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黒魔術


 バートリー家の主人であるエリザベート・バートリーは、赤ワインが好きらしい。


 店長のそんな話を聞きながら、酒樽を担いでワインセラーまで運んだ。エリザベート・バートリーからは定期的に赤ワインの発注がかかるようで、この造酒所からすればバートリー家はお得意様のひとつなのだそうだ。


 使用人に案内され、ワインセラーに酒樽を置いた。赤ワインと樽の匂いが染み付いた、屋敷の地下にある広大な空間。壁は赤レンガで補強されており、照明は天井に吊るされたランタン程度。光が弱いせいで薄暗く、幽霊でも飛び出してきそうな場所である。


 マルガレーテを夜中に放り込んだら大泣きしそうだ……いや、やらないけど。


 穴を掘ればここも侵入経路に使えそうだ、と一瞬思ったけれど、すぐにその選択肢は消した。バートリー家の屋敷は断崖絶壁の上にある。地下から潜入するのであれば、屋敷の真下まで竪穴を掘る羽目になってしまうだろう。災禍の紅月まで時間がない以上、手っ取り早い選択肢が望ましい。


 とりあえずワインセラーは駄目か……。


「いやー、すまないね。急な注文で」


「いえいえ、こちらこそありがとうございます。今後もご贔屓に……」


 案内してくれた使用人から札束をポンと渡され、店長は嬉しそうに笑いながらそれを懐に収めた。


 報酬を支払ってくれた使用人もやはり男性だ。骨格が獣に近い、第一世代型のヤギの獣人だ。真っ白な毛並みと角、そして特徴的な目。燕尾服姿である事もあってか、なんだかファンタジー小説に出てきそうな悪魔にも見える。


 いや、コレばかりは単なる偶然なのかもしれないけど。


「さあ、帰ろうか」


「あー……すいません、ちょっとお腹の様子が……」


「何だって?」


「あーこれはこれは……お手洗いはあちらだよ」


「ご、ご親切にどうも……あ、店長は先に戻っててください……歩いて戻るんで」


「お、おう……?」


 両手でお腹を押さえ、これ以上ないほどの腹痛で今にも爆発しそうですよ、という事を全力でアピールしながらトイレ……に向かうふりをして、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 さてさて、なんとか店長と使用人の元を離れ、こうして自由に人様の屋敷の中を歩き回ったりする権利を得た(※得てません)わけだが、これからどうするか。


 とりあえず、通路をただただ歩き回っているようではそのうち使用人に見つかってしまう。例のイシュトヴァーン・バートリーとうっかりエンカウントしようものならば、下手したらその場で首を刎ねられてしまいそうだ。


 とにかく今はあの男には近づかない方が良い。


 ちらりと視線を周囲へと向けた。左側の壁の下にダクトへと通じる格子がある。何とか外せないものかとしゃがみ込んで見てみると、格子を固定しているネジは緩んでおり、プラスドライバー無しでも簡単に外せそうだった。


 なるべく大きな音を立てないように気を付けつつ、格子を外して素早くダクトの中へ。鉄格子を元の位置に戻し、何事もなかったかのように見せかけながら、ポーチに仕込んでいたヘッドセットを取り出してスイッチを入れる。


「聞こえるか、お嬢?」


《聞こえるわよ。ノイズが酷いけれど》


「ダクトに入った。フェイズ2に移る」


《了解。お願いだから無事に帰ってきてよ》


「分かってる」


 お前を遺して逝けるかってんだ。


 さて、渓流のせせらぎのようなお嬢の声を聴いて元気が出たところで、ダクトの中を這って移動を開始する。大きな屋敷に新鮮な外気を送り届けるためなのだろう、ダクトの内部は思ったよりも広くて、身長2mオーバーの私でも何とか通れる程度だった。


 が、しかし胸元が苦しいのはどうにかならないものか。マルガレーテに言ったらブチ怒られるだろうけど、こういう時ばかりは胸が小さい女子が羨ましい。いや、冗談抜きで。だってこの胸のせいでダクトに詰まって窒息死なんて事がガチであり得る状況だからねコレ、比喩表現じゃなくて直喩だからねコレ。


 ダクトの外から漏れる光が見える度に覗いてみるが、見えるのは広間や廊下ばかりだ。とりあえず内部構造は記憶しておくとして、可能であれば何か有益な情報を持ち帰りたいところだが。


「……ん」


 格子の向こうから光が差し込んでくる。覗き込んでみると、どうやらそこは部屋の中のようだった。壁には誰が描いたのかも分からぬ大きな絵画が飾られていて、年季の入った柱時計も置かれている。黄金の振子を揺らすそれを見上げながら佇んでいるのは、桜色のドレスに身を包んだ金髪の女性だった。


『エカテリーナ様、失礼します』


『ええ、どうぞ』


 エカテリーナ―――私の慣れ親しんだ母語で、確かにその名を呼んだ。


 エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァ。あと3日もすれば”エカテリーナ・バートリー”か。イシュトヴァーン・バートリーと結ばれ、ハンガリア貴族の妻となる女。そしてミカエルの姉でもある。


 なるほど、確かに美しい女性だ。気品があり、優しそうな笑みは目にした者の性別を問わず虜にするような魅力がある。そういう雰囲気だけではない、誰にでも手を差し伸べる聖母のような女性だとミカからは聞いているが、確かにそうなのかもしれない。


 あんな美女と結婚する事となったイシュトヴァーンはさぞ幸せであろう。


『ああ、お似合いですよエカテリーナ様』


『ふふっ、ありがとう。イシュトヴァーン様も喜んでくださるかしら?』


『ええ、きっと喜んでくださいます。結婚式が楽しみですね』


 まだノヴォシア訛りが残るハンガリア語だった。ノヴォシア語特有の巻き舌発音が残っていて、一部の単語のイントネーションにも違いが見られる。とはいえ聞き取れないレベルというわけではなく、むしろ婚約が決まってから短期間の間によくあそこまで勉強したものだ、とハンガリア語を母語とする人間として感心させられる。


 それがイシュトヴァーンに対する恋心によるものなのだとしたら、なんと哀れな事か。


 まあいい、真相を暴いてやる。もし色々とヤバいようならばミカが助けに来るさ……。


「見えるか」


《ええ、綺麗な人じゃないの》


 胸に下げたペンダントをちらりと見下ろす。


 ミカ達から物資とか色々と貰ったわけなんだが、無線機と一緒にこんなものまで貰ってしまった……ペンダントを模した小型の隠しカメラだ。映像はニレージュバルザ市街地に停車している車で待っている、マルガレーテの元へと送られる仕組みになっている。


「……なんかスパイみたいだな」


《スパイみたいだなじゃなくてマジのスパイやってんでしょうが》


 ちょっと憧れる。


 やっぱりアレだよね、モチベーションって大事だよね。やる気モリモリの時って仕事の成果に上昇補正かかるよね、1.25~1.5倍くらいの。


 とまあ、ふざけるのはこの辺にしておこう。


 シリアスな時にふざけるなって? あのな、シリアスばっかりだと緊張でメンタルおかしくなっちゃうだろう? 適度にふざけてガス抜きしないとやっていけないのさ。


 しかしどうやらここは彼女の部屋ではないらしい。それもそうか、1階に自室を持つ貴族なんてどこにもいない。大概そういうのは2階とか3階とか、高い場所に自室を用意するものだ。


 しばらくダクトの中を這っていると、通気ダクトが二手に分かれていた。片方はそのまま真正面に進むコースで、もう片方は左手に少し進み、後はそのまま垂直に上へと伸びている。おそらくは2階や3階に続くルートなのだろうが……。


 さてさて、どっちが正解かね。


「……」


 目を瞑り、身体中を駆け巡る魔力に意識を集中させた。身体の外から聴こえる音がどんどん遠ざかり、自分の呼吸音と鼓動くらいしか聴こえなくなる。


 それほどに意識を集中させるレベルになって、風の流れがはっきりと感じられることに気付く。


 正面から伸びるダクトはいくつか部屋を経由して、そのまま外の通気口へ。そして左手の垂直になっているダクトは予想通り、2階や3階へと続いているようだ。少なくとも風が流れてくるのは前方からなのだから、こっちが外へと通じるルートだろう。


 さて、みんなには言ってなかったと思うが、実は私は風属性の魔術に適性を持つ魔術師の端くれだ。とはいっても適性は平凡でランクはC。可もなく不可もなくといった感じで、幼少の頃から何とも言えない適性のせいで、両親には『いいかいセロ、その適性で魔術師を目指しても限界が来るから何か別のものを目指しなさい(要約)』と常々言われて育ったものだ。


 確かに適性と、それと体内にある魔力量の関係で使えない術は多いが―――幸いこの風属性という生まれつきの属性は、索敵において大きなアドバンテージを私にもたらしてくれる。


 微かな空気の流れの変化に温度の変化すら敏感に感じ取る、風属性魔力の活性化による索敵能力。特に銃という飛び道具を主体とする私からすれば攻守共に優秀な能力と言えた。


 こういう探索にももってこいだった。外に繋がっている通路であれば必ず空気の流れがある。それを参考にすれば、基本的に道に迷うなんて事もないのだ。


 2階に上がれそうなダクトの位置を記憶し、とりあえず前へと進む事にする。ミカエルからは『有益な情報1つにつき10万ライブルを上限なしに支払う』と言われているので、有益な情報……というより、侵入経路の作成にも手を貸しておくことにする。


 金のためであると同時に、友人のためだ。


「……ふむ」


 外へと繋がっているダクトの終着点は、どうやら裏庭のようだった。白いレンガで整備された花壇と中央の噴水が鉄格子の隙間から見える。花壇の周囲には3名ほど庭師が居て、せっせと花壇の手入れや雑草刈りに精を出しているようだった。


 裏庭か……確かに警備は薄そうだが、発見されずにここまで来るとなると空を飛ぶか、それともあの断崖絶壁をよじ登ってこない限り難しいのではないだろうか。いや、ミカならやりそうだなどっちも……。


 バレないようにポーチからプラスドライバーを取り出して、ダクトの入り口のネジを緩めておく。少々錆び付き、回す途中で折れてしまわないか心配になったが、ネジを作った職人の腕なのかそれとも単なる運か、朱色に錆びていたネジはあっさりと緩んでくれた。


 とりあえず、これで侵入経路は1つ提供できるわけだが……裏庭に回り込む手段については向こうで何とか考えてもらおう。


 個人的にはこの裏庭からの侵入を推したい。正門からの侵入は不可能……というか、察知される可能性が極めて高い。ワインを持ってきた時もそうだったが、呼び鈴もなく番兵もいなかった筈なのに、正門は私たちの接近を察知して自動で開いたのだ。


 この屋敷には何かあるな、と思いながらダクトを戻り、2階へと続く竪穴へ。壁面に足をかけてよじ登ると、すぐのところに灯りが見えた。


 一体ここは誰の部屋だと覗き込んでみると、ドアの開く音がして、先ほどの桜色のドレスの女性―――エカテリーナが、イシュトヴァーンと一緒に入ってきた。


「結婚式が楽しみね、あなた」


「ああ、そうだな。ウエディングドレス姿のリーナもきっと美しいんだろうな」


 リア充め……末永くお幸せに(爆発しろ)


「―――あら、エカテリーナ」


「お母様」


 唐突に、エカテリーナでもイシュトヴァーンでもない第三者の声が聞こえた。


 おそらくはイシュトヴァーンの自室なのだろう。そこで椅子に座り、使用人が淹れてきた紅茶とクッキーで一息入れている2人の元を訪れたのは、翡翠色のドレスに身を包んだキンイロジャッカルの獣人の女性だった。黒髪で、しかし前髪の一部は金髪になっている。


 目つきはまさに肉食獣のようなそれで、しかし獰猛さよりも冷酷さが前面に出ているのは身に纏う気品ゆえだろう。貴族らしい振る舞いが、良い具合に血の臭いを隠しているような……そんな気がしてならない。


 お母様、という事はやはりあの女がそうなのだろう。


 バートリー家の主、『エリザベート・バートリー』。


 転生前の世界、大昔のハンガリーにも同姓同名の貴族が居たのを思い出す。若い女性を何人も連れ攫っては残忍な方法で殺害した連続殺人犯が。


 単なる偶然であってほしいのだが……。


「それが新調したドレス? 貴女にぴったりね」


「ありがとうございます、お母様」


 ゆっくりと歩み寄ると、エリザベートはエカテリーナの頬に触れた。


「とても素敵よ……真っ白で美しい肌によく栄えるわ」


 なんだろう、義理の娘を褒めるというよりは、品定めをしているようにも見える。後ろに座る息子のイシュトヴァーンはというと、それを黙認しているというか……止めようとしない辺り、あの男の本心が窺い知れる。


 一旦格子を離れ、さっきの竪穴へと戻った。壁面に足をかけ、そのまま3階へ。


 エリザベートが自室を留守にしている事はたった今確認できた。あのまま親子3人の寸劇を眺めていたいところだがそうもいかない。あの女が、そしてイシュトヴァーンが何を考えているのか、それを突き止める必要がある。


 さてさて、一族の主ともなれば自室を一番高いところに構えるのが当然である。案の定、3階の格子から覗いていると、それっぽい部屋に行きついた。


「うわ」


《な、なんか悪趣味ねぇ……》


 壁に飾られらた絵画には、血で満たされたバスタブで悦に浸る魔女が描かれている。まさに私の知るエリザベート・バートリーその人のようだが、それよりも目を引いたのは部屋の机に置かれている品物の数々だった。


「なんだよありゃあ」


 この映像は、隠しカメラでマルガレーテも見ているだろう。


 古いハンガリア語(おそらく古代マジャール語だ)で書かれた黒い革の本に……燭台の近くに置かれているのは人骨だろうか。うっすらと黄色く汚れた人間の頭蓋骨が3つ、いや4つ、悪趣味なインテリアのように置かれている。


「マルガレーテ、あれ見えるか」


《―――セロ、あいつクロよ》


「まさかアレが……」


《そう、間違いないわ》


 今まで生きてきた中で、こんなにも腹の奥が冷たくなった瞬間は無いだろう。


 嫌な予感が的中した時というのはいつもこうだが―――今回ばかりは、レベルがあまりにも違い過ぎた。





《―――あの本、黒魔術の魔導書よ》




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