パヴェル
彼の運転するK750Mに乗って針葉樹の森を突き進むこと20分弱。一応は舗装されているがメンテナンスの行き届いていない旧道の先に、やがて人工物の灯りが見えてきた。照明は弱々しく点滅を不定期的に繰り返していて、いつ消えてもおかしくはない……それがまた、不安を煽る。
俺たちはこれからどうなるのだろうか。素性の知れない男について来て、本当に大丈夫なのか。死が目前に迫っていたが故に働かなかった思考が、ここに来て悪い方へ悪い方へと働き始める。が、今はただ、このパヴェルという男を信じるしかない。彼が敵ではなく、俺たちの味方であることを祈り、信じるしかなかった。
街灯の向こうに見えてきたのは……どうやら車両基地のようだった。古びた線路がいくつも連なり、その上では塗装の禿げた貨車が何両も眠りについている。もう二度と、あの中に貨物を積載して国中を走り回ることは無いのだろうと思うと、どこか悲しくなった。
誰も人のいない車両基地。その一角にあるガレージらしき空間で、パヴェルはバイクを停める。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
「助かったよ……ありがとうパヴェル」
不安と感謝の入り混じった声で礼を言うと、彼はニヤリと笑いながら返した。
「指輪の礼だ、気にすんな」
そう言いながら、首から細いチェーンで吊るした首輪を手で弄るパヴェル。あの時も思ったが、どうやら結婚指輪のようだった。指にはめるのではなく首にああやって吊るしているのは何か意味があるのだろうか。
バイクから降り、サイドカーでまだ気を失っているクラリスを抱き抱えた。
もう一度言っておくが、クラリスは決して軽くはない。そりゃあ身長183cm、男性から見ても十分に身長が(ついでにおっぱいも)デカい。超弩級、戦艦で言うなら大和型である。そのうち宇宙に飛び立ちそうなレベル……何を言ってるんだ、落ち着け。
とにかく、そんな超弩級サイズの身体に鍛え上げた筋肉や、竜人ゆえの人間よりも強靭な骨格がみっちりと詰まっているので、女性には大変失礼だけどけっこう重い。抱えて運ぶだけならば良いが、これが戦闘中ともなるとちょっと手を焼くことになりそうだ。
ともあれ、休憩もせずにここまで車を運転してくれたのだ。頑張ってくれた従者のために、俺もまた尽くさなければならない。貴族ゆえの義務の精神をちゃんと持ち合わせてるのよミカエル君は。
「俺が連れてこうか」
クラリスを抱き抱えて建物の中へ入ろうとしている俺に、パヴェルがそう言った。どこから取り出したのか、彼の手には既にウォッカの酒瓶がある。
「いや、俺の従者だ……俺が何とかするよ」
「そうかい」
建物の中には、色んなものが置かれていた。
かつてはこの車両基地の従業員たちの休憩所だったであろう部屋の中には、薄汚れたソファや一角が欠けたテーブルがあった。テーブルの上には大量のウォッカの空瓶があり、一緒に置かれた灰皿には煙草の吸殻がこれでもかというほど盛られている。
奥の方にある簡易キッチンに置かれたラジオからは、優しい曲調のラブソングが流れていた。パヴェルはそれが気に入らないのか、ウォッカの酒瓶を片手にキッチンへと向かい、ダイヤルを弄ってジャズの流れているチャンネルに変えてしまう。
「ソファに寝かせて良いぞ」
「ありがとう」
お言葉に甘えて、クラリスをそっとソファの上に寝かせた。
さて、傷の手当てをしなければ。ハンドルに思い切り頭をぶつけ、額から血が出ていた事を思い出す。彼女の蒼い前髪をそっと持ち上げ、真っ白な額にあるであろう傷口を確認しようとして―――ミカエル君は息を呑んだ。
「え?」
―――傷口が、もう塞がっている。
待て待て待て……そんな短時間で傷が塞がるものなのか?
ハッとしながら、部屋の中にある時計を見上げた。謎の冒険者たちから襲撃を受けてからまだ30分くらいしか経っていない。そのくらいであれば傷口にほんの少し瘡蓋ができ、出血はある程度止まっても良い時間ではあるとは思うのだが……。
クラリスの額には、傷があったという痕跡こそあるものの、傷口そのものは完全に塞がっているようだった。
とりあえず、ポケットからハンカチを取り出して額の血を綺麗に拭き取る。それから脈をチェックしたが、脈拍数は正常。呼吸も安定しているようで、医者に診てもらったりとか、回復アイテムの投与の必要はなさそうだった。
それにしても、一体なぜ?
クラリスには―――彼女には、不明な点が多すぎる。
遺伝子研究所で眠りについていたという事は、おそらくは滅亡前の人間たちが研究で生み出した存在なのだろう。人間の遺伝子と竜の遺伝子を組み合わせて作り上げた竜人……傷の治癒が早いのは、竜の生命力を持つが故か?
何であれ、クラリス本人の記憶が無いのだから真相は闇の中。確かめようがない。
とにかく、彼女が無事でよかった。
安堵していると、キッチンの方から戻ってきたパヴェルが、テーブルにティーカップをそっと置いた。甘酸っぱい香りと紅茶の香り。ティーカップの中身はジャム入りの紅茶なのだろう。リガロフ家では紅茶よりもコーヒーを飲む事の方が多かった。
「彼女の様子は?」
「ああ、命に別状はなさそうだ……とにかくありがとう、パヴェル」
「気にすんなって。酒を買った帰りにたまたまドンパチやってるのを見たもんでな」
ああ、だからウォッカ持ってたのか……。
「あー……そういや、名前聞いてなかったな」
「あ」
冒険者管理局で彼と出会ってから、そういえば一度もこちらの名前を名乗っていなかった事を思い出す。
「ああ、俺はミカエル。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。こっちは俺の従者のクラリス」
「ミカエル……ミカエル、なるほど。女の子なのに変わった名前を付けられたもんだな」
はい言うと思ったー!
みんなそう言うんですー! 多分あの受付嬢ズも俺の事最後まで女だと思ってたと思いますー!
「俺男だけど」
「えっ」
「男の子」
「男の娘だって?」
「ああ男の子だ」
「そうか男の娘か……知り合いにも居るわ、1人」
「マ?」
マジか……大変そうだなその人も。苦労が分かるわ。一人称をわざわざ”俺”にしたり、少しでも男だと思ってもらえるように低い声で喋ったりするけど結局は女に見られるという。俺は髪を長くしてるからなおさらだけど、これはもう諦めのようなものだ。多分短くしても”ボーイッシュな美少女”にしか見られないのよミカエル君は。
「一応こっちも名乗っておく。俺は『パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフ』。よろしく」
タクヤノヴィッチ……リキノフ?
随分と変わった名前で……ノヴォシア人っぽい名前にはなってるけど、日本人の名前がちらつくのは気のせいか。それともマジでそういう名前なのか、謎は尽きない。
「ところでパヴェル、あんたここに住んで何をやってるんだ?」
「んあ? スクラップのレストアだ。冒険者からスクラップを買い取ってレストアし、使える状態にして販売してる。元々は冒険者の副業で始めたんだが、いつの間にかこっちが本業になっちまった」
あー、だからあの時冒険者と買取価格で揉めてたのか……つーか、40000ライブルってなかなか法外な金額じゃねえか? 何を買い取るつもりだったのかは分からないが、俺たちがボリストポリで受けた依頼が5700ライブルだったことを考えると、どれだけ考えられない金額を要求されていたか分かるだろう。
「あー、こっちも聞いて良いか」
「ああ」
質問に答えてもらったんだ、今度はこっちが応える番だ。という誠実な思いでいると、パヴェルは視線を落とし、傍らに置いてあるダッフルバッグを興味深そうに見つめていた。
「それの中身、金塊か?」
「……ああ」
「やっぱり」
「何で分かった?」
「昔、金塊を盗み出す作戦に加担したことがある。そん時の経験だ」
……ん? コイツも強盗経験者?
同業者なのかと思っていると、パヴェルはウォッカを豪快に一気飲みしてから口を開く。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……実家はキリウの屋敷か」
「……喋り過ぎたか」
「諜報員を目指してるなら失格だが、冒険者ならそうでもない……昨日、屋敷が強盗に遭ったのだそうだ。盗まれたのは一族の秘宝と金塊、宝石……犯行に及んだのはリガロフ家の息子ではないかとされている」
「……」
「リガロフ家の子供は全員で4人。長女のアナスタシア、長男のジノヴィ、次女のエカテリーナに次男のマカール。公式にはそういう事になっているが、あの一族には庶子がいる。当主ステファンと、屋敷で雇っているメイドの間に生まれた忌み子が」
一体どこで調べたのか。
強盗の一件はいずれこの辺りに知れ渡ることだろうが、情報を得るのがいくら何でも早すぎる気がする。ラジオや電話が普及しているとはいえ、情報の伝達速度は前世の世界よりも遥かに遅い筈なのだ。インターネットにSNSもないのだから当たり前ではあるが。
という事は、パヴェルはそれらの情報を1人で仕入れたという事になる。
「名前は確か……ミカエル。そう、お前だな」
「……ああ」
「中身は盗んだ品か」
「……そこまで聞いてどうする? 憲兵に突き出すか?」
憲兵や当局が犯罪者に賞金を懸ける事は珍しくない。俺の首にも賞金がかかった、という話は今のところ聞いていないが……もしそうなっているというのであれば、パヴェルにとっては金になる案件が今、目の前に転がっているという事になる。
命の恩人を傷付けるのは気が引けるが……と、右手をPL-15のホルスターに近付けようとすると、パヴェルは酔いが回り始めて微かに紅くなり始めた顔に笑みを浮かべた。
「はははっ、そんなことするかよ。大方、今まで散々疎まれてきた恨みに一発かましてやったってところか。そうだろ」
何で分かるんだコイツ。もしかしてアレか、もう1人の俺か?
犯行動機まであっさりと見抜かれたんだが、もしかしてアレかい? 俺ってそんなに分かりやすい男だったりするのかい?
「そうなるとその中身は汚れた金ってわけだ。資金洗浄が必要になるな」
「ああ、だから今それをやってくれる業者を探しててだな……」
「なら俺がやってやろうか?」
「え?」
何なんだコイツ。強盗経験者で資金洗浄までできるって何者だ? いや、むしろそういった犯罪を経験しているからこそ繋がりがあると考えるべきか。
「知り合いに専門家が居る。ちょっと手数料を取られるが……」
「ああ、それで構わないよ。こっちもタダでやってもらえるとは思ってない。ただ……」
もらった紅茶を口へと運んだ。さっぱりとした味わいの紅茶に、甘さ控えめのジャムの香りが程よく混ざり合っている。おやつと一緒に飲みたくなるような、そんな味だった。
「……最大の懸念事項は、アンタを信じていいかどうか、だ」
「……だよなあ」
パヴェルが悪い奴とは思いたくない。むしろこっちを助けてくれた命の恩人でもある。
が、金を目にすると人は変わる。それを手に入れ、自らの利益にしようと平気で他人を裏切るのだ。金と力には、人間を狂わせる恐ろしい力がある。
しかもパヴェルとは出会ってまだ日が浅く、クラリスのように確信できるような信頼関係を構築しているとは言い難い。この男に信頼を寄せても良い、とはまだ思えないのだ。
資金洗浄を申し出てくれたことには感謝したいが、そのまま盗品を持ち去られる恐れがある。最悪の場合、憲兵に密告されて突き出される可能性も排除しきれない以上、ここで彼を完全に信用してしまうのも危うい。
するとパヴェルは苦笑いしながら肩をすくめた。
「でもよ、信頼関係ってのはまず一方を信用しないと始まらんぜ?」
「そうしたいのは山々だけど、俺はまだアンタを信用できない」
「そうかい。俺は早くもお前の事気に入ってるんだがな」
「……身体を?」
「それもアリだな。お前可愛いし」
「ひえっ」
両手で尻を押さえながらできるだけ距離を取る。いや、やめて。ミカエル君まだ童貞なの。初体験がこんなヒグマみたいな兄貴って嫌よ?
「嘘だ嘘、妻が居るのに他の奴に手なんか出すかよ」
「……だ、だよなあ」
そういやコイツ既婚者だった……もし襲われそうになったら奥さんにバラしてやる。年下の男の娘を押し倒したって。
「さっきも言ったように、俺はお前の事を気に入ってる。さっきの強盗の話を聞いてさらに興味が湧いた……だから先に、こっちから信頼の証を提示できる」
「……詳しく頼む」
パヴェルは立ち上がると、ついてこい、と言って部屋の奥にあるドアを開けた。気を失って眠っているクラリスの方をちらりと見てから、パヴェルの後をついていく。
もちろん、唐突な裏切りに備えてPL-15は身に着けたままだ。願わくばこれを引っ張り出すような事態に陥らなければいいのだが。
休憩所を出て、格納庫の中へ。機械油の臭いが充満する、肌寒く薄暗い格納庫の中。巨人の家なのではないかと思ってしまうほど高い天井にはクレーンがいくつかぶら下がっていて、窓の向こうに見える満月を背景に、死神の鎌のようなシルエットを浮かび上がらせている。
やがて、パヴェルは格納庫の中で眠る巨大な機関車の前で立ち止まった。
「―――お前、ノマド志望なんだろ」
「何でそれまで?」
「拠点を構えるのが目的なら事務所の購入とかを窓口に相談するだろ。でもお前はそれをせず、淡々と依頼を受けていた。管理局のカウンターに、これ見よがしに事務所購入の広告があったにもかかわらずだ」
そういえばそんなのあったな……というか、パヴェルの奴そこまで見ていたのか。
「まあいい。ノマドになるんだったら移動手段の確保が必須だ。だから俺はお前に、居住機能を兼ね備えた移動手段を提供できる。運転手とセットでな」
目の前の機関車を見つめながら、パヴェルは言った。
「ソ連製大型蒸気機関車『AA20』。馬力のある機関車を求めたソ連が生み出した化け物だ。その重さと大量の車輪のせいで線路をぶっ壊しまくった失敗作さ」
「……今なんて?」
「ソ連が生み出した化け物だ」
「その後」
「失敗作さ」
「失敗作」
え、え? 何? アレかい、失敗作に乗せて事故って俺を殺そうっていう魂胆か? そんなすっげー回りくどい作戦考えてるんですかパヴェル氏?
「あ、心配すんな。この世界の線路はクソみたいに頑丈だ、AA20が本気で走っても傷一つ付かん」
「どんな素材使ってるんだ」
「まあいい、あとは客車もある。少し改装するようだが……冒険に必要な設備も一通り揃えられる。世界各地を移動しながら冒険者をやるっていうなら悪くない話だと思うが?」
「それもそうか……いや待て、運転手は誰が?」
「俺が」
「パヴェルが?」
意外だった。いや、スクラップのレストアとかやっていたというなら、機械には強いのかもしれない。レストアした品の中に蒸気機関車も含まれているならば、動かしたことは無くとも構造は理解しているだろう。どれが何を齎すレバーなのか、どのバルブを開ければいいのか、それさえ把握していればワンチャン運転はできるのかもしれない。
「どうだ? これが俺が提示できる信頼の証だ」
「……なぜここまでする?」
「さっきも言っただろ、お前を気に入った……それだけだ」
それだけでここまで?
いや、しかし……移動手段を失い、謎の冒険者にも襲われている以上、ここは彼と手を組んだ方が良いのかもしれない。それに憲兵に見つかったら大問題になりそうなあの盗品もとっとと金に換えてしまいたい。
「……分かった、信じよう」
「契約成立ってヤツだ。よろしくな、ミカ」
「ああ、こっちこそ」
差し出された手をぎゅっと握って硬い握手を交わし―――違和感を覚える。
ぎゅっと握ったパヴェルの手。それは人間の感触ではなかった。
まるで金属で作った機械の腕を握っているような……ヒトの温もりを感じない、冷たい機械の感触だった。




