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最南端の街、ピャンスク







 生まれ変わった先の異世界に、自由なんて無かった。






 だから俺は、仲間と共に自由を求めて旅に出た。







 




 1888年 5月


 ノヴォシア帝国北西部 ベラシア地方





 窓を開けると、煤の臭いを掻き消さんばかりの勢いで新鮮な空気が流れてくるのが分かった。


 窓の向こう、線路の周囲に広がるのは一面の森だ。俺たちの乗っているこの列車の客車よりも遥かに大きな樹々がいくつも屹立し、無数に分かれた枝と葉で頭上に天蓋を作っている。緑色の天蓋の中で煌めく木洩れ日に見守られたそこは、大自然がありのままの姿で保存された場所だった。


 巨人みたいに太い樹の根元には大きな穴があって、そこからキツネの親子が興味深そうに顔を出している。イライナからの来訪者である俺たちを歓迎しているのか、それとも異邦人を見るような警戒の目で見ているのか……どちらにせよ、俺たちはついにやってきたのだ。


 イライナ北部に位置する、”ベラシア地方”に。


 転生前の世界で言うとベラルーシにあたる場所である。かつては他の大国の侵略に翻弄された歴史を持つ国家であったが、やがて民族としての起源を同じくするノヴォシア帝国に併合され、今ではイライナと同じく帝国の一部となっている。


 とはいっても併合に際してはそんなにいざこざは無かったようで、イライナのようにバチバチに戦争やった末の併合、というわけでもなかったらしい。だからなのだろうか、帝国内でもベラシア出身者はイライナ出身者と比較すると優遇されてたりされてなかったりするんだとか。


 さて、そんなベラシア地方だが、最大の特徴は何と言ってもこの大自然だ。


 国土の大半を湿原や原生林で構成されており、イライナと同じく農業が盛んな地域とされている。特にジャガイモの生産が盛んで、その収穫量は農業大国イライナの倍以上なんだとか。


 キリウのマーケットですら、ベラシア産のジャガイモが安く売られていたと母さんも言っていた事がある。あの時作ってくれたドラニキはやたらと美味かった。


「はぁー、空気が美味しいってこういう事を言うのかしらね?」


 当たり前のようにミカエル君の部屋を訪問、その辺に読み終えたマンガのコミックを散らかしながらスナック菓子をパクついていたモニカが、窓から流れ込んでくる空気を胸いっぱいに(その小さな胸いっぱい……って言ったら怒られそうだ)吸い込んでから言う。


 まあ確かにそうだ、空気が美味い。都会のように排気ガスやら有害物質やらで空気が汚れていないからなのだろう、すっと胸の奥まで染み渡るような爽快感がある。


 しばらく窓の外を眺めていると、グリズリーが木の幹に前足の爪を押し付けて何やらガリガリやっていた。爪でも研いでいるのだろうか。その傍らではかーちゃん何やってんの、とでも言いたげな感じで2頭の子熊がきょとんとした感じで母熊を見上げている。


 なんともまあ微笑ましい風景だが、しかしバキバキと枝の折れる音と共に響いた甲高い咆哮、そして緑の天蓋を突き破って急降下してきた飛竜が、子熊の片割れを鷲掴みにして連れ去っていったのを見て、やっぱりここは良くも悪くも大自然の中なのだ、という事を痛感する。


「食物連鎖の現場を見た」


「大自然ですもの」


 自然の中では人権もクソもない。自分の命と尊厳を守りたければただ強く在らねばならず、弱者を守るルールなど一切存在しない。そんな過酷な環境こそが自然なのであって、だからこそベラシアは魔境なのである。


 子供を返せと言わんばかりに、憎々しげに母熊が天に向かって吼えるが、しかし子供を連れ去った飛竜が戻ってくる気配はない。


 俺たちもああならないように気を付けよう……。


「ベラシアすごいところネ……」


「あの様子だと、魔物の討伐依頼が数多く発注されてそうですね」


 すやすやと寝息を立てるノンナの頭を撫でながら言ったシスター・イルゼの言葉に、俺も同意する。


 ベラシアは自然大国で、故にその国土の中には未開発の土地も数多く残されている。建国以来どころか、それ以前から手つかずの原生林も数多く残されていて、環境保護の観点からそういった森林への立ち入りは厳しく制限されているものの、そのせいもあって狂暴な魔物が繁殖する温床となってしまっている一面もあるのだ。


 下手したらイライナ以上に農民は命懸けである。飛竜の襲撃に怯えながら農作物の収穫を毎日やってたら気が狂ってしまいそうだ。


 蜂蜜をたっぷりと練り込んだパンを口へと運びながら、ちらりと視線を地図へ向けた。


 エルゴロドを出発した俺たちは、既にベラシア領内に足を踏み入れている。そろそろカラピャチ川が見えてくる筈だが、そこを渡れば最南端の街『ピャンスク』はすぐそこである。


 唐突に窓の外の光量が一気に増した。頭上を覆っていた大自然の天蓋が消え失せ、視界が唐突に開ける。日の光が差し込む世界の中に見えたのは、緑で覆われた広大な平原を区切るように流れるカラピャチ川の本流だった。


 灰色に塗装された鉄橋を、チェルノボーグは悠然と進んでいく。


「あれがピャンスクかな?」


 窓から身を乗り出していると、やがて街が見えてくる。


 街、といっても、イライナにあった白レンガで造られた建物が整然と並んでいるような風景とはだいぶ違う。”街”という単語を聞いて、東京みたいな大都市だったり、京都みたいな古都をイメージしている人が大多数だろうと思うし、ミカエル君もそうであったんだけど―――鉄橋の向こうに見えるのは、そのイメージと大きくかけ離れた建築物の数々だった。


 レンガ造りの建物はいくつか見受けられるけれど、殆どが木造建築……いや、樹そのままの形であり過ぎた。


 先ほどの森で見た巨大な樹の群れがカラピャチ川の対岸に広がっているんだが、ピャンスクの建物はどうやらその巨大な樹の幹をくり抜き、それをそのまま使っているようなのだ。


 よく見ると巨大な樹の側面に窓ガラスがはめ込まれていて、その中では職人たちがせっせと服を作っている姿が見える。白を基調に、赤いラインを幾重にも散りばめたベラシアの民族衣装だ。


《ご乗車ありがとうございます。間もなくピャンスク、ピャンスクでございます。お降り口は左側です。ブレスト行き、マジル行きはお乗り換えです》


 スピーカーから聞こえてくるパヴェルの声。降り口は左側か……なーんて思っているうちに、列車は巨木の根でできたトンネルを潜り、駅のホームへと滑り込んでいった。


 ”5”と書かれたナンバープレートのレンタルホームに入った列車がゆっくりと停車する。行こうぜクラリス、と言いながら席を立ち、護身用のフリントロックピストルとMP17、それから魔術の触媒でもある慈悲の剣を身に着けて客車の外へと向かう。


 客車のドアを開けてホームに降りた。よほど木材が豊富な地域なようで、駅のホームまで木材で造られている。周囲で豊富に採取できる木材を使うのは良い事だが、コレもし火事とかになったら大丈夫なのだろうか。あっという間に延焼しそうなのだが……。


 駅の線路を跨ぐ通路を通り抜け、改札口で冒険者バッジを提示。制服に身を包んだシマリスの獣人の駅員は笑みを浮かべると、「ようこそベラシアへ」と俺たちを歓迎してくれた。


 改札口の外にある売店の隣には手芸店もあるようで、民族衣装や可愛らしいポーチ、ぬいぐるみの他に、豊富な木材を使って作ったと思われる時計や子供向けの玩具まで並んでいた。


 なんだか、心温まる風景だ……なんだろう、上手く言語化できないけれど、のどかな田舎にやってきたような安心感がある。


 駅を出ると、目の前には巨大な樹の中をくり抜いて造られた建物がいくつも立ち並ぶ街……いや、森が広がっていた。板を敷き詰めた車道の上を、車体後部にボイラーらしきものを乗せた車が走っていくのが見える。


 おそらくあれはガソリンエンジンではなく、蒸気機関を搭載した車なのだろう。


 転生前の世界ではガソリンエンジンを使った車が隆盛を極め、環境に配慮した電気自動車も普及が始まっていたので、そういうのに見慣れた身からすると異質なものに見えてしまう。けれども自動車の歴史を遡って見てみると、黎明期には蒸気機関を搭載した車というのもまた存在したのだという。


 そうじゃなくても、太平洋戦争末期の日本国内でもそういう車が走っていたという記録がある。資源に乏しく劣勢に転じた日本にとって、ガソリンはさぞ貴重品だったのだろう……重油が無くて戦艦が出撃させられない、という厳しい燃料事情もあったらしいし。


 おっといかんいかん、話が脱線した。


「あら、美味しそうな香りが」


「相変わらず鼻が利くなぁクラリスは」


「じゅる」


 よだれよだれ。


 たぶん匂いの発生源は車道の向こうにある売店だろう。カウンターの奥の方にある厨房で、アライグマの店主がドラニキを焼いているのだ。


「ジャガイモでしょうか……?」


「あれはドラニキだよ」


「ドラニキ?」


「ジャガイモを摩り下ろして焼いた料理。パンケーキみたいな感じかな。サワークリームをつけて食べるんだ」


「へぇー。ミカって詳しいのね」


「いや、小さい頃母さんが何度か作ってくれたんだよ。クラリスと会う前だったかな」


 ちなみに、転生前の世界にもドラニキは存在する。ベラルーシの料理なので気になった人はぜひ調べてみてほしい。


 さてさて、そんなベラシアでは主食とまで言われているドラニキの香りに胃袋を刺激されたクラリスが売店をスルーする筈もない。ぐっ、とミカエル君の小さな手を握るや、車道の反対側を指差しながら笑みを浮かべた。


「行きましょうご主人様」


「はいはい、そう言うと思ったよ」


 さっき飯食べたばかりなんだけどね……でもまあ、本場のドラニキだし食べてみるのも悪くないかもしれない。


 さてさてお値段はいくらでしょ、と財布に手を伸ばしながら横断歩道を探していると、唐突に聞き慣れない警報がピャンスクの街中に響き渡った。


 重々しく、腹の底を揺るがすような警報音。外敵の襲来を知らせるようなサイレンに、通行人の人々はハッとしたような表情で走り出す。


「え、ちょ、何よコレ!?」


「ご主人様!」


「ドラニキは諦めた方がよさそうだな……」


 車道の向こうの売店も、あっという間にシャッターを閉めてしまった。とにかく、このサイレンが鳴りやんで安全が確保できるまでは諦めるべきだろう。


 それにしても、このサイレンは何なのか。周りの人に合わせて建物の中へと駆け込み、周囲の様子を伺う。


 俺たちが全員建物の中に入ったのを確認したのか、管理局の職員(どうやら偶然にも冒険者管理局に逃げ込んだらしい)がすぐに建物のシャッターを閉鎖し、ロックをかけた。


「……ようお嬢ちゃん、余所者かい?」


 不慣れな、それでいて周囲を伺うような素振りからそう判断したのだろう。腰にフレイルを下げた狼の獣人の冒険者が、熟練者の風格を放ちながら声をかけてきた。


「ええ。この警報はいったい?」


「空襲警報さ」


「空襲警報?」


 見な、と窓の外を指差す冒険者。言われた通りに視線を窓の外へと向けると、樹の枝と葉で覆われた天然の天蓋を突き破って、赤黒い鱗と外殻で覆われた飛竜の群れが地上へと急降下してきたのが見えた。


 なるほど、空襲警報とはこの事か。


 森の中でも熊が飛竜に襲われた光景を見たが、飛竜にとっての獲物は熊だけに留まらないというのが道理だ。それは獣人たちにも及ぶのだろう。


 少なくともこの世界においては、人類は食物連鎖の頂点には居ない。


「迎撃しないの?」


「迎撃できる規模だったらやってるさ」


 どういう事だ、と思いながら空を見ていると、信じられない光景が一瞬ばかり映った。


 大型の飛竜が樹の枝をへし折って地上へと降りて来たその瞬間―――飛竜の大編隊に埋め尽くされた空が、確かに見えたのである。


 300体以上は居るだろうか。空を埋め尽くさんばかりの飛竜の群れが、ピャンスク上空を旋回して獲物を探しているのである。


 なるほど、確かに1体や2体程度であれば迎撃できる数である。が、生態系の中でも上位に位置する飛竜があれほどの群れを形成するとなると、迎撃するよりは隠れ潜む方が得策だ。


 もしかして、こうやって樹をくり抜いて建物とした理由は、単純にデザインがおしゃれだからという理由以外にも、人工物と思えない外見にする事によって飛竜たちの目をごまかす、という欺瞞目的もあるのかもしれない。


 そう思うとなかなか考えられているな、と感心させられる。


 やがて獲物が居ないと判断したのか、飛竜たちは威圧するように咆哮してから、再び空へと戻っていった。


「……ベラシアの人って、毎日こんな生活してるんですか?」


「おうよ。おかげで魔物やら飛竜の討伐依頼は山のようにある」


 なるほどね……”ベラシアには仕事がある”っていうのはそういう事か。


「ベラシアにようこそ、同志」


 ぽん、と肩を軽く叩いてきたその冒険者の胸元にあるバッジを見て、俺は訝しんだ。


 冒険者バッジの隣には……金槌と鎌が交差したデザインの、いかにも赤いバッジがあった。




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