邂逅
「なかなかイケメンだったわねぇ、ミカのお姉さんの旦那さん」
もぐもぐとチョコレートパフェを咀嚼しながら、どこか羨ましそうな感じに言うモニカ。そんな彼女に向かって首を縦に振りながら、俺も注文したチョコレートパフェで糖分を補充する。
確かにまあ、あの人にだったら姉さんを任せても良い。末永くお幸せに、と祈りたいところだ。父上の敷いたレールの上を走る人生ではなく、自分の幸せを掴み取るために突き進む人生だというのであれば、その選択が最善だというのであれば俺は何も言わない。
幼少の頃から世話になった姉の門出だ、全力で祝福させてもらう。
……でも。
なんだろうか、この胸にちょっと穴が開いたような感じは。
今まで身近だった人が急にいなくなる時に感じる喪失感―――そう、これが喪失感というものなのだろう。これから姉さんはイライナの地を離れ、隣国ハンガリアの地で、バートリー家に迎え入れられた花嫁として生きるのだ。
ちょっぴり寂しいが、それが彼女の望む未来だというならば引き留めはしないし否定もしない。
いつか時間が出来たら、ちょっと会いに行ってみようとは思う。
管理局の中にある冒険者向け食堂で注文したチョコレートパフェを食べ進めていると、入り口の辺りで大きく手を振りながらこっちにやって来る修道服姿のシスター・イルゼが見え、こっちも大きく手を振り返す。
「いやー、ごめんなさい。ちょっと遅くなっちゃいました」
「大丈夫だよ、俺たちも今来たところだから。何か頼む?」
「いえいえ、大丈夫です。さあ、仕事に行きましょう」
ストイックだなぁ、と思いつつパフェを平らげ、食器を返却口に戻してから会計を済ませる。
石炭の買い付けに行ったパヴェルと入れ違いになる形で列車からやってきたシスター・イルゼ。しばらくはエルゴロドに停車して機関車の整備とか装甲の強化、その他改良を進めるらしく、その間俺たちは暇なので仕事でもして金を稼ごう、という事になった。
ちなみにリーファはお留守番である。
彼女には申し訳ないが、理由はちゃんとあるのだ。
現時点で血盟旅団の最高戦力はクラリス、パヴェル、リーファの3人。パヴェルが石炭の買い付けのために列車を離れ、クラリスはこの通りミカエル君専属のメイドなので基本はセットで行動する事を考慮すると、リーファまで列車から離れさせるわけにはいかなくなる。
列車をがら空きにしたら、残るのはまだ未熟なルカと戦闘訓練すら受けていないノンナの2人だけ。謎の組織を敵に回している以上、警備に割く戦力も考慮しておかなければならない。
というわけで、パヴェル、クラリスの2人に並ぶ戦闘力を持つ(と判断された)リーファが留守番を担当することになった。本人は不満そうだったが、好きなだけルカをモフモフできるぞと言ったらニコニコしてくれた。モフモフされたらごめんなルカ。
仲間と共に掲示板の方へと進み、Dランクの依頼の中から良い感じの仕事を選ぶ。
原則として冒険者は自分と同じランクの仕事しか引き受ける権限がないのだが、より高ランクのパーティーメンバー同伴の場合に限り、パーティー全体の平均ランクに限り身の丈以上のランクの仕事を引き受ける事が出来るのだ。
モニカがCランク、俺とクラリスがDランクでシスター・イルゼがEランクだから、平均はDランクとなる。モニカからしたらワンランク下、シスター・イルゼからしたらワンランク上の仕事、俺たちからすれば適性ランクの仕事だ。
とはいっても、仕事はどれも似たようなものばかりだった。
「どれもこれもヴォジャノーイの討伐ばかりですね……」
どの依頼書も内容は似たり寄ったりだった。ヴォジャノーイ成体の討伐、ヴォジャノーイ幼体の駆逐、ヴォジャノーイの巣の殲滅……どんな辺境でも目にするゴブリンやオークたちの姿が、少なくともエルゴロドでは見当たらない。
信じられるか? ゴブリンにオークといえばよく女騎士を〇〇〇してるファンタジー系エロ同人の功労者だぞ?
「ちょっとこれは……」
ヴォジャノーイ成体20体の討伐と書かれた依頼書を手にしていると、仕事帰りなのか、マスケットを背負った冒険者のパーティーが話をしながら後ろを通りかかった。
「今年はちょっと異常じゃない?」
「去年はもっと少なかったわよね、カエル共」
「しかもカエル共の生息地ってアレーサの辺りだろ? なんでこっちで大量発生してるんだ?」
やはり、今年は例年よりも数が多いらしい。
大量発生の原因は定かではないが、エルゴロド周辺の湿地帯が彼らにとって住み心地の良い場所である事は確かだろう。適度な湿気に泳ぎやすい泥、そして豊富な餌。これだけ好条件がそろえば住み辛い生息地を捨てて西部へ移住してくるヴォジャノーイ御一行様が続出してもおかしくはない。
とりあえず、仕事がこれしかないのならば引き受けるしかなかろう。カエル共の数を減らして地域に貢献して金を貰い、ついでに珍味であるヴォジャノーイの肉で今夜はフィーバーだ。
「これにしようか」
「そうしましょ」
やれやれ。
カエル共とは長い付き合いになりそうだよ……。
棒付きのキャンディーを口に咥え(ちなみにパイン味)、5.56mm弾を装填したマガジンを6つチェストリグの中へと押し込んだ。もちろんマガジンに内蔵されているスプリングが弱らないよう、2、3発ほどマガジンから弾は抜き取ってある。
AK-101を背中に背負い、武器庫にある木箱の中からルガーP08を取り出した。8インチの銃身と、旧式のライフルのようなタンジェントサイトを備えた”アーティラリー”と呼ばれるモデルだ。32発入りのスネイルマガジンとストックを装着したこれは現代で言うPDWのような使われ方をしたそうで、後方の支援要員の他にも突撃歩兵がメインアームとして携行したという。
後は念のため手榴弾を3つ、スモークグレネードも3つ、そしてパヴェルがウォッカやタンプルソーダの空き瓶を流用して自作した火炎瓶も3つ携行し、着火用のライターも懐に忍ばせておく。
白兵戦用の武器、そして魔術の触媒として慈悲の剣を腰に下げ、胸にあるホルスターにはフリントロック式のピストルを収めておく。これはあくまでも普段外出する時、いつもAKを背負っているわけにはいかないので、そういった先進的な装備品を偽装する目的でパヴェルが用意してくれたものだが、実用性ゼロというわけでもない。信号弾や照明弾など、補助的な用途の弾丸の発射にも地味に対応している。
そりゃあベースとなったイライナ・マスケットは破格の80口径なのだから、口径が大きく大型の弾丸が利用できる、という利点を使わない手はない。特殊な用途の弾丸のみを使うのだから単発フリントロック式である事も弱みたり得ない。
装備を整えつつ、準備をするクラリスにQBZ-97用のSTANAGマガジンを手渡し、一緒に武器庫を出た。パヴェルの工房を通過して格納庫へと向かい、中に駐車されているブハンカの助手席に乗り込む。
クラリスも運転席に乗り込み、ブハンカのエンジンをかけた。冷たい格納庫で眠っていたロシア製のバンが目を覚まし、エンジン音を格納庫に反響させる。
後部座席にはMP40―――ドイツ製のSMGを装備したシスター・イルゼが乗り込み、そして車体上部に防盾とセットで搭載されたブローニングM2にはモニカがつく。
50口径の火力は頼りになるのだが、そのオリーブドラブのいかにも軍用車両といった雰囲気を醸し出す防盾には誰が書いたのか、白いペンキで『Look and smile!(こっち見て笑って!)』なーんて書いてある。
いや笑えるか、とツッコみつつ、どーせパヴェルの仕業だろうと思う事にする。少なくともウチのギルドの中でこんな洒落た英語の落書きができるのはアイツくらいだろうから。
助手席からコントロールパネルにいるルカに向かって親指を立てると、彼は手元のスイッチとレバーを操作してハッチを解放した。警報灯が黄色く点滅し、目の前の装甲で防護されたハッチがゆっくりと開いていく。
「行きますわよ」
「OK」
アクセルを踏むと同時に、ブハンカが格納庫を飛び出した。
列車の停車するレンタルホームから飛び出し、線路の上に沿って走るブハンカ。やがて近くの踏切から車道に乱入したかと思うと、唐突に現れたバンに向かってクラクションを鳴らす後続車両に中指を立てながら、クラリスは前方の車両を強引に追い抜いていった。
オイオイ安全運転で頼むよ……憲兵に目を付けられでもしたら面倒な事になる。俺もクラリスも、車の免許持ってないのだ。
そういやそろそろ教習所行かないとなぁ……車の免許は欲しいところだ。主に身を守るために。
そりゃあもし憲兵に停車するように言われて免許を確認されたらゲームセットである。それを防ぐためにも車の免許はいつか持っておきたい。
カーラジオのスイッチを入れると、流れてきたのはイライナ語のロックだった。前にも言ったけれど、イライナ語とノヴォシア語は似て非なる言語だ。ノヴォシア人はイライナ語をノヴォシアの方言扱いしているが、イライナ人は起源を同じくする兄弟のような言語である、と主張している。
例えばイライナの伝承にも残る3つの頭を持つ竜『ズメイ』。標準ノヴォシア語では発音は”ズメイ”だが、イライナ語だと”ズミー”になっていたりする。
こんな感じで単語の発音も異なっている事が多く、ちょっとしたイントネーションでもイライナ出身者だとバレるらしい。
一応ミカエル君は標準ノヴォシア語を話しているつもりだが、どうやら訛りがあるようで、前にノヴォシアからやってきたという商人と話をした時に『君随分訛ってるねー』なんてウォッカ片手に言われたものだ。
ロックが間奏に差し掛かったところで、信号がやっと青になった。今の時間帯は道路も混雑するらしく、憲兵が口にホイッスルを咥えて両手に旗を持ちながら、交通整理を行っている姿がここからも見える。
お疲れ様です、という意味を込めて敬礼すると、彼はぺこりと頭を下げてくれた。
こういう気遣い大事よ、マジで。
さてさて、エルゴロドの街を覆うグラスドームの外に出ると、いよいよアクセルを踏み込むクラリスの足にも力が入り始める。まるで獲物を眼前にし、今か今かと自由になる瞬間を待ち受けている猟犬のようだ。
憲兵の目が届かなくなったと知るや、クラリスの足が思い切りアクセルを踏み込んだ。法定速度に中指を立てる勢いで急加速したブハンカが、雨で湿ったアスファルトの上を爆走する(※危険なので法定速度は守りましょう)。
湿地の中に穿たれた道路。錆び付いた道路標識には『アリク村まで72㎞』と記載されている。
俺たちが引き受けた依頼はまあ、ヴォジャノーイ20匹の討伐。20匹、と規定されているが、それ以上の討伐に成功した場合は追加で報酬を支払うという。クライアントはアリク村の地主だ。
村の周囲でヴォジャノーイが繁殖しており、今年に入って農作業中に襲われる農夫が続出しているらしい。
それはそうだろう……農作物を収穫する季節と、成体になったヴォジャノーイが活動範囲を広げるシーズンが見事に一致しているのだ。イライナは世界一肥沃な土地を持つ農業大国だが、その農作業は命懸け、というわけである。
スノーワームといい、ヴォジャノーイといい、この地は捕食者が異様に多い。しかもそれに加えてあの殺人級の冬、とても人が住む場所とは思えないが、こっちの世界ではこれが普通なのだ。生きるためには自分の力で身を守らなければならない。誰かが守ってくれる、という甘えは死を待つのみである。
エルゴロド市街地から車で走る事30分。売店で買ったスナック菓子の袋を開け、みんなで外出する大学生のノリ(転生前ミカエル君高卒だけど)でそれを仲間に振る舞っていたその時だった。
助手席側のサイドミラーに、どこかで見たような車が後ろをついて来ているのに気付いた。
こっちの世界で主流となっているレトロな感じの車……では、ない。日本車だ。前世の世界で死ぬほど目にしてきた、それこそ親の顔より見た車だ。
確かあれは、トヨタのランドクルーザー70……。
待て、何でトヨタの車が異世界に? 転生者が製造した……いや、違う。ドライバーが転生者なのか?
それよりも。
「ドチャクソパッシングされてますわね」
「されてるねぇ」
そう、その後続車両が滅茶苦茶パッシングしてくるのだ。車間距離は適切……いやちょっと近いか。煽り運転ってほどじゃあないけど、気持ち近い。
アレだろうか。巷で噂の”名古屋走り”というやつだろうか。まさか異世界で名古屋走りされる側になるとは思ってもみなかった、と唖然としていると、モニカがブローニングM2重機関銃をぐるりと後方へ旋回させた。
喧嘩を売るなら買うぞ、という意思表示だろうか。相手が転生者かも知れず、しかも素性も知れない相手となれば、こっちも警戒せざるを得ない。ミカエル君の手も気が付いたらルガーへと伸び、特徴的なトグルを引いて初弾を装填しているところだった。
が。
「……何かの信号か?」
さっきからしつこいパッシングに、何やらリズムがある事に気付く。
【・・・ ー ーーー ・ーー・】
―――STOP。
モールス信号である事に気付いた俺は、煽り運転……ではないが、ドチャクソパッシングされている事に苛立ちを覚えつつあるクラリスに目配せして停車するように指示する。
ゆっくりと減速し、路肩へとブハンカを停車させるクラリス。車が止まったのを確認し、助手席のドアを開けて外に出る。
既に湿原は姿を消し、のどかな田舎の平原がどこまでも続く風景。しかし空気はまだじめっとしていて、近くに湿原がある事を告げている。
例のランドクルーザー70のドライバーも、車を路肩に停車させて車を降りた。
「止めてしまい申し訳ない。見覚えのある車だから同郷の者かと思ってな」
敵意が無い事を示すためなのか、少し申し訳なさそうな口調で話しかけてきたのは―――まあ、色々とでっかいのが特徴の、銀髪で肌が褐色の獣人の女性だった。




