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心の傷跡、制裁の狼煙

花粉やべえ


 トンネルに入った途端、車両の屋根から絶えず響いていた銃声がピタリと止まった。


 一体何が起こっていたのか、ヘッドセットから聞こえていた通信で状況は把握している。信じがたい事に後方からイシュトヴァーンの乗ったクーペが突っ込んできて、ミカの機銃掃射を突破、更には列車に飛び乗って屋根の上でミカと一対一の戦闘を繰り広げていた。


 その銃声が消えたということは、決着がついたという事だ。


「……」


 1両目にある寝室で息を潜めていたエカテリーナとマルガレーテが、不安そうに私を見つめてくる。


 戦闘はあまり得意ではない(らしい)エカテリーナはともかく、マルガレーテの方は銃声が消えた意味をよく分かっている。


 イシュトヴァーンが死んだか、それとも―――ミカエルが殺されたか。


「……ミカ」


『……』


 応答は無い。


 まさか……アイツに限ってそんな事が、と心配になる。


 ミカもまた、腕の立つ冒険者の1人だ。彼(彼女?)の強さは例のヴォジャノーイ狩りで目にしているし、バートリー家の屋敷でイシュトヴァーンを一度退けている事からもよく分かる。そんなミカが、一度倒した相手にやられるなど……。


 列車がトンネルを抜けた。


 不安になりつつ、CZ P-09を取り出す。この列車の客車の屋根には機銃が据え付けられていて、車内からは連結部付近のタラップからアクセスできるようになっているらしい。


 私も行きます、と言わんばかりにメイドのクラリスが立ち上がろうとするが、彼女が口を開く前にそれを手で制する。


 ありえないと思うが―――万が一、ミカが破れイシュトヴァーンが生きている可能性を考慮すると、戦力はあまり分散させたくはない。少なくとも戦闘力がトップクラスの彼女は、ここに残ってエカテリーナを守るべきだろう。


 待ってろ、と目で訴え、私は銃座に続くタラップへと向かった。


 しっかりと掃除されているタラップに足をかけ、軽やかに昇っていく。屋根に備え付けられた銃座へとアクセスするためのハッチは戦車の砲塔にあるハッチのようなデザインになっていて、内側からロックする事も可能な構造のようだった。


 ハッチをゆっくりと開け、拳銃と顔を覗かせながら屋根の上を警戒。既に雷雨は遠ざかり、空にはうっすらと紅く照らされる星たちが顔を出している。血が滲んだような星空の下、闇の中へと流れていく景色の中に人影は無い。


 そのまま屋根に出た。かなりスピードが出ているようで、風に身体を煽られそうになる。踏ん張りながら先へと進み、ブローニングM2重機関銃が2基据え付けられている銃座を乗り越えて火砲車へと向かうと、チハの砲塔を流用した火砲車が見えてくる。


 機関車側と後部を向いた合計2基の戦車砲。その後部側の砲塔に小柄な人影がもたれかかっているのが見え、私は構えていたCZ P-09を下ろして駆け寄った。


「ミカ!」


「セロ……」


 銃をホルスターに戻し、弱々しい声で私の名を呼んだ彼の小さな肩へと手をかける。傷は見当たらず、致命傷を受けたわけでもないようだ……良かった、彼は無事だ。ミカは生きている。


 だが。


 凄まじい勢いで周囲の空気が後方へと流れている状況だから、私は嗅覚を利用した索敵が出来なくて、それに気付かなかった。


 火砲車の後方―――機甲鎧(パワードメイル)とかいうパワードスーツが収納されている格納庫と、最後尾にある車両用の格納庫の屋根の上に、べっとりと真っ赤な血が付着しているのである。


 屋根に付着した大量の血、そして姿の見えないイシュトヴァーン……これはまさか……?


「ミカ、お前……」


「……さっきトンネルに入った時だ」


 目にした光景の衝撃から立ち直れていないのか、ミカは砲塔にもたれかかったまま話し始めた。


「トンネルの入り口にイシュトヴァーンがぶつかって、それで……」


「……気にするな、お前が殺したわけじゃない」


 この血の量だ、致死量は遥かに超えている。もし仮に獣人特有の強靭な肉体のおかげで一命を取り留めていたとしても、再起不能になっているのは確実だろう。


 少なくとも二度と立ち上がり、私たちの目の前に現れるわけではないのだ。だから気にするな……お前が手にかけたわけじゃない、アイツは不運だったのだ、と、私はそういう意味を込めてミカを諭したつもりだった。


 けれども、憔悴しきったミカの口からぽろりと零れたのは、予想外の言葉だった。


「救えなかった……死なせてしまった……」













「アイツは優しすぎるんだ」


 グラスドームに覆われたエルゴロドの街が、湿原の向こうにうっすらと見える。


 既に時刻は深夜を過ぎ、あんなに赤々と染まっていた夜空は既にいつもの色合いに戻っていた。白銀の星に、死神の鎌みたいに鋭利な三日月。その透き通るような美しさが、逆に冷たさと残酷さを表しているようにも思えて、私は視線を空から逸らした。


 さすがに、ハンガリア密入国仕様の状態の列車のままエルゴロド駅には入れない。だからついさっき、ノヴォシア領に入って少し走ったところにある列車用の待避所に停車して、パヴェルが施した列車の偽装の解除を行った。


 もちろん、格納庫の屋根にべっとりと付着したイシュトヴァーンの血も綺麗さっぱり拭き取った。これでもう、この列車は何食わぬ顔で駅のホームに入っても問題は無い。


 列車の方の問題は無い。だが……。


「ミカが心配だ」


 機関車の運転をしながらウォッカの酒瓶を呷る(ちょっとまて飲酒運転だぞ)パヴェルに向かって言うと、彼は傍らにあるスコップを片手で持ち上げ、石炭をボイラーの中に放り込んでから陽気に笑った。


「まあな。だが大丈夫だろ」


「なぜそう言える?」


 信頼の証、と言ったらそれまでなのだろうが―――私の見たところ、ミカは、ミカエルという人間はとにかく優しすぎる。


 対人戦では徹底して敵の命を奪わずに無力化する事を優先するのだという。強盗に入る時であればまあ、まだ分かる。無関係の人間まで殺すなど、それこそ本当の悪魔のやる事だ。しかし今回のように、自分の姉を殺そうとした人間にまで「救えなかった」、「死なせてしまった」と言えてしまえるのは、彼の心の奥底にある優しさが故だろう。


 それに、命を以て償うのではなく、仮にそうなる運命だとしても法の裁きによって裁かれて欲しい、という法治国家で生まれ育った転生者としての価値観もあるのかもしれない。


 私はどうだろうな……そう思っていると、パヴェルは酒瓶の中身を飲み干してから答える。


「俺のボスだからだ」


「……なるほど、アンタが認めた男だから大丈夫ってか」


「そういう事だ。アイツはこの程度じゃ折れないよ」


 どんな理不尽にも、逆境にも決して屈しない心―――なるほど、最初に出会った時から何となく感じていた、ミカに対する安心感にも似た感覚はそのせいだったのかもしれない。


 彼は折れない、彼は負けない。


「それにな、ミカにはやべえ時に支えてくれる仲間がいる。ヤバそうだったら助けてくれるだろ」


「適当だなその辺は」


「まあ、俺も現役の頃はそうだったし?」


「……」


 そういえば、このパヴェルという男……。


 ミカからは『こいつも転生者だよー』って教えてもらったが、色々と異質なところが多い。


 あの手足は義肢なのだろうが、それよりも……何だろうな、傍から見れば頼れる年上の兄貴みたいな感じの奴なんだが、時折どす黒い何かが漏れ出ているような、そんな感じがしてしまう。


 彼の言う”現役の頃”とやらに、いったいどんな経験をしたのだろうか。気にはなるが、こういう相手の経歴について掘り下げるのは本人の同意が無い限り避けるべきだ。そして何より、私の第六感がコイツはヤバい奴だと、さっきから脳内で200dBくらいの爆音で叫び続けている。


 まあいい、ミカがちゃんと立ち直る事に期待しよう。


「どこへ?」


「お嬢と一緒に荷物を纏めてくる。アンタらには世話になった」


「そうかい。まあ、ベラシアが目的地なんだったらまたいつか会う事もあるだろ」


「ああ……その時も味方として会う事を願うよ」


 そう言い残し、機関車を後にした。


 今はただ、ミカが精神的に立ち直る事を祈るだけだ。














「失礼します、ご主人様。紅茶をお持ちしました」


「……うん、ありがと」


 自室の椅子に腰を下ろし、何もない壁をじっと見つめること1時間30分。先ほどからどうしても、イシュトヴァーンとの車上での戦いでもっといい結末に行き着くことができなかったのか、という後悔が頭の中に居座って、ミカエル君のメンタルをガリガリと削っている。


 あの時こうすればよかったのか、とは思うけれど、自分の命が狙われている状況でそんなこと出来る余裕あるのか、という返答が一撃で選択肢を粉砕してしまい、議論というキャッチボールが成立しない。


 ただ、確かに言える事はある。


 イシュトヴァーンは、死んだ。


 姉上を利用し、偽りの愛を語り、黒魔術の生贄にしようとしていた悪魔は死んだ。トンネルの入り口にある壁に激突して、首から上が千切れ飛ぶというなんとも残酷な死に方をした。


 そう、死んだのだ。


 俺の目の前で、彼は死んだ。


 はっきり言って、死なせたくはなかった。


 顔を見られ、強盗は俺たちの犯行だと知られてしまったのは痛いが……できる事ならば生きた状態で当局に突き出し、然るべき罰を受けてほしかった。


 なのに、あんな死に方をするとは……。


 傍らに紅茶を置くと、クラリスは壁際にあった椅子を引っ張ってきてそれに腰を下ろした。最初は心配そうに俺を見ていたクラリスだったけれど、しばらく沈黙が続いた後、ふわりと甘い香りが辺りを包み込んでいた。


「……そんなにご自分を責めないでください」


「クラリス……」


「ご主人様、貴方は最善を尽くした……その結果がたまたま、悪い方向に転んだだけの事。貴方は何も悪くありません」


 彼女に抱きしめられているのだという事が分かった時には、じわりと両目の周りが熱くなった。


 最善を尽くした……本当だろうか?


 和解する事は不可能でも、せめてあいつを生きたまま憲兵に突き出す事は出来なかったのか? エカテリーナ姉さんの前で土下座させるくらいの事は出来なかったのか……考え込んでしまうと、もうやめなさい、と言わんばかりに、クラリスが抱きしめる手に力を込めた。


 両目が一気に熱くなって、瞼から何かが漏れ出す。それに気付かれたくなかったから、俺も彼女の背中に両手を回した―――クラリスの手と比べるとずいぶん小ぢんまりとした、非力で華奢で、小さな手を。


 そのまま彼女と抱き合いながら、心の内側に溜め込んだ後悔を吐き出してどれくらいの時間がかかっただろうか。


 そっと顔を離し、バレないように素早く涙を拭い去った。とはいっても多分、クラリスにはバレてるだろうけど。


「ありがとうクラリス、少しすっきりした」


「お力になれたようで何よりですわ」


 ああやって抱きしめてくれなかったら、きっとしばらく今回の一件を引き摺っていたに違いない。


 彼女のように、支えてくれる仲間がいて良かったと心の底から思う。


 そうだ、今はこうやって思い詰めている場合じゃない。


 バートリー家の連中には報いを受けさせるが、ノヴォシア国内にも同じように、落とし前をつけてもらわなければならない相手がいる。


 これはもう、俺と姉さん、そしてバートリー家だけの問題ではない―――エカテリーナという1人の女を愛し、愛されながら育ってきた俺たちリガロフ姉弟全員の問題だ。


「クラリス、もう一仕事付き合ってほしい」


「何なりと」


 頷いてから、ふと窓の外を見た。


 列車が減速している。既にチェルノボーグはエロゴロドの街を覆う、特徴的なあのグラスドームの中にいた。夜空を背景に、各宗教の紋章を模した補強用のフレームが浮かび上がっていて、こんな気分でなければもう少しだけ眺めていたくなるほど幻想的な風景だ。


 いつかまた、落ち着いたらそうしてみたい。列車の屋根の上に昇って、甘ったるいコーヒーと静かな音楽でも楽しみながら……。


 列車がレンタルホームに入るなり、俺はクラリスを連れてホームに降り立った。冒険者ノマド向けに貸し出されているレンタルホームには連絡用の電話ボックスが必ず備え付けられている。冒険者管理局や駅の外部と円滑な連絡を行うためだ。


 電話ボックスのドアを開け、中にある固定電話に100ライブル硬貨を押し込んだ。


 マカールに連絡しようかと思ったが―――ここはもう、姉上に直接伝えた方が早いだろう。


 リガロフ家の至宝―――アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ本人に。


 しばらく待っていると、電話の交換手を務める女性の声が聞こえてくる。


《はい、どちらにお繋ぎいたしましょう?》


「モスコヴァの帝国騎士団最高司令部にお願いします」


《かしこまりました、少々お待ちください》


 さて、スマホが普及した現代の日本じゃあまり考えられない事だし、こっちの世界に来たばかりの頃の俺も戸惑ったが、この世界にはまだ電話の交換手が存在する。ダイヤルを回して直接電話をかけるタイプもあるが、遠方に電話をかける場合は交換所を挟んで通話しなければならない。


 日本も昭和初期の頃はこういうのが主流だったんだろうな、とかつての祖国に思いを馳せていると、さっきの交換手とは違う、無機質で事務的な、淡々とした感じの女性の声が聞こえてきた。


《はい、こちらモスコヴァ最高司令部です》


「すみません、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ大佐をお願いしたのですが」


 姉の名前を出すと、受話器の声から訝しむような声が聞こえてきた。


 それはそうだろう。アナスタシア姉さんはリガロフ家の至宝だが、それだけではない。このノヴォシアという広大な版図を誇る帝国の切り札、特殊部隊”ストレリツィ”を率いる立場の人間である。


 いくら呼び出されたからとはいえ、見ず知らずの相手の電話にホイホイ出ていい人ではないのだ。


 このままでは門前払いされそうだったので、俺はちょっと早口で付け加える。


「―――私は彼女の弟のミカエルです。ミカエル・ステファノッヴィッチ・リガロフ。名前を出していただければわかると思うのですが」






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― 新着の感想 ―
[一言] あれは勝手にドジこいて勝手に死んだのさ。
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