今夜は焼肉だ
かんぱーい、と仲間たちの声が重なると同時に、タンプルソーダの瓶がぶつかり合う音が食堂車に響いた。
イライナハーブ味のタンプルソーダを口へ運んで、瓶の半分くらいを一気に飲み干す。鼻腔を突き抜けていくハーブと、柑橘系のすっきりした香り。それが余韻に変わる頃には、食堂車に置かれたそれはそれはもう大きな鉄板の上にラードが投下され、脂の焼ける香りを周囲に充満させ始めていた。
「いやーお前らお疲れさん。肉をいっぱい買ってきたからじゃんじゃん食ってくれよ」
そう言いながら早くも熱々の鉄板の上にトングで肉を置いていくパヴェル。少し厚めにスライスされた赤い豚肉が、鉄板の上で煙を発しながら美味しそうに焼けていくのを眺めながら、残りのタンプルソーダを一気に飲み干す。
焼肉なんていつぶりだろうか。
多分、最後に食べに行ったのは転生前。就職して東京に行く前、高校の頃の同級生がみんなを集めてくれて、それで一緒に食べに行ったのを思い出す。あの時は割り勘だったか……。
一応だが、ノヴォシア帝国内にも焼肉店はある。店舗数はかなり少ないが、こうやって肉を注文して鉄板の上で焼いて……というスタイルの店はこの世界にも存在し、富裕層がよく足を運ぶのだとか。
日本スタイルの焼肉店もあれば韓国スタイルの焼肉店もあるらしい。転生者が広めたのだろうか?
このアルザにも焼肉店は2店舗あるようで、ちょうど街の東西に1店舗ずつ、日本スタイルと韓国スタイルの焼肉店があるようだったけど、俺たちは敢えて自分たちの列車で焼肉をやる事にした。
何故かというと、外食となると列車の警備のために人員を残しておかなければならなくなってしまい、どうしても不公平になってしまうからだ。警備のために残る側からすれば羨ましいだろうし、外食しに行く側からすれば申し訳なさ過ぎて食事が進むわけもない。
というわけで、ジャンクマーケットで売り払った”軍資金”の一部を使って肉と野菜を大量に購入し、ギルドの皆で焼肉パーティーをする事になったのである。今回の廃品回収の大成功と、リーファの歓迎会も兼ねているのだとか。
焼けた豚肉を箸で取り、手元にある皿の上へ。焼き肉のタレにつけてから口へと運び、こんがりと焼けた肉を咀嚼しながらその食感とタレの風味に酔いしれる。
「あー最高……」
「うっま!!」
モニカ、早くも別の豚肉へ箸を伸ばす。
こんがりと焦げ目の付いたタマネギに箸を伸ばし、タレの中に放り込んでから2本目のタンプルソーダを木箱の中から引っ張り出す。さーて栓抜きはどこかな、と視線を周囲へと向けていると、隣にいたクラリスがニコニコしながら指で(!?)王冠を外してくれた。
プシュッ、と炭酸の弾ける音に王冠のひしゃげる断末魔が混じった。毎度のことながら、なんでウチのメイドさんは何でも力業で解決しようとするのだろうか? アレか、いわゆるパワープレイってやつか(違う)?
「どうぞ、ご主人様」
「お、おう……クラリスも食べなよ、せっかくの焼肉なんだから」
「ええ、それでは遠慮なく」
「うふふっ、ルカ君。お肉だけじゃなく野菜も食べなくちゃダメですよ?」
「えー……シスター、俺ピーマン嫌い」
焼けたピーマンを皿の上に乗せられ嫌そうな顔をするルカ。子供か、とツッコミたくなったが彼もまだ子供、このツッコミを無効化するスキルを持っている。
苦笑いしながらとんとん、と彼の肩を叩き、ぴょこっ、と立った彼のケモミミのすぐ近くで囁いた。
「―――野菜食べるとモテるぞ」
「うん僕野菜たべりゅ!!」
「ヨシ」
さっきまでの野菜嫌いはどこへやら、皿の上に片っ端からニンジンやらピーマンやら取ってもりもり食べ始めるルカ。野菜だけじゃなく肉もな、とトングで豚肉を取ってやると、パヴェルの奴は鉄板の上に新兵器を投入しやがった。
真っ白な塩だれに漬け込んだと思われる、ホルモンである。
「ホルモン投下、投下!」
あーこれ絶対美味いやつ……!
だんだんと焦げていく豚肉の数が減っていたところで、ちょうどホルモンにも火が通り始める。そろそろいいかな、と箸でホルモンを取って冷ましてから口へと運ぶと、弾力のある食感と少し濃い目の塩だれの味付けで、口の中が幸せになった。
コレだよコレ。
大食いのクラリスのために多めに用意したのだろう、パヴェルはここぞとばかりにホルモンを大量に鉄板の上に投下していった。おかげで鉄板の周囲は煙でヤバい事になりつつある……これ明日臭いとかすごい事になりそうだ。
換気扇は回しているが、さすがに車内で焼肉パーティーをやる事は想定していなかったのだろう。早くも換気扇が仕事をしなくなっている。
さて、視線をほんの数秒ばかり換気扇に向けている間に、ホルモンの数が一気に減っていた。まさかね、と思いながら隣のクラリスの方を見上げると、口の周りに塩だれをつけながら幸せそうな顔でホルモンを咀嚼するメイドさんの姿が。
「はぁー……美味しいですわねぇー……♪」
「うお一気に減ってる」
「安心しろ同志! 数ならある!!」
お前はソ連か、と思ったところで今度は牛タンを投下し始めるパヴェル。おー、牛タンか。そういやこっちの世界に来てから食べてなかったな牛タン。
牛肉を食べる文化は普通にある。が、牛肉はやっぱり値段が高いので富裕層、特に工場の経営者とか貴族クラスじゃないと口にする事は殆どない代物で、庶民にはまず手が届かないだろう。だからノヴォシア帝国の庶民は豚肉とか、南部の方では羊肉がメインになる。あと鶏肉。
見た事の無い肉が鉄板の上に投下されたからなのだろう、俺とパヴェルを除く仲間たちが、鉄板の上で美味しそうな匂いを発する牛タンをまじまじと見つめ始める。
「あのー、パヴェルさん。あのお肉は一体?」
「牛タンだ」
「牛タン?」
「アレよ、牛の舌」
「うっ、牛の舌ぁ!?」
「ちょっとパヴェル、アンタなんでそんなゲテモノばっかり食べようとするのよ!?」
「アイヤー、牛の舌……食べた事ないヨ」
イルゼとモニカがびっくりする隣では、その手があったかと言わんばかりに興味深そうな顔をするリーファが。この辺、食文化に対する考え方の違いが顕著に表れている。
基本的に”食えそうなものは何でも食う”のがジョンファなのだそうだ。そうじゃなきゃ、昆虫の蛹だとかヴォジャノーイ亜種の肉だとか、ツバメの巣(あれは高級食材だが)だとか、そういうものまで食べてみようとはならないだろう。
興味津々のリーファはさておき、さすがに牛の舌となるとかなーり躊躇するモニカにイルゼ、そしてクラリス。スラム育ちのルカとノンナはさすがに牛の舌がどんなものか知らないのだろう、焼けていく牛タンを見ながら首を傾げている。
まあ、そりゃあそうだろう。唾液塗れになってる牛の舌を食べてみよう、とは普通はならないだろうし。
キッチンから人数分の小皿を持ってきて、自分の分の小皿に焼けた牛タンを取ってから塩胡椒を軽く振りかける。それの上にほんの少しレモン汁を垂らしてから口へと運んだ。
「ご主人様!?」
「ちょ、ちょっとアンタ!? 何躊躇なく食ってんの!?」
「で、味は?」
「ウマ過ぎるッ!!」
このちょっと硬い食感と濃厚な味がね、良いんですよ。しかもパヴェルの奴、ご親切にちょっと厚めに切ってるから食べ応えがある。これご飯欲しくなるな……。
「いやー、ノヴォシアじゃあ牛の舌なんて誰も食べないからな。タダ同然で大量に仕入れられたんだわ」
「当たり前でしょ!? 牛の舌なんて―――」
「まあいいから食ってみろって」
「じゃあワタシいただくヨー」
躊躇せずにいくリーファ。「塩胡椒がベストアンサーね」と説明すると、彼女も見様見真似で小皿に牛タンを取り、塩胡椒を振りかけてから口へと運んだ。
「……あっ、美味しい」
「でしょ?」
「え、マジ?」
ぐっ、と親指を立ててから次々に牛タンを皿に取り始めるリーファ。それを見て興味を持ったのか、クラリスも一切れ箸で取り、小皿の上でレモン汁と塩胡椒を振りかけてから口へと運ぶ。
咀嚼した瞬間に、これ本当に食べられるのか、と言わんばかりに不安そうな顔を浮かべていたクラリスの顔が変わった。
「あっ、美味しいですわ!」
「ウソぉ!?」
「え、じゃあ私も……」
「ちょっとイルゼ!?」
「モニカ、騙されたと思って食ってみなよ」
「そーだぞ」
「だぞ」
牛の舌を実際に見たことがないが故に抵抗がないのだろう、ルカとノンナも人生初の牛タンを咀嚼しながら、最後の最後まで躊躇しているモニカを後押しする。
早く食べないと無くなっちゃうよ、とパヴェルが急かすと、モニカもやっと一切れ箸で取った。不慣れな箸で小皿の上にとってから、「え、これ塩胡椒なの?」と確認しつつほんの少し振りかけ、それから口へと運ぶモニカ。
もぐっ、と咀嚼した瞬間、モニカは目を見開いた。
手にしていた箸と小皿を傍らのテーブルの上に置いたかと思うと、勢いよく窓際まで走ってから食堂車の窓を開け、声の限り叫ぶ。
「うっっっっっっっっっっっっっっっっっっま!!!!!」
「近所迷惑」
「あっはい」
さすがに夜に140dBの魂の叫びはちょっとね……というかそんな爆音を発するモニカの声帯どうなってんだろうか。前々から思っていたけど不思議である。
さて、先ほどまでの躊躇はどこへやら、次々に鉄板の上で焼けていく牛タンを我先にと箸で取っていく仲間たちを見守りつつ、先ほどから肉を焼いてばかりのパヴェルに「代わるよ」とバトンタッチを具申。彼からトングを受け取り、傍らに用意してある大皿の上からどんどん牛タンを鉄板の上へ。
いやー、勿体ない話だよな。牛タンって牛から取れる量限られてるからどうしても値段が高くなりがちなんだが、そもそもノヴォシアでは牛の舌を食べる文化がないが故に捨てられているのだ。元日本人としては信じられん。
まあ、おかげでこんなクッソ美味い高級品がタダ同然で大量に手に入って良い思いさせてもらってるのだが。
するとパヴェルは何を思ったか、いくつか牛タンを口にしてから厨房の方へと向かった。何をするつもりかと思って見ていると、彼は冷蔵庫の中から何やら新しい肉を引っ張り出し始める。
それを見た途端、俺は凍り付いた。
ヴォジャノーイ亜種の肉だ。この前リーファが持ち帰ったヴォジャノーイ亜種の足の肉。念入りに毒抜きし、鷹の爪やらニンニクと煮込んで臭みを消していたそれを取り出したかと思うと、それに鉄の串を差してキッチンのガス栓を開け、炎の上でぐるぐると回しながら炙り始めたのである。
え、嘘でしょ? 嘘だよね? 嘘だと言ってよバーニィ。
ぐるぐる~、と串を回しながら肉を焼いていくパヴェル。そのうち目をカッと見開いたかと思いきや、火にかけていた肉を勢い良く振り上げながら叫んだ。
「上手に焼けましたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「いや上手に焼けましたじゃねーよ!?」
え、何? 何やってんのアンタ。
一度茹でてから焼いたからなのだろう、表面はパリッパリになっていて、北京ダックみたいになってて美味しそうではある。確かに肉だけ見れば美味しそうだし、ここに居てもガーリックの効いたフライドチキンみたいな食欲をそそる香りはする。
が、あれ廃液を摂取して変異した亜種の肉やで……?
北京ダックみたいになったそれをみんなのところに持ってきたパヴェルは、「リーファ、できたぞ!」と達成感に満ちた顔で彼女にそれを渡した。
「おー、待ってたヨパヴェルさん!」
むしゃあっ、と何の躊躇もなくかぶりつくリーファ。パリッ、と焼けた表面が美味しそうな音を発し、先ほどまで感じていた抵抗が霧散していくのが自分でも分かった。
「ン、やっぱり美味しいネこれ。春巻きの中身にしても合いそうヨ」
「あー、いいね。中華系の味付けと相性良さそう」
もぐもぐしながらパヴェルも味付けを考え始める。幼体を喰ってた時は皆でまあ、その……胃袋からのクーリングオフを行っていたわけだが、今度は大丈夫そうだ。
あまりにも美味しそうにパリパリ食べていくものだから、ミカエル君もちょっと気になった。俺も焼いていい? とパヴェルに問いかけると、どうぞどうぞと返事をもらったので、トングをクラリスに渡してちょっと厨房へ。
袋に入っていた肉に串を差し、ガス栓を開けて表面を炙っていく。本当に美味いんだろうか、毒とか残ってないだろうか……そんな不安が過るが、あんな表面パリッパリでいかにも美味しそうなの隣で食べてるところ見てしまったらもうね、実際に食べてみないと。
くるくる回しながら焼いていると、隣にやってきたパヴェルが鉄の串を取り出し、何を思ったのかヴォジャノーイ亜種の肉……ではなく、レーションを串刺しにしやがった。
え、何? え、え? レーション? ……ナンデ?
それをまるで当たり前のように火にかけ、くるくると回しながら焼いていくパヴェル。あんぐりと口を開けて隣を見ている間に肉が良い感じに焼けたので、俺も叫びながら串を振り上げた。
「上手に焼けましたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ウルトラ上手に焼けましたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ってお前何焼いてんだァァァァァァァァァァァァ!?」
「ん、知らんのか。一流の兵士たる者レーションをこんがり焼いてこそ初めて一人前に……」
「いやいやいやそうじゃなくて、何でレーション焼いてんの!? しかも容器ごと!」
「うるせえ! 食ったら美味いかもしれないだろ!!」
なんだこの人。
困惑するミカエル君の隣で、火の通った(?)レーションを容器ごとバリバリ食べ始めるパヴェル。
「美味いじゃないか!」
「えぇ……?」
いや、レーションってこんがり焼いて食べるものでは……。
なんでウチのギルドって変な人ばっかりなんでしょう。そう思いながら、俺もこんがりと焼けたヴォジャノーイ亜種の肉にかぶりつく。
鶏肉みたいな味で、けれどもちょっと牛肉みたいな深みがある、そんな味わいだった。しかも表面がパリパリに焼けているおかげで肉汁が中に閉じ込められており、噛んだところから肉汁が溢れ出してもう最高。
ヴォジャノーイ亜種の肉、普通に美味しかった。




