だけでも逃げて……」


「嫌です、そんなの嫌です……母上も一緒に……!」


 無理だという事は分かっている。


 母の身体には、一際大きな木片が突き刺さっていた。かつて、私の家の柱の一部だった何の変哲もない木片。爆風で千切れ飛んだそれが、達人の投げ放つ槍の如く飛来して、母上の身体を串刺しにしたのだ。


 血は止まらず、段々と母の手も冷たくなっていく。


 もう、助かる見込みはない。こうしている間にも母の命は少しずつ消え、黄泉の国へ旅立たんとしている。


 ―――皆、死んでしまった。


 優しかった村の皆も、共に剣術の稽古で鎬を削り合った兄弟たちも―――そして、あんなに強かった父上も。


「範三、私は御仏の元へ行くけれど……貴方は1人ではないわ……きっと……きっと……」


「母上……母上!」


 母の瞳から、光が消えた。


 力がすっかり抜けた母の手を、ぎゅっと握る。こうして力を込めれば戻ってきてくれるのではないか。再び起き上がり、いつもの強くて優しい母上に戻ってくれるのではないか―――そんな根拠のない思いがこみ上げてきて、視界が涙で霞む。


 焼けるように熱くなった瞼を、煤と返り血に塗れた小さな腕で擦った。


 火の粉の舞う空をじっと見つめたままの母の目を、そっと閉じさせる。


 皆、逝ってしまった。


 ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。


 長閑だった村はもう、見る影もない。田んぼも畑も全てが滅茶苦茶になり、大地は抉られ、民家は炎に包まれて火の粉を巻き上げている。


 これが私の故郷の姿だと、今でも信じられない。


「誰か……誰か、いないのか」


 私以外に誰か、生きている者はいないのか。


 その声に応える者は、もう誰もいない。


 焼けた大地に横たわる死体たち。


 ヒトだったもの。


 数分前まで生きていた、仲間たちの残骸。


 腕がある。


 脚がある。


 首がある。


 身体のどこかも分からぬ、臓物の切れ端がある。


 皆、死んでいた。


 赤く燻る黒い大地の上に散らばる、人間だったものの残骸。


 もう一度涙を拭い、空を見上げた。


 燃え盛る大地に照らされた、赤黒く染まる夜空の果て。


 雲の切れ目から差し込む白銀の光に照らされ―――そこに、”奴”はいた。


 私の故郷を焼き払い、仲間を、家族を皆殺しにした怨敵が。


 胴体の一部が左右に大きく膨らみ、細く長い身体を持つ蛇にも似た姿の龍。身体を幾重にもくねらせ、さながら空を泳ぐかのように雲の切れ間を舞いながら、抉られ、燃え盛る大地を睥睨している。


 その姿はまるで、”空を舞うツチノコ”のよう。


 あの龍だ……あの龍が、あの龍が私の家族を……仲間たちを……!


 絶望の深淵から、まるで噴き上がる溶岩の如く怒りが込み上げてきた。叶う事ならばあの忌々しい龍を大地に叩き落し、身体中を切り刻んでやりたい。刀を何度も何度も突き立てて、母上や父上、兄弟たちが味わった苦しみを思い知らせてやりたい。


 だが、私の手はあの空には届かない。


 こうして、赤く焼け爛れた大地から睨む事しかできないのだ。


「待ってろ……待ってろ、いつか、いつか必ず」


 今はそこに手が届かなくとも。


 いつか力をつけ、倭国一の侍となって―――我が一族の無念、晴らしてくれようぞ。


 血が滲むほど拳を強く握りしめながら、私は誓った。







 我が名は、『市村範三いちむらはんぞう』。







 覚えておけ、これが龍を打ち倒す者の名だ。



















 少しだけ、私の昔話に付き合ってほしい。


 ド初っ端から結論を言わせてもらうけれど、私は死んだ。


 主観的に見ても、そして客観的に見ても、それはあまり良い人生ではなかったとは思う。もちろん、病に身体を侵されながらも生きる事が出来たのは励ましてくれた両親のおかげだし、出来る限りの手を尽くしてくれた病院の人たちのおかげ。


 周囲の人たちの尽力には本当に感謝している。もし叶う事ならば、全力で礼を言いたい程に。


 ただ、そんな周囲の人々には大変申し訳ない話だけれども―――私にとってそれは、ただただ治る見込みもない病に身体を蝕まれ、じわじわと迫り来る死を実感させられるだけの、ひたすらに苦しく何もできない、生きる意味を疑問に思うような人生だったわ。


 決して安くはない治療費を工面してくれた両親に、元気になった姿も、そして剣道の全国大会で優勝した姿も、そしてウエディングドレス姿も孫の顔も、何も見せてあげる事が出来なかった―――。


 不孝者だ、とつくづく思う。


 ああ、私はきっとこれからあの世に行くのだ。天国に行くか、それとも地獄に落ちるか、私が行く先はどこなのかは分からない。とりあえずは裁きが下るまで、三途の川でも渡りながら考えようと思っていたのだけれど―――目の前に現れたのは、私が想像していた閻魔様とは随分と違う相手だった。


『ほう……死人か、貴様』


 椅子に座り、蓄音機から流れるクラシック(ドビュッシーの『月の光』だ)を聞いていたのは、黒い軍服に身を包み、腰に刀を下げた、いかにも昔の軍人といった格好の女性だった。


 あの世でクラシックとはどういう組み合わせなのかしら、と思っていると、私の来訪に気付いたその閻魔様(仮)はゆっくりと立ち上がり、私の方を振り向いた。


 綺麗な黒髪の女性だった。背中を覆うほど伸びた、艶のある黒髪。しかしその中からはまるで悪魔のように捻れた黒い角が不規則に生えていて、明らかに普通の人間ではない、と言う事が一目で分かってしまう。


 やっぱり閻魔様……いや、鬼……? でも鬼の角ってあんなに捻れてたかしら。あれじゃあ鬼や閻魔様というよりも、西洋の悪魔や魔王に近い。


 コスプレなどではない。ここから見る限りでは、あの質感は決して造り物などではないという事が良く分かる。


 異様なのはそれだけではない。


 身に纏っているのは黒い軍服のような服で、雪のように白い肌で覆われた顔の左側には大きな眼帯がある。それでも覆い隠せない程大きな古傷が、眼帯の縁から顔を覗かせていた。


 体格は引き締まっていて、モデルと言うよりは女性のアスリートのよう。軍服と眼帯の厳つい外見的特徴から女性兵士のようにも見えるけれど、あの角はマジで何なのかしら。


「ええと……閻魔様?」


『エンマ? 誰だそれは』


 どうやら違うみたい。


『まあいい……私はアレだ、魔王とでも呼べ』


「魔王様(仮)」


『うん、めんどくさいからそれでいいよ』


 魔王様(仮)は本当に、それはそれはもう心の底からめんどくさそうにそう言った。


『貴様の死因は病死か』


「―――」


 思考が、止まる。


 心の奥底で、もしかしたらあれは夢なのではないかと思っている自分が居たことに―――自らの死を受け止めきれていない自分が居たことに、そこでやっと気付いた。


 次に目を覚ましたら、またあの病院のベッドの上なのではないか。また辛い闘病生活が続くのではないか。けれどもいつかは、いつかはきっと回復して、自分の意思で身体を動かせる夢のような日々がやって来るのではないか―――そんな未来の希望を根こそぎ奪われ、潰えたことを認められない弱い自分が居たことに、たった今気付いた。


『さぞ無念だった事だろう』


「……ええ」


『残念ながらあれは全て現実だ。そして私に、貴様を生き返らせる力はない』


 世の中、そんなに甘くない。


 死神に魅入られ、その命を刈り取られた者の末路は、どの国だろうと、どんな世界だろうと悲惨な事に変わりはないのだから。


『……だがまあ、喜べ。代わりと言っては何だが、別の世界に生まれ変わらせてやる。輪廻転生というやつだ』


 輪廻転生。


 命を終えた者は輪廻の輪に入り、そこから新たな命として生まれ変わる―――東洋で古くから信じられている生まれ変わりの法則を頭に思い浮かべ、私は自嘲する。


 病に侵され、人間らしく生きる事も出来なかった私を何に生まれ変わらせるというのか?


 ハエか? ネズミか? イモムシか?


『ついでだ、贈り物をくれてやる』


「?」


 贈り物?


 自嘲していた私が目を丸くしているうちに、目の前にいきなり蒼いメニュー画面のようなものが表示された。画面の中には『武器生産』、『装備』、『ステータス確認』の3つのメニューが縦に並んでいる。


 ゲームの画面を思わせたけれど、生前に病室でやってたゲームのメニュー画面でももっと複雑でごちゃごちゃしていたのを思い出す。これではあまりにもシンプルであり過ぎた。


 恐る恐るそれに手を伸ばし、武器生産をタッチ。すると画面が切り替わり、ずらりと大量の武器が表示された。


 ハンドガンにマシンガン、アサルトライフルにショットガン。アクション映画に出てきそうな重火器がずらりと表示されて、私はちょっと驚く。


 これは一体何?


 しかもよく見ると、武器として表示されているのは銃器ばかりではない。


 刀がある―――日本刀から中国の柳葉刀、西洋のサーベルにレイピア、ロングソードに至るまで、古今東西ありとあらゆる武器が、その一覧の中に表示されていた。


 マニアックなところでは、インドのウルミまである。


「え、なにこれ……え?」


『気に入ってもらえたようで何よりだ』


 え、いや、気に入ったも何も……何も説明を受けてないんですけども???


 試しに画面をタッチしてみると、手の中にずっしりと重い感触があった。


「―――これって」


 手の中にあったのは、日本刀だった。


 鞘に収まった状態の日本刀―――古くから幕末、そして太平洋戦争に至るまで、日本人と共に戦場にあり続けた刀剣。


 作り物などではない―――鞘から覗く刀身には、相手を斬るという目的を奪われた偽物には発しえない輝きがある。


 間違いない、これは本物だ。


『それが貴様の能力だ。その能力と共に、”二度目の人生”を楽しむと良い』


 蓄音機を止め、片手を頭上に掲げる自称”魔王”。すると唐突に私の頭上の空間が裂け―――蒼い光を放つ裂け目へと、身体が吸い込まれ始めた。


 叫びながらじたばたと暴れるけれど、航空機のエンジンのように強烈な吸引は止まらない。ふわり、と床から足が浮き上がる感覚がした頃には、視界が蒼い光に包まれていた。






『見させてもらおう。二度目の人生で、貴様が何を成すのかを』






 私の意識がはっきりとしていたのは、とりあえずそこまで。


 魔王様(仮)の、まるで何かに期待するような声が、私の―――転生前の身体が知覚した、最期の声となった。











 

※ウルミ

インドの刀剣の一種。ペラッペラの薄い刃を鞭のようにしならせ相手を切り裂く武器。非常に強力だが自滅の危険性があり、扱う側にも相応の技量を求められる。

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