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狂気はいつも闇の中に


 別室に宿泊する事となったミカエルたちに『眠いから先に寝る』と告げたセロは、割り当てられた小さな部屋で早くも寝息を立てるマルガレーテの寝顔を見下ろし、今はこんなにも楽しそうに毎日を過ごす彼女に安堵した。


 出会ったばかりの頃を思い出すと、今でも胸を締め付けられる。現実は残酷だ、とはよく耳にする言葉だが、まだ年端もいかない少女に―――それもグライセン王国の伯爵家の娘にあんな残酷な運命が待ち受けているとは思いもするまい。


 両親が政争に敗れて領地を没収された挙句、無実の罪で他の貴族の奴隷へと成り下がる―――それだけでも十分だというのに、運命の女神はどこまでも残酷だった。


 奴隷の身に落ち、他の貴族の元へ”商品”として送り届けられる途中で、彼女たちは魔物に襲われたのだ。まだ幼く、安全な貴族の屋敷で過ごしてきた彼女にとって、周囲から響く断末魔や魔物の唸り声、肉を引き千切られる音がどれだけ恐ろしかったかは言うまでもあるまい。


 何とか命からがら逃げだしたものの、彼女が息を潜めて隠れていた洞窟はゴブリンの巣で―――武器もなく、戦い方も知らず、すっかり疲弊しきっていた彼女に抗う術などなかった。嫌だ、やめて、とどれだけ叫んでも、助けを求めても、誰も手を差し伸べてくれることは無かった。


 たまたまセロがゴブリン退治の依頼を受けて洞窟を訪れた頃には、既に彼女は無残な姿になっていた。いったいどれだけの間、ゴブリンたちに―――言葉も通じぬ獣たちの欲望をぶつけられてきたか、想像もできない。


 救い出してからというもの、しばらく彼女は心を開く事は無かった。行く当てもない彼女を保護し、こうして一緒に旅を続けてきたものの、マルガレーテが再び笑みを浮かべるまでには長い年月を費やした。


 昔の事を思い出す度にセロは強く思う。


 もう二度とあんな思いはさせない、と。


「お嬢」


 すうすうと寝息を立てる彼女の頬をそっと撫でる。手のひらの温もりで融けてしまいそうなほど儚いマルガレーテの肌に触れながら、セロは誓う。


「……お嬢は、マルガレーテは私が守る」


 必ずな、と小さな声で呟き、自分に割り当てられたベッドに向かった。


 そのまま横にはならず、腰掛けたままメニュー画面を召喚。目の前にゲームのメニュー画面を思わせるウィンドウをタッチし、生産済みの武器の中からとっておきの1丁を呼び出す。


 いつの間にか、手のひらにはずっしりとした重火器の感触があった。


 『GM6 Lynx』―――ハンガリーで開発された、最新型の対物アンチマテリアルライフルの1つである。一見するとサムホールストックを採用しているようにも見えるが、グリップの後部に機関部レシーバーがあるブルパップ式となっていて、このカテゴリーの銃の中では小型である。


 使用弾薬は12.7×99mmNATO弾。ブローニングM2重機関銃にも使用される、50口径の大型弾薬だ。その質量の重さは長距離射撃において風の干渉を許さず、また人体を引き裂くほどの威力を保証する。


 そんな弾丸を、セミオートマチック方であるが故に矢継ぎ早に射かける事が出来るのだ。しかも対物ライフルの中ではコンパクトな部類である事もあり、このライフルに限っては”大威力だが取り回しに難がある”という問題が生じない。


 通常の弾丸が通じない魔物に対するセロの切り札であり、この山猫(Lynx)は彼女の殺意の象徴でもあった。


 それとマチェットを用意し、セロはあの”嫌な予感”を思い起こす。


 これは獣人全般に言える事だが、人間だけではなく獣の遺伝子も兼ね備えているからなのだろう、獣人の多くは殺気だとか生き物の気配に対しては、人間のそれよりも遥かに鋭敏である。


 さすがに個人差はあるが、セロだけはこの村の異様さを何となくだが感じ取っていた。


 おかしい、と判断するに足る証拠を目にしたわけではないし、村人のおかしな振る舞いを目の当たりにしたわけでもない。しかし―――まるで罠にかかった獲物をじわじわと追い詰めようとしているような、そのような気配を村人たちから感じ取っていた。


 それは出発前には感じなかった気配だった。


 一体何があったのか、セロにも分からない。


 しかし今は十分な備えが必要である、という事だけは確かだった。













 嫌な夢を見た。


 昔の夢だ。あの頃の夢―――幸せだった毎日が、ある日唐突に崩れ去っていくあの時の夢。


 思い出すだけで心が壊れそうになる。できる事ならばあの過去を記憶から消し去ってしまいたい……常々そう思うし、実際に記憶を消す魔術というのも研究されているらしいけれど、辛い過去を乗り越えるのもまた強さなのだ、と自分を説得して押し留める。


 唯一の救いは、こうしてちゃんと悪夢から覚める事ができる、という事。


 しかし私を悪夢の底から引っ張り上げたのは、セロの声などではなく―――部屋のドアをノックする音だった。


 こんな夜中に誰だろう?


 部屋に時計は無く、正確な時間は分からない。日付が変わったのかどうかすらあやふやで、人間とは時間が把握できないだけでこんなにも不安になってしまうものか、と痛感する。


 とにかく出なきゃ、と思い身体を起こそうとするけれど、そうするよりも先にゆっくりとドアが開く音が聞こえて、私は反射的にベッドに潜り込んだ。


 返事もしていないのに勝手に部屋に入って来るなんて……一体どこの誰か、と憤りつつ、しかしベッドから飛び出す勇気もなかったので、毛布の隙間から侵入者の様子を伺う。


 真っ暗な部屋の中、小さなランタンの灯りだけが浮かんでいる。ランタンの中で燃える火の灯りにぼんやりと照らされて浮かび上がったその顔は―――ああ、確か村長の妻だ。あの羊の獣人の村長と一緒にいた、同じく年老いた第二世代型の羊の獣人の老婆。白髪で真っ白になった頭髪の中からは、ぐるぐると捻れた羊の巻き角が覗いている。


 しかし様子が変だった。あの時、ヴォジャノーイとかいうカエルのバケモノを退治した私たちを暖かく迎えてくれた時のような様子は微塵もなく、まるで表情の変わらぬ仮面でも被っているかのような、どこか人間離れした無機質さがその顔にはある。


 ゆっくりと、床の軋む音を立てながらベッドに近付いてくる村長の妻。最初に目指したのはセロが眠っている隣のベッドだ。ベッドの傍らに立った村長の妻の顔が、ここからはよく見えた。


「……!」


 次の瞬間、村長の妻は片手に持っていた包丁を振り上げた。何の変哲もない、キッチンで食材を切るのに使うようなありふれた包丁。しかしそれは人を1人殺すには十分な鋭さを持っていて、眠っている無防備な相手であれば、老婆の力でも事足りる。


 やめて、と叫ぼうとした頃には、既に包丁が振り下ろされていた。ドッ、と毛布を刃が刺し貫く音が聞こえて、私は毛布の中で目を見開く。


 そんな……そんな、セロが……!


 突き立てた包丁をゆっくりと引き抜く村長の妻。あんなに私たちを暖かく出迎えてくれたというのに、どうしてこんな事を?


 しかし―――その包丁の刃を見て、私も村長の妻も異変に気付いた。


 セロに突き立てた筈の包丁には、一滴たりとも返り血が付着していないのだ。


 これはどういうことか―――まじまじと包丁を見下ろす村長の妻に、その時背後から猛然と影が襲い掛かる。


「!!」


 ガギュ、と金属同士がぶつかり合う音が部屋に響いた。


「寝込みを襲うとは、やってくれるじゃあないか」


「セロ!」


 影の正体はセロだった。ベッドの脇にあるクローゼットの影に隠れて様子を伺っていたのだろう―――彼女はきっと、こうなる事を見越していたに違いなく、既にその手には鞘から引き抜いた状態のマチェットがある。


 しかし唐突に敵意を露にした村長の妻は、セロの奇襲にも反応して見せた。老婆とは思えない動きで後ろを振り向くや、逆手に持った包丁を構えてセロの剣戟を受け止めたのだ。


 私はよく知っている。セロがどれだけ強いのかを。


 訓練を積み、実戦経験を重ね、日々身体を鍛えているセロ。けれどもその膂力をものともせずに鍔迫り合いに持ち込むとは、あの人は本当に村長の妻なの? 


 ギャリッ、と鍔迫り合いになっていた互いの刃が滑る。


「―――」


 表情すら変えず、村長の妻は逆手に持った包丁を振り下ろした。けれどもその切っ先がセロの褐色の肌を貫くよりも先に、彼女の全体重を乗せた本気のタックルが、老婆の年老いた身体を打ち据える。


 がくっ、と村長の妻の体勢が崩れ、大きな隙を晒す。その隙に一歩踏み込んだセロは、獲物を仕留めにかかる狼のように鋭く、マチェットを左から右へと一閃した。


 老婆のしわだらけの首に、マチェットの刀身が叩き込まれた。肌が切り裂かれ、紅い―――けれども何か人間のそれとは質感の違う血が噴き上がる。


 ごろり、と切断された老婆の頭が床に転がった。


「セロ!」


「……お嬢、逃げる準備をしておけ」


「これは一体どういうこと……?」


「わからない。でも―――」


 ここは拙い、と続けようとしたセロの言葉を、床に落ちたランタンの灯りに照らされた老婆の亡骸―――その断面から覗いた光景が遮る。


 普通、ヒトの断面とは赤いものだ。肌の下には肉があって、臓物があって、骨格がある。けれども今しがた止むを得ずに首を刎ねた村長の妻の死体から覗くそれは、明らかに人間のものではない。


 確かに肉のようなものはあった。けれどもそれは赤い繊維を幾重にも束ねたようなもので、首の骨の断面からも何か、機械の断面のような回路が覗いている。


 そして何より、傷口から流れてくる血の質感が人間のそれとは違った。


 どろりとした赤ワインのような質感ではなく、安物の紅い塗料のような、半透明の液体だったのだ。


「なにこれ……機械……?」


 相手は人間ではない―――そう確信したセロの目つきが、変わる。


「くそっ、ミカ達が危ない!」














 コンコン、と部屋がノックされる音に、まどろみの中にいたミカエル君の意識は呼び戻された。


 さっきまで主人である俺を抱き枕にして、わざとなのかは分からんが人の顔を胸に押し付けながら眠ろうとしていたクラリスが、不機嫌そうに顔を上げる。しかしこっちは泊めてもらっている身、文句は言えない。


 不機嫌そうに起き上がり、クラリスは枕元にある自分のメガネを拾い上げた。俺もベッドから出て上着を羽織り、AKを背負ってから部屋のドアを開ける。


「はーい」


「ああ、夜分遅くに申し訳ありませんのう」


「あれ、村長さん?」


 ドアの向こうに居たのは第一世代型の羊の獣人―――アリク村の村長のようだった。その隣には40代くらいの羊の獣人(こっちは第二世代型だ)も立っていて、親しげな笑みを浮かべている。


 息子さんだろうか。


「先ほど、街まで農作物を売りに行っていた息子が戻ってまいりましてな。村を救ってくださった冒険者様にぜひ挨拶がしたいと」


「息子のエフゲニーです。この度は村を救っていただき、本当にありがとうございます」


「ああ、いえいえ。当然の事をしたまでですよ」


 なんか照れ臭いなとは思ったが、違和感も感じていた。


 そういうのがここでは当たり前なのだと言ったらそれまでだけど―――普通、こんな夜中に(もう日付変わるぞ)部屋を訪れるだろうか? お礼を言うならば明日の朝でもいいんじゃないか?


 いや、農夫は朝早くから仕事を始めるというし、下手したらチャンスがないから今来たのではないか、と考えたところで、向こうの部屋から何かが倒れるような音が聞こえてきてぎょっとする。


 あそこは確か、セロたちが寝泊まりしている部屋の筈だが……?


「今、何か……?」


「ああ、何でもありませんよ。お気になさらず」


「いやでも」


 ふふっ、とエフゲニーが笑みを浮かべた。


 何かおかしい―――腰のルガーへ手を伸ばそうとした時、こめかみに冷たい金属を押し付けられたような感触がして、ぴたりと右手が静止した。


 金属の筒状の物体。こんな状況だ、それが何なのかくらいは分かる。


 フリントロック式のピストルだった。


「ご主人様!」


「―――何者だよ、アンタ」


 視線だけを動かして、村長とその息子を睨む。


 ゾッとした。今のこの2人の顔には、先ほどまで浮かべていた人間らしい表情は無い。無表情のまま、まるで機械のような無機質さを纏う2人を見上げていた次の瞬間だった。


 ドカンッ、と装薬の弾ける音。それと同時に、唐突に2人の上半身が綺麗に消失した。皮膚があっさりと千切れ、赤いファイバーのような繊維を幾重にも束ねたような人工筋肉の切れ端と、黒く染まった人工骨格、そして安物の塗料を思わせる質感の、半透明の紅い人工血液が床に散らばる。


 こいつらまさか、と村長たちの正体を看破しつつ、廊下の方を振り向いた。


「ミカ、無事か!?」


「セロか、助かった!」


 廊下に居たのはGM6 Lynxを手にしたセロ。隣にはMG42を腰だめに構えたマルガレーテもいて、2人ともすでに準備万端のようだ。


「ご主人様、こいつらはまさか……!」


「ああ、間違いない……例の機械人間だ」


 こんなところにも”組織”の影響が及んでいたか。


 そこで俺は思い出す。ヴォジャノーイの巣となっていたアレスク沼の畔、そこに散らばっていた人骨の中に羊の獣人の頭蓋骨も含まれていたことを。


 まさかとは思うが……あの時あそこに散らばっていた大量の人骨、あれはアリク村の村民たちの骨だったのではないか?


 もしこれが例の組織の罠で、俺たちを消すためだけに仕組まれたのだとしたら―――そしてあの骨がこの村の村民たちのものであるのだとしたら、例の組織は俺たちを消すためだけに村を1つ潰し、村民全員を機械人間にすり替えさせた事になる。


 そう、アルカンバヤ村での惨劇の再演だ。


 あの時と同じ事が、この村でも起こっているのだ。


「モニカ、イルゼ、逃げるぞ!!」


 このままここに留まるのは拙い。


 一刻も早く脱出しなければ……!




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