足掻く者たち
クリスチーナ、と誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
誰だろうか、懐かしい声がする。
クリスチーナ、クリスチーナ、と誰かが私を呼んでいる。
瞼を開けると、懐かしい顔の人が目の前にいた。ベッドで眠る私の顔を覗き込むようにしている彼の顔には、親しげな笑みが浮かんでいる。
『お父様……?』
間違いない、お父様だ―――レオノフ家の屋敷の中で、唯一私に優しく接してくれたお父様。私を政略結婚のための駒ではなく、クリスチーナという1人の女として、自分の娘として接し、愛してくれたお父様。
何年も前にこの世を去った筈の人間が、どうしてここにいるのか。
そう言えば私は何をしていたのか、と考えると、頭の奥がずきりと痛んだ。
『いつまで寝てるんだね、起きなさい』
『え……』
『クリスチーナ、お前にはまだやるべき事がある筈だ』
そう言いながら窓の方に歩いたお父様は、カーテンをゆっくりと開いた。淡いピンク色のカーテンの向こうには雲一つない青空が広がって、空高く上った太陽が眩い光を放っている。
ピクニックにでも行きたくなる、良い天気だった。
ベッドから出ると、お父様は部屋のドアを開けた。
『お父様、私は―――』
『クリスチーナ、いいかい。お前はまだ、”こちら側”に来るには早すぎる』
肩にそっと置かれた、お父様の手。
ごつごつとしていて、手のひらには肉刺が潰れた痕がいくつもある。それだけ鍛錬に励んできたという、努力の証。
けれども、かつてその手に宿っていた筈の温もりはどこにも無かった。
ひんやりとしていて、ゾッとするほど冷たくて、まるで物言わぬ石像のよう。
そこでやっと、私は悟った。
どうしてお父様が―――死者が目の前にいるのか。
お父様の言った”こちら側”とはどういう意味なのか。
ドンドン、と部屋のドアを叩く音がして、”あたし”は後ろを振り向いた。
『ほら、お友達だよクリスチーナ』
あたし……行かなきゃ。
こんなところで、自分の心の中で、籠ってる場合じゃないもの。
行きなさい、とお父様に促され、あたしは部屋のドアに手をかけた。
呼んでいる。
みんなが。
仲間が、あたしを呼んでいる。
「モニカ、モニカ! しっかりしろ、モニカ!!」
大破した機甲鎧に駆け寄りながら無線機で呼びかけるが、しかしパイロットであるモニカからの返答はない。
くそったれ、彼女は生きてるのか……!?
機体の状態は完全に大破、もう二度と再起動は叶わないだろう。横倒しにした卵を思わせる、丸みを帯びた正面装甲は尻尾の殴打を受けて大きくひしゃげ、他の部位も攻撃を喰らった際の衝撃で装甲が破損、あるいは剥離していて、場所によっては内側のフレームが露出しているところさえある。
が、それ以上に深刻なのが背面のパワーパックの方だった。
後方へと吹っ飛ばされた衝撃でどこかが破損したらしい。スパークを発している機体のパワーパックからは、燃料であるガソリンが漏れ出ていた。
もしこれがスパークや、今にも発火しそうな機体に引火してしまったらどうなるか。中のパイロット諸共炎上し、中でモニカが生きていようと既に事切れていようと、全てを焼き尽くす結果となる。
もう一度呼びかけるが、返答はない。
機体が動く気配もない―――ならば、と俺は仰向けに倒れている機体の下に潜り込もうとするかのようにしゃがみ、腰の後ろにある装置を探した。
俺専用の初号機はあくまでも操縦機構が独特なだけで、他の構造は共通している。ならばモニカが乗っていた2号機にも存在する筈なのだ。緊急時、外部から操作して正面装甲を強制排除可能な、爆裂ボルトの点火スイッチが。
スイッチを探しながら、ちらりと後方を見た。こんな時にガノンバルドに狙われたらひとたまりもないが、しかし今の奴の注意はパヴェルやクラリス、そして爆走するヴェロキラプター6×6からTOWを撃ちまくるリーファの方を向いている。
平原のど真ん中で、まるで怪獣映画の戦闘シーンを思わせる激戦が繰り広げられていた。
今しかチャンスはない。
身体が小さい事も功を奏し、仰向けに倒れている機体とパワーパックの間に身体を潜り込ませた。どんな狭い穴にもぐいぐい入っていけるハクビシンの獣人をなめるんじゃない。
「これだ」
泥にまみれた小さな装甲カバー、そこには確かに『Сдужба(緊急時用)』と紅い文字で書かれている。
間違いないと判断するや、すぐにそれのロックを外した。中からは黄色と黒の四角い枠で縁取られた、いかにも自爆スイッチ的な感じの赤いレバーが収まっている。
今助けてやるからな、とモニカの事を思いながらレバーを引いた。
ボボボンッ、と何かが弾ける音がした。正面装甲の接続部に使用されている、内部に炸薬を内蔵した爆裂ボルトが立て続けに点火され、正面装甲が切り離されたのだ。
機甲鎧の防御力はせいぜい7.62×51mmNATO弾、あるいは7.62×54R弾の徹甲弾に完全に耐える程度。つまりは紙装甲である。
被弾の衝撃で装甲が歪み、脱出しなければならない時にパイロットが脱出できない、という事態は何としても防がなければならない。そのためにこの爆裂ボルトの強制点火スイッチが搭載されたわけだが、外に搭載されているのには理由がある。
パイロットが両手を自由に動かせる初号機ならばまだしも、2号機と3号機はパイロットが機甲鎧を”着る”ように装着するパワードスーツ方式なので、コクピット内でスイッチを操作する、というのが難しいのだ。
それに、今回のようにパイロットが気を失って内部からスイッチを操作できないというケースも考えられる。そのため、2号機と3号機の腰の後ろには強制点火スイッチを外付けしてあるのだ。
パヴェルの読みは正しかったと痛感しつつ、正面に回り込んで、接続が外れた正面装甲を両手で退かした。まるで超重量のダンベルで殴打された車のボンネットみたいに、ガノンバルドの尻尾による殴打を受けてへこんだ正面装甲。やっとの思いで装甲を排除し、コクピットの中を覗き込む。
そこに、私服姿のモニカがいた(機甲鎧にパイロットスーツは無い)。
口元からは赤い血が溢れている。攻撃を受けた際の衝撃で飛び散ったのだろう、モニターのガラス片や微細な破片がいくつか刺さっていたが、致命傷になったのはそれではない。
彼女のお腹、右脇腹の辺りに視線を落とした。先ほどまで装着されていた正面装甲、その大きくへこんだ部位とちょうど重なる辺りだ。
おそらく、あのへこんだ装甲が彼女の右脇腹の辺りに先ほどまで押し付けられていたのだろう。肋骨を何本か、それと内臓にもダメージがあるかもしれない。その証拠にモニカは何とか生きているようだったけれど、その呼吸は今にも止まってしまいそうなほど弱々しく、苦しそうだった。
「モニカ、モニカ!」
しっかりしろよ、と呼びかける。彼女の蒼い瞳がほんの数秒だけこっちを見たが、すぐに閉じそうになってしまう。
とにかく、彼女を機体から引っ張り出さなければ。いつ爆発するか分かったもんじゃない。
痛かったらごめんよ、と小さな声で言ってから、今にも炎上しそうな機甲鎧から引っ張り出す。その際にどこか痛むところを刺激してしまったようで、苦しそうなモニカに呻き声が耳元で聞こえた。
何とか彼女を機体から引っ張り出し、抱き抱えてそのまま機体から離れた。
沈黙する機甲鎧から5mくらい離れたところで、背後で閃光が煌めき、ボムンッ、と腹の底に響く爆音が聴こえた。
振り向かなくとも分かる、大破した機甲鎧が発火、それに漏れ出ていたガソリンが引火して炎上、爆発したのだ。モニカを引っ張り出すのが数秒遅れていたら、今頃俺たちはあの炎で焼かれていたのかと思うと、背筋に冷たい何かが走る。
「ミカ……ごめん……だいじな機体……こわして……ゴホッ、ゴホッ」
「大丈夫だ、無理すんな!」
弱々しいモニカの声。目立った外傷はないが、やはり肋骨と内臓へのダメージが気になる。
一刻も早くエリクサーを投与したいところだが、今の状態で回復薬を経口摂取できるかどうか……シスター・イルゼに治療魔術をかけてもらうのが一番なのだが……。
「機械や兵器はいくらでも買い直せば良い。でもモニカの命に替えは無い。とにかく、君が無事でよかった」
「はは……ッ、うれしいこと言ってくれるじゃないの……男だったら……あたし惚れちゃうかも……」
男なんですが???
などと心の中でツッコみつつ、無線機でシスター・イルゼを呼んだ。彼女は今、ヴェロキラプター6×6の荷台にTOWとリーファを乗せ、ガノンバルドの周囲を周回しながら彼女の攻撃を補助している。
対戦車ミサイルによる火力が半減するのは痛いが、致し方ない。ギルドの利益より仲間の命を、が血盟旅団の理念。優先すべきは金よりも命である。命は金では買えないのだ。
「イルゼ、イルゼ、聞こえるか」
『はい、こちらイルゼ』
「モニカが負傷した。2号機は大破、至急治療を」
『なんてこと……! 了解、すぐ向かいます!』
『パヴェルさン、悪いけド少し戦線離脱ネ!』
『あいよ! 穴は俺が埋める!』
無線でのやりとりを聞いている間に、ヴェロキラプター6×6がガノンバルドへの攻撃を中断してこっちに突っ込んできた。ちょうど俺の目の前で停車したピックアップトラックの助手席のドアを開け、抱き抱えていたモニカをそっと乗せる。
「列車まで戻って彼女に治療を。内臓を痛めてる可能性がある」
「分かりました……ミカエルさんは?」
「仲間にこんな事したクソドラゴンに一発喰らわせる。リーファ、手伝ってくれ」
「是!!」
頷きながら、荷台に据え付けてあるTOWのランチャーを外し始めるリーファ。俺も予備のミサイルの弾頭(こいつ余程バカスカ撃ったのか、あと2発しかねえ)を運び出すと、踵を返し走り出そうとする俺の上着の袖を、モニカの手が弱々しく掴んだ。
「ミカ……勝ってね……」
口元に吐血した痕を痛々しく残しながら、しかしモニカは精一杯の笑みを浮かべて送り出してくれる。
―――ああ、これで勝てる。
ヴェロキラプター6×6が離脱していくのを見送り、TOWのランチャー(あれめっちゃ重いんだがなんで平然と担いでいるのか?)を担ぐリーファと共に射撃位置へと移動。レンジファインダー付きの潜望鏡を通り出して敵との距離を測定……距離1200、けっこう近い。
「悪いな、車使えなくなっちまった」
「その時は足使うヨ、そのために足ついてるネ」
「ははっ、違いない」
全力で突っ走れば……無理か。
まあいい、やられる前にやる、これしかない。
「目標、前方のクソドラゴン。距離1200」
指示を出すよりも先に、リーファは標的へと狙いを定めていた。
モニカ救出のために攻撃から離脱した俺、シスター・イルゼ、リーファの3人分の穴を埋めるべくペースアップしたパヴェルとクラリスの攻撃は、とにかく熾烈だった。
パヴェルの操るT-14RがAPFSDSを放ち、精密な砲撃でガノンバルドの胸板に新たな風穴を穿つ。たまらず怯むガノンバルドだが、更に怒りを増大させて体勢を立て直し、戦車を踏み潰そうとする。
そのために踏み出そうとした足の指を、クラリスが例のクソデカボルトカッターで挟み込んだ。
足の指の部分をぎりぎりと締め上げていくクラリス。ビギッ、と外殻が悲鳴を上げたが、同時にクソデカボルトカッターの刀身にも亀裂が生じた。
先に砕けたのはボルトカッターの刀身だ。機甲鎧のフレームまで歪ませるほどの威力だが、さすがに飛竜の外殻、それもガノンバルド級ともなると荷が勝ち過ぎていたらしい。黒曜石を思わせる刀身の破片を宙に舞わせるが、しかしクラリスの攻撃は終わらない。
宙を舞う破片の中でひときわ大きなものを探し当てるや、それに踵落としを見舞ったのである。
彼女の脚力で加速された破片が、ドッ、と痛そうな音を立てながら、先ほどの攻撃で生じた外殻の隙間、ちょうど亀裂の部分に鋭い切っ先を潜り込ませた。硬い外殻に守られている筈の肉があっさりと引き裂かれ、ガノンバルドが悲鳴を上げる。
2人とも、こちらの意図を悟ったのだろう。切りの良いところで攻撃を中断すると、ガノンバルドから距離を取った。
「―――発射!」
バムッ、とミサイルが目を覚ます。
発射機からの誘導に従い、後端部にワイヤーを搭載したそれが、怯んだガノンバルドの巨体へと真っ直ぐに迫っていった。
咄嗟に頭を庇おうとするガノンバルドだが、しかしミサイルの飛翔速度はもはやガノンバルドの反応できる速度を超えていて―――。
ドウッ、とがノンガルドの首筋が炎に包まれた。
メタルジェットが、さながら薄い鉄板を穿つかのように、黒曜石のような外殻を穿ち新たな風穴を誕生させる。
焦げた肉片に鮮血、そして外殻の破片を撒き散らしながら、ガノンバルドが首を大きく揺らした。
これで仕留められるとは思ってはいない……相手はあの征服竜、一筋縄ではいかない相手だ。
濛々と立ち昇る黒煙の中、ゆらり、と赤く燻るような光が踊る。
煙を突き破って現れたガノンバルドは、怒りが完全に頂点に達したようだった。残された右目は血走り、身体中の外殻の繋ぎ目からは、今にも炎を噴き出しそうなほど眩く赤い光を発していて、まるで身体の中が燃えているかのよう。
「アイヤー、ありゃあ完全にブチギレネ」
「これだけやってまだ死なないのか」
『ミカ、一旦下がるぞ』
後退か、と思いながら後ろを振り向くと、既にクラリスを乗せたパヴェルの戦車が近付いてきた。俺とリーファも戦車の砲塔の上によじ登るや、パヴェルはT-14Rを急発進させ、怒り狂いながら暴れ回るガノンバルドから遠ざかっていく。
このまま戦っていても勝ち目はない―――ならば一旦距離を取り、仕切り直そうというわけだ。
確かに竜は人類からすりゃあ手の届かない相手であろう。
だが、そんな理不尽な力を相手にしても、足掻く事ができるのは人間だけだ。
だから、足掻いてみせる。
どれだけ力の差が大きくとも。
悪足搔きはまだ、終わらない。




