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侵略者、襲来


 広大な版図を誇るノヴォシア帝国の領土の中でも、ベラシア地方は特に魔境と言われている。


 豊富な自然に恵まれたその地域は、遥か太古の時代から手つかずの状態で残された原生林が数多く残り、その自然を守るための法律まで整備された事により、500種類以上もの絶滅危惧種の動物が生息する事で知られた、中央大陸最後の楽園とまで呼ばれている。


 しかしそれはありのままの自然―――つまりは、人類にとって都合のいいように開拓され、再構築された自然ではなく、人類が未だ食物連鎖の下層に位置していた頃の過酷な自然のまま、という事も意味していた。


 故にベラシア地方は生命の楽園でありながら、同時に食物連鎖がまかり通る太古の大地なのである。


 そういう場所だから、居住地に魔物の襲来を知らせる『観測所』の存在は欠かせない。


 マグカップに注がれた安物のコーヒーの苦みに顔をしかめながら、帝国騎士団の制服に身を包んだ観測員のマイヤー・ペテルスキー伍長は溜息をついた。随分と雑味の多いブラックコーヒー。観測所での監視任務に就いた時にはお馴染みの品だ。不味い不味いと評判のよろしくない安物のコーヒーだが、市街地外周という補給が制限される立地では贅沢も言ってはいられない。


 せめて砂糖かミルクがあれば、と無い物ねだりをする自分の弱さを律し、ペンを手に取った。


 ”本日も異常なし”……何もないのが一番である。


 ピャンスクの街の郊外、森林から孤立した場所に生える巨大な樹の幹をくり抜いて造られた、騎士団の監視所の一室。傍から見れば自然に溶け込んだお洒落な拠点に見えなくもないが、こうでもしなければたちまち飛竜などの狂暴な外敵に狙われ、観測任務など出来たものではない、というベラシア地方特有の事情もある。


 マイヤーはちらりと視線を柱時計へと向けた。あと30分もすれば交代の人員がやって来るだろう。後は引継ぎをして、ピャンスク駐屯地に報告書を提出すれば勤務時間は終了。明日は休みだから、今晩はウォッカで一杯やっても許される。そう思うと、残りの勤務時間中に何もありませんように、と祈らずにはいられない。


 しかし、そういう時に限って事件というのは起こるものである。


「伍長」


「ん」


 ベランダに備え付けられた大型の望遠鏡を覗き込んでいた部下のザルノフが、何かを見つけたような声音でマイヤーを呼んだ。どうしてこういう時に限って、と胸中で悪態をつきながらも、しかし万が一に備えてマスケットを手にしながらベランダへと向かうマイヤー。


 木の枝と葉を組み合わせて作った偽装ネットから突き出す形で設置された大型望遠鏡を覗き込んだ。もし飛竜がピャンスクに向かう素振りを見せたならば、すぐに観測所に備え付けられた信号弾を打ち上げ、遠方の観測所に通達しなければならない。それを確認した他の観測所がピャンスクの街へと知らせ、空襲警報を発令させる手筈になっている。


 しかし、今日は既に大規模な空襲があったばかり。こんなにも短い間隔スパンで空襲の予兆があるなど、今まで聞いた事もない。


 望遠鏡の向こうには確かに飛竜が見えた。ノヴォシア帝国ではポピュラーな、”ズミール”と呼ばれる種類の飛竜だ。古いノヴォシアの言葉で『ズメイの仔』を意味するその飛竜は、調教次第では飼い慣らす事もでき、騎士団の貴重な航空戦力として重宝されている一方、野生の個体は縄張り意識が強く獰猛で、度々居住地を襲撃しては人類側へ大きな被害を出している。


 だが―――今回は、様子が違った。


「……なんか怯えてないか」


 望遠鏡のレンズの向こうには、森の樹々へと向かって幾度も威嚇を繰り返す3体のズミールの姿が見えた。


 少なくともピャンスクの近辺では、あのズミールこそが食物連鎖の頂点に君臨する存在である。それがまるで子供のように怯え、森の中へ咆哮を繰り返すなど、今までに見たことが無い。


 別の個体との縄張り争いでもやって負けたのか、それとも彼ら以上の脅威となる外敵でも侵入したのか―――頭の中で考えられる可能性を列挙していくが、やがて目の前で現実となった光景は、最悪な事に後者であった。


 何の前触れもなく、樹の葉で形作られた緑の天蓋から鋭い”杭”のようなものが突き出たかと思いきや、外敵を追い払おうと咆哮を繰り返していたズミールのうちの1体を易々と貫いたのである。さながらクジラを仕留めるべく投げ放たれた銛の如く、一撃で飛竜を刺し貫いたそれが引っ込んでいくや、次は巨人のような剛腕が樹々を薙ぎ倒しながら振り払われ、怒り狂うズミールを殴打してしまう。


 ただの無造作な一撃に首の骨を折られて絶命する2体目のズミール。残る1体のズミールは勝ち目がないと判断したのか、それとも本能的に逃げるべきだと考えたのか、翼を広げて高度を上げようとする。


 しかし、踵を返し飛び去ろうとしたところで―――森の中に潜む巨大な外敵が、ついにその姿を現した。


「何だアレは」


 それは、ズミール以上に巨大な獣……いや、”竜”だった。


 巨人のような剛腕に、骨が変質したのであろう、杭のような突起を先端に持つ強靭な尾。全身を堅牢な外殻と鱗、そしてその巨体を動かすための筋肉で覆われた胴体に、そこから伸びる長い首と頭部はさながら太古に絶滅したティラノサウルスのよう。


 森林の中から姿を現した異形の竜は、後ろ脚に思い切り力を込めて跳躍。頭部から尾の先端まで70mはあろうかという巨体が、まるで走り幅跳びの選手の如くジャンプして―――恐ろしい咬合力を誇るであろうアギトで、ズミールの首筋へと喰らい付いたのである。


 ズミールが悲鳴を発したのと、その”外敵”が首の骨を噛み砕いたのは同時だった。溺れるような、喉の奥に液体を溜め込んだような濁った咆哮が聴こえたかと思いきや、その外敵は絶命したズミールを投げ飛ばし、鮮血を口から滴らせながら天へと向かって咆哮していた。


 空襲警報を知らせるサイレンのような、どこか機械的な咆哮。そして全身を覆う、磨き抜かれた黒曜石のような質感の外殻―――何よりも、あの異形。


 見間違うはずはない。マイヤーは息を飲み、その外敵にただただ畏怖していた。


 姿を現した”それ”は、まさしく異形と呼ぶにふさわしかった。70mの巨体を跳躍させてしまうほど発達した筋力に、強靭な後ろ足と巨人の腕のような前足。脇腹の辺りからは一回り小さな足が生えており、合計6本の足で地面に立っている。


 胸元からは、筋骨隆々としか表現し難いほど発達した巨体とはあまりにも不釣り合いな、小ぢんまりとした前足のようなものが伸びていた。退化したものなのだろうか。ティラノサウルスの前足を思わせるほど小さく、普段はあまり使う事が無い部位である事が分かる。


 背中には折り畳まれた翼があるが、身体に対して翼はそれほど大きくはなく、飛行は苦手としている事が窺い知れる。


 そんな特徴的な身体を持つ竜は、1種類しか存在しない。


「くそったれ、”ガノンバルド”だ」


「ガノンバルドって、まさかアイツが?」


「ああ、そうだ。間違いない……【征服竜ガノンバルド】、大自然の侵略者だ」


 これ以上ないほどの脅威の出現に、マイヤーはすぐさま観測所の奥へと走った。ポケットからライターを取り出し、それを使って観測所の奥にある大砲の火薬に着火する。


 仰角90度で固定された大砲が火を噴いた。装填されていた特注の大型信号弾が空高く打ち上げられ、他の観測所へと異常事態の発生を告げる。


 打ち上げられた信号弾が炸裂、充填されたマグネシウムの眩い輝きが、他の観測所へ正常に届く事を祈りながら、マイヤーは駆け足でベランダへと戻った。


 瞬く間に3体のズミールを絶命へ追い込んだガノンバルドは、強靭な6つの足で地面を踏み締めながら歩き始める。


 その進路上にあるのは―――辛くも飛竜の空襲をやり過ごしたばかりの、ピャンスクの街だった。












「はい、オレンジ10個ね。1000ライブルになります」


「はーいっ」


 小さなピンク色の財布から1000ライブル紙幣を取り出し、果物を売っているおばちゃんに手渡すノンナ。彼女からオレンジがどっさり入った紙袋を受け取ったノンナは、ニコニコしながら紙袋を抱え、俺の隣へとやってきた。


「えへへー、オレンジいっぱいだねー」


「今日のおやつ楽しみだなぁ」


 俺もノンナもジャコウネコ科の獣人だ(俺はビントロング、ノンナはパームシベットだ)。元になっている動物がそうであるように、俺たちも甘いものを好む。特に野菜とか果物とか、そういうやつだ。


 それはミカ姉も同じで、食卓にフルーツが並ぶといつも真っ先に手を伸ばしているし、ポケットの中にはキャンディをいつも常備している。ミカ姉はかなりの甘党のようだ。


 パヴェルから渡されたおつかいのメモを取り出して、鉛筆で購入した品に斜線を入れていく。このオレンジはデザート用。スパイスとジャガイモ、ニンジンにタマネギは買ったし、米はエルゴロドで購入した極東米がまだ残っている。


 こりゃあ今夜はカレーかな。


 パヴェルはいつも甘口と辛口を用意してくれる。ミカ姉が言うには”中辛”っていう辛さもあるらしいんだけど、パヴェルは『俺はそんな半端な辛さ認めねえ』とか言って頑なに用意しない。何故?


「ねえねえお兄ちゃん、今夜はカレーかなぁ?」


「たぶんカレーだなコレ」


「えへへー。ミカ姉たち、早く戻ってこないかなぁ」


 それはそうだ。


 飛竜狩りに行ったらしいんだよね、ミカ姉たちは。


 飛竜なんて、ミカ姉から借りた図鑑とか漫画の中でしか見たことはない。ピャンスクに到着したばかりの時は、パヴェルに言われてAKを抱え、ノンナと部屋の中で抱き合いながらお互いに震えてるだけだったけど……。


 やっぱり恐ろしいんだろうなぁ……そんな化け物に挑むんだから、冒険者ってやっぱりすごいや。


 俺も今年から見習いとして登録できる年齢になるけど、多分魔物と戦う事になったらずっと震えてそうだ。


 大丈夫かなぁ、なーんて考えながら歩いていたその時だった。


 ピャンスクの街に入ってからすぐに聞いた、あのサイレンの音が響き渡った。重々しく、お腹の底にまで響いてくるような音。本能的に危険を察知できるような禍々しい調べが、ピャンスクの街の中に響き渡る。


 それを耳にするや、道行く人々が慌てて建物の中へと逃げ込み始めた。


「お兄ちゃん、これ……!」


「また飛竜が来たのか……!? くそ、ノンナ! こっちだ!」


 手を離すな、と言いながら彼女の手を掴み、一緒に走り出した。とにかくどこか、建物の中へと逃げ込まなければ。逃げ遅れたら最後、街を襲いに来るであろう飛竜の餌食になる。


「すみません、入れてください!」


「ここはもういっぱいだ、別の場所を探せ!」


「そんな……!」


 ぴしゃり、とシャッターを閉められてしまう。他にどこか、逃げられそうな場所はないかと視線を巡らせるけれど、どの建物も既にシャッターを閉鎖した後。活気に満ちていたピャンスクの大通りはあっという間に閑散として、さながら”ごーすとたうん”のようになっている。


 どうしよう……列車に戻ろうか。


 駅の方は確か、と来た道を振り向いたその時だった。


 ピャンスクの街の向こう―――まるで空を支える柱のように屹立する巨大な樹の向こうに、巨大な影が見えた。


「な、なんだよ、あいつ……!」


 足が4つ……いや、6つもある。


 背中には折り畳まれた翼があって、頭がやけに大きい。ミカ姉からだいぶ前に教えてもらった”キョーリュー”とかいう化け物のようで、口の中にはナイフみたいに鋭い牙がいくつも生えていた。


 身体は炭みたいに真っ黒で、光が当たると光って見える程の光沢がある。ああいうの、確か”コクヨーセキ”って言うんだっけか。


 長い尻尾の先端には、鉄製の杭のような、あるいは槍の穂先みたいに尖ったものがあった。骨が変質したのか、それとも磨き抜かれた外殻がああなったのかは分からないけど、あんな尻尾を叩きつけられたら簡単にバラバラにされてしまう。


 牙の並んだ口から黒い煙のようなものを吐き出しながら、その巨人のような大きさの竜はゆっくりと、ピャンスクの街に接近してくる。


 幸い、俺たちはまだ気付かれていない―――逃げるチャンスはあった。


「走れ! 駅まで戻るぞ!」


「う、うんっ!」


 列車まで戻れば、後は何とか……!


 乗り捨てられた車の脇を通過して、階段を一気に駆け上がる。


 その時だった。サイレンの鳴り響く街の中に、今度はパトカーのサイレンの音が響き始めたんだ。最初にサイレンが鳴った時はこんな事は無かったはず、と思いながら後ろを振り向くと、いつの間にかやってきた憲兵隊のパトカーや騎士団の車が、まるであの竜の進路を塞ぐような形で展開していて、マスケットや大砲で武装した騎士たちが隊列を組んでいる。


 まさか戦うつもりなのか―――あんな化け物と。


 ゴォォォォォォォッ、と竜が吼える。


 それに抗うように、大通りに並べられた大砲が一斉に火を噴いた。


 人類と竜の戦いが、ついに始まってしまったのだ。


 お願いミカ姉……早く戻ってきて……!!





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