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ボルコフツィの平和な一日


 ボルコフツィ駅の天井はガラス張りになっていた。


 前文明、すなわち旧人類が栄華を誇り、獣人たちを使役していた古き時代に造られた天井なのだという。とはいっても当時のものがそのまま残っているというわけでもなく、時折補修を繰り返しながら現代までそれを残しているのだそうだ。


 旧人類がこの世界に存在した、という痕跡を残そうとしているようにも思える。


 円形の大きなガラス張りの天井は、ノヴォシアで信仰されている宗教の一つ、『リンネ教』の紋章を模しているのだという。上部の欠けた三重の円と六芒星、そしてそれを縁取る幾何学模様(古いイライナの文字だという)。上面の欠けた円は波紋を、六芒星は天に輝く星を意味しており、リンネ教では”天の意思こそが世界を動かす”とそれを解釈している。


 どこか東洋の宗教に通じるものがあるように思えるが、それは俺が信仰しているエミリア教にも言える事だ。両手を合わせて祈るその姿は仏教のそれである。


 こういう宗教のシンボルがいたるところにある世界。宗教と魔術が密接に関係しているからこそ、この世界に宗教や信仰心は無くてはならないものなのだ。いくら自分たちに適性が無かったからとはいえ、それを理由に宗教を排斥しようというのは逆恨みも良いところではないか。


 以前に遭遇したウロボロスとかいうテロリスト(リーファがみんなやっつけてしまったが)を思い出しながらそう考える。切り離したくても切り離せない、そういう存在なのである。


 まあ、過激派はいずれ勢いを失うだろう……とはいえ共産主義者ボリシェヴィキとの繋がりも度々指摘されているので、この点は注意しておくべきだろうなとは思う。


「お待たせしました。参りましょう」


 にっこりと微笑むシスター・イルゼと合流し、俺とクラリス、そしてリーファはレンタルホームに出た。


 列車での旅である以上、日用品やら食料やらは減っていくものである。もちろんそれは燃料もそうで、朝早くからパヴェルが石炭を買い付けに奔走しているのは見ていた。蒸気機関車に燃料は欠かせない……とはいっても使っているのはあまり質が良くない安物の石炭だそうで、ゆっくり停車できるような駅では頻繁な内部掃除が必要になる、とルカがぼやいていた。


 向こうも大変だな、と思いながら買い物のメモを見た。基本的に食料品……と思いきや、シャンプーにボディソープ、リンスもだ。それから……オイオイ誰だ、買い物リストにラノベの最新刊って書き込んだのは? 


 一体どこのモニカだ、と思いながら客車の方を振り向くと、寝室の窓を開けたモニカがすっげえニッコニコで手を振りながら「新刊お願いねー」なんて大きな声で言っていた。


 旅の最中の娯楽として漫画とかラノベ(こっちの世界にも存在するらしい。転生者が広めたのか?)をおススメした結果、見事にハマってしまったモニカ。前世の世界だったらすっかりオタクになっていたであろう彼女のためにもまあ、買ってきてやろう。


 ボルコフツィはアルザとエルゴロドの中継地点として機能する都市だ。アルドラ文化が流入しやすいアルザと、最西端の街エルゴロド、双方から様々な商品に文化、人が出入りする街。きっと交易で賑わっているのだろう、と思いながら線路を跨ぐ通路を歩いていると、通路の真下に伸びる線路を特急列車が通過していった。


 客車の装飾がやけに豪華だったから貴族専用列車なのだろう。


 一応、普通の列車も貴族用の一等車、富裕層用の二等車、平民用の三等車の3つにクラス分けされていて、基本的に身分に合った車両にしか乗車できない決まりになっている。


 それでまあ、貴族は大都市くらいにしか立ち寄らないので、ああいう特急列車の多くは貴族専用となっている事が多いのだ。


 貴族の中には専用列車を持っている者もいるのだとか。ウチの実家(リガロフ家)とか。


 みんな忘れてるだろうけど、ミカエル君の実家は金持ちだからね。没落済みだけど。


「ノヴォシアは列車多いネー」


「ジョンファには無いのか?」


「ジョンファにもあるヨ、でも貴族とか地主みたいな金持ち専用ネ」


 あー、そういう感じなのか……。


 なんかそういう光景は目に浮かぶ。ノヴォシアでもそうだったのだそうだ……馬と違って疲れを知らず速度も出る列車は富裕層の乗り物で、平民は乗る事すら許されなかったのだとか。


 おかげでしばらくは馬車が現役だったそうだが、それも列車及び自動車の普及で完全に止めを刺された。今では辺境の村とかでちょろっと姿を見せる程度なのだそうだ。


 そのうちジョンファでも列車が普及したら同じように変わっていくのだろうな、と思いながら改札口を出た。


 白いレンガで造られたイライナ様式の建物がずらりと並ぶ中、ところどころに赤レンガを多用したアルドラ様式の建物も混じっているのが分かる。中にはカラフルな色彩の屋根の建物もあって、まるで童話に出てくるお菓子の家のよう。


 イライナとアルドラ、そして西方諸国の文化が混じり合ったような、良く言えば多様性に満ちた、悪く言えばちぐはぐな街並みが広がる。


 しばらく時が経てばこれも見慣れた風景になるのかな、とぼんやり思いながら食料品店を探した。前世の世界だったらスマホでアプリ使ったりインターネットで場所を調べたりと便利なのだが、残念な事にこの世界には未だにインターネット(それどころかスマホすらない)は存在しない。


 だからお店を探したりするのもアナログなやり方に頼らねばならない。通行人に道を聞いたり、その辺に乱立する看板や宣伝のポスターの山から目的の店を探すのだ。これがまた本当に面倒で、インターネットのありがたさが嫌というほど痛感できる。


 まあ、とはいってもそういった店は駅前に集中しているもので、案外あっさりと見つかったりするのだが。


「あそこですね」


 シスター・イルゼが指差す向こうにその店はあった。冒険者ノマド向けの食料品店なのか、野菜に果物、肉類の他にも缶詰などの保存が利く食料を扱っているようだった。食料に関するものだったら何でも置いてますよ、なんて謳い文句が店先の看板に書かれているがそれに偽りはないらしい。


 列車で各地を旅しながら仕事をする冒険者ノマドにとって保存食は重要だ。俺たちはまだ恵まれている方で、腕の良いシェフ(パヴェル)が毎晩ああやって美味い料理を振る舞ってくれるが、それも安定した食料の補充ができる環境に居るからに他ならない。もし食料の確保も難しい地域に進出した場合、頼みの綱は長期間の保存が可能な黒パンや缶詰、ドライフルーツとなる。


 だからこういう保存食も常にチェックしておかなければならない。


「あ、ヴォジャノーイのオイル漬けですってご主人様」


「え、何それ」


 クラリスが商品棚から持ち上げたのは円盤型の缶詰だった。表面には子供が喜びそうなくらいデフォルメされたヴォジャノーイの幼体と成体のイラストが描かれていて、隣には実際の商品のイラストが描かれている。


 へぇー、塩で味付けした肉をオリーブオイルに漬けたのか。どんな味がするんだろうか?


 興味深いな、と思いながらそれをいくつか買い物かごにぶち込んで、メモに記載されている黒パンとジャガイモ、ニンジン、あとはニシンの缶詰も指定された分だけ詰め込んでいく。


 そういや前に買ったニシンの缶詰もそろそろ食べておかないとな、と思いながら買い物かごをカウンターの上に置いた。


「ありがとうございます、3600ライブルです!」


 羊の獣人の店員さんに元気な声で言われ、財布から3600ライブルを出してカウンターの上に置いた。隣ではクラリスが手慣れた手つきで買った商品を買い物袋へと次々に詰め込んでいく。


 前にモニカと買い物に来た時はまあ、なかなか酷かった。買い物リストに無いチョコレートだのクッキーだの買いまくるし、買い物袋の一番下に軽くて壊れやすいものを入れるしで、列車に戻った頃にはせっかくのパンがぺしゃんこになっていた。


 まあ、こういう買い物を使用人に任せていたのだろうな、と思いながら見ていたが……。


 懐からイリヤーの時計を取り出し、時刻を確認。まだ午前10時を少し過ぎたくらいで、出発予定の13時までにはまだまだ余裕がある。買い物は食料品以外にも日用品やその他諸々があるが、これらすべてを買ってもお昼前には済むだろう。


 少し寄り道をして行ってもいいんじゃないかな、などと考えながら、俺はこの後の予定を考え始めた。













「はわぁ~……」


 喫茶店の席で幸せそうな声を発するリーファの隣で苦笑いしながら、目の前にあるフルーツパフェを口へと運ぶ。生クリームの甘さとリンゴの風味に甘酸っぱさ、そしてビターチョコの苦みが口の中で程よくブレンドされて、生きてて良かったと身体が歓喜に振るえる。


 リーファのリアクションも大げさだなとは思ったが、これは確かにそれくらい大げさなリアクションで感動を表現しても良かったかもしれない。


 ハクビシンやビントロング、パームシベットといったジャコウネコ科の動物はフルーツを好んで食べる性質がある。それが反映されているのだろう、俺もルカもノンナも、みんなフルーツや甘いものが大好きだった。


 屋敷に居た頃はレギーナが作ってくれるイチジクのタルトが一番美味いと思っていたが、このフルーツパフェもなかなかだ。早くも母の手料理の地位が脅かされつつある事に申し訳なく思いながらも、一緒に注文したアイスココアを口へと運びながら視線を窓の向こうへと移す。


 ボルコフツィの郊外にも広大な湿地が広がっている。聞いた話によるとここは昔は沼だったようで、そこを強引に埋め立てたのだとか。前文明の旧人類たちがいったい何をするつもりだったのかは不明だけど、ここを利用して土地の開発に手を付ける前に旧人類が滅亡して放置されたものだから、ろくに手入れもされていない大地は草で覆われ、大昔に埋め立てられた沼の水が涌き出る湿地と化してしまっている。


 こうして見ている分にはまあ、綺麗な自然が広がっているなぁ、という感じに見えるだろうが、冒険者から見ると「うわぁ、あの辺ヴォジャノーイいっぱいいるぞ絶対」としか思えない嫌な地形である。何を思ってそんな場所が一望できる立地に喫茶店を建てたのだろうか、とこの店の店主に問い詰めてみたい。


 あんなところに足を踏み入れるなんて、全身に血を塗りたくってアマゾン川のピラニアに挨拶しに行くようなものだ。ヴォジャノーイ、特に春先の幼体はそのレベルで食欲旺盛なのだから恐ろしい。


 フルーツパフェを口へと運ぶと、生クリームの滑らかな食感に混じってプチプチと何かが潰れるような感触がしてきた。何かな、と思ったが、その後に味覚に伝わる素朴な甘さがその正体を教えてくれる。レーズンだ。


 小学生の頃、給食でやたらと残されていたイメージの強いレーズンパンを思い出す。皆なんでアレ残してたんだろうか……ミカエル君、異世界転生してもなお未だに疑問に思ってるの。美味しいじゃんレーズン。勿体ないじゃんレーズン。


「お待たせしました。ご注文のチーズケーキとバニラアイスとチョコレートパフェ、パンケーキと蜂蜜入りヨーグルトです。ごゆっくりどうぞ」


 ニコニコしながら運んできた店員さんに、まるで誕生日プレゼントを貰った子供のような無邪気な笑みを浮かべるクラリス。お前こんなに食べてカロリー大丈夫か(あとお金大丈夫か)とは思ったが、まあ……彼女はほら、竜人だから。カロリー消費も莫大だからこれくらい食べないとやっていけないのだろう。たぶん。


 それはもう、今こそが至福の時と言わんばかりにチーズケーキを口に運び、ブラックホールの如くスイーツを次から次へと吸い込んでいくクラリス。シスター・イルゼとリーファはそれを見て凍り付き、クラリスが大食いである事をよ~く知っているミカエル君は苦笑いを浮かべる他なかった。


「美味しいですわ! 美味しいですわ!!」


「お、おう、それはよかった……」


「はぇー……いっぱい食べるネ。クラリスはだからこんなに胸大きいネ?」


 いいえ元からです。


 そうだよねクラリス……クラリス?


 相変わらずウチのメイドさんは色々やらかすけれども、たまにはこういう何もない一日があっても良いだろう。


 今のところ、行く先々でトラブルに巻き込まれて疲れているのだ。こうしてスイーツに舌鼓を打つ日があっても許されるはずだ。


 そう思いながらパフェを口へと運びながら、何となく嫌な予感も感じつつあった。


 ”嵐の前の静けさ”とはよく言ったものだ……。













 咆哮のような警笛が、ボルコフツィ駅のホームに反響した。天井がガラス張りになっているからなのだろう、警笛の音はいつもより大きく感じられたし、天井に反響を繰り返すものだからまるで怪物の不気味な絶叫にも思えた。


 見送ってくれる駅員に敬礼を返すルカ。やがて列車がゆっくりと動き始める。ソ連時代に建造され、しかし一度も機関車としての責務を果たすことなくスクラップとなったAA-20が、せめて異世界の地ではと奮い立つように動輪を回転させ、客車や火砲車を力強く牽引していく。


 ゆっくりと、しかし段々と速く窓の端から端へと去っていく風景を見送りながら、エルゴロドに居るであろう姉に思いを馳せる。


 エカテリーナ姉さんは元気でやっているだろうか?


 結婚相手の”バートリー家”の息子とはどういう人なのだろうか? 姉さんをちゃんと幸せにしてくれるような、理想的な花婿だといいのだが。


 ボルコフツィ駅のホームをすっかり離れ、貨物列車とすれ違いながら、血盟旅団の列車『チェルノボーグ』はぐんぐん加速していく。


 その進行方向―――エルゴロドのある方角の空には、雨雲が漂っていた。





 第九章『異世界転生も楽じゃない』 完


 第十章『血の花嫁』へ続く





 

ここまで読んでくださりありがとうございます!




作者の励みになりますので、ぜひブックマークと、下の方にある【☆☆☆☆☆】を押して評価していただけると非常に嬉しいです。




広告の下より、何卒よろしくお願いいたします……!

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