ヴォジャノーイ討伐討伐依頼 in アレスク沼
風を受けて、大きな風車がぐるぐると回る。
赤レンガで造られた風車で、アリク村のシンボルだそうだ。麦畑を挟んで家が何軒か疎らに建っており、畑は昨年の秋に撒かれた麦で覆われている。それはさながら黄金の絨毯のようで、頭上に広がる青空とのコントラストが美しい。
大地を埋め尽くす麦の黄金と青空は、大昔からイライナ公国のシンボルであったのだそうだ。今でも一部の店や冒険者管理局ではノヴォシア帝国の国旗ではなく、イライナ公国時代の国旗を掲揚しているところもあるのだとか。そして当然ながら、ノヴォシア地方から来た連中はそれを見てあまり良い思いはしないらしい。
イライナ人からすれば、ノヴォシア人はイライナ人に農作業ばかりをさせ、その上で胡坐をかく穀潰しのような存在。そしてノヴォシア人からすればイライナ人は兄の言うことを聞かない生意気な弟……という認識のようだ。
まあ、この辺は歴史認識とか領土問題とかめんどくせえ分野になってくるので割愛する。
アリク村の中心にある大きな建物の前にブハンカを停めてもらい、助手席を降りた。隣にやってきたセロのランドクルーザー70もエンジンを止め、中からセロとマルガレーテが降りてくる。
「随分かかったわねえ、セロ?」
「仕方ないだろお嬢。あんな不整地で、しかも前の車が蛇行運転してたんだ。十分な車間距離を開けなきゃ事故に巻き込まれちまう」
「えへ、えへへ、ご主人様が可愛いって……えへへ」
「おめーはいつまで続けとんじゃい」
デレデレしているクラリスに軽いチョップをお見舞いしてから、建物のドアをノックした。
アリク村の村長の家だ。仕事に取り掛かる前にまず挨拶しておこう、というセロからの提案で最初にここを訪れたのだが、まあ確かに礼節は大事だ。これが有るか無いかだけで印象が大きく変わるものである。
しばらくすると、ドアがゆっくりと開いた。中から出てきたのは随分と長い真っ白な髭と巻き角が特徴的な羊の獣人だった。その顔つきは人間というよりは羊そのもので、俺たちのような第二世代型ではなく、最初期に生み出された獣に近い第一世代型の獣人である事が分かる。
「はい、どなたかな?」
「ええと、血盟旅団の者です。ヴォジャノーイ討伐の依頼を受諾しここに来たのですが、仕事に取り掛かる前に挨拶を、と思いまして」
ヴォジャノーイ討伐にやってきた冒険者、と名乗ると、村長の目つきが変わった。絶望の真っ只中で光を見たような、そしてそれに縋るような……本当に心の底から救いを求めている人はこういう目をするのか、と思いながら、村長の大きな手と握手を交わす。
「おお、来てくださったか! いやあ助かります、あのカエル共のせいで農作物の収穫が出来ず、村人全員困っておったのですよ」
「任せてください、我々が連中を何とかします。依頼では20匹が規定数となっていましたが、連中の姿が見えなくなるまでは狩り続けるつもりです」
「なんと頼もしい……何卒、よろしくお願いいたします。あいにく村には管理局や冒険者向けのアイテムを扱った店はありませんが、そこの角を曲がった先にある売店で薬草や食料を販売しております。もしよろしければ活用してくだされ」
「ご丁寧にありがとうございます。では、我々はこれで」
村長に挨拶してから踵を返し、再び車に乗り込んだ。
どうやら村の人たちは本当にあのカエル共に困らされているらしい。農作物が収穫できなければ村の収入にならないし、食料も確保できず何も良い事がない。更には魔物や動物が農作物を食べに山から下りてくる可能性も考えられ、この状況は一刻も早く打開しなければならない。
助手席のダッシュボードを開け、事前に購入してきたアリク村周辺の地図を引っ張り出した。エルゴロド周辺のような湿地からは離れた位置にあるアリク村は、周囲の地形がとにかく平坦だ。南部の方に進むと湿地帯が現れ、ヴォジャノーイが好む環境になってくるのだが。
ふと、地形をチェックしていたミカエル君は不審な地形を見つけた。
よーく見ると、村の北東部に沼らしき場所があるのだ。
「……クラリス、出発はまだだ」
「ご主人様?」
後部座席に座っているシスター・イルゼにアイコンタクトを送り、無線機のマイクを取ってもらう。チャンネルが合っている事を確認してから無線機のマイクに向かって声を発した。
「モニカ、聞こえるか」
『聞こえるわ。何?』
「悪いけど、すぐ近くにある雑貨店で薬草と食料を購入してきてほしい」
『自腹?』
「まさか。レシートちゃんともらって来いよ」
『OK』
猫のようにしなやかな動きで銃座を離れたモニカが、雑貨店のある方向へと駆け足で去っていく。回復用のエリクサーではなく”薬草”……回復に使えない事はないが、回復量は専用のエリクサーと比較すると数段劣る。そのうえ食べ辛い事この上ないのだ。青臭くてもさもさしてて、噛む度に苦い汁が喉の奥目掛けて流れていくものだから、1回分食べているだけで涙目になる。
本当、エリクサーに加工してくれた先人には脱帽だ。
ランドクルーザー70で待機しているセロにも合図を送った。助手席の窓を開けて待機していると、後部座席にマルガレーテを残して運転席を降りたセロがすぐ近くまでやって来る。
「どうした?」
「ここを見てくれ、沼がある」
「……ああ、北西のこれか」
地図上では”アレスク沼”と記載されている。
「それが何か?」
「ヴォジャノーイが好む環境だ。奴らは湿気の多い場所を好む……それは成体になった後も変わらない。こういう沼とか、湿地帯を生息地として好むんだ。例外はない」
ヴォジャノーイにとって、乾燥は一番の天敵だ。
あのカエル共の肉体の80%は水分で出来ているとされている。そう、水分の比率が人体よりも多いのだ。何故なのか、と問われればちょっとミカエル君は生物学者じゃないので分からないが、両生類である事が関係しているのかもしれん。
ごめん分からん、気になる人は自分で調べてくれ。
それでまあ、保有する水分が多い関係で乾燥を極端に嫌う。帝国の生物研究所による実験では、表面の皮膚を完全に乾燥させた場合行動不能になった、という興味深い実験結果がいくつも報告されている。
だからヴォジャノーイは、それを防ぐために体表をぬめりのある体液で常に覆っているのだ。表皮が完全に乾くのを少しでも緩和するためのものなのだろうが、しかしそれにも限度がある。
故にいつでも水分を補充でき、乾燥して干からびる心配のない湿地帯を好んで生息する。
襲撃が多発しているというアリク村周辺でヴォジャノーイが好みそうな環境は、この沼しか思いつかない。
ここに来る途中でおかしいと思っていたのだ。エルゴロド周辺にあるような湿地帯がすぐ近くにあるわけでもないのに、どうしてこんな辺境の村でヴォジャノーイによる襲撃が多発するのか、と。
こんなすぐ近くに沼があれば、ヴォジャノーイが生活の拠点として選ばない筈がない。そしてその近隣に農村があれば、少なくとも”餌”に困る事は無いだろう。
「となると、最初の目的地はアレスク村かな」
「そうなるな……モニカが戻ってきたら出発s―――」
「みぃぃぃぃぃぃぃんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
声量、およそ205dB。彼女は近所迷惑とか騒音苦情とかそういう概念を知らないのだろうか、と最近よく思うようになった。というか平然と100dB以上(場合によっては200overのクソデカ声量)の声を連発できるモニカの声帯ってどうなってるんだろうか。
アレか、見た目はネコミミ美少女だけど中身は飛竜とかそんな感じか。化け物やんけ。
車に駆け寄ったモニカの腕の中には、両手いっぱいの薬草と買い物袋に入ったパンがあった。黒パンではなく普通のパンだ。焼きたてなのか、袋の中からはバターと……おそらくこれは蜂蜜か。香ばしく、甘そうな匂いがここまで漂ってくる。
イライナ西部ではこういう蜂蜜を練り込んだパンが多いのだそうだ。菓子パンとしても人気で、西部から来た商人は必ずと言っていいほどこのパンを取り扱っている。
モニカに礼を言いながら薬草と紙袋を受け取り、早速パンを一つ口に放り込みながら、やっぱり幼少の頃に食べた事のある味だ、と思いながら咀嚼する。
懐かしいな……これ、よく母さんがおやつにと買ってきてくれたあのパンの味だ。バターと蜂蜜を贅沢に使ったイライナ西部の名物。いわゆる庶民の味というやつで、貴族はこれを口にする事がないらしいのだが。
もったいない話だよな。そこまでして「ふひひwwwウチこんな金持ちだからwww貧乏人の飯なんか食べましぇーんwww」なんてやりたいのかね? 金と権力しか取り柄がないくせによくやるわ、全く。
え、ミカエル君も貴族だろって? そうだけど俺はほら、アレだから……平民や貧民の心を知ってる貴族だからさ、ほら……例外よ、例外。
最初に向かう場所も決まったところで、俺たちは車に乗り込んだ。
行き先はアレスク沼―――まずはそこからだ。
エリクサーが発明される前は、傷口の治療にはもっぱら魔術か薬草が使われていた。
その治療に使われていた薬草というのが、今ミカエル君の手の中にある瓶にぎっしりと詰め込まれた緑色の薬草だ。『ニェルチク』という名前の薬草で、その意味は古代イライナ語で『ヒマワリの葉』を意味するのだとか。
もちろん、実際にヒマワリの葉を使っているのではなく、表面にある葉脈がヒマワリの種の模様にそっくりだからという理由で名付けられたのだそうだ。傷口の治癒を促進する効果があり、イライナハーブと調合する事で広く用いられているエリクサーになる。
回復速度でも効果でもエリクサーには遠く及ばないが、これもれっきとした回復アイテムの一つだ。
瓶に蓋をしているコルク栓を開けてみると、中に充満していたパクチーみたいな臭いが助手席に解放された。なんともまあ、人を選びそうな匂いだ。好きな人は好きだろうが、ダメな人はもう徹底して駄目だろう。そのレベルである。
イライナ西部の郷土料理にはこれをさっと茹でてから切り刻み、サラダの具材にするものもあるというが、ミカエル君は正直ちょっと遠慮しておきたいな……うん。
黎明期の冒険者は負傷する度にこれを口いっぱいに放り込んでもっちゃもっちゃしていたのだというから、本当に脱帽である。エリクサーの方が飲みやすいし味もいいので、回復が苦にならないのは嬉しい。
良薬は口に苦しとは言うが、限度もあると思うの。
「凄い臭いですわね」
「どう?」
「……遠慮しておきますわ」
薬草の葉っぱを1枚取り出して差し出すが、クラリスに拒否られたので仕方なくミカエル君が食べる事に。
口の中に充満するカメムシみたいな……というかパクチーみたいな臭い。噛む度に青臭さと舌が痺れるレベルの苦みが襲ってきて、喉が収縮するような錯覚を覚える。心なしか胃もヒクヒクと痙攣し始め、まるでミカエル君を構成する全細胞が「吐き出せ吐き出せ!!」と警報を発しているかのよう。
でもまあ健康に良いのは変わりないので何とか飲み込み、マッハで蓋を閉めた。
「ミカエルさん、大丈夫ですか?」
「……なんとか」
「なんだか、火炙りにされる魔女みたいな顔になってますよ……?」
どんな顔だ。
サイドミラーをちらりと見てみると、まあ確かに火炙りで今まさに処刑されようとしている魔女みたいな顔になっている。吐き出せという身体からの抗議を無視して無理矢理飲み込んだ結果がこれである。
人間、どう頑張っても克服できないものは存在する。ミカエル君の場合は魚卵系だと思っていたが、どうやら薬草も追加しなければならないようだ。
アレスク沼はアリク村から20分ほど車を走らせた先にあった。
うっすらと霧が立ち込める沼の周辺は、車から降りた途端に分かるほどの湿気に満ちている。どうやら天は俺たちではなくヴォジャノーイ共に味方する事に決めたようで、灰色の雲で太陽を覆い隠していた。
おかげで肌寒い。もうそろそろ春も中盤から終盤へ移行しつつある時期だというのに、日本の秋くらいの気温だ。
AK-101のセレクターレバーを弾いてセミオートにすると、ランドクルーザー70から降りたセロもMC51SDの安全装置を解除。後部座席に乗っていたマルガレーテはというと、俺よりも小さい身体(145㎝らしい)に見合わぬ巨大な機関銃、MG42を軽々と手にしてセロの後ろに控える。
いや違う、よく見ると何かアームのようなもので機関銃を保持している。カメラの撮影の際、大型のカメラを保持するのに使用する”ステディカム”を改造したものなのだろうか。
原則として魔術に身体能力を強化するものはほとんど存在しない。電気信号の伝達速度を上げたりする例外は存在するが、例えば魔力を使って怪力を発揮したり、スピードを上げて高速で移動したりといった芸当は魔術では不可能である。
だから重い武器を使うにはそういうトリック抜きで、己の肉体で何とかするか、大人しく無理のないサイズの得物を持つかの二者択一を迫られるのだ。
あんな小さな身体で汎用機関銃を軽々と振り回しているのだから、マルガレーテはとんでもない怪力の持ち主なのではないかとつい3秒前まで思っていたが、なるほどそういうトリックがあったのか。
「ずいぶんデカい武器を使うんだな」
AK-101を肩に担ぎながらマルガレーテの得物を見ていると、彼女はふふん、と小さな胸を張った。
「レディはスプーンより重い物を持たないのよ」
スプーンとは。
いやいや明らかにMG42の方が重いでしょ。アレか、ステディカムで保持してるからノーカウントってか? 吊るしてるだけだからノーカウントなのか?
まあ、あの火力は心強い……そう思いながら周囲を警戒する。
クラリスと俺が前衛、その後詰にシスター・イルゼ、そして陣形の中心に位置するマルガレーテを補佐するかのようにセロが立ち回る。
耳を澄まして音を拾ってみるが、聞こえてくるのは鳥のさえずりや微かな水の音くらい。風の音がしっかりと聞こえるほど、周囲は静まり返っている。
こりゃあハズレかなとは思ったが……しかし沼の畔には人骨らしきものが転がっていて、ここで確かに犠牲になった人がいる事実を突きつけている。
頭蓋骨の側面からは羊のような巻き角が伸びている。羊の獣人だったのだろうか。骨格からしておそらく第一世代型……。
「静かだな」
どうする、と意見を求めるように呟くと、マルガレーテが前に出た。左手で綺麗な金髪を払うと、ステディカムで吊るしたMG42に手をかける。
「出て来ないなら、こっちからアプローチをかけるまでよ!」
声高らかに宣言するなり、彼女のMG42が火を噴いた。
それが俺たちの宣戦布告だった。




