バートリー家からの脱出
《フィクサーよりグオツリー、後はお前だけだ》
ヘッドセットから聞こえてくるパヴェルの声。短く簡潔だったが、状況はよく分かる。
イシュトヴァーンは倒したし、略奪は仲間たちが済ませた。そして何よりエカテリーナ姉さんの救出にも成功した。もうこの屋敷でやる事は何もない―――後は警備兵に撃たれ、憲兵に取り押さえられないよう注意しながら、ノヴォシア本国へ帰還するだけである。
キャリコM960Aに最後のヘリカルマガジンを装着、セレクターレバーをフルオートに切り替える。コイツは100発という弾数の多さが最大の長所だが、さすがに命中精度はMP5には及ばない。だから弾数の多さを利用して敵に弾丸をばら撒き制圧する、というのが正しい用途であろう(実際に射撃訓練でもそれを想定した訓練を行っている)。
仲間を追い、屋敷の中を走った。もう律義にダクトの中を這い回る必要はないから、そのまま屋敷の廊下の中を全力疾走。見つかろうが何だろうが関係ない。
前方の曲がり角から銃剣付きのマスケットの銃身がちらりと見え、半ば反射的にキャリコのフルオート射撃をそこへと見舞った。先制攻撃を受けるとは思っていなかったのか、バートリー家の警備兵はすぐさま銃身を曲がり角の向こうへと引っ込める。
制圧射撃をぶちかましつつ、片手をポーチの中へと突っ込んだ。イシュトヴァーンとの戦闘でまだ割れていなかったタンプルソーダの空瓶、それを流用した装備品を引っ張り出し、王冠の代わりに取り付けられた安全ピンを引っこ抜いて投擲する。
中に収まっているのは爽快感溢れる炭酸飲料……ではなく、パヴェルが製造した”帯電ジェル”と呼ばれるジェル状の蒼い物体だった。ウチの発明家曰く『酸素に触れると急激に放電する危険物』との事で、そんなものを割れやすい瓶に収めて投擲すればどうなるか、もうみんな分かるよね?
瓶が割れる音と同時に、バヂンッ、と電気が弾ける音が廊下に響いた。どさりと警備兵が倒れ、動かなくなる。
電撃グレネード―――炭酸飲料やウォッカの空瓶に上記の帯電ジェルを充填した、即席の非殺傷兵器だ。グレネードや火炎瓶と同じ要領で扱え、しかも敵を殺さずに済む人道的な攻撃兵器である。
ビリビリ痺れて動けない警備兵を尻目に、通路を突き進んだ。
途中、どこかの部屋に立ち寄って少し物色していくか、と盗人特有の思考回路が働いたけれど、過ぎた欲は身を滅ぼすという教訓をよーく知っていたので、少々名残惜しいがそのまま直帰する事にする。
窓を思い切り蹴破って、屋敷内から裏庭へ。
仲間たちは既に断崖絶壁から降りたのか、と判断しアンカーシューターを準備。あとはコイツを壁面に撃ち込んで下まで降りればいい。
その時だった。ミカエル君のケモミミが、背後から迫る数名の足音を察知したのは。
チッ、と舌打ちしながらキャリコM960Aを向けつつ、空いている左手でサイドアームのキャリコM950Aを引っ張り出す。こっちはM960Aほどの弾数は無いが、それでも50発も9mm弾をばら撒ける凶悪なマシンピストルだ。
振り向くと、既に駆けつけた数名の警備兵がこっちにマスケット銃の銃口を向けていた。そのうちの何名かはラッパのように広がった銃口が特徴的なラッパ銃を腰だめに構えている。
いわゆるショットガンのような運用が可能なマスケットの一種だ。大きな銃口から複数の銃弾を装填し、敵に向かって弾丸を一気にばら撒く銃である。あのラッパのような銃口は、元々は船上や馬上などの揺れる環境において、銃口からの正確な装填を可能とするためのものなのだと聞いているが……。
『Yo jolmaeszt mёlgas(見つけたわよ、盗人め)』
ハンガリア語で話す女性の声。何者か、と思い目を凝らすと、銃を向ける警備兵たちの後ろから、それはもう豪華なドレスに身を包んだキンイロジャッカルの獣人の女性が歩いてくるのが見え、自分でも目つきが鋭くなるのが分かった。
エリザベート・バートリー。イシュトヴァーンの母親で、今回の一件―――黒魔術の発動を目論んだ張本人。
ミカエル君の感情を反映するかのように、いつの間にか頭上の月は雲に隠れていた。赤々とした傷跡のような三日月は漆黒の雨雲に覆われ、夜空の中では雷鳴が唸りを上げている。
遠雷の咆哮の中、俺は時間停止を容赦なく発動した。僅か1秒のみ、世界の全てを制止させる俺だけの特権―――その瞬間、1秒間だけ世界は俺のものになる。
降り始めた雨粒も、夜風さえも静止した世界の中で、両手に持った2丁のキャリコをばら撒いた。もちろん狙うは敵の足、急所が集中する上半身は狙わない。
ぎょっとするほどの量の弾丸が時間停止能力に絡め取られ、空中で唐突に停止する。
僅か1秒足らずの発砲で攻撃を中断し、崖のある方向へと思い切り飛んだ。その直後に時間停止の効果時間が終了し―――9mmパラベラム弾に足を射抜かれたと思われる警備兵や、エリザベート・バートリー本人の悲鳴が聞こえてくる。
ざまあみろってんだ、と呟きながらキャリコM960Aから手を離した。スリングでそれを保持しつつ、空いた右手のアンカーシューターを岩肌へと撃ち込む。小型のクロスボウにも似た発射機から鉄製の杭が放たれ、スパイクの付いたそれが正確無比に岩肌へと食い込む。
ぐんっ、と身体が上に引っ張られる感覚がすると同時に、発射機に一緒に搭載されているワイヤーのリールが甲高い音を響かせながら動作を開始。パヴェルお手製の超硬質ワイヤーが張られ、断崖絶壁から素早く降りていく。
崖の下にはやはり、仲間たちが待っていた。
「すまん、待たせた」
外れたアンカーを収納しながら仲間たちのところに駆け寄ると、みんな安堵したような、しかし心配したんだぞ、とでも言いたげな顔で出迎えてくれる。
クラリスの隣にいる姉さんの方をちらりと見た。儀式が始まる前に救出したのだから当然だが、目立った外傷はない。とはいえ、さすがに将来を誓い合った夫に騙され危うく生贄にされるところだったのだから、精神的な影響はかなり大きいだろうが……。
バートリー家もそうだが、相手がそんな一族だと知りながら嫁がせたウチのクソ親父にも報いは受けてもらう。
「ミカ……ミカなの?」
「……」
バラしたのか、と思いながらクラリスの方を見ると、彼女は申し訳なさそうな目つきで見返してきた。まあ、これがバートリー家側の人間だったら大問題だが、救出対象たるエカテリーナ姉さんなら問題は無いか。
そっとガスマスクを外し、素顔を露にする。
リガロフ家の第五の子供であり、庶子―――幼少の頃から屋敷に軟禁されていた弟の顔を見て、姉の顔が安堵に染まっていった。
「助けに来ましたよ、姉上」
「ミカ……ありがとう、本当に……!」
「感動してるところ悪いが、早いところ逃げた方が良さそうだ」
狼のケモミミをピンと立てながら周囲を警戒していたセロがそう言い、俺たちも思考を切り替える。感動の再会は列車に戻ってからで良いだろう。
《ララバイより各員、憲兵隊が屋敷から離れ始めました。崖から逃げたと判断した模様》
「了解した……これより離脱に移る。ルートは計画通り」
《了解、既に”ターシィオン”は位置についています》
ターシィオン―――作戦前、リーファに与えられたタックネームだ。由来は俺のタックネームと同じく中国語、「大熊」の中国語読みなのだそうだ。
多少のイレギュラーはあったが、ここまでは概ね計画通り。プランを変更するほどの障害もない。
姉さんを連れ、作戦開始前に車を停車させていた場所へと向かう。路地の奥に停車していたブハンカ(強盗用に銃座は外し、塗装も変えている)の助手席へと乗り込んだ。後部座席に座り無線の対応とドローンでの偵察を行っていたシスター・イルゼから「お2人は既に移動しました」との報告を受け、逃走ルートを頭の中で思い浮かべながら返事を返す。
本来ならばシートベルト着用が必須だが、逃走中の襲撃戦にも咄嗟に対応できるよう、敢えてシートベルトはしていない。
全員乗り込んだのを確認してから、クラリスはアクセルを踏み込んだ。
異国の地の路地を、ロシア製のバンが全力で疾走する。
隣に停車していた筈のランドクルーザー70は見当たらない―――リーファとマルガレーテの2人が、離脱支援のためのポイントへと移動するのに使ったのだ。
雨がいよいよ本格的に降り始めた。遠雷はやがて天の咆哮と化し、断崖絶壁の上に佇むバートリー家の屋敷の近くに雷が落ちる。
弱々しい灯りばかりのニレージュバルザ市内に、パトカーの赤いパトランプとサイレンの音が響き渡った。サイドミラーをちらりと見ると、屋敷の方向からこっちへと向かってくるパトカーの一団が映っていて、カーチェイスは不可避となった事を悟る。
助手席の窓を開けてキャリコを準備する頃には、既に後部座席に座っていたセロが最初の一弾を放っていた。
夜間であるため通行人もおらず、野次馬も見当たらない。それについてはニレージュバルザ当局が外出禁止令でも出したのだろう。おかげで民間人を銃撃戦に巻き込む心配がなくなったのはありがたいが……。
走行中の車からの射撃で、しかも激しく揺れながらの発砲だから、さすがのセロでも初弾から命中弾は出ない。彼女の放った7.62×51mmNATO弾は石畳の地面を穿ち、細かな破片を飛散させるのみに終わる。
助手席から顔を出し、俺も発砲した。サプレッサー付きのキャリコM960Aのフルオート射撃を短い間隔で放つが、しかしやはり当たらない。エンジンブロックの破壊は不可能でも、せめてタイヤを撃ち抜いて走行に大きな支障を出す事が出来ればとは思うのだが、しかしそう上手くはいかない。
タイヤかグリルの隙間に飛び込んでくれますようにと祈りながら、大まかな狙いを定めて弾をばら撒く事しかできないのだ。
勢いよく火を噴き続けていたキャリコが唐突に沈黙。ヘリカルマガジンの中身を使い切ってしまったようで、思わず舌打ちしてしまう。が、無理もない事だ。イシュトヴァーン戦では弾幕を張るのに大活躍で、残弾を意識しながら戦う余裕なんて無かったのだから。
武器をメインアームからサイドアームに持ち替え、再度射撃を続行。キャリコM950Aで弾幕を張り、パトカーを少しでも遅らせようと努力を費やす。
最初に装填していた分のヘリカルマガジンが空になったところで、既に支援ポイントに近付いている事に気付いた。
「クラリス!」
「了解!」
唐突に、クラリスがハンドルを切る。
ブハンカのライトが照らす夜闇の向こう―――そこに躍り出たのは、ドレス姿の金髪の少女と、コンバットパンツにコンバットシャツを身に着けたパンダの獣人の少女だった。
2人の手にはそれぞれMG42と―――対物ライフルを思わせる、巨大な銃がある。
先に動いたのはリーファの方だった。対物ライフルよりも太い銃身を持つ得物を構え、そこから1発のグレネード弾を放ったのである。
『QLU-11』という兵器が中国には存在する。中国軍独自規格の35mmグレネード弾を高速で放つ”狙撃グレネードランチャー”というカテゴリーの兵器であり、遠距離の敵にエアバースト弾、あるいは通常の対人榴弾による砲撃をお見舞いし制圧するという恐るべき兵器である。
リーファが持っているのは、それの弾薬を西側規格の40mmグレネード弾に変更した輸出仕様の『LG5』と呼ばれる代物だった。
装填されているのはグレネード弾だが―――殺傷用の榴弾ではない。
発射されたグレネード弾はパトカーの車列に飛び込んだかと思いきや、カッ、と眩い閃光を解き放ち、ニレージュバルザの闇を一時的にだが振り払った。
閃光弾だ。炸薬の代わりにマグネシウムの粉末を充填した、パヴェルお手製の非殺傷仕様グレネード弾。
唐突に爆音と閃光を目の前で炸裂させられては、いつも通りの運転など出来よう筈もない。パトカーの内の何台かは車体を揺らしながらふらつき、脇にある電柱や建物の壁に盛大に突っ込んだ。
それでもなお追撃してくる相手には、今度はマルガレーテのMG42が牙を剥く。
8mmマウザー弾の弾雨がエンジンブロックを瞬く間に蜂の巣にし、タイヤを食い破ってパンクさせる。グリルから灰色の煙を吹き擱座したパトカーが続出して、パトカーのサイレンの音が一気に遠ざかっていくのが分かった。
「上出来だ、脱出しろ!」
《了解ネ》
少し遅れて、2人の傍らに待機していたランドクルーザー70のライトに光が燈った。運転席に座ったリーファがアクセルをガンガン踏み込んで、ランドクルーザーを一気に加速させて追い付いてくる。
車の運転なんてどこで覚えたんだとは思ったが、出撃前にパヴェルからレクチャーを受けていたし、セロからも説明は受けていたようだが……しかしそれだけで運転できるようになるものだろうか?
他人に自分の車のハンドルを任せているからなのだろう、後部座席でマガジンを交換しているセロはちょっと心配そうだった。
とはいえ、これで憲兵隊も追っ手も振り切った……はずだ。
あとはハンガリアを脱出、エルゴロドまで戻るだけだ。




