宵闇に気配は蠢く
「うへぇ……すごい数ですねぇ」
周囲に散らばる大量の死体を眺めながら、紺色の制服に身を包んだ管理局の職員は苦笑いする。
アレスク沼の畔は地獄のようだった。泥濘の色をしていた沼の畔は今や、ここを根城としていたヴォジャノーイたちの流した血や臓物の色に染まり、何ともまあ血生臭い悪臭で満たされている。誰がここまでやれと言った、と言いたげな職員は背負っていた三脚と大型のカメラ(ラッパみたいなストロボが付いたレトロな奴だ)を用意すると、その惨状を撮影し始める。
「これ、追加報酬出ますかね?」
職員に尋ねると、カメラで撮影した写真を確認していた狸の獣人はちょっと困惑したように笑みを浮かべた。
「ええと……たぶん、報酬は倍以上払ってもらえると思いますよ」
予想以上のヴォジャノーイの数に加え、その親玉であるルサールカまで討伐したのである。大規模な群れを形成するヴォジャノーイ、そのコロニーを一つ丸ごと潰したのだから、Dランクの依頼の報酬金額ではとても割に合わないレベル、と断言していいだろう。
職員がこうやって証拠写真を撮影していったし、管理局側に打診しておけば報酬金額もUPする筈だ。
後ろに視線を向けると、シスター・イルゼとモニカがせっせとヴォジャノーイの足の筋肉をナイフで削ぎ落し、保存容器に収めているところだった。ヴォジャノーイの足はイライナ南部では珍味とされていて、美食家の中にはこれを食べるためだけに高い金を払う者もいる程だ。
管理局の売店とかで売却すればそれなりの値段で買い取ってもらえるし、もちろん自分たちで調理して食べてもいい。味は鶏肉に近いけれど深みがあってなかなか美味い。焼いても良いし揚げでも良いが、一番メジャーな食べ方はスープの具材にする事だろうか。あの肉でつみれを作ってスープにして食べるのがアレーサ近辺では一般的な食べ方なんだとか。
しかも嬉しい事に、ヴォジャノーイたちはこの繁殖力だ。いくら乱獲しても個体数が減らない程……というか乱獲しまくっている現状で何とか繁殖量と消費量が釣り合っている状態だというのだから驚きである。
さて、そんな珍味扱いされるヴォジャノーイの中でも、女王とされるルサールカの足の肉は最高級である。
1つの群れの中に1体しか存在せず、しかもその獲れる肉の量も限られているルサールカの足の肉は特に高値で取引される。買い手はもちろん美食家だったり貴族だったりと、いずれも高い金を払って買い取ってくれる相手ばかりだ。
脳天に手榴弾の爆風を喰らって力尽きたルサールカの足を、セロが持っていたマチェットで豪快に切り裂いていく。お互い足は1本ずつという事になったので、右足をセロとマルガレーテが、左足を俺たち血盟旅団が貰っていくことになった。
「終わりましたわご主人様」
ヴォジャノーイとルサールカから足の肉を採取し終えたクラリスが、容器に入った赤々とした肉を見せながら報告する。売るのであればこのままでも良いが、自分たちで食べるならば血抜きしたり洗浄したりと裏処理が必要になってくる。
金……は足りてるのよな、俺たち。強盗で稼いだ金はまだまだ余ってるし、ヴォジャノーイの肉はともかくルサールカの肉は俺たちで食っていいだろう。ヴォジャノーイの肉は売り払ってギルドの運営資金に回していいか……。
肉の採取作業が終わると、沼の畔には原形を留めぬほど肉体を破壊された死体か、両足だけを綺麗に切り取られた上半身だけの死体のみが残される。これが1体や2体程度ならばよく見る光景だけど、こうも大量のヴォジャノーイの死体が転がっているのを見ると、一昔前の安っぽいスプラッター映画のワンシーンのよう。
なるべく一ヵ所に集められた死体を前に、ポーチから火炎瓶を取り出した。ポケットの中から引っ張り出したライターで着火用のハンカチに火をつけ、それを死体の山に向かって投げつける。
瓶の割れる音と共に、ガソリンに一気に火がついた。死体の山が炎に包まれ、カエルに似た魔物の死体たちが炎の中でどんどん黒く焼けていく。
ほんの数体であればこういう処理は不要なのだが、今回のように1つのコロニーを丸々潰した場合は死体もしっかり処理しなければならない。ノヴォシアで施行されている冒険者管理法第11条にも【冒険者、あるいは魔物の狩猟に従事する者は魔物の死体の処理を徹底し、疫病や他の魔物による二次被害を防がなければならない】と規定されている。あくまでも大規模な群れを潰した後に限られる規定だけど、違反すると600万ライブル以上の罰金あるいは15年以上の懲役またはその両方が課せられるので、今回のようにコロニーをまるっと潰した場合は死体の処理もしておかなければならない。
こういった死体を放置していると、血の臭いで他の魔物を呼び寄せて状況を悪化させてしまったり、疫病を蔓延させ周辺の村や集落に壊滅的な被害をもたらす可能性もあるからだ。
実際にこれを怠ったせいでもっと狂暴な魔物を呼び寄せてしまったり、疫病が蔓延して村が1つ全滅したという事例もあるので、特に大規模な魔物の群れを潰した後はしっかりと死体の処理を行おう。小規模な場合……は必要ないらしいけれど。
死体から出る水分で火の勢いが弱まり始めたところで、火炎瓶のおかわりを投入。再び炎の勢いが強まり、カエルたちの死体を急激に炭化させていく。
まあ、こういう法令もあったりするから冒険者になるには勉強も必要になるのだ。法令関係の本も購入しておいた方が良いので、これから冒険者を目指す人は参考にどうぞ。
アレスク沼の畔に漂う血の臭いが消え、ガソリンの悪臭と肉の焼ける臭いが取って代わる。
死体の山が完全に炭化し、火が消えるまで、俺たちはその炎を見つめていた。
「いやぁ、まさか奴らを全滅させてくださるとは。本当に助かりましたわい」
アイテムの補充も兼ねて一旦アリク村に戻ると、村長たちが出迎えてくれた。これでアリク村の人たちも、ヴォジャノーイの襲撃に怯えることなく農作物の収穫を行う事ができるだろう。
群れの数を減らすどころか、繁殖の原因であった女王ルサールカも潰してきたのだ。少なくとも来年の春までは、アリク村が泥濘の捕食者の脅威に晒されることはない筈である。
「これで安心して麦の収穫に精を出せます」
「それは良かった。ただ、他にも群れが居る可能性は否定できないのでお気をつけて」
さすがにそれは無いと思うが……無いよね?
出迎えてくれた村長たちに念のため警告してから、ちらりと空を見た。
既に辺りは暗くなっている。仕留めたヴォジャノーイの死体の数が多かったので、死体の焼却処分には手を焼いた。しかもヴォジャノーイが体内に含有する水分が多い事も手伝って、最終的には全員の火炎瓶を焼却処分に使う有様だった。
これ、焼却処分のためだけに火炎放射器の運用も視野に入れた方が良いのではないだろうか……割とマジで。
夜空を見上げると星が見えた。イライナの大地から見上げる星空はすぐ近くにあるようで、しかしその輝きに手が届く事は無い。
「もう夜も遅い。冒険者様、今夜は村に泊まっていきなされ」
羊の獣人の村長が、まるで孫を見守るような笑みを浮かべて言う。
確かに周囲はもう暗い。いくらルーフにブローニングを積んでいるとはいえ、夜に活動を開始する狂暴な魔物に襲撃されればひとたまりもないだろう。多くの冒険者が夜間の活動を控える最大の要因である。
本当に狂暴な魔物は、日が沈んでから姿を現すのだ。
「しかし、さすがにそれは悪いのでは?」
「いやいや、そんな事はありませんぞ。むしろ村の危機を救ってくださった方々です、何かお礼がしたい」
どうすんべ、とクラリスの方を見た。隣にいる彼女は『私は別に構いませんよ』的な顔でこっちを見返してくる。まあ、村長の好意を無下にはできないし、この暗さだ。今からエルゴロドまで帰るとなったら2時間ちょっとはかかる。
既に21時を過ぎている事と、帰り道は舗装もされておらず、外灯もない真っ暗闇である事を考慮すると、今からエルゴロドまで車で戻るのもなかなかの自殺行為と言えた。
「分かりました。ではお言葉に甘えさせていただきます」
「ええ、それが良い。既に向こうの空き家に色々と用意させておきました。今夜はあそこで寝泊まりしていきなされ。夜は魔物が危険ですからのう」
村長が指差したのは、風車の近くにある一軒の空き家だった。木造建築なのだろうか。屋根は乾燥した藁で覆われているようで、イライナ地方の農村部でよく見られる家だった。さすがに空き家と言うだけあってちょっと古い建物のようだけど、文句は言えない。
相手がせっかく用意してくれたのだ、好意は素直に受け取ろう。
車に戻り、後部座席で待機していたシスター・イルゼとモニカに事情を説明する。この暗さではエルゴロドまで戻るのは危険だという事と、村長から一泊していけという申し出があった事、宿泊先はあの風車の近くにある空き家だという事を告げると、2人も納得してくれたようだった。
クラリスがサイドブレーキを倒し、シフトレバーを切り替えて今まさに車を走らせようとしたその時、コンコン、と助手席の窓を叩く音がして、俺は視線を窓の外へと向けた。
そこに居たのはセロだった。顔には何かを気味悪がっているような……いや、警戒しているような表情が浮かんでいる。
まるで外敵の足音や臭いを察知した野生動物のような、逃げるべきかやり過ごすべきか考えているような、そんな顔だった。
「どうした?」
窓を開けて問うと、セロは視線をちらりと村長の家に向けてから答える。
「いや、私の思い過ごしだとは思うんだが」
「?」
「なんというか……言葉には上手く言い表せないんだが、なんというかその……なんだろうな、”嫌な予感”がする」
「嫌な予感?」
小声で問いかけると、こくり、とセロは首を縦に振った。村長の家の玄関の前では、村長と彼の妻がニコニコしながらこっちを見守っている。幸い、この会話はブハンカのエンジンの音で彼らの耳には届いていないだろう。
「どういう事だ?」
「分からん……本当に思い過ごしであって欲しいんだが、油断はするな」
「……あ、ああ、分かった」
嫌な予感、とは。
クラリスの方を見てみると、彼女の目つきも鋭くなっていた。まるで外敵を目にするような鋭い視線を、まるで孫を見送る祖父母のように柔和な笑みを浮かべる村長夫妻に向けている。
彼女も何かを察知したのだろうか?
嫌な予感……一体なんだ?
車を少し走らせ、風車の近くにある空き家の前へと移動させる。車を降りると空き家の前にはシマリスの小柄な獣人がいて、大きなドングリをガリガリと齧りながら俺たちの事を待っていた。
「ああ、冒険者様。どうぞこちらへ、寝具類一式は揃えてあります」
「どうも」
玄関を開けると、木造建築特有の香りがした。ちょっと黴臭さも残っていたけれど、家の中はきれいに掃除されていて汚れは全く気にならない。
玄関のすぐ目の前がリビングになっていて、その奥に廊下と個室がある。もちろんここはエルゴロドから離れた場所にある農村部なので電気なんてものはなく、照明は天井に吊るされた大きめのランタンが発する優しい灯りくらいのものだった。
もちろんシャワールームなんてものも無いし、水道もない。飲み水は外にある井戸から汲み上げねばならないようで、なんというか……シャワーも電気も当たり前だったキリウ育ちのミカエル君からすると、前の時代にタイムスリップしたかのようだ。
しかしこれが現実なのだろう。ノヴォシア帝国にも、聖イーランド帝国に一歩遅れる形で産業革命の波が到来して久しいが、その富を享受できたのは貴族や企業の経営者、そして一部の労働者だけ。
都市部でもその有様なのだから、農村部に住む人々がその恩恵を受けられないのも頷けるというものだ。
トラクターとか車とか、そういう代物が普及したら農村に住んでいる人たちの暮らしも楽になるのかな、などとぼんやり思いながら家の中を眺めていると、案内してくれたシマリスの獣人が「それではごゆっくり」と言い残して家を出て行った。
ふう、と息を吐きながら背負っていたAK-101を下ろし、メニュー画面を呼び出して弾薬箱を召喚。中から5.56mm弾を取り出して、ダンプポーチの中にある空のマガジンへと装填していく。
もしセロの警告がなかったら、こうして完全武装でこの家の中にはいる事もなかったし、こうして使用した分のマガジンに弾薬を装填して襲撃に備える事もなかっただろう。不穏な空気は俺だけではなくクラリスやモニカ、シスター・イルゼも感じ取っているようで、弾薬箱の中から自分のメインアーム用の弾薬を取り出しては、黙々と装填していく。
カチ、カチ、とマガジンに弾丸が押し込まれていく音が、しばらくの間家の中に響いた。
装填するのは25発程度。30発フルで装填してしまうと、マガジンのスプリングに異常が出る恐れがある。
準備を終えてから息を吐き、水筒を取り出して水を口に含んだ。
何事もなく朝を迎えられればいいんだが……。




