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右の拳を握り締めながら


「大佐、こちらの書類にサインを」


「うむ」


「大佐、来週の第六即応部隊との演習の件ですが」


「うむ」


「大佐」


「大佐」


 こんな感じのやり取りを部下たちと繰り返してもう何時間になるのだろうか。そろそろ宿舎に戻って休みたいというのに、机の上の書類の山といったら減る気配が無い。というか、内容に目を通して署名して、それを上の部署に持っていく度に減るどころか増えているように見えてしまうのは、私の目が疲れているからなのだろうか? そうなのだろう?


 こりゃあ徹夜だな、と副官のヴォロディミルが呟いたせいで、私も肩が一気に重くなるのを感じた。


 私と同じくイライナ地方のキリウ出身で、平民の身分でありながら剣の腕一本で私の副官にまで上り詰めたこの男は、数ある帝国騎士団特殊部隊”ストレリツィ”の中でも屈指の実力者と断言していい。


 無論、精神力も並外れている。滅多な事では弱音を吐かないヴォロディミルだが、正直言って苛酷な行軍よりもこの書類の山の方がキツイ、という感想には同意しよう。


「お茶、淹れてきましょうか」


「ああ、頼む」


 席から立ち上がり、給湯室の方へと向かうヴォロディミル。確かに少々根を詰めすぎたかもしれない、ここらへんで少し休んでおくか。


 背伸びをしていると、自然とあくびが口から漏れた。


 ちらりと窓の外を見る。先ほどまで血のように紅く禍々しい月が見えていたのだが、西側を中心に広がる雷雲に覆われていて、雲の切れ目からはうっすらと紅く照らされた星くらいしか見えない。


 そういえば、エカテリーナは幸せに暮らしているだろうか。


 私の妹、エカテリーナ―――誰にでも優しく、そして誰からも愛された女。幼い頃から慈悲の心を捨てずに育った彼女はやがてハンガリアの貴族、バートリー家の長男であるイシュトヴァーンに見初められ、イライナからハンガリアの地へと渡った。


 彼女の結婚式に私も参加したかったのだが、よりにもよって帝国騎士団の大演習の期間中とあっては出席するわけにもいかず、事前に代理人に依頼し祝電を送ってもらう事くらいしかできなかった。


 エカテリーナの花嫁姿をぜひ一度目にしたかったのだが……。


 彼女から送られ、結局は参加の叶わなかった結婚式の招待状は、今もこの机の引き出しの中で眠っている。


 出席できなかったのは私だけではない。


 弟のジノヴィは大貴族の内偵捜査中、マカールはノヴォシア方面の憲兵隊との合同演習に麻薬カルテルの摘発と、ノヴォシア各地を飛び回っているようだった。ジノヴィの奴は放っておいても出世するだろうが、マカールがここまで出世してきたのは正直意外だった。せいぜい地方の中間管理職に落ち着くかと思ったら、これまでの犯人摘発の実績を買われて大出世である。


 まあ、どうせミカの奴が”獲物”を提供していたのだろうが。


 出席したのは父上と母上だけか……。


 ちらりと脇にあるゴミ箱の中に視線を移す。中身はまあ色々入ってるが、最近のではビリビリに破かれた父上からの手紙が最も新しい。


 『結婚まだ?(意訳)』という内容の手紙だったのだが、相手をもう見つけていたら苦労はしない。


 個人的に気に入っているのは副官のヴォロディミルだが、父上は許しはしないだろう……ヴォロディミルは平民出身、キリウ郊外の農村からここまで這い上がってきた努力家だと聞いている。私の最も好むタイプの人間だが、父上からすれば貴族ですらない男という時点で論外であろう。


 なるほど、ミカが実家のしがらみを嫌い旅に出た理由も頷ける。貴族の女として、それも次期家督継承候補筆頭という立場である以上覚悟はしていたが、権力回復に取り付かれたウチのクソ親父はかなりウザい。


 うっかり気を抜いたら無意識のうちに私の右ストレートが火を噴きそうなレベルでだ……まったく、私はともかく弟妹たちが本当にあの父親の子供たちなのかと首を傾げたくなる。特にエカテリーナは、何をどう間違ったらあんなに良い子に育つのだろうか。


「お待たせしました大佐」


「ああ、ありがとうヴォロディミル」


 彼から紅茶を受け取り、角砂糖をさっそく8個……いや、今日は仕事を頑張ってるし、明日頑張れば休日だからちょっとご褒美という事で10個にしよう。どうせ摂取した分のカロリーは訓練ですぐ溶けるのだ、糖分の摂りすぎがなんだというのか。


 景気付けだ、今日はジャムも入れてやろう……とスプーンでジャムを掬っていると、紅茶を飲む時はストレート派のヴォロディミルが「ウッソやろお前……?」みたいな目でこっちを見てきたので、思い切りウインクしてやった。


 うむ、良い香りだ。イライナ産の茶葉が発する深い香りにジャムのフルーティーなアレがブレンドされて何ともまあはらしょーである。とうぶんをまえにするとあいきゅーがさがるんだ、ゆるしてくれ。


 スリープモードに入りそうな脳に糖分を補充してやっていると、窓口で勤務している筈のアレーナがドアをノックしてから執務室へとやってきた。


「遅くに失礼します、リガロヴァ大佐」


「ん、どうした?」


「その……”ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ”を名乗る女の子からお電話が」


「む」


 ティーカップを傾けながら電話をくれ、とジェスチャーすると、アレーナが手に持ったトレイの上の電話から受話器を取り、私の手に渡してくれた。


「もしもし」


『姉上、お久しぶりです。ミカエルです』


「久しいな、ミカ。こんな時間に何の用だ、私は忙しい」


『姉上……エカテリーナ姉さんの件で。周囲に人は?』


「……」


 何やら拙い話らしい。


 すまんが1人にしてくれ、とヴォロディミルに視線を送ると、彼は頷いてからアレーナを連れて執務室を出て行ってくれた。なんともまあ、察しの良い副官だ。彼は本当に気に入っている。


「いない。話せ」


『単刀直入にお伝えします。イシュトヴァーンが、エカテリーナ姉さんを殺そうとしていました』


「……なに?」


 なんだと? 結婚式を挙げてからまだ一週間も経っていないというのに、早くもお互いを憎しみ合う段階に突入したのか?


 そんなドロドロした夫婦事情を思わず想像してしまったが、しかし誰からも愛されるエカテリーナが、私の妹が恨まれるような事などあるのだろうか? 彼女に限ってそんな事は有り得ない。


「どういうことだ」


『バートリー家は黒魔術の信奉者でした。紅い月が昇る”災禍の紅月”、ご存じですよね?』


「災禍の紅月……一年に一度訪れる、紅い月が昇る夜か」


 その血のように紅い月は既に、雷雲に覆われて姿を消しつつある。


 何故あの紅い月が昇るかは不明だ。宇宙空間に漂う物質の関係だとか、大気圏外に放出された魔力が影響している等といった科学的な説から、世界中で命を落とした人間たちの怨念が月を紅く染めているのだ、というオカルトじみた説まで幅広い。


 しかしあの月はただ単に禍々しいだけではない。”パラケルスス軌道”という、地球に最も接近する瞬間のみに限られるが―――その時間帯のみ、黒魔術による悪魔召喚といった芸当が可能になるのだそうだ。


 故に普通の魔術師たちからすれば忌むべき夜であり、黒魔術の信奉者からすれば願望を現実とする夜なのである。


 よもやエカテリーナの嫁ぎ先が黒魔術の信奉者だとは……父上は一体何を調べていたのか?


『バートリー家の現当主、エリザベート・バートリーは姉上を生贄とし、永遠の美しさを得ようとしていたらしい……何ともまあチープな野望ですが、証拠もあります。エカテリーナ姉さんの証言もあれば法務省も動くでしょう』


「……エカテリーナは無事か」


『ええ、傷一つありません。現地の仲間に依頼し救出を支援してもらいました』


「ならば良い……しかしな、ミカ。今回の一件はマカールに勲章をくれてやっていたような国内での問題とはわけが違う。国境を跨いだ問題だ。確かに法務省は動くだろうが、連中を捌くには外交ルートを通じて正式に申し入れなければ」


『それなら兄上が上手くやってくれるでしょう。この後兄上にも連絡し、証拠の品を送付する予定です』


「……うむ、そうしてくれ。私も出来る事ならば何でもする」


『感謝します』


「それで、私に電話をかけてきたという事は……目的はこの一件の周知だけではあるまい?」


 もし仮に、外交ルートを通じた申し入れとなれば私よりもジノヴィに先に連絡して然るべきだろう。大貴族の逮捕権限を持つ、貴族犯罪捜査のスペシャリスト―――最近ではその容赦のなさから”氷の処刑人”という二つ名までついたそうだ。


 真っ先に私に連絡が来たという事は、他に目的があるという事だろう。


 一応言っておくが、私に貴族の逮捕権限は無い。あくまでも帝国騎士団の特殊部隊であり、有事の際には前線に送り込まれるだろうが、貴族の摘発といった仕事はあくまでも法務省の管轄になる。


 では、今回のような特権を持つ貴族の犯罪に対する捜査権もない私になぜこんな話をしたのか―――何となくだが、理由は推察できる。


『エカテリーナ姉さんが―――我々の大切な姉弟が命の危険に晒されたのです。なぜあのような貴族の元へ嫁がせたのか……一度、父上から詳しくお話を聞いてみるべきでは?』


 ああ、かなり怒ってるな、という事ははっきりと伝わってきた。


 貴族らしい、敬語というベールに包まれてはいるが、その本質は報復を望む心であろう。エカテリーナをよくも、という気持ちは私にもあるし、出来る事ならばハンガリアへと今すぐ飛んで、そのバートリー家の連中の首を刎ねてやりたい。


 しかしそれは向こうの憲兵隊の仕事。私たちが罰することのできる人間は、キリウに居る両親のみ。


 確かにそうだ……色々と”話”を聞いておくべきだろう。


 バートリー家の連中の本性を知らずに嫁がせてしまったというならば、まだ話は分かる。娘の命を危険に晒した事に変わりはないが、まだ辛うじて許せる範疇に踏み止まってはいる。


 だが―――もし、己の権力強化のために、向こうの本性を知った上でエカテリーナを嫁がせていたのだとしたら。


 ―――彼女を、誰からも愛されたエカテリーナを人身御供にしたのだとしたら。


「確かにな、お前の言う通りだ」


『姉上、ご予定は』


「安心しろ、この仕事を終わらせてすぐ発つ。お前はどこに居る?」


『エルゴロド。エカテリーナ姉さんも一緒です』


「よろしい。では今すぐ出立しろ、キリウの屋敷で待つ」


『……姉上は今モスコヴァでは?』


「大丈夫だ、飛竜で思い切り飛ばせば半日でキリウだ」


 確かにちょっと遠いが……まあ、たった755㎞だ。飛竜にはちょっと頑張ってもらおう。


 ガチャ、と受話器を置いてからヴォロディミルを呼んだ。部屋の外で待機していた彼は小走りで目の前までやって来ると、いつもの調子で「何か御用で?」と問いかけてくる。


 そんな彼に私は堂々と言った。


「この仕事を片付けたらすぐキリウに向かう。一番速い飛竜を手配しろ」













 即行動……なるほど、姉上らしい。


 兄上ズにも連絡を終えたのだが、みんな同じ反応だった。バートリー家が実は黒魔術の信奉者で、エカテリーナ姉さんとの結婚は儀式の生贄を手に入れるため―――つまりは利用されたのだ、姉上も、そして教会で互いに誓ったであろう永遠の愛とやらも。


 マカールもジノヴィも、受話器の向こうで怒りを露にしていた。エカテリーナ姉さんは姉弟の中でも特別な存在。誰からも愛された女性だ。そんな彼女にみんな親切にされて育ってきたのだから、今回の一件でブチギレるのは分かる。


 みんな明日の予定もあるだろうに、エカテリーナ姉さんのためだけにそれを全部キャンセルして集まってくれるのだそうだ。リガロフ姉弟がどれだけキレてるか、これだけで良く分かるというものである。


 にしても、移動が一番ハードなのは姉上だろう。


 彼女の勤務地は帝国首都モスコヴァ……そこからキリウまでは755㎞も距離がある。前世の世界で言うと、ロシアのモスクワからウクライナのキーウまで一晩で行くようなものだ。移動に使われる飛竜が酷使されない事を祈るばかりである。


「クラリス、運転を任せていいか」


「お任せを。さっきパヴェルさんが新車を用意してくださいましたので」


「新車?」


 え、ブハンカじゃないの……と思いながら訝しんでいると、格納庫の方から勇ましいエンジンの音が聞こえてきて、思わずびくりとしてしまう。


 随分とパワフルなエンジン音に、思わず駆け足で格納庫の方へと向かう。


「Oh……(※ネイティブ発音)」


「どーだミカ。カボチャの馬車とはいかないが、うってつけの車を用意したぞ」


 格納庫の外でアイドリングしていたのは、ブハンカよりもがっちりとしたでっけえピックアップトラックだった。さながらそれは鋼鉄の猛牛とでも言うべきか。ごっついグリルの前方と運転席上のルーフにはフォグランプが増設されていて、さながらオフロードレース用の車両のようだ。


 しかもよく見るとタイヤの数が4つ……ではなく、6つもある。


 随分とまあ、いかついカボチャの馬車である。


「え、ナニコレ?」


「”ヴェロキラプター6×6”、アメリカのピックアップトラックさ。ハンガリアの一件でブハンカの目撃情報とかも広がりそうだし、今後はこっちを社用車にしようかなって」


「いつの間に用意したんだよ」


「コイツで召喚した」


 そう言いながらパヴェルがポケットから引っ張り出したのは、赤黒い塗装のスマホ……にそっくりな携帯端末だった。かなり長い間使っているようで、表面には擦り傷や塗装の剥げた痕が残っている。


 俺やセロは目の前にメニュー画面みたいなのを召喚し、そこから兵器を召喚する方式なんだが、パヴェルはあのスマホで武器や兵器の生産、召喚を行うらしい。アイツは俺たちとはまた違った系統の転生者なのだろうか?


 せっせと後部座席に荷物を積み込んでいくルカたち。ガソリンの入ったジェリカンを荷台に固定したノンナが、ふう、と額の汗を拭ってからこっちに向かって手を振る。


「ご主人様、お荷物を。それとエカテリーナ様もお呼びしましょう」


「そうだな……キリウまで長旅になるが、ひとつ頼む」


「かしこまりました」


 さあて……久しぶりの故郷だ。


 あまり気は進まないが、行くとしようか。


 父上と話をしに―――右の拳を握り締めながら。




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[一言] クソ親父殴りに行こうぜ
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