別れ、旅立ち、新天地
「なんだよ、もう行くのか?」
「ええ、役目は果たしましたし……長居してたら、父上になんか言われそうですからね」
朝日を浴びながら荷物を後部座席へと押し込んで、俺はそう答えた。
昨日の夕飯はね、それはもう色々とアレだった。ジノヴィとアナスタシア姉さんの2人は優雅にワインなんて飲んでたんだけど、段々と酔いが回ってきてウォッカの飲み比べが始まってしまってもう、ね……何と言いますか、ノリがもう会社の飲み会と言いますか。
とはいえ久々の故郷の味……と言いたいところだが、ミカエル君にとっての故郷の味は母さんの手料理と黒パン、それからスラムの近くの露店で売ってたピャンセくらいのものだ。もちろん美味しかったし、戻ってきた時はまた行きたいものではあるが。
それにしても、イライナやノヴォシア、ベラシアでは当たり前のようにマヨネーズを使って料理を作る。付け合わせのサラダにも、スープにも、一見すると普通の焼いた鶏肉や揚げ物にだってマヨネーズを使う。
どのくらいの頻度かというと、日本人が料理で醤油や味噌を使う頻度で、だ。
つまり何が言いたいかというと、ノヴォシア人は皆生まれながらにマヨラーなのである(偏見)。
一応言っておくが、ミカエル君はマヨラーではないのでマヨネーズを直接食べたりはしない。ノヴォシアのマヨネーズは日本のマヨネーズと比べると酸っぱいのよね……。
ガソリンの入ったジェリカンを給油口にぶち込んで給油を終え、空になったそれのキャップをしっかりと閉めてから荷台に固定する。エルゴロドからキリウまでノンストップで燃料の3分の2を消費……まあ、距離的に仕方がないだろう。ここからさらにエルゴロドまで戻る事になるのだが、燃料はまあ、足りる筈だ。
ヴェロキラプター6×6の運転席へと乗り込み、出発の準備をするクラリス。俺も助手席へと乗り込む前に、くるりと後ろを振り向いた。
見送りに来てくれたのはマカールとエカテリーナ姉さんの2人だけ。本当だったらジノヴィとアナスタシア姉さんも来る予定だったらしいのだが、その……昨晩あんなにウォッカを割らずにそのまま飲みまくってたらそりゃあね、二日酔いは確定コースだよね。
というわけで、見送りに来てくれたのはアルコールの魔の手から(年齢的な理由で)逃れたマカールとエカテリーナ姉さんのみ、というわけだ。バカ兄とバカ姉は今頃キリウの屋敷で頭痛に苛まれている事だろう。
アルコールは程々に……。
「寂しくなるなぁ、ミカ。ベラシアに行くんだろ」
「ええ、向こうには仕事がたくさんあるようですからね。冒険者として行かない手はないですよ」
冒険者には月給とか失業保険とか、そんなものはない。自分がどれだけ依頼を成功させ、あるいは廃品を回収し金に換えたか。要は”いくら稼いだか”で全てが決まるシビアな世界なのだ。まさに資本主義、実力主義の極致とも言えよう。
そういう過酷な競争社会だから、仕事は常に貪欲に追い求めていなければならない。今日は豪勢な食事にありつけても、明日は、明後日は、来週はどうなるかも分からないのだから。
もしかしたら、仲間たちと囲む食卓が最後の晩餐になるかもしれない―――そんな極限の緊張感の中、しかしヒトは一攫千金を求めて仕事をこなす。これが冒険者にとっての日常である。
そして各地を転々とする冒険者は特に、毎日が激戦である。
けれども、そんな日常の中で死ぬつもりはない。
「兄上、そして姉上も……どうかお元気で」
「お前もな。また飯食いに行こうぜ」
「ミカ、気を付けてね」
心配そうな顔をしながら、エカテリーナ姉さんはミカエル君の手をぎゅっと握った。ハクビシンの肉球がある掌が、彼女の大きな掌と温もりに包まれる。
バートリー家の一件―――兄上たちが『バートリー事件』と呼んだ今回の一件は、思ったよりも早く終息へと向かった。外交ルートから黒魔術に関する秘密を暴露されたバートリー家はすぐさま憲兵隊による捜索が行われ、当主であるエリザベート・バートリーを含む使用人全員が拘束されたのだという。
その中でも黒魔術に関する情報を知りつつも隠匿を続けた使用人に関しては問答無用で死罪が言い渡され、貴族特権を持つエリザベートにはニレージュバルザ城への永久幽閉が執行されたのだそうだ。
こうしてハンガリア王国はノヴォシアに対して自国の潔白を証明し、両国の関係悪化は回避された……いくらかの流血と、1人の女の心の傷を対価にして。
この一件で負った傷は、きっと姉さんの心から消える事はないだろう。罪人に押される焼き印のように、永久に心の奥深くに残り続ける筈だ。
それでも何とか、どうか強く生きてほしいと切に願う。
確証はなく、あくまでも可能性の話だけど、不幸があれば幸せだってきっと訪れる筈だから。
生きる事を諦めるという事は、その可能性を放棄する事に他ならないのだから。
ぎゅっと姉さんの手を握り返し、笑みを浮かべた。
小さい頃、自分の出生を何となく察し、あの屋敷の部屋が自分の世界の全てだったあの頃と比べると、随分と姉さんの手は小さくなった。昔はもっと大きくて、柔らかくて、暖かくて、全てを包み込む優しさがあった。
いつかはあの温もりが、再び姉さんに宿りますように―――願いを込めながらぎゅっと手を握り、静かに放す。
「姉さんの事は心配すんな。俺の目が黒いうちは変な男のところには絶対嫁がせねえ」
「うふふっ。よろしくね、マカール」
みんな大好きだからな、エカテリーナ姉さんの事。
もちろんミカエル君もだ。
「本当にありがとう、ミカ。貴方は私の命の恩人よ」
「それを言わせたら、姉上だって俺にとって命の恩人ですよ。幼少の頃、姉上が優しく接してくれなかったら……」
だから、恩を返した。
何年経とうと、やってもらったことは絶対に忘れない。
「では、俺たちはこれで」
「うん、行ってらっしゃい。もしキリウに戻ったら、土産話を聞かせてね」
「ええ。楽しみにしててください」
姉さんにウインクしてから、ヴェロキラプター6×6の助手席に乗り込んだ。ミカエル君には大きな座席に腰を下ろし、シートベルトをしっかりと装着してから窓を開け、外にいる姉さんとマカールに向かって手を振る。
「さあ、参りますわよ」
サイドブレーキを倒し、アクセルを踏み込んだクラリス。
腹いっぱいになるまでガソリンを補充したヴェロキラプター6×6が目を覚ました。6つの巨大なオフロードタイヤがキリウの石畳を踏み締め、鋼鉄の猛牛を思わせる巨大な車体を前へ前へと加速させていく。
鈍重そうな見た目とは裏腹に、パワフルなエンジンが提供する動力によって、アメリカ製のピックアップトラックは順調に加速していった。
見送りに来てくれた2人の姿が大通りの向こうに消えるまで、俺は手を振り続けた。
ウインカーを出して左折、赤へと変わりかけの信号を一気に突っ切って、10分もしないうちにキリウの街並みがはるか後方へと去っていった。
踏切を通過したところで、カーラジオのスイッチに手を伸ばす。さてさて何か音楽でもやってませんかねとチャンネルを回してみるが、どれもこれもニュースだったり軍歌だったり。こういう後味の悪い事件の後はさ、もっとこう、甘々なラブソングとか聞きたいよね。聞きたくない?
糖分は経口摂取だけで摂取できるわけではない。耳からもまた摂取できるのだ……知らんけど。
「それにしても、これでステファン様は懲りたでしょうか?」
「さあな……まあ、兄上や姉上もこれでガードが固くなっただろうし、二度と同じ事は起こさせんさ」
そういえばクソ親父はというと、あのクソ野郎を思い出すだけで不快だけどみんな気になってるだろうから少し触れておく。エカテリーナ姉さんがそんな目に遭っていたという事がかなりショックだったようで、しばらく部屋に閉じ籠ったままなのだそうだ。ちゃんと食事はしているらしいが、かなーり元気がなかったんだとか。
まあ、これで懲りただろう……そうじゃなきゃ、姉上にもう一発ぶん殴ってもらうか。
姉上曰く『暴力こそ馬鹿への特効薬』なのだそうだ。うん、脳筋。
ともあれ、これで全て終わった……俺たちもまた、日常に戻るとしよう。
安心したら眠気が襲ってきて、口からあくびが漏れた。ちょっと寝ようかなと思って座席を倒していると、何をトチ狂ったかクラリスは再び数十メートル進めば渡れる橋をスルーしてピックアップトラックで強引に渡河。シャーシをびしょ濡れにしながら対岸に乗り上げるや、そのまま土手を上りつつ加速して大ジャンプ。普通の運転ならば決して生じえない浮遊感に、ミカエル君の眠気も遥か彼方へ吹っ飛んだ。
「クラリスさぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」
ごめんクラリス。
こんなオチいらない。
「 ナ ニ コ レ ぇ 」
泥だらけ、びしょ濡れ、草まみれのヴェロキラプター6×6を一目見たパヴェルの第一声がそれだった。
そりゃあもう、道路を無視して河を渡るわ泥濘を強引に突破するわ、挙句の果てにはショートカットできるからという理由で公道を外れオフロードを攻めるわで、せっかくの新車がまるで一仕事終えた戦車みたいな貫録を放っている。
崖を飛び越え、森を突っ切ってエルゴロドまで戻ってきたわけだから、道中で轢き殺した魔物の数は1体や2体ではない。さっきトイレ休憩で道中の集落に寄ってもらった時なんか、荷台に撥ね飛ばしたゴブリンの死体が2、3体乗っていて心臓が止まるかと思った。
「飛ばしました!」
「免停」
「ご主人様!?」
ふんす、と胸を張るクラリスにぴしゃりと言いながら、ちらりとセロたちの方を見た。ランドクルーザー70にはまたまた大量の物資が積み込まれていて、後部座席にいつも座っているというマルガレーテが「え、こんなにいっぱい……!?」ってちょっと困惑している。
「ミカ、本当にいいのか? こんなに貰って……」
手にしたスマホ(パヴェルお手製のやつだ)の画面を見ながら、セロが困惑したように言う。
例の報酬の件だろう……彼女のおかげで、エカテリーナ姉さんは死なずに済んだ。失った命は買い戻せないが、命を失わないために”投資”する事は出来るのだ。そしてその投資に見合う……いや、それ以上の働きをしてくれたセロに、成果に見合う対価を支払うのもまた当然である。
「おかげで姉さんが助かった。そのお礼だよ」
「でもお前、こんなに払ったらお前の金が……」
「いいんだ、金なんてまた稼げばいい。ベラシアには仕事もあるし、腐敗した貴族もたくさんいるだろうし……悪人から”徴税”する分には良心は痛まんよ」
「お、おう……」
ちょっと困惑したセロだったが、すぐにいつも通りの表情に戻った。
「それじゃ、次はベラシアで会おう」
「ああ。いい仕事あったらこっちにも回してくれよ」
「分かってるって。ダンジョンで競争相手として出くわさない事を願うよ」
そりゃあそうだ……ダンジョン内では、他の冒険者は競争相手に他ならない。
セロたちとガチで戦うなんて、考えたくもない。彼女たちとは末永く良好な関係でいたいものだ。
「それじゃあ、また」
「ああ、気をつけてな」
ランドクルーザーに乗り込んでエンジンをかけると、制御室にいたルカが手元のレバーを操作した。警報灯が黄色く点滅し、格納庫のハッチがゆっくりと下へ降りていく。解放されたハッチが固定されたのを確認してから、運転席に座るセロがまるでこれから空母から飛び立つ戦闘機のパイロットのように、俺たちに親指を立てた。
頷いてから親指を立て、走り出したランドクルーザーの後ろ姿を見送る。一旦線路に出たランドクルーザーのテールランプが、やがて駅の近くの踏切から道路に出て見えなくなるところまで見送ってから、俺は仲間たちを振り向く。
「さて、俺たちも行こうか。パヴェル、石炭の補充は?」
「済んでるよ。機関車も異常個所無し、蒸気配管や水管の点検も万全だ。いつでもいけるぜ、指揮官」
命令をくれ指揮官、と言いながら葉巻に火をつけるパヴェル。一緒にキリウから戻ってきたクラリスと顔を見合わせて頷いてから、血盟旅団団長として命令を下す。
「よーし出発だ。目標はベラシア地方”ミリアンスク”! 血盟旅団、前進!!」
黄金の絨毯が、春の風に揺れる。
優しく撫でるように吹き抜けていく、暖かくも少し冷たいイライナの風。畑を埋め尽くす麦と、空に広がる蒼のコントラスト。イライナのシンボルでもあるこの風景も、しばらくは見納めだ。
生まれ育ったイライナの地を離れ、これから俺たちはベラシアへと向かう。
良質な自然が残された地域だと聞いているが―――そこにはいったい、どんな仕事が待ち受けているのだろうか。そしていったい、どんな出会いがあるのだろうか。
困難もたくさんあるだろうが―――今の俺は、1人ではない。
仲間と一緒なら、どんな逆境だろうと乗り越えて行けるはずだ。
さあ、行こう。
まだ知らぬ世界を、見に行こう。
第十章『血の花嫁』 完
第十一章『ベラシアの大地』へ続く
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