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悪い噂、赤い夕陽


「ちょっ、オイ! ミカ、どうしたんだよミカ!?」


「ご主人様!」


 こうしてはいられない。


 ヘッドセットを半ば放り投げるように手から離し、列車の中を全力でダッシュしてホームへと飛び降りた。冒険者意外に何もないレンタルホームから、線路を跨ぐ通路へと向かって階段を一気に駆け上がる。


 バートリー家。


 女が消える屋敷。


 クソッタレが、と小さく吐き捨てた。


 もしそれが単なる噂話であるならば、それに越した事はない。しかしもしこの胸中に渦巻く懸念が現実のものとなったのだとしたら……その噂話が本当だったのだとしたら。


 姉上はハンガリアの恐ろしい貴族の元へ、生贄として差し出されることになる。


 何故だ、クソ親父。


 そんなにも権力が欲しいか? 


 自分の血を分けた愛娘を生贄にしてまで、そんなことをしてまでも権力が欲しいのか?


 通路を突っ走り、一般用のホーム……ではなく、貴族用の一等列車が停車しているホームへと向かう。完全な貴族専用で、平民お断りの列車だが、リガロフという名を名乗れば通してもらえるかもしれない。


 先ほどちらりと見た時刻表には、ハンガリア方面行きの列車があると表示されていた。もしまだ姉さんがハンガリアへ旅立っていないのだとしたら、乗る可能性が一番高いのはその列車だ。


 天井にぶら下がる時刻表を見た。例のハンガリア方面行きとなっている一等列車が、あと1分もしないうちに2番ホームから出発するようだ。


《ハンガリア、王都”バルベスト”行きの列車は間もなく発車いたします。危ないですから、白線の外側には出ないでください。なお、当列車は一等列車となっており、平民の方の乗車は例外なく―――》


 スピーカーから流れる駅員のアナウンスが急かすように鳴り響く。


 2番ホームへと降りる階段へ差し掛かったところで、ホームを見張っていた駅員が慌てた表情で声をかけてきた。


 貴族の安全を守るためなのだろう、駅員でありながらピストルとサーベルを携帯している。最近は貴族を狙った犯罪も多く、それに対処するために駅員に武装を認める駅も存在すると聞いていたが、エルゴロドもそういう駅らしい。


 物騒な話だとは思うが、最西端の街というだけあって海外から多くの客が訪れる。それは平民や労働者階級だけでなく、貴族や会社の経営者といった富裕層も例外ではなく、万一そういった権力者の身に何かあれば帝国の名に傷が付く。


 だから貴族の警護には、細心の注意を払っているのだ。


 俺が立ち止まる気配が無いと見るや、駅員はピストルのホルスターへと手を伸ばした。西部劇のガンマンを思わせるほどの速度で得物を引き抜き、警告と共に撃鉄ハンマーを起こす。


「止まりなさい! ここは一等列車のホームだぞ!」


「リガロフ家のミカエルです、通してください!」


「リガロフ家の……?」


 唖然とする駅員の前で立ち止まり、家紋入りのハンカチを見せた。冒険者管理局での身分証明にも使ったハンカチを目にした駅員が、警戒心を解きながらピストルを下げるのを見て、俺は再び走り出す。


 たった今立ち止まった僅か数秒の時間すら惜しい。


 ホームに停車している列車の機関車が、勢いよく蒸気を吐き出した。駅員のホイッスルの音に返事をするように、重々しい警笛の音がホームに響き渡る。


 蒸気の圧力により力を得た動輪が、重々しい金属の塊をゆっくりと前進させ始めた。連結棒がぐるりと回転を始め、豪華な装飾が施された客車が、D51よりも大きな機関車に牽引され始める。


 緩やかに進み始める列車の窓から、俺は姉さんを探した。


 どこだ。


 エカテリーナ姉さんは、どこだ……?














 生まれ育ったイライナの大地とも、今日でお別れ。


 そう思うと寂しくなった。キリウの屋敷も、兄上や姉上、マカールと一緒に遊んだ実家は、今や黄金の麦が揺らめく地平線のはるか向こう。


 もしかしたら、もうハンガリアから戻って来ることはないのかもしれない―――家族には会えないのだろうかと思うと、目の周りがほんの少しだけ熱くなる。


「……やはり寂しいのかい、リーナ?」


 窓の外の景色をぼんやりと眺めていると、私の心境を悟ったのか、向かいの席で小説を読んでいたイシュトヴァーン様が声をかけてくれた。


 いけない、今更祖国を離れるのが寂しくなって泣いているなんて知られたら、リガロフ家の名に傷が付いてしまう。私だっていつまでも子供じゃない、もう立派な1人の貴族の女なのだ。そしてこのお方の伴侶として、ハンガリアの地で幸せにならなければならない。


 過去を振り向いている時間は、もうない。


 前だけを見よう、と自分に言い聞かせながら、まだイライナ訛りの残るハンガリア語で彼に言う。


「いいえ、もう大丈夫よ。未練は全て置いてきたもの」


 ハンガリア語の習得にはとにかく苦労した。お父様ったら、バートリー家との婚姻が決まるよりも前からハンガリア出身の使用人を雇って、私にハンガリア語を教えようとするくらいなんですもの。


 文法も、発音も全く違う異国の言語を覚えるのはなかなか大変だったし、今も分からない単語はたくさんある。訛りだってまだ残っているから、人によっては私の話すハンガリア語は聞き取りにくいかもしれない。


 けれども私はもう、ハンガリアの―――バートリー家の女。


 さようなら、みんな。


 いつかは里帰りに戻って来るわね、と窓のカーテンを閉めようとしたその時、警備員たちがずらりと並ぶホームを全力で疾走する黒い影が見え、目を見開いた。


「……ミカ?」


 間違いない、あの小ぢんまりとした背丈と闇のような黒髪。前髪は一部が白くなっていて、傍から見れば奇妙な模様の仮面のよう。


 ホームを走る彼を止めようと、警備員たちがミカを取り押さえようとする。けれどもミカの動きはネコのように素早く、しかも身体の小ささも手伝って、警備員たちの間をするりするりとすり抜けていくものだから、なかなか捕まる気配がなかった。


 私を見送りに来てくれたのかしら、と思いながら笑みを浮かべると、ミカは何かを必死に叫んでいるように見え、何があったのかと違和感を感じてしまう。


 まるで何かを止めようとしているような……私を呼び止めようとしている?


 けれども彼の声は列車の中までは届かない。


 貴族専用の一等列車ではよくある事だ。客である富裕層の人間や貴族が快適な旅を送れるよう、外の騒音は全てシャットアウトされる構造になっている。防音性が高い素材を使った壁に窓ガラスで覆われた車内には、レールの繋ぎ目を車輪が踏みつける音すら聞こえない。


 何かしら、と窓を開けようとする私の手を、イシュトヴァーン様の真っ白な手がそっと押さえる。


「あなた……?」


「リーナ、窓を開けるのは危ないよ」


 そう言いながら、イシュトヴァーン様は窓のカーテンを閉めてしまった。


 ミカ……。


 貴方、私に何を伝えようとしていたの……?














「全く、困りますよ。一等列車なんですから」


「すみません……」


「今回は厳重注意という事で済ませておきますが、次は憲兵に突き出しますからね!」


 駅員に厳重注意を受け、クラリスと一緒に頭を下げてから、けれども収まらない胸騒ぎを胸に踵を返して列車へと戻る。


 多分、俺の声は聞こえてはいなかった筈だ。ハンガリアに行ってはいけない、その男は危ない―――その訴えは、姉さんの耳には届かない。


 一等列車の防音措置は完璧だ。乗った事がないから何とも言えないが、外の音はほぼ完璧にシャットアウトするのだという。だからさっき、ホームで叫んだ言葉は一片たりとも姉の耳には聞こえていないに違いない。


 それに―――まるで俺を拭い去ろうとするかのようにカーテンを閉めたイシュトヴァーンの態度からして、例の噂の信憑性は一気に増した。


 確たる証拠がない以上断言できないが、バートリー家で女が消える、という噂は事実である可能性が高い。


「ご主人様、急にどうなさったのです?」


「セロからの情報だ……バートリー家では女が消えるらしい」


「それはどういう事で……?」


 通路を歩きながらレンタルホームへと向かう。


 線路の上を跨ぐ通路のすぐ下を、ボルコフツィ駅から来たと思われる列車が、ベラシア方面へと通過していった。濛々と立ち昇る黒煙が通路の窓ガラスの外を覆い、通路の中は一時的に闇に閉ざされる。


「バートリー家には女の使用人が居ない。屋敷に居る女は、アイツの母”エリザベート・バートリーただ1人。そしてその息子、イシュトヴァーンにとって……」


 煙が晴れ、夕日が通路の中へと差し込む。


 それはただ、赤かった。


 炎のように、血のように。


 どこまでも赤々としていて、まるで地獄への入り口が開いたかのよう。


「―――エカテリーナ姉さんは、3人目の妻になる」


「ちょっと待ってください、それでは前の2人の妻はどこへ……?」


「わからん……だが、結婚したという知らせ以降、セロもその後の妻の姿は見ていないらしい」


 セロも富裕層の人間だから、屋敷に居た頃は貴族との付き合いもあったらしい。あの口ぶりとバートリー家の内部事情にやたらと詳しかった事から、実家がバートリー家とそれなりに太いパイプを持っていたか、まずまずの付き合いがあったのは確定だろう。


 彼女の情報の信憑性は、いよいよもって高まった。


 しかし、まだだ。


 目の前にはおぞましい絵画のパズルがある。バートリー家の実態という、おぞましい絵画を模したパズルが。


 最後のピースがまだ、収まっていない。


 全てのピースが揃わなければ、パズルは完成したとは言えないのだ。


 列車に戻り、ブリーフィングルームに置かれている無線機に向かった。スイッチを入れてヘッドセットを手に取り、まだそう離れてはいないであろう位置にいるセロを呼び出す。


 1分くらい待つと、ノイズ交じりにちょっと高飛車そうな少女の声が聞こえてきた。セロではない、彼女と一緒にいたマルガレーテという貴族の少女の声だ。


『はい、もしもし?』


「マルガレーテか。セロは?」


『ちょっと待ちなさい……セロ、ミカからよ』


『……なんだ』


「セロ、そちらの現在位置は」


『イライナ地方とベラシア地方の境界線。あと10㎞も進めば検問所だ……何か?』


「至急、ハンガリアに戻れって言ったらどうする?」


 傍らで控えていたクラリスが、ハッとした表情でこっちを振り向いた。まさか、とでも言いたげな彼女の顔を見上げ、真面目な表情で頷く。


『―――バートリーの一件か』


「ああ、ついさっき姉さんを乗せた列車がハンガリアのニレージュバルザへと向けて出発した。もしさっきの話が本当だったら……姉さんが危ない」


『それで私に救えと?』


「いや、そこまではしなくていい。ただ事前の偵察と―――ハンガリアへの密入国の手筈を整えてほしい」


 正規の手続きを踏んでいる時間はない。パスポートの申請なんかしている間に姉さんの身に何かあったら、何とも間抜けな結末に行きつく事になる。


 それだけじゃない。正規の手続きを踏むという事は入国の履歴が残るという事で、ハンガリアでもしバートリー一族とドンパチやり合う事になったら、入国履歴から俺たちの居場所や正体が辿られお尋ね者、という事になりかねない。


 だからこその密入国だ。これなら記録は残らない。


 だいぶ裏側の人間になってきたな、と自嘲してから、俺はさらに続けた。


「もちろんタダでとは言わない。密入国の協力と情報収集、やってくれたら100万ライブル支払う」


『……なんだって?』


「ご主人様!」


 ここでやっと、クラリスが俺の手を掴んだ。


「そんな大金を……いくらお姉様のためとはいえ―――」


「―――命は金じゃあ買えないんだよ!」


「!!」


 世の中、金が全てだ―――それが俺の考えだが、例外もある。


 人の命だけはどうしても買えないのだ。どんな大金を積んでも、死者が蘇る事は無い。絶対にだ。


 姉さんの身に何かあってからでは遅いのだ。


「クラリス……確かに馬鹿げているかもしれない。単なる思い違いで、杞憂かもしれない。それはそれでいいんだ、俺が間抜けだっただけの話だ」


「ご主人様……」


「でもな……姉さんの身に何かあってからじゃ遅いんだよ。どんなに大金を払っても、死者が生き返るなんて事はありえない。この命は一度きりで、だからこそ重く尊い存在なんだ……命は買えない。だがその命が、明日を生きる事が出来るというのなら、10万だろうと100万だろうと投資してやるさ!!」


 無線機の方を向き直す。今のやり取りも、きっとセロには届いている事だろう。


「セロ、頼む……姉さんを救う手伝いをして欲しい」


『……なるほど、お前の気持ちは伝わったよ』


「……有益な情報1つにつき、追加で10万ライブルの報酬を上限なしに支払う」


『本当に良いのか?』


「ああ、構わん」


 彼女に支払う報酬はもちろん自腹だ。今まで強盗で稼いだ大金、そのほとんどをつぎ込む事になるだろうが俺はそれで構わない。


 姉さんが無事であるならば、いくらかかろうが関係ない。


「どうか、俺の我儘に付き合ってほしい。姉さんのためだ」













「で、どーするのよ」


 ミカたちから貰ったジャムパンをもぐもぐと頬張りながら、後部座席でマルガレーテが問いかけてくる。


 私たちが居るのはイライナとベラシアの境界線付近。ここから少し車を走らせれば、やがて目の前にベラシア側の検問所が見えてくる筈だ。そこで冒険者バッジを提示すれば、ベラシア側へと行けるだろう。


 旅の目的を、そこで果たせる。


 けれども、気が付くと私はランドクルーザー70のハンドルを切り、アクセルを踏み込んでいた。アスファルトで舗装された道路の上で、空転したタイヤがうっすらと白煙を発し、運転席の中にまで微かにゴムの焼ける悪臭が入り込んできた。


 血のように紅い夕陽は、西へと―――私の祖国(ハンガリア)のある方向へと沈みつつある。





「―――友人からの頼みだ。断れんよ、お嬢」






 

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