魔の大地の初仕事
「ただの魔境やんけ」
ベラシア地方、予想外の魔境だった。
てっきり村の近くに熊が出た時のようなノリで魔物でも出てくるのかと思ったが、あの数の飛竜を見てしまったらそんな認識も吹き飛ぶというものだ……。
都会に住んでて熊の恐ろしさに馴染みのない人に言っておくけど、熊はガチでヤバい。元岩手県民として言わせてもらうが、山に近い地域ではよく出没するのだ。これが北海道ともなればヤバさも段違いで、特に人肉の味を覚えた個体だったり、冬眠に失敗した個体ともなると危険度は更に跳ね上がる。
それ以上の修羅の大地ともなれば、悪態の一つくらいこぼしてもいいだろう。
冒険者管理局の中にある、冒険者向けの食堂の一角。注文したドラニキにサワークリームを乗せ、ナイフとフォークで手ごろな大きさに切ってから口へと運ぶ。ジャガイモを贅沢に使ったもっちもちの生地に、サワークリームの酸味が良い感じのアクセントになっていてなかなか美味い。これならばいくらでも食えそうだ。
「すみません、ドラニキを5人前……いえ10人前、おかわりを。それとヴァレニキも」
「か、かしこまりました……」
ドン引きする黒ウサギの獣人のウェイトレスを一瞥し、ちょっと苦笑いする。
一緒に注文したガルプツィ(ロールキャベツのようなものだ)にサワークリームをかけながらスマホを取り出し、パヴェルに短く『大丈夫?』とメール。するとすぐに『生きてるよ』と顔文字を添えた返信が返ってきて、とりあえず安堵する。
『ベラシアには仕事がたっぷりある』なんて最初に言い出した奴はどこのどいつだろうか。そりゃあ確かに、これだけ魔物が大量に跋扈する大地であれば冒険者も仕事に困らないだろう。
イライナも(主にヴォジャノーイのせいで)なかなかの魔境だったが、本当の魔境とは何か、というのを見せつけられたかのようだ。こりゃああっちの掲示板に貼られているであろう依頼の数々もハードなものばかりであろう。
ベラシアには原生林や太古の森林が、きわめて良好な状態で保存されている。ミリアンスク郊外にあるとされている『バルチャツカの森』だけでも、世界で絶滅危惧種とされている生物が500種類以上も生息しているのが確認されていて、まさにあらゆる生命の楽園とも言える場所である。
これだけ聞くと、動物がたくさんいる癒しの空間と思えるかもしれないが、残念ながらそれは野生動物の怖さを知らない温室育ちの発想だ。
野生動物や魔物が数多く生息する大自然という事は、すなわち人類が食物連鎖の下位に追いやられ、上位存在に怯えながら暮らさなければならないという事を意味しているからである。
案の定、ベラシアにおいて人類は……獣人たちは食物連鎖の中でも下位に位置している。先ほどの飛竜の群れの襲撃において、応戦ではなく隠れてやり過ごすという選択をしたことからもそれは窺い知れるだろう。
なかなか大変な場所だ……殉職者とかいっぱいいるんだろうな、なーんて考えていると、さっきクラリスが追加で注文したドラニキとヴァレニキ(餃子みたいな感じの料理だ)がどっさりと運ばれてきて、大きな木製のテーブルの上を埋め尽くした。
「で、ではごゆっくりどうぞ」
「じゅる」
ウチのメイドの胃袋は底なしなんだろうか。
一応言っておくが、こういう管理局と併設されている冒険者向けの食堂で提供される料理類のカロリーは、通常の料理と比較するとかなり高めとなっている。これは冒険者が、ダンジョンやら危険地帯の中で激しく動き回る事で多くのカロリーを消費している、という事を前提に、それを補うべく敢えてカロリーを高めに調整して調理しているからなのだという。
軍用食の類が総じてカロリー高めなのと似たような理由だ。軍人だって、ボディーアーマーやらバックパックやらを身に着け、戦場を走り回ったりして大量のカロリーを消費するものである。
なので、普通だったらこんなに大量に注文して食べてたらあっという間に太るし、長期的に続けていれば生活習慣病待ったなし、糖尿病や肝臓病がお部屋のドアをノックしに来る事間違いなしである。
……そのはずなんだが。
「はむっ……んー、やっぱりこれ美味しいですわ~♪」
サワークリームたっぷりのドラニキを3枚くらいフォークで串刺しにしてまとめて口へと放り込み、続けてヴァレニキにもどっぷりとサワークリームをかけてから次から次へ口に詰め込んでいくクラリス。いったいこの食事だけでどれくらいカロリーを摂取しているのだろうか。
しかもこれだけ食べて太る気配はない。クラリスのお腹は相変わらず腹筋バッキバキである。
「これだけ食べてよく太らないわねクラリス……」
「栄養全部胸にいってるヨ、間違いないネ」
「ちょ、ちょっとうらやましい……」
以前からそうだったんだが、クラリスの場合はカロリー消費が常人の何倍も激しいんだと思う。
あれだけの身体能力を発揮できるのだから、”燃費”も相応に悪いのだろう。それこそこれくらいたくさん食べてカロリーを確保しておかなければ餓死してしまうほどに。
だからなのか、クラリスは俺たちよりもちょっと体温が高い。本人曰く「38度~39度が平熱」なのだそうだ。
こういうところで、彼女が普通の人間や獣人ではなく”竜人”という種族である事を意識させられてしまう。
蜂蜜入りの紅茶で一息ついてから、みんなで食器を返却口へと戻して掲示板の前へと向かった。大きな丸太を切り出して作ったと思われるお洒落な掲示板の表面には、所狭しと依頼書がびっしり並べられている。他の冒険者の邪魔にならないよう気を付けながら手ごろな依頼書を見てみるが、どれもEランクやDランクとは思えぬものばかりで、本当にこれ初心者向けの依頼なのかと目を疑った。
【ゴブリン50体及びエルダーゴブリン3体の討伐】
【ヴォジャノーイのコロニーの殲滅】
【ハーピーの卵10個の回収】
「……あの、すいません」
「はい~」
イライナ出身のミカエル君、あまりにも困惑し過ぎてついつい受付のお姉さんを呼んでしまう。
紺色の帽子(と大きなOPPAI)を揺らしながらやってきたのは、親しげな笑みを浮かべる、笑い黒子が特徴的なハクビシンの獣人のお姉さんだった。
「どうなさいました~?」
「ええと、これ本当にEランク向けの依頼ですか?」
「Eランク向けですよぉ~」
嘘ぉ……?
な、難易度バグってない?
困惑しながらヴォジャノーイのコロニー殲滅の依頼書を見ていると、リーファが興奮した様子で1枚の依頼書を手に取った。
「ダンチョさン、ダンチョさン!!」
「ど、どうした」
「これこレ! お金の額凄いネ!!」
「へ?」
【飛竜10体の討伐】
ひ、飛竜……? いやいや、確かに道中で何体か倒したけど、あれはブローニングあってこその戦果だし……。
でも報酬60万ライブルか……1万ライブル超えの依頼がチラホラあるくらいだったイライナと比べると見返りはかなり大きい……相応に対価も大きいけれど。
「わァお金ぇ↑♪」
「ダンチョさんコレにするネ! みんな大金持ちヨ!!」
「……どーします?」
金の亡者×2はとりあえず置いといて、まだ話の通じるクラリスとシスター・イルゼに問いかけてみる。
シスター・イルゼは依頼書を手に取ると、一緒に記載されている条件を見ながら目を細めた。
「飛竜10体とありますが、見てくださいここ、この下のところ」
「?」
【※規定数以上の飛竜討伐は追加報酬の対象となる。1体につき5000ライブル】
これだけ見ればさらに稼ぐチャンスと思えるかもしれないが、こんな注意書きまでわざわざ記載しているという事は………現場はこれ以上の数の飛竜がウヨウヨいる危険地帯だという事だ。そうじゃなきゃこんな注意書きしないもんね。
これをチャンスと受け取るか、それとも危険と判断し回避する道を選ぶか。
どうする、とクラリスの方を見た。彼女はやってやると言わんばかりに胸を張り、腕に力を込めてバッキバキの筋肉を隆起させている。やる気満々らしい。
「クラリスは負けませんよっ」
ふんす、とやる気満々のクラリス。シスター・イルゼは慎重な感じだったが、苦笑いしながらも頷いたので、もうみんなの意見は決まったようなものだった。
「すいません、これ受けます」
「飛竜狩りねェ」
燃料入りのジェリカンを2つまとめて運び、どぼどぼと機甲鎧の背面にある給油口へガソリンを注ぐパヴェル。コクピット内にある計器類をチェックしつつ、燃料計の針がFullまでぐんぐん進んでいくのを確認。給油を終え、給油口のハッチが閉鎖されると、燃料計の脇にある警告ランプが静かに消灯した。
キーを回してエンジンを始動。アップデートされた新型エンジン(ブハンカ用エンジンからヴェロキラプター6×6のエンジンに換装した)の唸り声と共に、コクピット内に次々に明かりが燈っていく。
久しぶりに起動した機甲鎧の初号機。グローブ型コントローラーを手に装着し、マニピュレータの動作確認をしている俺の隣では、ルカとノンナの2人が九九式20mm機銃のドラムマガジンに20mm弾をせっせと装填している姿が見える。
「一度倒した相手だからって油断すんな、空は連中の領域だ」
「了解」
確かにそうだ、空は飛竜の領域―――この世界にはまだ、飛竜以外のまともな航空戦力が無い。
アメリア合衆国では”空を飛ぶ機械”の実験が未だに続けられていて、まだ実用化の見込みはないのだそうだ。機銃を搭載した複葉機が異世界の空を飛び回るのは、もう少し後になるのだろう。
指を1つ1つ動かして、コントローラーの中に収まる自分の指の動きをしっかりトレースしているか確認。相変わらずラグもなく、動作異常もなし。ルカたちの日々の整備に感謝である。
しばらくすると、パヴェルがクレーンを操作して、今回の作戦に使う武装ユニットを降下させてくる。吊るされたそれが左肩にあるパイロンに接続されるや、座席の前にあるミニモニターに新たな武装が追加された事を知らせるウインドウが開いた。
今しがた追加装備されたのは、頼もしい対空ミサイルランチャーだ。
米軍が冷戦中に開発した、あの有名な『スティンガー』である。
第二次世界大戦後、航空機がプロペラ機からジェット機の時代になっていくと、もう対空砲の砲手が標的を目で追って照準、炸裂弾で迎撃するという芸当は困難になっていった。理由は単純明快、相手が速くなりすぎたからである。
機動性も加速力も段違いの相手を効率よく撃墜する新たな矛として白羽の矢が立ったのは、レーダーでロックオンし標的へと誘導、撃墜するミサイル兵器だった。
その内の一つが、このスティンガーである。
歩兵携行型が最も有名で、実戦投入された戦いの1つであるアフガンの戦場では、砂漠へと殺到してくるソ連軍の戦闘ヘリをこれでバカスカ撃ち落としまくり、ソ連のパイロットたちに多くの損害とトラウマを植え付けたのだとか。
他にも車両搭載型、航空機搭載型のほか、意外な事に水上艦にも搭載例がある。さすがに射程距離は他のミサイルと比較すると劣るので、あくまでも近距離用としての用途となるが、ここまで幅広く運用されているのはその性能が優秀であるが故だろう。
俺の機甲鎧に搭載されたのは、ヘリ搭載型のものをベースに改造した4連装ランチャーだ。訓練が間に合わなかったのでマニュアルを読んだだけだが扱い方はかなり簡単だった。
グローブ型コントローラーから手を離し、座席左側のアームレストに収納されているレバー兼トリガーを展開。そうする事で機体に搭載されている火器管制システムが通常モードから対空モードへ切り替わり、ミサイルのロックオンを開始してくれる。
後は引き金を引くだけ、というわけだ。
不測の事態に備えてマニュアルも積んであるし、万一機体を放棄した際のサバイバルキットとしてカスタム済みのAK-102に飲料水、あとはお菓子も積んである。準備万端……え、お菓子は余計だって? バカ、300ライブル以内で済ませたし無罪だろ。
コクピットでチェックをしていると、タラップを登ってルカが顔を出した。
「ミカ姉、注文通り20mm弾は全弾炸裂弾にしておいたよ」
「サンキュ。他に特記事項は?」
「なし。機体は万全だし、駆動系も異常なし。ソフトウェアもアップデートしたから飛竜なんてイチコロさ」
「今夜はドラゴンのステーキだ、楽しみにしてな」
ぐっ、と親指を立てると、ルカも親指を立ててからコクピットを離れた。
搭乗用のタラップが外されたのを確認し、コクピットのハッチを閉鎖。タコメータなどのアナログな計器類が並ぶ向こう側に、頭部のメインセンサーが撮影した外の映像が映し出される。
九九式20mm機銃を拾い上げ、しっかりとロック。各部位に異常がない事を確認しているうちに、車体側面にあるハッチが開き始めた。
横へとスライドしていくハッチの向こうには、緑の天蓋で覆われたピャンスクの街が見える。樹をくり抜いて作った欺瞞の街。外から見ればお洒落だが、その実態は食物連鎖の上位者たちから逃れるための欺瞞。
これから俺たちは、その絶対王者たちに一矢報いるのだ。
例えそれが、空に中指を立てるが如き暴挙だとしても。
外で待機していた仲間たちのヴェロキラプター6×6に合流し、シフトを操作して機体を加速させていく。
確かに弱者は逃げることしかできない。
だが―――その中でも唯一、上位存在相手に足掻こうとするのが俺たち人間だ。
それを分からせてやる。




