竜の力、鉄の力
「これでよし、と」
コクピット内のホルダーに取り付け、機体とケーブルで接続したスマホの画面をチェック。ミニマップを映し出すための専用ディスプレイと化したそれの画面には、地雷を埋め込んだ箇所が紅くハイライト表示されている。
こんなフリスビーみたいな金属の塊で、本当にあの巨大な飛竜を倒せるのかと疑問に思うけれど、ミカやパヴェル、クラリスたちが運用している兵器はどれもこの世界の兵器とは比べ物にならない程の威力を誇っている。もしかして、これならばあのガノンバルドすら打ち倒せるのではないか―――そんな希望まで見せてくれる。
地雷の設置を終え、所定の位置へと移動を始めた。予定通りであれば、今頃ミカ達も作戦展開地域に展開して、ガノンバルドに先制攻撃を見舞っている頃だと思う。
作戦通りにいけばいいのだけれど……。
作戦展開地域はヴァラドノ平原。平原、とは言っているけれど、平坦でどこまでも地平線を見渡せるかと言ったらそうでもない。所々に小高い丘がいくつかあって、パヴェルが乗ってる戦車とかいう兵器(トラクターに大砲を乗せている……?)も、その内の1つに身を隠しているらしい。
あたしもその中の1つに身を隠し、呼吸を整えた。緊張しているのだろう、バクバクと心臓の鼓動がどんどん大きくなっていくのが分かる。
こういう過酷な戦いへこれから突入するという時、ふとこう思ってしまう。『今頃、母上の言う通りに政略結婚に応じていればこんな緊張を感じる事は無かったのではないか』と。
情けないかもしれないけれど、強敵との戦いは確かに怖い。
けれども、それ以上に自由を求めたからこそ、あたしは今ここにいる。クリスチーナ・ペカルスカヤ・レオノヴァという貴族の女としてではなく、モニカという1人の冒険者としてここにいるのだ。
この程度の苦難、乗り越えなければ話にならない。
心の奥深くから染み出した弱い気持ちを押し込めたその時、ズン、と丘の向こうから、お腹の底に響くような重々しい爆音が響いてきた。
「始まった……」
戦いの火蓋が、切って落とされた音だった。
邪悪な竜を討つべく、2つの矢が解き放たれる。
TOWのランチャーから発射された虎の子の対戦車ミサイルが、白煙を空に刻みながらガノンバルドの背面と右側面それぞれに、炸薬のたっぷりと詰まった弾頭を叩きつける。爆炎が噴き上がるその中では、信管の目覚めと共に生じたメタルジェットがその牙をガノンバルドの外殻に突き立て、巨体から見れば小さな、しかし苦痛を伴う傷をくっきりと刻みつける。
索敵しようのない、風下からの突然の奇襲。戦いで負った傷を癒すべく、仕留めたと思われるズミールの死体を外殻諸共豪快に噛み砕いていたガノンバルドが、血肉に塗れた口を大きく開けながら天へと向かって咆哮する。
『ヴォォォォォォォォォォォォンッ!!』
生物とは思えぬ、まるで空襲警報のサイレンのような咆哮。
爆炎の中から巨大な腕が現れ、ヴァラドノ平原の大地を踏み締める。
被弾した影響なのかは不明だが、奴の黒曜石のような外殻には変化があった。
黒く艶のある、重厚な外殻。その隙間から、まるで窯の中で燻る石炭のように―――燃えるような赤い光が漏れ出し始めたのである。
―――怒っている。
獣人として生まれたからなのか、他者のそういう雰囲気の変化には敏感になったような自負がある。それは魔物が相手であっても例外ではなく、微かな気配の変化すら感じ取ってくれるから、状況の解像度が上がったような気がして便利ではある。
それはともかく―――ガノンバルドが、キレた。
無理もない、戦いで負った傷を癒すべく食事をしていたところに、問答無用で対戦車ミサイルを2発も叩き込まれたのだ。致命傷というレベルのダメージではないだろうが、人間で例えるならば食事してリフレッシュしているところに、誰かもわからぬ部外者からいきなり殴りつけられるようなもの。個人の性格にもよるだろうが、パニックになるか、唐突の暴力に怒り狂うかのどちらかが大半だろう。
ガノンバルドの気象の荒さを考慮すると、間違いなく後者であろう。
「退くぞ!」
ランチャーを瞬時に片付けていたクラリスと共に移動を開始。とにかく全力で、今出せる最高のスピードで全力疾走しながら、ちらりと後ろを見た。
怒り狂うあまり、体内から可燃性体液が過剰分泌されているのだろう。ティラノサウルスを思わせる大きな口、そこに並ぶ鋭利な牙の隙間から、よだれに混じって粘性の液体が流れ落ちている。それは地面で燃える炎(TOW着弾の際に生じたものだ)に触れるや、一気に燃え広がって、ガノンバルドの周囲をさながら地獄の業火のように包み込む。
奴の狙いはこっちだ―――頭はこっちを向き、今にも走り出そうという素振りを見せるガノンバルド。どれだけ速く走れると言っても所詮は人間の歩幅でしかない俺たちと、全長76mの飛竜の歩幅ではどちらが速いか、そんなことは考えなくても分かる。
ズン、と大地を踏み締める音の連なりが聞こえ始めたその時、俺たちの目の前へとヴェロキラプター6×6がやってきた。
「乗って!」
シスター・イルゼが運転席から身を乗り出しつつ言うよりも先に、荷台の上によじ登る。担いでいたTOWのランチャーやら予備のミサイルやらを荷台の上に置いて呼吸を整え、AKを構えた。5.56mm弾ごときで竜を倒せるとは思っちゃいないが、威嚇にはなるかもしれない。
あるいは剥き出しの眼球を狙えば……。
全力で爆走するヴェロキラプター6×6。激しく揺れる荷台から振り落とされないよう、ハクビシンの尻尾を転落防止のバーに巻き付けて身体を安定させつつ、後方から迫り来るガノンバルドを睨む。
その時だった。全力疾走していたガノンバルドが唐突に足を止めたかと思いきや、何かを吐き出す素振りを見せた。
ブレスだろうか―――しかし、いくらブレスとはいっても所詮はでっかい火炎放射器のようなもの。ましてや足を止めた状態での放射となれば、その攻撃は全力で逃げるヴェロキラプター6×6までは届くまい。
いくら人間以下の知能の竜とはいえ、そんな間抜けな攻撃をするとは思えない。ではなぜ、このタイミングでブレスを吐くことができるのか。
その疑念が、記憶の中に埋もれていた図鑑の一文を呼び起こす。
【竜のブレスのメカニズムは、体内で可燃性の液体を分泌し、それを肺から吐き出される空気と混合させつつ”圧力をかける”事で放射し―――】
―――まさか。
ホースで水を撒く時、口の部分をぎゅっと握って圧力をかけてやると、水は勢いよく遠くまで飛ぶものだ。
もし―――ブレスもそのように圧力の調整ができるのだとしたら。
ガノンバルドの頭が下を向く。大きく開いた口が勢いよく閉じられ、ガヂンッ、と巨大な岩石同士を打ち付けたような重々しい音が響いた。ガノンバルドのブレス着火の動作だ。奴は口内に発火器官を持たないので、鉱石の成分を含んだ牙をああやってこすり合わせることで火花を生じ、それで着火を行う習性がある。
バンバン、と車体を思い切り叩いた。ハッとしながらサイドミラーに視線を向けたシスター・イルゼに向かって、横に避けろとジェスチャーしながら全力で叫ぶ。
「避けろ!!」
「!!」
ギッ、とシスター・イルゼが思い切りハンドルを切った。ぐんっ、と身体が外へ投げ出されそうになるが、転落防止のバーに尻尾を巻き付けて固定していたおかげで事なきを得る。
武装の追加と簡易装甲化により重心が高くなりつつあったヴェロキラプター6×6だが、辛うじて横転せずに曲がり切る。
その直後だった―――ヒュン、と風を切る音がしたかと思いきや、背後で生じた猛烈な閃光に照らされ、目の前の地面に黒々とした影が生まれる。
「ウソだろ……?」
猛烈な閃光が収まった後、後ろを振り向いて息を飲んだ。
ガノンバルドのいる場所から一直線に、地面が深く抉れているのである。さながら、第一次世界大戦で、そして現代の戦いでもなお戦場で掘られる事のある塹壕のようではあったが、それが敵の砲火から逃れるための陣地でない事は、穴の底で燻る光を見れば明白だった。
穴の底はまるで火山のように赤く燃え、燻り、陽炎と黒煙を濛々と空へ吹き上げている。
「ご主人様、今のは……?」
「ブレスだ」
てっきり、ガノンバルドのブレスも飛竜と同じようにあの火炎放射器をスケールアップしたような感じのやつなのだとばかり思っていた。
しかし―――ブレスのメカニズムを考えてみれば、それは愚かな予測だったと痛感させられる。
ブレスを放つ時、飛竜たちは主に首の筋肉を使って、吐き出す空気と体液に圧力をかける。つまりブレス放出時の圧力の強さは、飛竜たちの首の筋肉の強さに大きく影響される。
では、ズミールよりも遥かに巨大で、全身をバッキバキの筋肉で覆われた飛竜界のマッチョマンことガノンバルドが全力で圧力をかければどうなるか。
それはもはや、単なる火炎放射などではない―――ビームだ。
大地に赤々と刻まれた線を見下ろし、息を飲んだ。
これが……これが、飛竜の本当の恐ろしさか。
太古の昔から力の象徴とされ、食物連鎖の頂点に君臨してきた絶対王者。
『ヴォォォォォォォォォォォォンッ!!』
勝ち誇ったかのように咆哮するガノンバルドを睨み、唇を嚙み締めた。
なるほど、一筋縄でいく相手ではないらしい。
ヴェロキラプター6×6が元の進路に戻り、更に速度を上げた。アクセルを目いっぱい踏んでいるのだろう、回転数を上げたエンジン音の甲高い咆哮が、ボンネット越しに聴こえてくる。
背後のガノンバルドは剛腕を振り上げ、地面を抉るような勢いで突進を再開。やはり歩幅の関係なのか、こっちは全力で走っているというのに、両者の距離はぐんぐん縮んでいく。
あと少し―――このままの状況があと10秒ちょっとでも続けば、俺たちはあの剛腕に踏み潰されて終わりだ。
ガノンバルドの目が見えた。
爬虫類を思わせる瞳。それには、数秒後には踏み潰されているであろう哀れな獲物たちの姿が映っている。
そんなガノンバルドへ、中指を立ててやった。
ジャコウネコをなめるな。
俺たちをなめるな。
―――人間を、なめるな。
ドムンッ、と唐突に地面が勢いよく爆ぜた。
何の変哲もない地面が弾け、爆炎がガノンバルドの巨体を下から突き上げる。黒曜石のような外殻をメタルジェットが突き破り、外殻の破片がいくつか宙を舞った。
『ヴォォォォォォォォォ!?』
「よしっ―――」
バカ野郎め、勢いよく地雷を踏み抜きやがって。
ブレスは予想外だったが、作戦通りに動いてくれて助かった。
最初に俺たちがTOWでガノンバルドを奇襲、奴にダメージを与えつつ注意を引いて地雷原まで誘導する。
後は地雷を踏み抜き大ダメージを受けているであろうガノンバルドを、寄ってたかってフルボッコという作戦である。シンプルだが、それ故にアレンジもしやすく効果的な作戦だ。
「モニカぁぁぁぁぁぁ!!」
『りょーかい!!』
どこかに潜伏しているであろうモニカの応答の後、更に地面が弾けた。
まるで平原の一角が崩落し、地中からマグマが噴出したかのよう。紅く滾る爆炎が瞬く間にガノンバルドの巨体を呑み込んだかと思いきや、土と石、そして今の一撃で千切れ飛んだ外殻を天高く舞い上げる。
対戦車地雷と一緒に埋め込んでいたC4爆弾やIED(即席の爆弾である)を、モニカが一斉に起爆させたのである。戦車であれば既に1個小隊丸ごと吹き飛ばせるような火力を叩きつけられ、さすがのガノンバルドも苦しそうな咆哮を発した。
爆炎の中から、傷だらけの外殻のガノンバルドが起き上がる。今の一斉起爆によるものか、左目は潰れているようで、顔には左目の周りを中心に大きな傷跡があった。
憎たらしそうに咆哮するガノンバルド。
その咆哮を―――更なる強者の咆哮が、遮った。
バムンッ、と重々しい砲声よりも早く飛来した、銛を思わせる鋭利な砲弾。それがガノンバルドの4本ある前足のうちの1本に着弾するや、外殻を砕き、それを半ばほどから切断してしまったのである。
『ゴァァァァァァァァァァァァッ!!』
やるじゃねえか、パヴェル。
にっ、と笑みを浮かべながら、砲弾の発射地点に視線を向けた。
やはりそこには―――異形の戦車の姿があった。
初弾命中。
されど撃破ならず、か。
外で何が起こっているのかは、目を瞑っていても分かった。瞼の裏側がモニターにでもなっているかのように、車外カメラの映像が視覚へと直接送られてくる。ズームインもズームアウトも、そしてサーマルも暗視モードへの切り替えも自由自在だ。
使用者の四肢切断及び身体の機械化が必須となる操縦システム―――『Rシステム』
その最初の被験者となったのが俺ってわけだ。
視覚だけじゃない。
相手を殴りつけるイメージ、あるいは明確な攻撃の意思があれば、この戦車は攻撃を放つ。全力で駆ける自分をイメージすれば、履帯はそれを実現すべくこの鋼鉄の猛獣を縦横無尽に走らせる。
脳から発せられる電気信号を拾い、兵器を直感的に動かす操縦システム。それがこのRシステムである。
問題は操縦者の手足をぶった切り、頭の中と脊髄を弄り回す事が前提となるという、倫理的な面であるが……。
それがまさか、こんな異世界で役に立つとはねぇ。
”博士”の遺した負の遺産だが、ありがたく使わせてもらうとしよう。
「見せてやるよ、ミカ―――”本当の戦争”ってやつを」
操縦席で呟き、戦車を前進させた。
思考を読み取ったエンジンが駆動、一気に回転数を限界値まで上げる。高速回転する履帯が大地を抉って巨大な轍を刻み、鋼鉄の獣が驀進を開始する。
自動装填装置が作動、次弾も弾種同じ、APFSDS。
全てが思い通りに動いてくれる事を感じながら、俺は叫んだ。
「すげえよ博士……アンタの造ったシステムは、俺の失った手足よりも自由だ!!」




