幕切れ
武器庫でキャリコからAKに装備を変更してから、俺は再び銃座に上がった。食堂でさっき貰ってきた黒パンを齧りながらタラップを駆け上がり、雨の降り注ぐ中銃座につく。
この雷雨には救われた。雨は視界を更に悪化させてくれるし、雷鳴は聴覚による索敵を妨げてくれる。まあそれはこっちにも同じことが言えるのだが、地図に載っていない路線を走って逃げるこちらと、それをノーヒントで追わなければならないニレージュバルザ憲兵隊のどちらに有利に作用するかは言うまでもあるまい。
ドットサイト付きのAK-101を背負いながら、定期的に周囲を見渡した。あと20分も走ればノヴォシア領にあるエルゴロド郊外に辿り着く。さすがにもう追ってくる相手など居ないのではないかと思いたかったし、早いところ暖かい車内に戻ってボルシチにでもありつきたかったけれど、限りなくエルゴロドに近付いているとはいえここはまだハンガリア領内。最後の最後まで、何が起こるか分からない。
カチ、とセレクターレバーを弾いた。機関部右側面にある大きなレバーを最上段から中段、つまりはフルオートへと切り替える。
銃口にはサプレッサーは装着しておらず、代わりに89式小銃と同様のマズルブレーキを取り付けている。これでライフルグレネードが使用できるし、何より銃声で仲間に敵襲を知らせる事も出来る。
腰にはライフルグレネードが2発ぶら下がっている。いずれも非殺傷の電撃榴弾ではなく、殺傷用の多目的榴弾だ。着弾すると爆風と共に破片を周囲にバラまき、加害範囲内の敵兵を引き裂く恐るべき兵器である。
できるならば使わずに済ませたいのだが―――そうは問屋が卸さない、とでも言うかのように、ミカエル君のケモミミが雨と車輪の音に混じる異音を敏感に聞き取った。
「……?」
重々しい音だ……エンジン音?
車のエンジンの音がしたような気がして、俺はぎょっとしながらブローニングM2を後方へと旋回させた。
《ご主人様、夜食の用意が出来ました。お寒いでしょうし中へ―――》
「……いやクラリス、飯は後だ。何か来る」
ヘッドセットから聞こえた彼女の声にそれだけ言い、意識を聴覚による索敵に集中させる。
が、定期的に響く車輪の音に加え、雨の落ちる音と遠雷がノイズとなるせいで、大まかな方向は分かるが詳細な位置までは分からない、という状況に陥ってしまう。ただの聞き間違えならばいいのだが、ここは既に未開発の山の中。付近に村や集落があるならともかく、こんな山中を車が果たして走るのだろうか?
それもこんな雷雨の中を、こんな時間に。
いったい何が、と目を細めながら索敵していた俺に、天が味方してくれた。
カッ、と頭上で閃く稲光。ほんの一瞬だが、雨雲から生じたその閃光が全てを照らし出してくれた。
列車の後方から―――ライトも点灯させず、線路の上を猛スピードで猛追してくるクーペが1台。
「後ろだ!」
叫びながらブローニングの押金を両手で押した。半ばまでヒートシールドで覆われた長大な銃身が、立て続けに12.7mm弾を吐き出し始める。アサルトライフルともバトルライフルとも違う、腹の底に響く……いや、腹の底を抉るような重々しい銃声と、マズルフラッシュが乱舞する。
しかし、追尾してくるクーペのドライバーもかなり腕の立つ相手のようだった。こっちが追尾に気付いたと知るや、ライトを点灯させて一気にアクセルを踏み込んで急加速してきたのである。
エンジンの唸る音が大きくなり、回転数がより上がったのだという事がここからでも分かった。
流線型のシャーシに、先端部に向かうにつれて幅の狭まるボンネット。グリルの前には大きな丸いライトが2つ据え付けられていて、フロントバンパーやグリル周りはクロームカラーで塗装されている。
いかにも金持ちが好みそうな車だったが、しかし性能は本物のようだった。憲兵隊のパトカー以上の速度で猛追し、あっという間に列車との距離を詰めてくるのである。
ありゃあ何だ、改造でもしてあるのか?
ブローニングを撃ちながら、気付いた。
クーペのボンネットが大きく盛り上がり、カウルになっているのだ。
おそらく本来の仕様とは異なる馬力の大型エンジンを搭載しているのだろう。それも、本来の収納スペースに収まりきらない程の大型の代物を。あのカウルはそのためのものに違いない。
改造車か!
12.7mm弾がボンネットを直撃。ガギュゥ、と甲高い金属音が響き、追跡してくるクーペのグリルが灰色の煙を噴き上げる。エンジンに被弾し、中に張り巡らしてある配管か何かを撃ち抜いたのだろう。クーペの速度が目に見えて落ち始める。
砕けたフロントガラスの向こうに座る運転手と、目が合った。
―――イシュトヴァーンだ。
あの男……まだ追ってくるというのか!?
「いい加減諦めろってんだ!」
銃撃で割れたフロンドガラスから身を乗り出し、イシュトヴァーンはボンネットの上に立った。飛来する12.7mm弾をバスタードソードで弾いて身を守ったと思いきや、そのまま勢いを乗せ、揺れる車の上から列車に向かってジャンプしたのである。
自殺行為だとは思ったが、しかし彼はキンイロジャッカルの獣人。肉食獣たるジャッカルの端くれであり、その脚力は人間のそれを大きく上回っている。
煙を噴き上げるボンネットの上から、最後尾にある格納庫へと飛び移るイシュトヴァーン。その直後、グリルから火を噴き始めていたクーペがはるか後方で火達磨となり、やがて爆発し火球へと姿を変えた。
乗り移られた―――!
「くそ、イシュトヴァーンだ! 奴が来た!」
《ご主人様、加勢を!》
「クラリスは姉さんを安全な場所へ! ルカ、もっと飛ばせないのか!?」
列車の速度を上げ、一気にノヴォシア領へ……そう思い問いかけたのだが、しかし機関車から返ってきたのは何とも不運な返答だった。
《それが……蒸気圧の上がりが悪いんだ! さっきから石炭いっぱい入れてるのに!》
燃料として温度を上げやすいのは、石炭よりも重油だ。しかし重油は少々値段が高く、一方で石炭はノヴォシア各地で腐るほど手に入るので、普段は石炭を使い、非常時にのみ重油を使うという方針でチェルノボーグは運用されている。
しかしここに来て、質の悪い石炭を使っている事が仇になった。
おそらくだが不純物を多く含有する石炭のせいだろう。燃焼効率の悪いそれを使っているせいで、機関車であるAA-20は本来の速度を出せていないのだ(一応、AA-20は粗悪な石炭の使用を前提に設計されている)。
「重油に切り替えろ! できるだけ速度を出してくれ!」
これは今後の燃料事情も少し考え直さなければな、と考えつつ、AK-101を構え銃座を離れた。列車に飛び移られてしまった以上、もう連装重機関銃は役に立たない。
どこから来る、と格納庫の屋根の上でAKを構えながら警戒した次の瞬間、ヒュンッ、と風を切るような音がどこからか聞こえ、反射的に時間停止を発動していた。
それと同時にバックジャンプで後ろへと飛び退く。銃を構えると同時に時間停止が解除され、次の瞬間には俺の目の前に、頭上から落下してきた大剣の切っ先が突き立てられていた。
イシュトヴァーンだ―――大きくジャンプして、頭上から奇襲してきたのだ。
「やはり貴様か、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ!!」
ハンガリア訛りのあるイライナ語でそう言いながら、雷雨の中でイシュトヴァーンは獰猛な笑みを浮かべた。
あの時、初めて出会った時の知性を思わせる風貌はどこへやら。今ではすっかり自分の本性を剥き出しにした、よりケモノじみた顔になっていて、やはり肉食獣の獣人であると意識してしまう。
「姉を救いに来たか……まあいい、ならば貴様も殺して儀式に使ってやろう。全身の血を抜いて、貴様の血でバスタブを満たしてやる」
「ハッ、”弱い犬ほど良く吼える”ってのはマジらしいな?」
ついさっき負けたくせによ、と思いながらそう言い放つと、激昂したイシュトヴァーンは大剣を引き抜き、思い切り振り下ろしてきた。
もちろん接近戦には付き合わない。後ろへとジャンプして連結部を飛び越えつつ、鞘から引き抜いた慈悲の剣を投擲。磁力魔術で磁界を操り、剣を奴へと向かって突撃させる。
「同じ技を!」
ああ、分かってるよ。
同じ技が通用しない、という事くらいは。
真っ直ぐに突っ込んできた剣をあっさりと弾き、左手に持ったピストル―――4つの銃身を束ねたペッパーボックス・ピストルを向けてくるイシュトヴァーン。傍から見ればガトリング砲のような回転式の銃身から弾丸が放たれるが、しかし俺に向かって直進してきたそれは、着弾の寸前になって軌道を変えた。
まるで反発し合う磁石のように、俺の身体を直撃する前に逸れていったのである。
「!?」
これも磁力魔術の応用だ。
身体の周囲に磁界を発生させ、弾丸や金属製の矢、あるいは金属製の剣による攻撃から身を守る―――”磁気防壁”とも呼ばれる、雷属性の防御魔術である。
教本で読んだ理論を自分なりに理解し、磁界制御の技術を応用してぶっつけ本番でやってみたが……案外うまくいったようだ。
そんな馬鹿な事があるか、と立て続けにピストルを連発してくるイシュトヴァーン。しかしそれに続いた3発の弾丸も同じ運命を辿った。命中する寸前に弾道が逸れ、どこか全く違う場所へと飛んで行ってしまう。
弾切れになったピストルを投げ捨て、イシュトヴァーンは大剣の刀身に左の指を這わせた。ぶつっ、と軽く指の皮が切れ、刀身に紅い幾何学模様を描いていく。
血属性魔術だ。それこそ、屋敷での戦闘で見た技だろうに。
火砲車の屋根の上まで下がりながらAK-101のフルオート射撃を射かける。キャリコよりも重い一撃が立て続けにイシュトヴァーンに牙を剥くが、しかしその弾幕の中を躊躇なく突っ込んでくる。
本当に見切っているのか、それとも単に命知らずなだけか。
―――いや、違う。
5.56mmNATO弾が太腿を掠め、肩を浅く切り裂き、頬に紅い傷跡を刻んでもなお、イシュトヴァーンは止まらない。
命知らずと”死に物狂い”は違うのだ。
彼の計画には何一つ賛同できないが―――目的のために死に物狂いで襲い掛かってくる、その熱量と執念にはただただ圧倒される。
慈悲の剣を呼び戻し、横合いからイシュトヴァーンを狙わせた。が、もうイシュトヴァーンはガードすらしない。肉体ではなく意識へと直接ダメージを与える非殺傷の剣が脇腹を斬りつけ、昏倒するほどの衝撃を受けてもなお、バスタードソードを大きく振り上げたまま突っ込んでくる。
半ば特攻に近いその一撃を、俺は咄嗟にAKで受けた。
重々しい金属との衝突に、しかしかつては祖国防衛のために生み出されたAK-47の子孫は耐えてみせた。機関部に軽く刀身が食い込んでいるものの、両断される事だけは防いでいる。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」
「くっ……そ……ぉ!」
こうなってしまっては力比べになるが、こっちが不利なのは明らかだった。全力で踏ん張るが、あっさりとイシュトヴァーンの膂力に負けてしまい、そのまま火砲車の屋根に搭載されているチハの砲塔の上に押し倒されてしまう。
ぎり、ぎり、と嫌な音を立ててAKの機関部へと刀身が更に深く食い込み始めた。これではもう、発砲できない。俺のAKになんてことを。
「お前を殺したら次はエカテリーナだ。お前たちの首は仲良く並べてやる」
「リョナ野郎がよ!!」
ゴッ、と渾身の力を込めて、イシュトヴァーンの腹を思い切り蹴り上げた。予想外の攻撃に、全く意識していなかったイシュトヴァーンの呼吸が詰まり、一瞬だけふわりと彼の身体が浮く。
勝利の女神が俺に微笑んだのか、それともイシュトヴァーンが死神に魅入られたのかは分からない。
ごう、と何かが迫ってくるような音がした。
トンネルだ。トンネルの入り口だ。
列車の中では最も高い場所に位置する、火砲車の砲塔の上。トンネルを通過する時はいつも天井にぶつからないか不安になるような場所の上に居たわけだから、押し倒されていた俺はともかく、その上に覆い被さっていたイシュトヴァーンは本当に運が無かったとしか言いようがない。
ゴシャッ、と人体が潰れる音がした。
ピッ、と俺の頬に暖かくて、鉄臭い何かが降りかかる。
燃料を石炭から重油に切り替え、更に列車の速度が上がっていたのも拙かった―――俺の上に覆い被さっていたイシュトヴァーンの顔面を、レンガ造りのトンネルの入り口が思い切り殴打していったのだ。
車両の屋根の上に紅い血痕をいくつも遺しながら、身体を何度もバウンドさせ、ついには列車から転がり落ちていくイシュトヴァーン。見間違えでなければ首から上が千切れ、身体とは別に車両から転がり落ちていったようにも見えて、砲塔の上でぐったりしていた俺は危うくさっき食べた黒パンをぶちまけそうになった。
「……クソ、クソッ」
慈悲の剣を呼び戻し、鞘に収めながら呟いた。
「馬鹿野郎がよ……」
その小さな声は、トンネルの中に反響する車輪の音にあっさりと呑まれ、誰の耳にも届く事は無かった。




