ジャンクマーケット
薬品の匂いが充満する研究室の中は、いつだって薄暗い。
ビーカーやフラスコがテーブルの上に置かれ、中には色んな色の薬液が収まっているのが分かる。あまりそういう化学物質とかに詳しくないミカエル君だが、そういう正体不明の物質には迂闊に触ってはならない、という一般常識くらいは弁えているつもりだ。そうじゃなきゃ化学薬品で火傷したりと痛い目を見る事になる。
さて、そんなパヴェルの研究室に何をするために訪れたのかというと、今回の収穫の中にあった前文明の兵器―――ウチのギルドでは”サイクロプス”と呼称する事と正式に決まった、その兵器の解析と扱いについてパヴェルと協議するためである。
薄暗い研究室の中、クラリスと一緒に立つ俺の目の前には手術台のような台が置かれていた。しかしその手術台の上に横たわっているのは人間の患者などではなく、頭を割られ、フレームも上半身と下半身で破断している例のサイクロプス、その残骸である。
傍らにある大きめのビーカーに収まっている白い液体は、あの球体状の頭部を満たしていた例の溶液なのだろう。どろりとしていて、見た感じではお粥のような質感に思えた。アレがいったい何の役割を果たす存在なのかは解析結果を待つ他ないが、おそらくは中枢たる制御ユニットを外部からの衝撃から守るためのものではないかと思われる。
まるで執刀医のように手術台の前に立ち、大破した残骸に何やらコードを装着していくパヴェル。傍らにあるオシロスコープみたいな機械の表示が変わったのを確認してから、彼はメスの代わりに工具を取り出し、残骸の頭部を静かに分解し始めた。
「コイツが例の組織の機械人間に似てるって?」
マイナスドライバーを歪んだ装甲の隙間に差し込んで、てこの原理を使って装甲を外していくパヴェル。戦闘で劣化していたのか、それとも元からそれほど強度が無いのか、球体状の頭部を形成する装甲の一部はペリペリと簡単に剥がれていった。
中から出てきたのは、もう一回り小さな黒い球体状のユニット。さながらマトリョーシカ人形のように思えたが、それ以上”中身”が無いのは何となく分かった。単なる鉄球のように見えるが、よく見ると白い溶液に塗れたその表面には無数の細かなスリットがびっしりと刻まれていて、深さ1mmにも満たないそのスリットの底から、未だに蒼い微弱な光が漏れているのである。
あれだけ破壊されてもなお機能は残っているのか、と前文明の技術力に驚愕していると、パヴェルは何を思ったのかラジオのスイッチを入れ、チャンネルを回して音楽をかけ始めた。
「あくまで雰囲気がさ……人間に擬態してたやつらのフレームと共通点があるように思えたんだ」
「じゃあ何だ、もしそれが事実だったら、例の組織は滅亡した筈の旧人類の生き残りって事になるな」
「ああ、多分そうなる」
「……そうかね」
旧人類の生き残り―――何らかの原因によって滅亡した筈の旧人類が生きていた、というのも正規の大発見だが、確証はない。
今までもそういう情報は都市伝説として出回っていた。旧人類は滅亡したが、僅かな生き残りはコールドスリープを使って世界のどこかで生き延びていて、再び復活しこの世界を支配する事を夢見ているのだ、という話を聞いた時は、休日にソファでスナック菓子をパクつきながら聞く分には面白い話だな、程度の妄想だと思っていたものだが……。
割とそれが、最適解なのかもしれない。
だとしたらあの時、例の組織の指導者と思われる人間がデニスの身体を乗っ取って、今この世界に生きる獣人たちを”文明の間借り人”と評した理由も頷ける。自分たちが世代を重ねながら歴史を刻み、発展させてきた文明を何も考えずに使う獣人たち。文明の作り手として、それに憤るのも頷けるというものだ。
しかし―――ならばなぜ、あのような真似をする?
人間、つまりは旧人類たちは獣人たちから見れば創造主である。目的は不明だが、彼らの高度な遺伝子研究の結果としてまず先に第一世代型の獣人が生まれ、そこからよりヒトに近い形態の俺たち第二世代型獣人が生み出された。そしてそれから、何らかの原因によって旧人類は獣人を残して滅亡し、世界は獣人が支配するようになった。
だから世界を取り戻そうというのか。
だったら自らの復活を声高に宣言するなりすればいい。そうすれば旧文明を慕う獣人は付いて来るだろうし、そうじゃない連中は遠ざかるから”色分け”が出来る。あとは敵と断定した勢力を潰すなり何なりして、復権を成し遂げればいい。
これだけ何世紀も進んだ技術があるのだから、獣人の軍事力など相手にはなるまい。
その気になれば片手どころか指先一つで捻り潰す事すら可能なのに、なぜ奴らはそれをしないのか?
今はまだそれだけの力が無く、同胞たちの更なる目覚めを待っている段階なのか。
それとも―――目的が世界の支配ではないのか。
何もかもが分からん。
これだけ長々と述べてきたミカエル君の意見も、あくまでも憶測の域を出ない。もしかしたら例の組織はそもそも旧人類の生き残りですらない可能性だってある。
真相は闇の中……だから俺たちは、先の見えない闇の中に手を突っ込んで、中から出てきた物を調べて断片的な情報を得る事しかできないのだ。
しばらく意識を自分の思考へと向けている間に、パヴェルは制御ユニットの分解を終えていた。その中枢にあった、蒼く透き通った結晶のようなものをビーカーの中にある薬液に漬け、ふう、と息を吐く。
「まあ確かに類似性のようなものは見られる。このサイクロプスが、例の組織の運用している兵器群と同系統の技術で製造されたものである可能性は高いな」
「じゃあやはり……?」
これが連中のルーツか、とは思ったが、しかしパヴェルは表情を変えなかった。
「だが肝心な”組織”の兵器が鹵獲できないのではどうもな……偶然の一致、という可能性も捨てきれん」
「……そうか」
「まあ、ベストは尽くす。それより解析には時間がかかるし、どうだ? せっかくの収穫を金に換えてみないか」
ぺたんとなっていたミカエル君のケモミミが、金という単語を聞いた途端に跳ね上がるのを自分でも感じた。『どれだけ寡黙な獣人でも、尻尾とケモミミは嘘をつかない』―――この世界の諺だが、これは事実である。
良く居るじゃないか、嘘が顔に出てしまう人が。獣人もそんなものだ。
「それもそうですわね。せっかくの電気部品も、劣化していて補修には使えなさそうですし」
「そうするか」
「よーし決まりだ。俺も行くよ」
せっかくの収穫も、補修に転用できるものを除いて金に換えなければ文字通りの宝の持ち腐れ。倉庫のスペースを圧迫するという意味でも、早いところ金に換えてしまった方が良いだろう。
パヴェルが同行してくれるのも心強い。スクラップの買い手の中には、適正な値段よりもかなーり低い値段で買い取ろうとする悪い買い手もまた存在する。大体の相場を把握していて、そういう取引の経験も豊富なパヴェルが一緒というのは本当に頼りになる。
外出の支度のため、俺とクラリスは研究室を後にした。
ものすごく夢も希望もあったもんじゃない話をするが、『騙される方が悪い』というのは、少なくともこの世界では一般常識である。
だから適性な相場と、相手が嘘をついているかどうか、というのを見抜く能力は必須で、何も知らない貴族のお坊ちゃんをそういったマーケットに放り込めば、1時間も経たないうちに有り金全部騙し取られて無一文になってしまうだろう。
一応は憲兵も対応してくれるが、地域によって誠実だったり腐敗していたりと差が激しいのであまり当てにはならない……マカールは頼りになる。憲兵隊希望の星である。頑張れお兄ちゃん。
さて、そんな初心者に危険なスクラップの売買はというと、管理局のすぐ近くにあるマーケットで行われている。
通称『ジャンクマーケット』と呼ばれるそこは、拾ってきたスクラップを並べる冒険者ギルドの担当者や買い手で今日も賑わっていた。わいわいと響いてくる人々の声の中には値段交渉をする声だったりとか、交渉が決裂したのか怒号も聴こえてくる。が、これが当たり前なのだそうで、冒険者ってのはつくづく荒っぽい仕事なのだと嫌でも理解させられる。
そんなジャンクマーケットの片隅にブハンカを停め、後部のドアを解放してスクラップの入った木箱を下ろして蓋を解放。一緒に持ってきたパイプ椅子に腰を下ろしながらルガーにストックを装着し、いつでも撃てる状態にしながら買い手を待つ。
もちろん装填しているのは9mmゴム弾だ……ここは日本と違って治安がそれほど良いわけでもない。落とした財布は返ってくる事は無いし、無防備にポケットに入れていた貴重品がいつの間にか消えていた、という事も珍しくない。もちろんこうやって並べている”商品”を盗もうとする不届き者も現れるので、そういう輩にルガーでお仕置きするのだ。
「ご主人様、暖かいコーヒーをお持ちいたしましたわ」
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして。しかし、もう春なのに冷えますわねぇ」
「まあ、そういう国だからね……」
寒がりの人には辛いかもしれない。とかいう俺も寒がりでね……仕方ないだろう、ハクビシン本来の生息地は台湾とか中国南部などの暖かい地域なのだ、寒冷地はどうしても苦手なのである。
そういう事もあって、ハクビシンの獣人は基本的に寒がりなのである。
もこもこのコートを身に付けつつ待つこと5分、クソデカボイスで客引きするモニカの声に釣られてか、コートに身を包んだ狸の獣人の男性が血盟旅団の前で立ち止まった。
どこのメーカーのコートなのかは分からないが、仕立ての良いコートである事は分かる。どこかの工場の経営者だったりとか、スクラップを扱う業者なのだろうか。貴族には見えないが、それなりに金は持ってそうだ。
「このケーブル、1本でいくら?」
「1000ライブルです。いくつか劣化しているのもありますが、中の銅線の状態は良好ですよ」
そう言いながら1つ拾い上げ、断面の様子も見せつけた。ここで「どうぞ自由に手に取ってご覧ください」はご法度だ。そのまま持って逃げたりする可能性があるので、金の支払いを確認するまでは客に商品を触らせない。ノヴォシアでは常識である。
ああいうのは治安の良い日本だからこそできる事なのだ。まあ、イライナもノヴォシア地方と比較すれば治安が良い方だが、冒険者という職業そのものがちょっとね、荒っぽいというか治安があまりよろしくないというか。
さて、こうして商品を広げているうちにだんだんと他の買い手も寄ってきて、パヴェルやモニカが商品の説明を始めているが―――停車したブハンカの周囲に置かれた”商品”の中に、あのサイクロプスの残骸は含まれていなかった。
リビコフ貯蔵庫で斃したサイクロプスの数は3体。それだけあれば1体くらい売ってもいいのではないか、とは思ったが、解析のためにはより多くのサンプルがあった方が良い、というパヴェルの判断で売却は見送られた。高値で売れるだろうと見込んでいたリーファとモニカは猛反発していたが……。
解析が完了するまで売却は控えたい、というのがパヴェルの意見だった。
まあそれでも、それ以外の商品でもかなりの収益が見込める。何度も言っているが電気部品は高値で売れるのだ。
そうしている間に、ケーブルと予備のヒューズがセットで売れていた。買っていったのは家紋付きのウシャンカをかぶった初老の男性。付き人に50万ライブルの入ったスーツケースをぽんと渡させ、商品を持っていったのである。
スーツケースの中身をチェックしてみたが、偽札ではないようだ。
「えへへっ。お金っ、お金っ♪」
目がお金のマークになるモニカ。リーファは列車の警備のためにルカたちと一緒に列車に残してきたが、この札束を目にすればきっと似たようなリアクションを取るに違いない。
「この計測器、いくらだい?」
「ええと、1つ5000ライブルになります」
別の買い手に声をかけられたので、そう返答した。
こんな何の計測に使うかもわからん正体不明の機材にもそれだけの値段がつくのだ。もちろん、本来の用途で使われるという事はまずなく、大概は分解されて使われるのだが。
買い手は興味深そうにまじまじと計測器を見ると、「状態の良い奴を2つもらおう」と言ってくれた。
まいどあり、と言ってから先に1万ライブルを受け取り、計測器を2つ客に手渡す。状態が良い奴とはいってもどれも似たようなものだ。とりあえず売りに出す前に埃は拭き取ったので、傷ができるだけ少ないものを選んだつもりだが、あまり大きな違いは無いだろう。
飛ぶように売れていく商品と、凄まじい速度で溜まっていくお金を見ながら思った。
こりゃあ今夜は焼肉だな、と。




